宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 瀧澤野
瀧 澤 野
光波測定(くわうはそくてい)の誤差(ごさ)から
から松のしんは徒長(とちやう)し
柏の木の烏瓜(からすうり)ランタン
(ひるの烏は廣野に啼き
あざみは靑い棘に遷(うつ)る)
太陽が梢に發射するとき
暗い林の入口にひとりたたずむものは
四角な若い樺の木で
GreenDwarf といふ品種
日光のために燃え盡きさうになりながら
燃えきらず靑くけむるその木
羽蟲は一匹づつ光り
鞍 掛や銀の錯乱
(寬政十一年は百二十年前です)
そらの魚の涎(よだれ)はふりかかり
天未線(スカイライン)の恐ろしさ
[やぶちゃん注:大正一一(一九二二)年九月十七日の作。本書以前の発表誌等は存在しない。本詩篇を以ってパート「グランド電柱」は終わっている。ロケーションその他は前の同日作「銅線」の注の冒頭を参照されたいが、岩手山登山のトバ口での嘱目を素材とした一篇である。先に推定した「岩手山馬返し登山口」(ここ(グーグル・マップ・データ)。標高六百三十メートル)からは、ほぼ西に登るが、そこから見下ろす岩手山の東南の裾野の旧「滝澤村」、現在の滝沢市の中北部一帯が「瀧澤野」なのであろう。後で出る「鞍掛」山(八百九十七メートル)はそこから南西二キロメートル強の位置にある。登攀ルートから見て、詩篇の視線は西の岩手山及び鞍掛山のある東南方向となり、標題の「瀧澤野」は登攀を休んで顧みる方向となる。
・「柏の木」は底本では「柏の本」であるが、「正誤表」に載るので、訂した。
・「たたずむ」はママ。原稿も「たたずむ」。校訂本文もそれで載る。
・「GreenDwarf」はママ。原稿は「Green Dwarf」と有意な字空けがある。「正誤表」になく、「手入れ本」も修正はないが、校訂本文は無論、字空けを施す。
・「鞍 掛や銀の錯乱」の字空けはママ。「乱」もママ。原稿は「鞍掛」で誤植であるが、「正誤表」にはなく、何故か「手入れ本」も修正がない。校訂本文は無論、詰めている。
・「天未線」「未」はママ。原稿も「未」。校訂本文は「天末線」。既に述べた通り、「小岩井農塲」の「パート七」では同じく「天未線」(原稿も「未」)であるが、前の「原體劍舞連」では「天末線」(原稿も「末」)である。前者の注で述べた通り、「未」でもニュアンスは通ると私は思うし、また、これを単なる賢治の誤字或いは書き方の誤りと断ずることを微妙に留保したい気持ちが今も、ある。
「光波測定(くわうはそくてい)の誤差(ごさ)」よく判らない。私は漠然と特殊相対性理論(一九〇五年発表)の時間のズレを指した賢治得意の幻想だろうなどと勝手に思い込んできたのだが、流石にどうもそんなSF紛いの話ではなさそうだ。ギトン氏はこちらで、『植物は光を求めて生長しますが、光波を正確に測定して生長すれば均整のとれた形になるが、測定に誤差があると伸び過ぎたりして変な形になる、というサイエンス・フィクションを想定してみます』と枕され、『「誤差」とは、“誤測定”とは違います。どんなに正確に測定しても、理論値と完全に一致はしない‥その理論値(真の値)と測定値の差のことで』、『“光を測定する”という場合、光の速度を測る、波長/周波数を測る、強さを測る、位相を測る』『などの場合があると思いますが、ここでギトンの考えを言いますと、賢治の時代に、もっとも有名な「光波」の測定実験は、光速度の測定だったと思います』。『光波度の測定は』、『測定地から非常に遠い場所に鏡を置いて、測定地から光を送り、反射して戻ってきた光を、もとの光と重ねます』。『こうすると、鏡までの距離を往復するのにかかった時間だけ、反射光の位相は、もとの光の位相からずれているはずです。この位相差を測定して計算すれば光速度が求まります』(以下、次のページ)。『ところで、位相のずれた波を重ね合わせると、“干渉”がおきます。位相差に‘ゆらぎ’があれば、干渉縞──縞模様ができます』。『位相差の‘ゆらぎ’しだいで、縞模様は同心円状になったり、さまざまな形を描きます』、ここで或いは、『作者は、しだいに光度を落としてきた夕方の日差しの中で、カラマツの梢、あるいは枝先に、干渉縞のような虹色の模様を見たのではないでしょうか』? 『木の枝などに虹が見えることは、よくありますが、ニュートン・リングのような縞模様が見えたとすれば、おそらく幻視です』。『カラマツの枝々は、誤差の‘ゆらぎ’による干渉縞を派生しながら、光波を測定している』が、そこに彼ら(「から松」)自身の『測定に誤差があるために、あんなに「しん」が徒長した(伸びすぎた)枝や、伸びたりない枝があるのだ──作者は、このように考えたのではないでしょうか?』と解釈しておられる。またしても私には目から鱗であった。
「から松のしんは徒長(とちやう)し」「から松」既出既注。裸子植物門マツ綱マツ目マツ科カラマツ属カラマツ Larix kaempferi。漢字表記は「落葉松」「唐松」。その「しん」というのは恐らくはその針形をした葉であろう。その葉の「徒長」(とちょう)とは、植物の伸長成長が勝り、内容の充実を伴わない成長をする現象指す園芸用語。参照したウィキの「徒長」によれば、『徒長は、高温、弱光、多湿、多窒素条件下で発生しやす』く、『徒長した植物は柔らかく、細長いという特徴があ』り、稲などの場合は、『近年の省力・軽作業化を目的とした全自動移植機や収穫機の普及に伴い、機械定植では苗のサイズに制限があり、大きすぎる苗や徒長苗は植え痛みしやすい』とあるから、先のギトン氏の謂いを援用するならば、その細かな針状の葉の伸長に微妙に違った長短が現出しているというのであろう。
「柏の木」コナラ亜属 Quercus Mesobalanus 節カシワ Quercus dentata。
「烏瓜(からすうり)ランタン」「烏瓜」はスミレ目ウリ科カラスウリ属カラスウリ
Trichosanthes cucumeroides。その実を「ランタン」(lanthanum:手提げランプ)に擬えた。但し、岩手でもまだこの時期では赤く色づいてはいない気がする。賢治は熟したそれを夢想しているのである。周囲も暗くなり始めた。ランタンは似つかわしい。ウィキの「カラスウリ」から引くと、『花期は夏で』七~九月に『かけて』、『日没後から開花する』(以前、如何にも不思議そうに「烏瓜は花も咲かないのに実がつく」と言っている知人がいたが、このことをその人は知らなかったのであった)『雄花の花芽は一ヶ所から複数つき、数日間連続して開花する。対して雌花の花芽は、おおむね単独でつくが、固体によっては複数つく場合もある。花弁は白色で主に』五弁(四弁・六弁も『ある)で、やや後部に反り返り、縁部が無数の白く細いひも状になって伸び、直径』七~十センチメートル『程度の網あるいはレース状に広がる。花は翌朝、日の出前には萎む。こうした目立つ花になった理由は、受粉のため夜行性のガを引き寄せるためであると考えられており、ポリネーター』(pollinator:送粉者。植物の花粉を運んで受粉させ、花粉の雄性配偶子と花の胚珠を受精させる動物のこと)『は大型のスズメガ』(鱗翅目スズメガ科 Sphingidae のウチスズメ亜科 Smerinthinae・スズメガ亜科 Sphinginae・ホウジャク亜科 Macroglossinae に属する蛾の一群。私が唯一、気持ちが悪いと感じない特異点の蛾である。多分、初めての海外旅行のペルーはナスカのセスナの飛行場の待合室の庭で出逢った沢山のハチドリと似ているからだと思う)『である。カラスウリの花筒は非常に長く、スズメガ級の長い口吻を持ったガでなければ』、『花の奥の蜜には到達することはできず、結果として送粉できないためである』。『雌花の咲く雌株にのみ』、『果実をつける。果実は直径』五~七センチメートル『の卵型形状で、形状は楕円形や丸いものなど様々。熟する前は縦の線が通った緑色をしており』、『光沢がある』。十月から十一月末に『熟し、オレンジ色ないし朱色になり、冬に枯れたつるにぶらさがった姿がポツンと目立つ。鮮やかな色の薄い果皮を破ると、内部には胎座由来の黄色の果肉にくるまれた、カマキリの頭部に似た特異な形状をした黒褐色の種子がある。この果肉はヒトの舌には舐めると一瞬甘みを感じるものの非常に苦く、人間の食用には適さない。鳥がこの果肉を摂食し、同時に種子を飲み込んで運ぶ場合もある。しかし名前と異なり、特にカラスの好物という観察例はほとんどない』とある。……私は烏瓜の実が無性に好きで、毎年、アリスと一緒に裏山で烏瓜刈りをするの楽しみにしてきた……しかし昨年十月二十六日、脳腫瘍の彼女を安楽死させてしまってから、もう、それもやめてしまった……先日のこと、まさに一年ぶりに裏山に散歩に行った(糖尿病の数値が規定値を越えてしまったので運動をせねばならなくなっただけのことだ)……烏瓜は今年も沢山ぶら下がっていた……私はそれを暫く眺めていたが、採ることもなく、山を、下りた……今、私の家には、昨年、最後に末期に近かったアリスと一緒に採った烏瓜が……木乃伊になって……いくつも……ぶら下がっている……
「ひるの烏は廣野に啼き」実際のカラスが鳴いてもいようが、前のカラスウリと響き合う縁語だ。カラスウリは前に述べた通り、「夜」に咲く妖しい白いレースのような花、それは「ひるの烏」にこれもまた美事に対称するではないか。
「あざみ」キク目キク科アザミ亜科 Carduoideae、或いは、同アザミ連Cynareae アザミ属 Cirsium に属するアザミ(薊:どうもこの漢字は好きじゃない)類の仲間。岩手山附近で見られそうな種は、
ノアザミ Cirsium japonicum(本州から九州に分布。春咲きのアザミの代表で、八月ぐらいまでが花期であるが、稀れに十月に咲いている個体もある)
ノハラアザミ
Cirsium oligophyllum(本州中部以北の山地の草原や林縁に見られる)
モリアザミ Cirsium dipsacolepis(本州から九州の草原。「ヤマゴボウ(山牛蒡)」の名で根を食用とする。「山牛蒡」については最近、「和漢三才圖會第四十三 林禽類 杜鵑(ほととぎす)」で詳細な注を施したので参照されたい)
ナンブアザミ Cirsium nipponicum(本州中北部では普通。アザミ類の中では分布域が比較的広い種として知られる)
タカアザミ Cirsium pendulum(北海道から本州の北部で、東アジアにも分布。茎の高さは一~三メートルにも及び、茎も太く、直径一センチメートルを超える)
などが挙げられる。
「靑い棘に遷(うつ)る」アザミと言えば「棘」(とげ)で、葉にも棘がある種が殆んどであるが、彼ら筒状の花包の下部にまで鋭いそれが生えており、ここは鮮やかな(白もあるが)花(頭状花序)がみな飛び去って、棘ばかりが目立つように遷移している様態を指している。
「太陽が梢に發射するとき」大正一一(一九二二)年九月七日の日没は五時五十九分で、登攀の開始を六時頃としているから、まさに日没直前の「馬返し」前後の景観ととることが出来るか。
「樺の木」「Green」「Dwarf」「といふ品種」三浦修氏の論文『宮沢賢治作品の「装景樹」と植生景観 ―「田園を平和にする」白樺、獨乙唐檜、やまならし―」』(『総合政策』第十一巻第二号・二〇一〇年・PDF)によれば、賢治が諸作品に記す「樺」は殆んどが白樺、ブナ目カバノキ科カバノキ属シラカンバ日本産変種シラカンバ Betula platyphylla var. japonica であることが判る。あるサイトにはそっけなく『盆栽用の矮性植物。「Dwarf」は小びと』とつまらぬ教科書の脚注の如く記してあったが、如何にもインキ臭い、「宮澤賢治の研究者でございます」的な不親切な輩が書きそうな記事だった(憚るのではなく、甚だ不快だからリンクせぬ)。岩手山の登山口「馬返し」の近くに奇形の「小びと」の「盆栽用の矮性植物」ですか。それを自分が好きな「樺の木」(白樺)の「品種」などと言ったんだ、賢治がねえ。これはそれ、ブナ目ブナ科コナラ属アメリカガシワ Quercus palustris(Green
Dwarf)のこと言ってんじゃねえのかい?(リンク先は英文の庭木サイト) アメリカ・カナダ原産だが、日本にも移入されていることは、個人サイト「GKZ植物事典」のこちらでも判るぜ。なぜ、そう判るように書かねえのかね、え? なお、分類は近年、遺伝子レベルで分離・改変されているし、当時の賢治が同定を大ミスしたかどうかは私には判らない。しかし、この時期にアメリカガシワがここまで侵入していたというのは、ちょっと考えにくいわなあ。しかし「品種」と言い、実在する英名まで出してるしなあ。判らんな、侏儒の脳味噌の私には。賢治の好きな白樺から飛び出した夢幻の「Green」の色をした「Dwarf」=「森の小びとさん」なのかしらん?
「羽蟲」ここは単に夜行性の小さな飛翔性昆虫でよかろう。ヌカカ(ユスリカ上科ヌカカ科 Ceratopogonidae)だとヤバい。♀が激しく吸血し、私は山や海でさんざん刺された。後から異様に痒くなり、傷の治りも悪いのを特徴とする奴だ。
「鞍」「掛や銀の錯乱」またしても異質な、実在する「鞍掛」山(の日没の景)と、最後の太陽光の輝きの「銀の錯乱」(という形容)の並列。
「寬政十一年は百二十年前です」「寬政十一年」は一七九九年。本篇の詠まれた大正一一(一九二二)年からは百二十三年前で四捨五入すれば合致するが、当時の何を賢治は言いたいのかは、分らない。登り詰めんとする岩手山の火山活動史を見たが、ピンとくるものはない。ギトン氏はこちらで、『山腹火口からのマグマ噴出によって《焼け走り溶岩流》が形成された噴火は、かつては1719年』(享保四年)『に起こったと考えられていました(1903』(明治三十六年)『年の論文によるもので、賢治の時代にも、そう思われていました)』。『しかし、最近の調査で、1719年には噴火はなく、1732年』(享保十七年)『の古文書類に記録された噴火が《焼け走り溶岩流》の噴出にほかならないことが、判明しています』。『賢治は、1719年を1799年と覚え違いしていたのかもしれませんし、あるいは、“鞍掛山形成史”と同じように』(ギトン氏がどのような賢治の資料を指しているのかは不明)『賢治独自の見解を持っていたのかもしれません』とある。一七一九年と一七九九年の覚え違いというのはありそうな感じはする。但し、ウィキの「岩手山」には、享保一六(一七三一)年に噴火し、『北東山麓に溶岩流(国の特別天然記念物・焼走り熔岩流)が発生』し、『現在の八幡平市の集落の住民が避難』したとあり、享保四(一九一九)年には水蒸気爆発による小噴火が発生した、とある。ともかくもこの突然の挿入は読者には頗る不親切で、私はない方がよいと思う。或いはその時、引率した生徒たちへの教授の言葉をそのまま切り取って状況的リアリズムを出そうとしたのかも知れぬが。
「そらの魚の涎(よだれ)はふりかかり」昔は『アンドレ・ブルトンの「溶ける魚」か!』と思ったのを思い出す。今は、何かの現認される地形らしいという気がした。岩手山の現地を見たことがない私は、最早、ギトン氏に頼るしか術はない。その期待にしっかりギトン氏は答えて呉れておられた。こちらで即物的な景色を示されて、かく解釈されておられる。『滝沢付近からは、《焼け走り溶岩流》が見えるのでしょうか』。『「そらの魚の涎(よだれ)はふりかかり」は、東岩手山の山裾に広がる《焼け走り》の黒い溶岩流の堆積を指していると思います』。『それは、空にいる巨大な魚が落としたヨダレだというのです』。『なにか非常に不潔で不浄な』『生理的な感覚を誘います。しかし、それにしても、魚の身体全体の大きさは、はかりしれません。生理的感覚とすれば、これは地球そのものの生理、──気圏もふくんだこの世界全体がひとつの生き物だとすれば、その“世界生物”の生理です』。『この魚は、荘子の「鵬」よりも巨大です』。私の好きな「荘子」を引かれており、最近、殆んど「ギトン」教にハマってしまっている私は、すっかり頭を縦に振るばかりである。
「天未線(スカイライン)の恐ろしさ」溶暗してゆく地平線は確かに絶対零度に冷たく恐い。]
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