宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 雲の信號
雲 の 信 號
あゝいゝな、せいせいするな
風が吹くし
農具はぴかぴか光つてゐるし
山はぼんやり
岩頸(かんけい)だって岩鐘(がんしやう)だって
みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ
そのとき雲の信號は
もう靑白い春の
禁慾のそら高く掲(かか)げられてゐた
山はぼんやり
きつと四本杉には
今夜は雁もおりてくる
[やぶちゃん注:「岩頸(かんけい)」のルビの「かんけい」はママ(底本原稿も「かんけい」なので誤植ではない。但し、無論、「がんけい」が正しい)。現存稿は底本原稿のみで(大きな異同はないので示さない)、これ以前の発表誌等も存在しない。大正一一(一九二二)年五月十日の作。宮澤家「手入れ本」は、以下のようになっている。
*
雲 の 信 號
あゝいゝな、せいせいするな
風が吹くし
農具はぴかぴか光つてゐるし
山は! ぼんやり
岩頸(かんけい)だって岩鐘(がんしやう)だつて
みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ
そのとき雲の信號は
もう靑じろい禁慾の
春ぞら高く掲(かか)げられてゐた
山はぼんやり
きつと四本杉には
今夜は雁もおりてくる
*
「雲の信號」農事の開始を告げる春の雲の到来。
「岩頸」「火山岩頸」の略。火山体が浸食されて、火道(かどう:volcanic vent:マグマが地中に貫入したその通り道)を満たしていた溶岩などが塔状に露出して残った岩体。岩栓(がんせん)・突岩(とつがん)とも呼ぶ。山塊・山麓・海岸線・海中等に楯状に突き出る岩の塊りで、大きなものでは、アメリカ合衆国ワイオミング州北東部にある、スピルバーグの映画「未知との遭遇」(一九七八年日本公開)で知られるようになった「デビルス・タワー(Devils Tower)」がそれ。
「岩鐘」賢治の呼称で、前の岩頸の、なだらかな円錐(釣鐘)状の突出を指しているようである。地球物理学者で日本文藝家協会(日本文芸家協会)会員でもある島村英紀氏のサイト内の「地球科学者と読む宮沢賢治」の「その1:楢ノ木大学士の野宿」が賢治の複数の作品も引用されていて、素敵だ。そこに『賢治の研究家で、「賢治の事務所」というホームページを開設しておられる加倉井厚夫(かくらい あつお)』(同サイトからは私も既に引用させて戴いている)『さんから教えていただいたことによれば、 賢治が見ていた岩頸は、盛岡の西南西の郊外の南昌山あたりではないか、という』とある。そこにリンクされてある「需要研究所」のサイト「イーハトーヴォ」の「南昌山」も必見。南昌山は岩手県岩手郡雫石町と紫波郡矢巾町との境にある、標高八四八メートルの山で、岩の鐘(私が画像を見た限りでは口の広い鉢)を伏せたような均整のとれた形をしている。坂上田村麻呂の時代から霊山として崇敬され、賢治も何度も訪れていた(ここはウィキの「南昌山」に拠った)。ここ(頂上は岩手県紫波郡矢巾町煙山。グーグル・マップ・データ)。
「みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ」人類が生まれる以前の太古の造山運動の時代を想起し、自身の性的衝動をそこに昇華(フロイト的な意味で)しようとしている賢治がそこには、いる。
「そのとき雲の信號は/もう靑じろい禁慾の/春ぞら高く掲(かか)げられてゐた」「雲」個人ブログ「トポイポイねっと――中路正恒 第二ブログ」の「≪宮沢賢治の雲≫ 芸術学コース 須田雅子」の「(3)性的な雲」に、『押野武志は、性欲や性愛を煩悩とみなし、克服しようとする賢治が、「おれは、たまらなくなると野原へ飛び出すよ、雲にだって女性はゐるよ」と藤原嘉藤治に話したというエピソードを紹介している』とあるのは、この字下げ第二連の謎めいた謂いを読み解く、強力な鍵のように思われる。雲が性欲の象徴であるとすれば、「人」類「未生以前」の「太古」の意識の中では、「雲の信號」(肉体的性的衝動)「は」「もう靑じろい禁慾の」「春ぞら」遙か「高く」手の届かないところに「掲(かか)げられて」「ゐた」と賢治は謂うのではないか? その時は、あたかも地蔵菩薩像の股間のように、男根は渦を巻いて内部に貫入して封蔵されていたのだ、とでも言えそうな気が煩悩即菩提を嘯く私には、する、のである。]
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