宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 コバルト山地
コバルト山地
コバルト山地(さんち)の氷霧(ひやうむ)のなかで
あやしい朝の火が燃えてゐます
毛無森(けなしのもり)のきり跡あたりの見當(けんたう)です
たしかにせいしんてきの白い火が
水より强くどしどしどしどし燃えてゐます
*
現存稿はなく、これ以前の発表誌等も存在しない。大正一一(一九二二)年一月二十二日の作品。
「コバルト山地」北上平野から東を見た北上山地を表現したとされる。諸注はこれを「コバルトブルー」(強く明るい青)だとするが、そうだろうか? 少なくとも実景は「氷霧のなか」の「山地」の日の出なのである。とすれば、私は金属としてのコバルト(cobalt)の純粋なものを賢治はイメージしているように思う。則ち、切れるような鋭い銀白色(不純物を含んだそれはくすんだ灰色であるが、採らない)である。大方の御叱正を俟つ。
「毛無森(けなしのもり)のきり跡」「毛無森」は幾つかの同名の場所や同定比定地があるようだが、映像のスケールを大きく採るならば、早池峰山の西方約六キロメートルの位置にあるピーク「耳無森」(標高千四百二十七メートル)であろう(ここ(グーグル・マップ・データ))。個人サイト「ギトンの読書室」のこちらによれば、「けなし」は『アイヌ語で木がたくさんという意味』であるらしく、「もり」は『狼森(おいのもり)、七つ森』「盛岡」の「もり」『などと同じく、山や丘を意味する方言古語』とある。「きり跡」はよく判らぬが、同引用元では『毛無森のてっぺんの』、『木が生えていない平らな頂上部を云っている』か、或いは『たまたま』この当時、『中腹斜面に、大きな伐採跡があったの』かも知れない、とある。または、山塊がそこで東へ有意に下り始めるから、そこを「きり」と言い、それを造山運動の「跡」と言ったものかも知れない。
「たしかにせいしんてきの白い火が」「せいしんてき」は無論、「精神的」の意。ひらがな書きにした一つの理由はクレシェンド的になだらかに増える行字数(行末曲線)を揃えることが大きな理由であろう。読みを除去して示して見る。
*
コバルト山地
コバルト山地の氷霧のなかで
あやしい朝の火が燃えてゐます
毛無森のきり跡あたりの見當です
たしかにせいしんてきの白い火が
水より强くどしどしどしどし燃えてゐます
*
なお、全集脚注に宮澤家本「手入れ本」では、『「せいしんてき」を縦線で消し、代りの語句を挿入しようと線を引き出しているが、結局、そこに』は『何も記していない』とある。菊池曉輝氏所蔵本は、
たしかにひどく何かせいしんてきの白い火が
とする。
「水より强くどしどしどしどし燃えてゐます」現存する藤原嘉藤治所蔵本では、
水より强くどしどしどしどし燃えております
とする。]
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