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2018/11/02

萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 見しらぬ犬

 

 

見知らぬ犬

 

 

  見しらぬ犬

 

この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、

みすぼらしい、後足でびつこをひいてゐる不具(かたわ)の犬のかげだ。

ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、

わたしのゆく道路の方角では、

長屋の家根がべらべらと風にふかれてゐる、

道ばたの陰氣な空地では、

ひからびた草の葉つばがしなしなとほそくうごいて居る。 

 

ああ、わたしはどこへ行くのか知らない、

おほきな、いきもののやうな月が、ぼんやりと行手に浮んでゐる、

そうして背後(うしろ)のさびしい往來では、

犬のほそながい尻尾の先が地べたの上をひきづつて居る。 

 

ああ、どこまでも、どこまでも、

この見もしらぬ犬が私のあとをついてくる、

きたならしい地べたを這ひまはつて、

わたしの背後(うしろ)で後足をひきづつてゐる病氣の犬だ、

とほく、ながく、かなしげにおびえながら、

さびしい空の月に向つて遠白く吠えるふしあはせの犬のかげだ。 

 

[やぶちゃん注:パート標題と本篇標題の表記が異なるのはそのままである。既に示した冒頭の「目次」でもそうなっているので、これは確信犯である。太字「いきもの」「ふしあはせ」は底本では傍点「ヽ」。「不具」のルビ「かたわ」はママ。第二連三行目の「そうして」はママ。二箇所の「ひきづつて」もママ。本篇も詩集標題の由来の一篇である。初出は『感情』大正六(一九一七)年二月号。標題が「見知らぬ犬」であること、冒頭部が二行目で一行空けになっていること、最終行末の句点を除いては一切の行末の句読点がないこと、三度のリフレインの「ああ」の後が読点なしの字空けになっていること、詩篇末下方に『詩集月に吠えるヨリ』とある以外は、仮名遣いの誤りも含めて同じである。なお、筑摩版全集の★全正誤表★では、本文を初出と同じく、★冒頭二行目に『一行あき』と訂正をしている★が、これは★誤り★である。私の底本とする復刻本「月に吠える」では、ページの初行とノンブルの位置関係から、たとえ、それが改頁部分でも(この間が、まさに127から128の改頁)、行空けがあるかないかは、他のページとちょっと比較して見れば、物理的に誰でも一目で判る。――★ここには行空けは物理的に絶対に存在していない★――のである。則ち、則ち、少なくとも――★「月に吠える」初版に従う「見知らぬ犬」には冒頭二行目に行空けを作ってはいけない★――のである。【2022年12月4日追記:先日、「東京新聞」公式サイト内のこちらの記事で「見しらぬ犬」の萩原朔太郎の自筆原稿冒頭の一枚の画像を見ることが出来た(原稿用紙記載。但し、その原稿がどの時期の原稿であるかどうかは判らない。「月に吠える」編輯用の原稿であると無批判に確定は出来ないのである)。そこでは、★確かに一行空けがある★ことが判った。恐らく、萩原朔太郎は左改頁行空けになる部分には無意識的にブレイクがあると捉え、厳密な精緻な校正は行っていないだろうと踏んでいる。これは一種の非常に不幸なケースである。因みに、現行、本詩篇冒頭にすぐ行空けを施していないのは、多分、私のこれだけである。しかし、確かに初版はそうなっているのであるからして、★私の初版底本による正規表現版の本篇は完全に正当にして正統である★と宣言するものである。最終本詩集は大正六(一九一七)年二月十五日発行であるから、朔太郎は本詩篇をほぼ同時に自身の編集する『感情』(大正五(一九一六)年に犀星と創刊した詩誌)に載せたのである。言わば、広告である。

 なお、筑摩版「萩原朔太郞全集」第一巻の『草稿詩篇「月に吠える」』には、本篇の草稿として『見知らぬ犬(本篇原稿六種七枚)』として一篇の無題がチョイスして載る。表記は総てママである。詩篇本文中の「○」印は萩原朔太郎が当該フレーズの欄外(恐らくは上罫線の外)に附したマーキングである旨の編者注があるので、以下のように配置した。

   * 

   

 この見も知らぬ犬が私のあとをついてくる、

 みつぼらしい後足でびつこをひいてゐる不具の犬だ、

 ああ わたしはどこへ行くのか知らない、

 わたしのゆく道路の方角では、

 長屋の家根がべらべらと風にふかれてゐる、

 わたしのうしろのくらい地面では道ばたの□しい★空地//草むら★では、[やぶちゃん注:「★」「//」の記号は私が附した。二候補が並置残存していることを示す。]

 犬のほそながい後足尻尾のさきが地べたの上をひきづつてゐる。

○ああわたしはどこへ行くのか知らない、

○空には白いおほきな月が出てゐても

○わたしのうしろの

 

○ひからびた艸の葉つぱしなしなと風にふるゑゐる

 

 ああわたしはどこへ行くのか知らない、どこまでもどこまでも

 まづしい町のこのみもしらぬ犬がわたしのあとをついてゐる、

 きたならしい、病氣のやうな地べたを這ひまわつて

 わたしのうしろで後足をひきづてゐる病氣の犬だ

 おほきな、かなしい月におびえながら遠くながくかなしげにおびえながら

 さびしい空の月に向つて遠白く吠えるふしあはせの犬の影だ

   *

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