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2018/11/18

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 小岩井農塲 パート九 / 小岩井農塲~了

 


             
パート九

 

すきとほつてゆれてゐるのは

さつきの剽悍(ひやうかん)な四本のさくら

わたくしはそれを知つてゐるけれども

眼にははつきり見てゐない

たしかにわたくしの感官の外(そと)で

つめたい雨がそそいでゐる

 (天の微光にさだめなく

  うかべる石をわがふめば

  おゝユリア しづくはいとど降りまさり

  カシオペーアはめぐり行く)

ユリアがわたくしの左を行く

大きな紺いろの瞳をりんと張つて

ユリアがわたくしの左を行く

ペムペルがわたくしの右にゐる

……………はさつき橫へ外(そ)れた

あのから松の列のとこから橫へ外れた

  ⦅幻想が向ふから迫つてくるときは

   もうにんげんの壞れるときだ⦆

わたくしははつきり眼をあいてあるいてゐるのだ

ユリア、ペムペル、わたくしの遠いともだちよ

わたくしはずゐぶんしばらくぶりで

きみたちの巨きなまつ白なすあしを見た

どんなにわたくしはきみたちの昔の足あとを

白堊系の頁岩の古い海岸にもとめただらう

  ⦅あんまりひどい幻想だ⦆

わたくしはなにをびくびくしてゐるのだ

どうしてもどうしてもさびしくてたまらないときは

ひとはみんなきつと斯ういふことになる

きみたちとけふあふことができたので

わたくしはこの巨きな旅のなかの一つづりから

血みどろになつて遁げなくてもいいのです

 (ひばりが居るやうな居ないやうな

  腐植質から麥が生え

  雨はしきりに降つてゐる)

さうです、農塲のこのへんは

まつたく不思議におもはれます

どうしてかわたくしはここらを

Der heilige Punkt

呼びたいやうな氣がします

この冬だつて耕耘部まで用事で來て

こゝいらの匂のいゝふぶきのなかで

なにとはなしに聖いこころもちがして

凍えさうになりながらいつまでもいつまでも

いつたり來たりしてゐました

さつきもさうです

どこの子どもらですかあの瓔珞をつけた子は

  ⦅そんなことでだまされてはいけない

   ちがつた空間にはいろいろちがつたものがゐる

   それにだいいちさつきからの考へやうが

   まるで銅版のやうなのに氣がつかないか⦆

雨のなかでひばりが鳴いてゐるのです

あなたがたは赤い瑪瑙の棘でいつぱいな野はらも

その貝殼のやうに白くひかり

底の平らな巨きなすあしにふむのでせう

   もう決定した そつちへ行くな

   これらはみんなただしくない

   いま疲れてかたちを更へたおまへの信仰から

   發散して酸えたひかりの澱だ

  ちいさな自分を劃ることのできない

 この不可思議な大きな心象宙宇のなかで

もしも正しいねがひに燃えて

じぶんとひとと萬象といつしよに

至上福しにいたらうとする

それをある宗教情操とするならば

そのねがひから碎けまたは疲れ

じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと

完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする

この變態を戀愛といふ

そしてどこまでもその方向では

決して求め得られないその戀愛の本質的な部分を

むりにもごまかし求め得やうとする

この傾向を性慾といふ

すべてこれら漸移のなかのさまざまな過程に從つて

さまざまな眼に見えまた見えない生物の種類がある

この命題は可逆的にもまた正しく

わたくしにはあんまり恐ろしいことだ

けれどもいくら恐ろしいといつても

それがほんたうならしかたない

さあはつきり眼をあいてたれにも見え

明確に物理學の法則にしたがふ

これら實在の現象のなかから

あたらしくまつすぐに起て

明るい雨がこんなにたのしくそそぐのに

馬車が行く 馬はぬれて黑い

ひとはくるまに立つて行く

もうけつしてさびしくはない

なんべんさびしくないと云つたとこで

またさびしくなるのはきまつてゐる

けれどもここはこれでいいのだ

すべてさびしさと悲傷とを焚いて

ひとは透明な軋道をすすむ

ラリツクス ラリツクス いよいよ靑く

雲はますます縮れてひかり

わたくしはかつきりみちをまがる

 

[やぶちゃん注:長詩「小岩井農塲」の最終章である。前の「パート八」相当は底本には存在せず、前の「(パート五 パート六)」のような標題のみの挿入も、ない。因みに「パート八」は下書き稿も全く残っていない。私は「(パート五 パート六)」でート七」として時間経過を示したように、「パート八」を示さずないことで、やはり時間と意識の経過を示したものと採っておく。また、賢治の神経症的な性癖から考えて、書いてもいないものを飛ばしてナンバリングすることは私は考え難いと判断する(そういう幻想でないただの嘘をつくことを賢治は非常に嫌ったと思う)から、私は「パート八」は実際に書かれたものと思う。下書き稿には欠損があることを考えれば、物理的に消失したか、意図的に破棄された草稿があったと考える。但し、「(パート五 パート六)」同様、そうした仕儀を私はやはり、読者に対して頗る不親切で不愉快で不快に思う気持ちが今も残ることは言い添えておく。

・「……………はさつき橫へ外(そ)れた」リーダーは一点擦(かす)れがあるが、底本では二十四点。以前にも注したが、それを再現すると、有意に下に下がってしまうので、かく字数分の三点リーダ十五点で示した。

・「ひとは透明な軋道をすすむ」「軋道」はママ。原稿は「軌道」で誤植であるが、「正誤表」にない。手入れ本でも修正がない。全集校訂本文は原稿に従って訂してある。

 

「さつきの剽悍(ひやうかん)な四本のさくら」「剽悍」は「すばしっこく、しかも荒々しく強いさま。これはその奇体な形容と、時間経過とそれから想定される位置から、パート四で登場した「向ふの靑草の高みに四五本乱れて」生えている、「なんと」もまあ、「氣まぐれなさくら」で、詩人が「みんなさくらの幽靈だ」と断じ、「むら氣な四本の櫻」と形容したそれである。

「わたくしはそれを知つてゐるけれども」/「眼にははつきり見てゐない」/「たしかにわたくしの感官の外(そと)で」/「つめたい雨がそそいでゐる」ここは主人公が、現実の外界との間に何らかの膜を張っている、一種の乖離的な精神状態が私には見てとれる。幻想を保存するための防禦機構が感官全体に抑制を加えている雰囲気を覚えるのである。それは、以下で証明される。

「ユリア」昔、異様に流行った、チャネリングの前世での修羅騎士の名前みたようで、私はちょっと失笑してしまう(失礼。しかし、あの狂乱(例えば、スピリチャル系雑誌の投稿欄に「ユリア・ペムペルという名に記憶はありませんか? 私はその時のカシオペーアです。ご連絡下さい」みたようなものが気味悪くなるほどゴマンと載っていたのだ)。閑話休題。ギトン氏はここ等で、このユリアは『保阪嘉内の可能性が高いとされ、この『小岩井農場の』彼らにとっての『《聖なる地》すなわち《下丸7号》畑の奥に自生した』この『4本の「さくらの幽霊」は、作者にとっては、同人誌《アザリア》の“4人の仲間”(作者をいれて4名)を象徴する存在であり、“4本の桜”と関連して登場している上記の「ユリア」「ペムペル」らは、《アザリア》の仲間を指していると考えられる』と解釈されておられる。この桜を「剽悍」と形容した意味も確かにこのによってはなはだ腑に落ちると言える。ギトン氏のこちらのページでは、菅原千恵子「宮沢賢治の青春」から引いて、『「若木のようだった四人の仲間たちはむらきな四本の桜ではなかっただろうか。」』、『「それは桜の木になぞらえた『アザリア』の四人の仲間のことであり、目には見えていないが心には見えている四人のことである」』、『「そうなのだ。ユリアもペムペルも、そして『……』も作者の昔の友だちだったのだ。作者はこれらの友達と春の小岩井の風景の中で出会うことによって、〔…〕』、『血みどろになつて遁げなくてもいいのですという安らかな心境を得ることができた。そしてそればかりかある一つの重大な謎が解ける。それは作者がずっとわからずに悩み続けていたものの正体を知ることでもあった。〔…〕自分とたったもう一人のたましいとのみ永久に歩こうと求めること、それは相手が男であれ女であれ、もう恋愛なのだと作者は気づいたのだ。」』という菅原氏の同様の説を示しておられる。私は若き日には「ユリア」「ペムペル」を〈天使〉みたようなものとして捉えていたが、ここに至ると、寧ろ「修羅」をともに生き、愛するものために(中世騎士道では、その愛する対象に対しては肉欲を持たないことを絶対条件とした)命を捧げて惜しまない〈聖騎士〉の印象が、今、眼前にある。但し、ギトン氏は別なところで、これらは『有翼天使だと思う』と述べてはおられる。

「カシオペーアはめぐり行く」「めぐり行く」から、星座の周極星 Cassiopeia である。因みにギトン氏はここでカシオペア座で満足されずに、面白い評釈を行っておられるので紹介しておく。ギトン氏は『星座のカシオペア座だとすると、いまいち意味不明で』、『北極星を「水車」の軸として、カシオペアがその周りをめぐる天球の日周運動を「水車」と言っている──と思えなくはない』もののとされた上で、この「カシオペーア」は、星座名であるとともに、刺胞動物門鉢虫綱根口クラゲ目サカサクラゲ科サカサクラゲ属 Cassiopea の属名でもあり(同属は多くが平らな傘を逆さにし、触手を上に立てた状態で海底の砂泥上に棲息するという変わった習性を持つ)、賢治はそのクラゲの形状を『「ガラスの水車」』に見立てて、ここで想起したのではないか? とされるのである(ギトン氏の示されたサカサクラゲの画像はこちら)。さらに、ギリシャ神話での経緯を示され、『エチオピア王妃カシオペア(Cassiopeia)は、自分の美しさを鼻にかけて自慢したので、海神ポセイドンの罰を受けて、星空に逆さ吊りにされたと』され、『したがって、星座にしろ、逆さクラゲにしろ、“罰を受けて逆さにされている”という共通点があ』るとされる。この「逆さ吊り」というのは、キリスト教史に対称物を求めるなら、真理のために殉じた殉教者たちと重なる。則ち、キリストを始めとする〈聖痕(スティグマ:stigma)〉を持った者たちである。反社会的な(保阪がアナキズム発言で退学になったことは既に述べた)ミューズの天啓を得た無頼の詩人たちには、現実社会から、車輪に逆さ吊りにされる罰を受けるイメージは被虐的にも芸術的殉教としても私には腑に落ちる。また、海産無脊椎動物フリークの私としても、サカサクラゲ(模式種はカサクラゲ Cassiopea ornata)をここに出せるのは好ましい。彼らは褐虫藻(zooxanthella:ゾーザンテラ。多くの海産無脊椎動物と細胞内共生する渦鞭毛藻類(アルベオラータ Alveolata 上門渦鞭毛虫門渦鞭毛藻綱 Dinophyceae)の単細胞藻類の総称)を体内に共生させている点でも、賢治が知れば必ずや興味を持つであろう(当時の賢治がそれを知っていたかどうかはちと怪しい。ゾーザンテラの共生とその機序自体が比較的新しい発見だからである)。サカサクラゲ類は鹿児島以南にしか棲息しないので、賢治が実際に見た可能性はまずないが、一般人ならありえないものの、農学を盛岡高等農林学校(現在の岩手大学農学部)に首席で入学し(入学宣誓式では総代として誓文を朗読している)、翌年には特待生に選ばれて授業料を免除されている彼にして、サカサクラゲの存在と学名を記憶していた可能性は高いと言える。

「ペムペル」ギトン氏はこちらで、この名は、『ネコヤナギの方言“ベンベロ”』(「パート四」で既出既注)『から来ているようですが、4人の中で年下で、学年も下だった河本義行にふさわしいと思います』とある。

「……………はさつき橫へ外(そ)れた」/「あのから松の列のとこから橫へ外れた」このリーダは例外的に「下書き稿」のこの辺りの最終形と思われるものを一部削除箇所も入れて再現して見ると、

   *

私の感覺の外でそのつめたい雨が降つてゐるのだ。

ユリアが私の右に居る。私は間違ひなくユリアと呼ぶ。

ペムペルが私の左を行く。透明に見え又白く光つて見える。

ツイーゲルは橫へ外れてしまつた。

みんな透明なたましひだ。

大きくはつきり眼をみひらいて歩いてゐる。

あなたがたははだしだ。

そして靑黑いなめらかな鑛物の板の上を步く。

その板の底光りと滑らかさ。

あなたがたの足はまつ白で光る。介殻のやうです。

[やぶちゃん注:以下、延々と続くが略す。]

   *

「ツイーゲル」の伏せ字であることが判明する。これについて、ギトン氏はこちらで、『小菅健吉になります。小菅は、卒業と同時にアメリカへ留学したために、通信も稀になり、(大正一五(一九二六)年に『帰国するまでは、賢治たちの交友圏から離れていたようです。もともと性格が大人で、それほど深い付き合いではなかったようにも思われます』とある。ウィキの「宮沢賢治」のこの写真が同人誌『アザリア』の中心メンバー四名のそれで(全体では十数名いた)、左上が保阪嘉内、右下が河本義行、左下が小菅健吉、右上が賢治である。

「頁岩」「けつがん」(shale:シェール)は堆積岩の一種。「泥板岩」とも言う。薄く割れ易い性質を持つ泥岩で、本のページ(頁)を捲(めく)るように剥離性があることから、かく名づけられた。時に泥岩がさらに固結した粘板岩(スレート)との中間の岩石をかく総称することもある。日本では中生代・新生代古第三紀の泥質岩に対して用いられる。

「古い海岸」例の童話「イギリス海岸」(大正一二(一九二三)年八月九日作。リンク先は本加工底本の渡辺宏氏のサイトのそれ)で知られる「イギリス海岸」である。個人サイトらしき「いわての川とくらし」の『宮沢賢治が名づけた「イギリス海岸」』に、『花巻市内を流れる北上川と猿ヶ石川の合流点の西岸に』、『イギリスの海岸に見られる、第三紀末・鮮新世の凝灰岩質泥岩が露出、白亜紀層を想起させることから賢治は、これを』かく『名付け』た。『また』、『賢治は花巻農学校の教員時代、よく生徒を連れて地質学の実習をし、散策・思索の場としても親しんで』いたとある。ここ(グーグル・マップ・データ)。

Der heilige Punkt」ドイツ語。カタカナ音写すると、「デァ・ハイリゲ・プンクト」(「Der」は定冠詞)「神聖な地点・場所」の意。

「この冬だつて耕耘部まで用事で來て」ギトンで、『「この冬」は、「屈折率」「くらかけの雪」を着想した』大正一一(一九二二)年一月六日『頃の農場訪問』と推定(全集年譜にはその一月六日に農場を訪問した事実は記されてはいない)されておられる。

「聖い」「きよい」。

「さつきもさうです」/「どこの子どもらですかあの瓔珞をつけた子は」往路のパート四で出逢った小学生たちを指す。そこでは、「すきとほるものが一列わたくしのあとからくる」/「ひかり かすれ またうたふやうに小さな胸を張り」/「またほのぼのとかゞやいてわらふ」/「みんなすあしのこどもらだ」/「ちらちら瓔珞(やうらく)もゆれてゐるし」/「めいめい遠くのうたのひとくさりづつ」/「綠金寂靜(ろくきんじやくじやう)のほのほをたもち」/「これらはあるひは天の鼓手(こしゆ)、緊那羅(きんなら)のこどもら」と描出していた。そこでも注した通り、私はこの「瓔珞」を、賢治のがんぜない天使か菩薩のような子らへ装飾した幻視と採ることに変更はない。

「そんなことでだまされてはいけない」/「ちがつた空間にはいろいろちがつたものがゐる」/「それにだいいちさつきからの考へやうが」/「まるで銅版のやうなのに氣がつかないか」賢治の中の厳格な(フロイト流に言うなら現実の社会的人間として従属させようとする「超自我」)が彼の幻想癖を指弾するのである。「銅版のやう」とは無機質で冷たいそれに映った過去の蒼ざめた幻影に過ぎぬとでも言いたてるのか。

「あなたがた」ユリアとペムペル。

「赤い瑪瑙の棘でいつぱいな野はらも」/「その貝殼のやうに白くひかり」/「底の平らな巨きなすあしにふむのでせう」/地獄の針の山のような「赤い瑪瑙」(「瑪瑙」は「めなう(めのう)」。石英の結晶の集合体(玉髄(ぎょくずい))で、色や透明度の違いにより、層状の縞模様を持つもの。色は乳白・灰・赤褐色など、変化に富む。宝石・装飾品とされる))で出来た「棘でいつぱいな野はら」であったとして「も」、「あなたがたは」躊躇することなく、「その貝殼のやうに白くひかり」/「底の平らな巨きなすあしに」て「ふ」んで、しかも、少しも傷つくことはないの「でせう」の謂いと採る。

「もう決定した そつちへ行くな」/「これらはみんなただしくない」/「いま疲れてかたちを更へたおまへの信仰から」/「發散して酸えたひかりの澱だ」「更へた」は「かへた(変えた)」(変質してしまった)、「酸えた」は「すえた」、「澱」は「おり」。再び超自我風の生硬なる倫理意識が、幻想の指弾と否定を行い、以下、妙に構えた二項対立の恋愛・性欲説が展開されるが、その言説(ディスクール)自体には私は何らの魅力も感じない。この部分は〈長詩の詩篇の〉最終章のクライマックスとしては確かに失敗である。しかし、これはそれでいいのである。何故なら、確かに、その時の詩人の心象のスケッチとして、これは真実であったことをこそ認めねばならないからである。そもそもが、本書を賢治が「詩集」と呼ばれるのを極度に嫌ったのは、これは誰かに読ませようとする甘ったるい自称詩人の似非物詩篇ではなく、あくまで宮澤賢治という憂鬱で孤高な男の心象風景の転写物、懊悩の確かな心象のスケッチなのであるからである。

「劃る」「くぎる」と読んでおく。

「宙宇」「宇宙」に同じい。

「ちいさな自分を劃ることのできない」/「この不可思議な大きな心象宙宇のなかで」/「もしも正しいねがひに燃えて」/「じぶんとひとと萬象といつしよに」宮澤家「手入れ本」ではこの四行に斜線を附しているが、この四行をカットすると、ますます宗教的に辛気臭くなること極まりない。

至上福し」「至上福祉」と採っておく。この上ない「幸い」「幸せ」の意である。

「この傾向を性慾といふ」原稿では「傾向」は「變態」であるが、「手入れ本」の修正はないから、最終校正段階でかく変更したものと思われる。

「この命題は可逆的にもまた正しく」/「わたくしにはあんまり恐ろしいことだ」宗教的法悦(エクスタシー)へと高められて性欲が昇華されるベクトルが「可逆的」であるというのだから、その逆に賢治の神秘体験や幻想癖がそのまま著しく下劣なものに堕していってしまい、遂には性欲だけに生きる存在となることもあるのであり、それも「正しい」、だから私はひどく恐れるという。少なくとも、この時の賢治の心性には〈自身の拠って立つと信ずるところの自我をも致命的に傷つけんとするところの強い性の暴威〉が存在したこ「あたらしくまつすぐに起て」「たて」で命令形。ここで意識内への沈潜は終り、再び外界がはっきりと描かれるコーダへと進む。

「ラリツクス」裸子植物門マツ綱マツ目マツ科カラマツ属カラマツ Larix kaempferi の属名。

「わたくしはかつきりみちをまがる」この最後の一行が私は好きだ。

 最後に。この「小岩井農塲」ではギトン氏のサイトに非常にお世話になり、数多くの引用やリンクを張らさせて戴いた。最後に改めて、心より御礼申し上げる。

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