宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 ぬすびと
ぬ す び と
靑じろい骸骨星座のよあけがた
凍えた泥の亂(らん)反射をわたり
店さきにひとつ置かれた
提婆のかめをぬすんだもの
にはかにもその長く黑い脚をやめ
二つの耳に二つの手をあて
電線のオルゴールを聽く
[やぶちゃん注:現存稿はなく、これ以前の発表誌等も存在しない。大正一一(一九二二)年三月二日の作品。非常に難解な一篇で、私は正直、最初から最後まで全くお手上げである。ただ、敢えて言うなら、これは全体が明け方の「骸骨星座」(後注参照)の変容の過程を「ぬすびと」とイメージしたものであって、「凍えた泥の亂反射をわた」って行くのも、「店さきにひとつ置かれた」「提婆のかめをぬすんだもの」も、「にはかにもその長く黑い脚をやめ」るのも、「二つの耳に二つの手をあて」て「電線のオルゴールを聽く」のも、その「骸骨星座」そのものなのではないか? と私は思う。それが一方で、それを見る「ぬすびと」と自認する賢治自身の実際の行動や意識の写像でもあるのではないか? という半可通ながらも、私の読みではある。なお、全集校異に、『本作品については』、『先駆的な断片が「冬のスケッチ」』と題する賢治の創作の比較的初期に浄書され、晩年に至るまで手入れが行われた詩篇群の中に『見られる』とある。そこで掲げられているのは以下である。筑摩版全集第六巻の「冬のスケッチ」(一六)の冒頭である。
*
にはかにも立ち止まり
二つの耳に二つの手をあて
電線のうなりを聞きすます。
*
「骸骨星座」このような星座は無論、ない。賢治の異界空間の架空の星座名とも採れるが、加倉井厚夫氏のサイト「賢治の事務所」の『「ぬすびと」の創作』では、『類似した名前として「りゅうこつ(竜骨)座」という星座があ』るものの、『賢治のいた花巻はほぼ北限を超えたあたりで、まず見ることは不可能な星で』あり、『りゅうこつ座として考えても』三『月の夜明け方では時間的にも見ることは困難な星座で』あるとされ、『草下英明著「宮沢賢治と星」によると、「青じろい骸骨星座のよあけがた」とは、「明け方、薄明の空に一、二等級の輝星だけが消え残って、星座を構成している主要部分、即ち、星座の骨組みばかりが残っていると見て、星座の骸骨、つまり骸骨星座を連想したと考えられる。」とあ』ることから、加倉井は『その様子を「さそり座」 を見本に』、創作クレジットの一九二二年三月二日のそれで、シミュレートされている。私は星を見ることに冥い人間であるが、面白い。必見。「さそり座」は賢治の因縁の星座であるから、説得力が、いや増す。また、加倉井氏は最後に、『斎藤文一氏「宮澤賢治 星の図誌」』(一九八八年平凡社刊)『のなかでは、「提婆のかめをぬすんだもの」 の「かめ」を「みずがめ座α星」とし、「黒い脚」を「銀河鉄道の夜」にみられた「琴の星(こと座)の脚」として解釈され、その関連を指摘してい』るともある。天文暗愚の私にはこれだけで目くるめいてしまった。
「提婆のかめをぬすんだもの」「提婆」は「だいば」と読み、提婆達多(だいばだった 前四世紀頃)のこと。インド人で、仏伝によれば、釈尊の従兄とされる。釈尊が青年時代にヤショーダラー姫を妻として迎える際、釈迦と争って敗れ、後に釈尊が悟りを得て仏となった際には釈尊の力を妬んで、阿闍世(あじゃせ)王と結託して釈尊を亡きものにしようと企んだりし、遂には生きながら無間地獄に落ちたとされる仏敵である。なお、宮澤家「手入れ本」及び現存する藤原嘉藤治所蔵本では、
靑磁のかめをぬすんだもの
と改変しており、菊池曉輝氏所蔵本は、「提婆」を抹消するも、語を補っていない。これから見てこの「提婆」については、賢治自身、比喩表象素材としては疑念があったようであるが、にしても「提婆のかめをぬすんだもの」で賢治が意図しようとしたイメージは不学な私にはその意味が全く判らない。日蓮宗のファンダメンタリストであった、賢治のみぞ知るという気はする。
「黑い脚」前注の加倉井氏の引用を参照されたい。これを後の「電線」から賢治の妖怪画のような電信柱と採る説を読んだが、それでは「をやめ」をが、全く続かないから私には採れない。
「電線のオルゴール」前に示した「冬のスケッチ」からも、これは風に鳴る電線の音からのイメージである。]
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