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2018/11/07

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 カーバイト倉庫

 

      カーバイト倉庫

 

まちなみのなつかしい灯とおもつで

いそいでわたくしは雪と蛇紋岩(サーペンタイン)との

山峽(さんけふ)をでてきましたのに

これはカーバイト倉庫の軒

すきとほつてつめたい電燈です

  (薄明(はくめい)どきのみぞれにぬれたのだから

   卷烟草に一本火をつけるがいい)

これらなつかしさの擦過は

寒さからだけ來たのでなく

またさびしいためからだけでもない

 

[やぶちゃん注:一行目「おもつで」の濁音はママ(誤植。「手入れ本」四冊の内の三冊で濁点が消されてあり、全集校訂本文も「て」である。抹消がない藤原嘉藤治所蔵本の一本は賢治没後の全集編集のために誰かが宮澤家「手入れ本」を転写したものと推定されるので、この抹消無しを問題にするには当たらない)。「で」の誤植があるので、正しいものを以下に示す。

   *

 

      カーバイト倉庫

 

まちなみのなつかしい灯とおもつて

いそいでわたくしは雪と蛇紋岩(サーペンタイン)との

山峽(さんけふ)をでてきましたのに

これはカーバイト倉庫の軒

すきとほつてつめたい電燈です

  (薄明(はくめい)どきのみぞれにぬれたのだから

   卷烟草に一本火をつけるがいい)

これらなつかしさの擦過は

寒さからだけ來たのでなく

またさびしいためからだけでもない

 

   *

現存稿はなく、これ以前の発表誌等も存在しない。大正一一(一九二二)年一月十二日の作品。なお、宮澤家「手入れ本」の最終形は、

   *

 

      カーバイト倉庫

 

まちなみのなつかしい灯とおもつて

いそいでわたくしは雪と蛇紋岩(サーペンタイン)との

山峽(さんけふ)をでてきましたのに

これはカーバイト倉庫の軒

すきとほつてつめたい電燈です

  (みぞれにぬれたのだから

   卷烟草に一本火をつけろ)

汗といつしょに擦過する

この薄明のなまめかしさは

寒さからだけ來たのでなく

さびしさからだけ來たのでもない

 

   *

という大きな改変を指示している。

「カーバイト倉庫」「カーバイト」(carbide)は「カーバイド」とも呼び、広義には「炭化物」の総称であるが、中でも特に炭化カルシウムCaC2を指すのが一般的。純粋なものは無色の結晶であるが、通常は不純物のために灰黒色を呈する。水と反応してアセチレンを生ずる(今は無き江ノ島弁天橋のおでん屋が懐かしい……)。高温で窒素を作用させると「カルシウムシアナミド」となる。アセチレンの原料として有機化学工業に用いられ、また、石灰窒素原料として重要である。生石灰(酸化カルシウムCaO)と炭素とを電気炉の中で約摂氏二千度に熱して焼成する(ここは平凡社「百科事典マイペディア」に拠った)。ABAPO-OTTANTA氏のブログ「私に仏教は必要か・宮沢賢治の仏教を考える」の『詩「カーバイト倉庫」を読む』に、『「カーバイト倉庫」の場所は、賢治研究者によって賢治時代の岩手軽便鉄道(後のJR釜石線)、岩根橋(達曽部』(たつそべ)川橋梁・六連アーチ橋)『近くにあったとされてい』るとあり(ここ(グーグル・マップ・データ)知られた東南東二・七キロにある「宮守川橋梁」とは別で、「銀河鉄道の夜」のモチーフとなったのは実はこちらであるとも言われている)、大木利治氏のサイト「産業技術遺産探訪」の「達曽部川橋梁」がリンクされており、そのリンク先に二十『世紀のはじめに石灰岩を原料とする「石灰窒素法」(空気中の窒素を工業的に固定する化学的方法)が発明・実用化されました。これによってカーバイトから肥料用石灰窒素やアセチレンガスを工業的に生産することが可能となりました』。『現在の宮守村岩根橋周辺では』、大正七(一九一八)年に水力発電所(岩根橋第』一『発電所)が建設され、その電力と、北上山地の豊富な石灰岩を原料とするカーバイトの生産を行う工場が操業をはじめました』。『宮沢賢治の盛岡高等農林学校農学科第二部(農芸化学)卒業(得業)論文「腐植質中ノ無機成分ノ植物二対スル価値」や、羅須地人協会での』二千『枚を超す肥料設計書、東北砕石工場での技師として肥料用石灰(炭酸カルシウム)の調整や販売など、貧困に苦しむ当時の農民の救済を心から願う宮沢賢治にとって、カーバイト工場や水力発電所に関心を示していたことは、その作品から読み取ることが出来ます』。『宮沢賢治が「銀河の発電所」と呼んだ水力発電所(岩根橋第』一『発電所)は「春と修羅 第二集 五〇八 発電所」、カーバイト工場は』『(春と修羅 カーバイト』倉庫(リンク先では「工場」となっているので訂した)『)に登場します』とある。前者の「春と修羅 第二集 五〇八 発電所」(以下に見る通り、大正一四(一九二五)年四月二日のクレジットがある)を全集から、何時もの仕儀で漢字を正字化して示しておく。

   *

 五〇八

        發電所

            一九二五ヽ四ヽ二ヽ

鈍った雪をあちこち載せる

鐵やギャブロの峯の脚

二十日の月の錫のあかりを

わづかに赤い落水管と

ガラスづくりの發電室と

  ……また餘水吐の靑じろい瀧……

くろい蝸牛水車(スネールタービン)で

早くも春の雷氣を鳴らし

鞘翅發電機(ダイナモコレオプテラ)をもって

愴たる夜中のねむけをふるはせ

むら氣な十の電壓計や

もっと多情な電流計で

鉛直フズリナ配電盤に

交通地圖の模型をつくり

大トランスの六つから

三萬ボルトのけいれんを

塔の初號に連結すれば

幾列の淸冽な電燈は

靑じろい風や川をわたり

まっ黑な工場の夜の屋根から

赤い傘、火花の雲を噴きあげる

   *

促音は全集に従った。「萬」は「心象スケツチ 春と修羅」と後の「小岩井農場」で「萬」の字で使用されているのを参考に「万」を代えた。「ギャブロ」(gabbro)は深成岩の一種である斑糲岩(はんれいがん)。この詩篇、最新科学工業機器に、現生生物や古生物(例えば「コレオプテラ」は「Coleoptera」で現生の甲虫(コウチュウ)目、「フズリナ」は有孔虫で、狭義には絶滅したリザリア Rhizaria 界レタリア Retaria 門有孔虫亜門 Foraminifera Polythalamea 綱フズリナ目 Fusulinida である)をカップリングして私などにはすこぶる面白いのだが、ここで我慢して注はこれ以上はしない(いつかはしたいなぁ……)。

「蛇紋岩(サーペンタイン)」蛇紋岩(じゃもんがん:serpentinite:サーペンティナイト)は主に蛇紋石(serpentineMg3Si2O5(OH)4)からなる岩石。ウィキの「蛇紋岩等によれば、『変成岩ないし火成岩中の超塩基性岩のどちらかに分類され』、『岩石の表面に蛇のような紋様が見られることから、蛇紋岩と命名された』。二〇一六年五月には「日本地質学会」に『よって「岩手県の岩石」に選定された』。『蛇紋石』『を主要構成鉱物とする超塩基性岩でかんらん岩などが水と反応し、蛇紋岩化作用(もしくは蛇紋石化作用)を受けることで生成する。蛇紋石化作用は主に超塩基性岩類中のカンラン石で起こり、カンラン石と水から蛇紋石と磁鉄鉱が生成される反応で表される。蛇紋岩化作用の程度は岩体により様々で、作用の弱いものは原岩を構成する鉱物が多く残り、作用の強いものはそのほとんどが蛇紋石化している』。『クロム、石綿、ニッケルなど鉱物資源を内包していることが多い。このためセメントの材料や石材に使われ、鉱業開発が進められる場合もある』。また、植物に必要なマグネシウムを多く含むことから、苦土(くど:下剤などで使われる酸化マグネシウムが苦いことに由来)肥料の『原料として』も『用いられる』とある。

「  (薄明(はくめい)どきのみぞれにぬれたのだから」今は所在不明の藤原嘉藤治所蔵本の一本では、

   (日暮れのみぞれにぬれたのだから

とする。]

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