宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 グランド電柱
グランド電柱
あめと雲とが地面に垂れ
すすきの赤い穗も洗はれ
野原はすがすがしくなつたので
花卷(はなまき)グランド電柱(でんちゆう)の
百の碍子(がいし)にあつまる雀
掠奪のために田にはいり
うるうるうるうると飛び
雲と雨とのひかりのなかを
すばやく花卷大三又路(はなまきだいさんさろ)の
百の碍子にもどる雀
[やぶちゃん注:大正一一(一九二二)年九月七日の作。本書以前の発表誌等は存在しない。
・「花卷大三又路(はなまきだいさんさろ)」の「又」はママ。原稿も「又」。「手入れ本」も修正せず。校本全集校訂本文は「叉」とする。
・「百の碍子にもどる雀」宮澤家版「手入れ本」は、
百の碍子にしりぞく雀
とする。韻律からは「しりぞく」がよい。
和田博文氏の「風呂で読む宮澤賢治」(一九九五年世界思想社刊。私の入浴中の愛読書の一つ)の解説に、『花巻に電燈が初めてともったのは、賢治が一六歳の一九一二(大正元)年のことだという。ランプから電気への移行は、人々の生活様式や感受性のありかたを変えた。この詩はその一〇年後に書かれているが、「グランド」(grand=堂々とした)という形容からは、その頃の電柱イメージがうかがえる』とある。松井潤氏のブログ「HarutoShura」の本詩篇の解説によれば、『「グランド電柱」「花巻大三叉路」ともに、賢治の造語。花巻市豊沢町の街路を豊沢橋のほうに進み、橋を渡ってから』「花巻大三叉路」『(いまの新旧国道の交差点)にいたる区間の両側に立ち並んでいた電柱のことをグランド電柱と呼んだ』とある。「花巻大三叉路」はこの(グーグル・マップ・データ)桜町交差点(現在は四叉路)であろう。賢治の地図でも判る通り、生家から五百七十メートル南南東で、これらはごく直近の身近な景色であったことが判る。ギトン氏の本篇の解説によれば、『当時は、奥州街道に沿って高圧送電線の高い電柱が並んでいたそうです。これが賢治の言う「花巻グランド電柱」です。幹線の送電線ならば、ひとつの電柱に2~3段の横木と10個前後の碍子が付いていたでしょうから、立ち並ぶ電柱に付いている碍子の数を合計すれば、「百の碍子」は誇張ではないのです』とあり、別ページのこちらでは、「電柱」と「電信柱」は異なるものであることを写真で解説して下さっている。私などは今まで混同していただけに、眼から鱗であった。
「碍子(がいし)」電線を支持し絶縁するために、電柱や鉄塔に取り付ける絶縁体の器具。ごく初期は木製であったが、後に陶磁器製のものが登場し、ごく近年まで使用され、我々にはお馴染みである。現在は改良が進んで合成樹脂製のものが多い。
「掠奪」(りやくだつ(りゃくだつ))「略奪」に同じ。暴力的に奪い取って自分のものにすること。農学者としての賢治なればこそかく言うものの、雀による稲作被害は実際には有意性がないことは彼も知っていたから、ここは寧ろ、その飛ぶさまを「うるうるうるうる」と何か侘びしげに表現して、「雲と雨とのひかりのなかを」/「すばやく花卷大三又路(はなまきだいさんさろ)の」/「百の碍子にもどる雀」に同情を寄せて、優しく眺めている詩人の姿が見える。]
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