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2018/11/24

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 東岩手火山

 

 

 

     

 

 

 

            

 

月は水銀、後夜(ごや)の喪主(もしゆ)

火山礫(れき)は夜(よる)の沈殿(ちんでん)

火口の巨(おほ)きなえぐりを見ては

たれもみんな愕くはづだ

 (風としづけさ)

いま漂着(ひやうちやく)する藥師外輪山(ぐわいりんざん)

頂上の石標もある

 (月光は水銀、月光は水銀)

⦅こんなことはじつにまれです

向ふの黑い山……つて、それですか

それはここのつづきです

ここのつづきの外輪山です

あすこのてっぺんが頂です

向ふの?

向ふのは御室火口です

これから外輪山をめぐるのですけれども

いまはまだなんにも見えませんから

もすこし明るくなつてからにしませう

えゝ 太陽が出なくても

あかるくなつて

西岩手火山のはうの火口湖やなにか

見えるやうにさへなればいいんです

お日さまはあすこらへんで拜みます)

 黑い絕頂の右肩と

 そのときのまつ赤な太陽

 わたくしは見てゐる

 あんまり眞赤な幻想の太陽だ

⦅いまなん時です

三時四十分?

ちやうど一時間

いや四十分ありますから

寒いひとは提燈でも持つて

この岩のかげに居てください⦆

 ああ、暗い雲の海だ

(向ふの黑いのはたしかに早池峰です

線になつて浮きあがつてるのは北上山地です

 うしろ?

 あれですか

あれは雲です、柔らかさうですね、

雲が駒ケ嶽に被さつたのです

水蒸氣を含んだ風が

駒ケ嶽にぶつつかって

上にあがり、

あんなに雲になつたのです。

鳥海山(ちやうかいさん)は見えないやうです、

けれども

夜が明けたら見えるかもしれませんよ⦆

  (柔らかな雲の波だ

   あんな大きなうねりなら

   月光會社の五千噸の汽船も

   動搖を感じはしないだらう

   その質は

   蛋白石、glass-wool

   あるひは水酸化礬土の沈殿

⦅じつさいこんなことは稀なのです

わたくしはもう十何べんも來てゐますが

こんなにしづかで

そして暖かなことはなかつたのです

麓の谷の底よりも

さつきの九合の小屋よりも

却つて暖かなくらゐです

今夜のやうなしづかな晚は

つめたい空氣は下へ沈んで

霜さへ降らせ

暖い空氣は

上に浮かんで來るのです

これが氣溫の逆轉です

 御室火口の盛(も)りあがりは

 月のあかりに照らされてゐるのか

 それともおれたちの提灯のあかりか

 提灯だといふのは勿体ない

 ひわいろで暗い

⦅それではもう四十分ばかり

寄り合つて待つておいでなさい

さうさう、北はこつちです

北斗七星は

いま山の下の方に落ちてゐますが

北斗星はあれです

それは小熊座といふ

あの七つの中なのです

それから向ふに

縱に三つならんだ星が見えませう

下には斜めに房が下がつたやうになり

右と左には

赤と靑と大きな星がありませう

あれはオリオンです、オライオンです

あの房の下のあたりに

星雲があるといふのです

いま見えません

その下のは大犬のアルフア

冬の晚いちばん光つて目立(めだ)つつやつです

夏の蝎とうら表です

さあ、みなさん、ご勝手におあるきなさい

向ふの白いのですか

雲ぢやありません

けれども行つてごらんなさい

まだ一時間もありますから

私もスケツチをとります)

 はてな、わたくしの帳面の

 書いた分がたつた三枚になってゐる

 殊によると月光のいたづらだ

 藤原が提灯を見せてゐる

 ああ頁が折れ込んだのだ

 さあでは私はひとり行かう

 外輪山の自然な美しい步道の上を

 月の半分は赤銅(しやくどう)、地球照(アースシヤイン)

⦅お月さまには黑い處もある⦆

 ⦅後藤(どう)又兵衞いつつも拜んだづなす⦆

  私のひとりごとの反響に

  小田島治衞(はるゑ)が云ってゐる

⦅山中鹿之助だらう⦆

  もうかまはない、步いていゝ

    どつちにしてもそれは善(い)いことだ

二十五日の月のあかりに照らされて

藥師火口の外輪山をあるくとき

わたくしは地球の華族である

蛋白石の雲は遙にたゝえ

オリオン、金牛、もろもろの星座

澄み切り澄みわたつて

瞬きさへもすくなく

わたくしの額の上にかがやき

 さうだ、オリオンの右肩から

 ほんたうに銅靑の壯麗が

 ふるえて私にやつて來る

 

三つの提灯は夢の火口原の

白いとこまで降りてゐる

⦅雪ですか、雪ぢやないでせう⦆

困つたやうに返事してゐるのは

雪でなく、仙人草のくさむらなのだ

さうでなければ高陵土(カオリンゲル)

殘りの一つの提灯は

一升のところに停つてゐる

それはきっと河村慶助が

外套の袖にぼんやり手を引つ込めてゐる

⦅御室(おむろ)の方の火口へでもお入りなさい

噴火口へでも入つてごらんなさい

硫黃のつぶは拾へないでせうが⦆

斯んなによく聲がとゞくのは

メガホーンもしかけてあるのだ

しばらく躊躇してゐるやうだ

 ⦅先生 中さ入つてもいがべすか⦆

⦅えゝ、おはいりなさい 大丈夫です⦆

提灯が三つ沈んでしまふ

そのでこぼこのまつ黑の線

すこしのかなしさ

けれどもこれはいつたいなんといふいゝことだ

大きな帽子をかぶり

ちぎれた朱子のマントを着て

藥師火口の外輪山の

しづかな月明を行くといふのは

 

この石標は

下向の道と書いてあるにさういない

火口のなかから提灯が出て來た

宮澤の聲もきこえる

雲の海のはてはだんだん平らになる

それは一つの雲平線(うんぴやうせん)をつくるのだ

雲平線をつくるのだといふのは

月のひかりのひだりから

みぎへすばやく擦過した

一つの夜の幻覺だ

いま火口原の中に

一點しろく光ひかるもの

わたくしを呼んでゐる呼んでゐるのか

私は氣圈オペラの役者です

鉛筆のさやは光り

速かに指の黑い影はうごき

唇を圓くして立つてゐる私は

たしかに氣圈オペラの役者です

また月光と火山塊のかげ

向ふの黑い巨きな壁は

熔岩か集塊岩、力い肩だ

とにかく夜があけてお鉢廻りのときは

あすこからこつちへ出て來るのだ

なまぬるい風だ

これが氣溫の逆轉だ

  (つかてゐるな、

   わたしはやっぱり睡いのだ)

火山彈には黑い影

その妙好(みやうこう)の火口丘には

幾條かの軌道のあと

鳥の聲!

鳥の聲!

海拔六千八百尺の

月明をかける鳥の聲、

鳥はいよいよしつかりとなき

私はゆっくりと踏み

月はいま二つに見える

やつぱり疲れからの乱視なのだ

 

かすかに光る火山塊の一つの面

オリオンは幻怪(げんくわい)

月のまはりは熟した瑪璃と葡萄

あくびと月光の動轉(どうてん)

    (あんまりはねあるぐなぢやい

     汝(うな)ひとりだらいがべあ

     子供達(わらしやども)連れてでて目にあへば

     汝(うな)ひとりであすまないんだぢやい)

火口丘(くわこうきう)の上には天の川の小さな爆發

みんなのデカンシヨの聲も聞える

月のその銀の角のはじが

潰れてすこし圓くなる

天の海とオーパルの雲

あたたかい空氣は

ふつと撚(より)になつて飛ばされて來る

きつと屈折率も低く

濃い蔗糖溶液(しよたうようえき)に

また水を加へたやうなのだらう

東は淀み

提灯(ちやうちん)はもとの火口の上に立つ

また口笛を吹いてゐる

わたくしも戾る

わたくしの影を見たのか提灯も戾る

  (その影は鐵いろの背景の

   ひとりの修羅に見える筈だ)

さう考へたのは間違ひらしい

とにかくあくびと影ばうし

空のあの邊の星は微かな散

すなはち空の模樣がちがつてゐる

そして今度は月が蹇(ちぢ)まる。

 

 

            ( 犬、 マサニエロ等 )

 

[やぶちゃん注:大正一一(一九二二)年九月十八日の作。新パート「岩手東岩手火山」となっているのであるが、先の「グランド電柱」末尾の二篇「銅線」「瀧澤野」は、この前日からの同じ岩手登山のロケーション内の作品であり、それは注意深い読者なら直に判る。さすれば、賢治が、創作のある種の内的なクライマックスによって、本書の一見、編年体の整然とした順列の詩篇に対し、しかし、ある特殊な感性的区別を行って、それを読者にも理解して貰いたいと思っていることが、よく判る部分なのである(恐らくは、前に述べた創作クレジットに特殊な二重丸括弧を附すものがあるのも、これと同様にある特異点を読者に暗示させる別手法なのだと私は確信している)。ロケーションその他は前の同日作「銅線」の注の冒頭を参照されたいが、岩手山登山の九合目の泊りから翌未明の頂上での出来事が描かれている。

 本篇は本書刊行前、大正一二(一九二三)年四月七日附『岩手毎日新聞』で「心象スケツチ外輪山」という標題(「スケ」/「ツチ」は紙面では二行割注形式で挿入)発表しており(初出原稿はなく、総ルビであるが、とんでもない読みが附されてある箇所も多く、この多くの部分は当時の慣習から考えて賢治の附したものではない。近代の著名な作家でも総ルビを附す作家は泉鏡花などのごく限られた者しかおらず、殆んどは校正係が好き勝手にルビを振っていた(時には自分の趣味で文章をいじったりした!)のである。実現しなかったが、堀辰雄が、編集委員であった岩波書店の第一次「芥川龍之介全集」の編集作業に於いて、全作品の総てのルビを除去することを提案したのは実は正統にして正当なことなのであった)、本書用原稿もあるが、長詩なので、それらは電子化しない(校本全集口絵に初出画像が載っていたのでそれをもとに初出形を完全復元しようとも思ったが、一部が欠けている写真であったのでやめた)。幸い、hamagaki氏のサイト「宮澤賢治の詩の世界」のこちらで『岩手毎日新聞』版「心象スケツチ外輪山」が電子化されており(漢字は新字)本書用原稿のそれ(最終形。新字)もこちらにあり、「手入れ本」(宮澤家本)もこちらに示されてあるので、今回はそちらにおんぶにだっこすることとした。原稿との有意な気になる異同(この原稿と初版本では句読点の有無の異同が異様に激しく散見されるが、それは略した)はいつも通り、以下に示す。

・「お日さまはあすこらへんで拜みます)」の丸括弧はママ。開始点は「⦅こんなことはじつにまれです」で二重丸括弧であり、原稿でも「拜みます⦆」となっているから誤植であるが、「正誤表」なく「手入れ本」にもない。校訂本文は二重丸括弧となっている。

・「提灯だといふのは勿体ない」の「体」はママ。

・「下向の道と書いてあるにさういない」「さうい」はママ。「相違」だから歴史的仮名遣は「さうゐ」が正しい。原稿もママ、「手入れ本」もなし。驚くべきことに、全集校訂本文もそのまま。これは誤りでしょ!

・「熔岩か集塊岩、力い肩だ」は底本では「熔岩か集塊岩、力彌い肩だ」。誤植で、「正誤表」に載るので、補正した。

・「つかてゐるな、」原稿「つかれてゐるな、」。誤植であるが、「正誤表」にない。「手入れ本」は修正。

・「月のまはりは熟した瑪璃と葡萄」「瑪璃」は原稿は「瑪瑙」で誤植。しかし「正誤表」にはなく、「手入れ本」にも修正はない。校本全集は無論、原稿に従って「瑪瑙」とする。

・「やつぱり疲れからの乱視なのだ」「乱」はママ。

・「( 犬、 マサニエロ等 )」本文詩篇最終行から二行空けて、百六十七ページの最終行下方に記されている。これは原稿でも同じ(但し、丸括弧内の前後の一字空けはない)である。「犬」と「マサニエロ」は以下に続く詩篇の標題であるから、一見、後にその原稿が続くということを示す校正書きのように受け取れなくもないが、これは校本全集の校異の文字の起こしから、原稿用紙のマス目にはっきりと書かれたものであることが判るから、そうではない。「手入れ本」も除去していないのはこれが賢治の備忘メモでも何でもない、「ここにこう記すんだ」という確信犯であることを意味しているのである。即ち、これは読者に対しての予告メッセージめいたものと結果的になっている。読者は戸惑う。改頁すると、マサに詩篇「犬」が続き、その後にまたマサに「マサニエロ」がある、という仕掛けとなる。賢治の悪戯っぽい(彼は彼なりに真面目なある意味を含ませているのかも知れぬが、それは大半の読者には判らぬ、私も判らぬ)仕儀である。こういう勝手な思い込み様の部分が、私をして嘗て賢治から遠ざけた一面であるといえる。

 

「東岩手火山」サイト「いわての山々」の「岩手山」によれば、標高二千三十八メートルの岩手山は『東西二つの火山からなり、古い西岩手火山の上に新しい東岩手火山が覆っている。西岩手火山の火口は東西約』三『㎞、南北約』二『㎞の紡錘形をなし、北側の屏風岳、南側の鬼ヶ城を外輪山とする大地獄カルデラと呼ばれている。その内部に中央火口丘としての御苗代火山と御釜火山などがある。東岩手火山は西岩手火山の東斜面に形成された新しい火山で、御鉢と呼ばれる火口をもつ薬師岳、その中央火口丘である妙高岳および二次火口の御室などからなる。御室火口東部には噴気孔があり、活火山の様相を呈している』。享保一七(一七三二)年一月の『噴火では、東岩手火山の北東斜面中腹から多量の溶岩が流出し、「焼走り溶岩流」が形成された』とある。

「後夜(ごや)」仏教で一昼夜を現在の概ね四時間で六分した「六時」の最後。午前二時頃から六時前後の夜明けまでの。「晨朝(じんじょう)」・「日中」・「日没(にちもつ)」・「初夜」・「中夜」・「後夜(ごや)」。この時間毎に懺悔(さんげ)・念仏などの勤行が行われた。

「月は水銀」この前日は月齢25.3、細くなり始めた下弦の月で、当地での月の出は二十三時三十七分、月の入りはこの十八日の十五時二十七分であった。

「喪主(もしゆ)」本熟語には死者を弔う主宰者以外の意はない。しかし、それは葬儀や法要などの当主であるから、それは所謂、施主、サンスクリット語で「ダナパティ」で「陀那鉢底」「檀越(だんおつ)」漢音写される、元来は「布施を成す人」と同義であるわけで、ここは広く「仏法僧に供養する人」、読経をする人、と読み代えることが出来る。事実、既に「銅線」の冒頭注で述べた通り、賢治はこの日の午前三時頃に、頂上近くに登り、読経(無論、「法華経」であろう)を行っているのである。その後、生徒の一人藤原健太郎は目を覚まして彼とともになったが、読経が終わると、賢治はスケッチブックに何か書き始めた、とあるのである(恐らくは本詩篇の初期形なのではないかと思われる)。但し、深夜・未明・暁の火山の火口近くの凄絶感を、この「喪」という字のインパクトで狙ったものとも採れる。

「火山礫(れき)」lapilli(ラピリ)。直径二~六十四ミリメートルまでの火山砕屑(さいせつ)物。これより小さいものを「火山灰」、大きいものを「火山岩塊」と呼ぶ。火山の噴出によって空中で飛散している間に、周囲の火山灰を集めて成長するため、同心状の殻を成る場合がある(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。

「藥師外輪山」東岩手火山の火口を取り囲む外輪山の、北西にある最高峰(岩手山のそれでもある)を薬師岳(二千三十八メートル)と称する。サイト「360@旅行ナビ」の「薬師岳」の地図を参照。同ピークからのパノラマ写真も見られる。後に出る「御室火口」の写真もある。薬師外輪山に囲まれた火口原の中央近くにある「妙高火口丘」にある複雑に抉られた旧火口の写真も見らえる。現在も噴煙が多少出、活動している。

「西岩手火山」岩手火山は、山体の三分の二を占めるこの「西岩手火山」(ここ(グーグル・マップ・データ))と、その外輪山の東に寄生火山として覆い被さった「東岩手火山」が重なった形で形成されている。国土地理院図が非常に判り易い。次の通も参照。

「火口湖」ウィキの「岩木山」によれば、『岩手山と西の黒倉山』(標高千五百七十メートル)『の間に西岩手火山のカルデラがある。このカルデラの成因は不明で、東西に』二・五『キロメートルの長い楕円をなす。中央火口丘をはさんで大地獄谷と左保沢という二つの小河川が北西に流れ出る。中央火口丘の中に、御釜湖と御苗代湖という火口湖がある。小さな御釜湖はほぼ円形で、明瞭な火口湖である。御苗代湖は南東部が火口湖で、その水があふれ出るようにして西に広がっている』とある。

「お日さまはあすこらへんで拜みます」御来光の参拝は外輪山の東の縁辺りを考えているであろう。そこからは賢治の好きな「魚の涎(よだれ)」(前の「瀧澤野」でのそれの形容と思われるもの)「焼け走り溶岩流」もよく見えるはずである。

「黑い絶頂の右肩と」/「 そのときのまつ赤な太陽」/「わたくしは見てゐる」/「あんまり眞赤な幻想の太陽だ」時間を先に行って、その景を想定して前に出してある。

「いまなん時です」/「三時四十分?」/「ちゃうど一時間」/「いや四十分あります」この日の当地での「日の出」は五時十七分であるから、「四時四十分」「四時二十分」は「日の出」の五十七分から三十七分前で、ロケーションが高地で視界が開けて空気も澄んでいるから、所謂薄明の曙になる時間を賢治は指してかく言っているものであろう。

 

「早池峰」岩手山の南東五十四キロメートル弱の位置にある、早池峰山(はやちねさん)。ここ(グーグル・マップ・データ)。岩手県宮古市・遠野市・花巻市に跨り、標高千九百十七で北上山地の最高峰である。

「駒ケ嶽」秋田県仙北市田沢湖生保内の駒ケ岳。標高千六百三十七メートル。岩手山の約二十キロメートル南西に位置する。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「鳥海山」山形県飽海郡遊佐町吹浦の鳥海山。岩手山の約百十三キロメートル南西。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「月光會社の五千噸の汽船」雲海の「うねり」を海に見立てて、そこを照らす月とその光の連想から、夢想した賢治の幻想の船舶会社とその大型汽船である。五千トンは現在でも大型で、社名から見ても、天界をどっしりと行く豪華客船をイメージしていよう。

「動搖を感じはしないだらう」「あんな大きなうねりなら」という条件であるから、表現が逆となっていい気がするが、或いは、船が大きいならば、大きなピッチングやローリングを感ずることなしに、悠々と漂うであろうという意味か。

「その質」は雲海のその質感。

「蛋白石」(たんぱくせき)はオパール(opal)の和名。色は乳白色・褐色・黄色・緑色・青色など、多様な色を呈する。

glass-woolglasswool。ガラス繊維で出来た綿状素材。オパールでは硬質感が強く出過ぎるので、雲海の無上のソフト感を言い添えるために、かく言い換えたのであろう。

「水酸化礬土の沈殿」「礬土」(ばんど)はアルミナ(alumina:酸化アルミニウム。Al2O3。天然には鋼玉として産出する。アルミニウムの原料式)で、水酸化アルミニウム(Al(OH)3 を指す。水溶液から新たに生成したゲル状の沈殿は酸及び塩基水溶液に容易く溶解し、それはよく白濁したふわふわとして柔らかな印象に見える。

「氣溫の逆轉」気象学に於ける「逆転」は、高度に伴う大気の性質、特に気温の変化が通常と異なる現象(気温逆転)であり、普通ならば高度の上昇に伴って気温が低下するはずであるのに、逆に上昇していることを指す。これが起こる層を逆転層と呼ぶ。『一般に高温の大気は密度が低いため』、『上に移動し、対流が起こる。しかし逆転層があると』、『上の方が密度が低いため、対流は起こらない。従って逆転層によって地表近くの大気がトラップされ、濃霧になったり』する。『逆転層により、遠くの音が大きく聞こえることが多く、また電波伝播に異常が見られることもある。なお逆転層では蜃気楼が起こりやすくなる』。『逆転層は、特に秋・冬の夜間に風が弱いとき、放射冷却で地表面温度が低下することによって形成されやすい(接地逆転層)』。『また風がある場合に冷えた地表・海面の上に温かい大気が流れ込んで発生することもある(移流逆転層)』。『高気圧による下降気流で断熱圧縮が起こり、その結果ある程度の高度(』二キロメートル『程度)に気温の高い層ができることがある(沈降逆転層)』とウィキの「逆転層」にあった。まさに昔から、天狗の仕業と言われた、すぐ近くで倒木音や大きな落石音がしながら、そんな痕跡がなかったり、火の玉のような不思議な発光現象(現代のUFO現象でもしばしばこれが原因とされる。私は小学校高学年で未確認飛行物体の調査会を立ち上げたことがある人間である)があるが、まさにこの気象現象及びそれに纏わる見かけ上の擬似怪異は、科学者としても、幻想作家としても、賢治が最も好む部類のそれと言えるではないか。

「御室火口の盛(も)りあがりは」/「月のあかりに照らされてゐるのか」/「それともおれたちの提灯のあかりか」/「提灯だといふのは勿体ない」この時、科学者賢治の中に、神秘主義者或いは幻想を志向する今一人の賢治が顔を覗かせている感じがする。

「ひわいろ」「鶸色」。鶸(スズメ目スズメ亜目スズメ小目スズメ上科アトリ科ヒワ亜科 Carduelinae に属する種群の総称であるが、「ヒワ」という種は存在しない)の羽の色に因んだ、黄味の強い明るい萌黄色。これ(サイト「伝統色のいろは」の鶸色のページ)。

「北斗七星は」/「いま山の下の方に落ちてゐますが」/「北斗星はあれです」/「それは小熊座といふ」/「あの七つの中なのです」/「それから向ふに」/「縱に三つならんだ星が見えませう」/「下には斜めに房が下がつたやうになり」/「右と左には」/「赤と靑と大きな星がありませう」/「あれはオリオンです、オライオンです」/「あの房の下のあたりに」/「星雲があるといふのです」/「いま見えません」/「その下のは大犬のアルフア」/「冬の晚いちばん光つて目立(めだ)つつやつです」/「夏の蝎とうら表です」私は星には冥いので、加倉井厚夫氏のサイト「賢治の事務所」の『詩「東岩手火山」をめぐる話題⑵』で、星座図を添えて判り易くこのシチュエーションの星系の賢治の説明を解説されておられるので(小さな星座図は画像を別タブで開くとよく判る)、それをリンクさせておくに留めるが、そこでは賢治の勘違いと思われる箇所として、『「北斗星」として、西隣のこぐま(小熊)座の骨格をなす主な星を「七つの中」と説明してい』るが、『こくま座の「斗」の配列を「北斗星」と呼ぶことはあまり行われてい』ないから、『「北斗七星」との思い違い』か、『あるいはおおぐま座との勘違いで』はないかと指摘され、「下には斜めに房が下がつた」ような部分というのは『「小三つ星」と呼ばれるもので』、『この中に 「オリオン座大星雲(M42)」があ』るとされる。私もちょっと気になる、「あれはオリオンです、オライオンです」(Orion)については、賢治は『星座名を異なった読みで繰り返し言ってい』る点についても、『今では星座名はIAU(国際天文連合)がその数と共に名称や境界線などを細かく規定して』いるが、『 賢治がこの詩を書いた時代には、まだ共通のルールとして決められてい』なかったことから、『読んだ書物により』、『星座名が複数あったり、日本語化されているものもあれば、ラテン読みをそのまま星座名としているものまで、実にさまざまで』あったと注しておられる(『IAUの総会で星座が現在の数に落ち着いたのは』一九二八年(昭和三年)のことであったとある)。

「私もスケツチをとります」周囲は未だ暗い暁の時刻である。スケッチのしようはあるまい? いや、そうか! この「スケツチ」はまさに「心象スケツチ」なのだ! この詩の初期形を彼は書き記しておこうとしているのだ!

「はてな、わたくしの帳面の」/「書いた分がたつた三枚になってゐる」/「殊によると月光のいたづらだ」/「藤原が提灯を見せてゐる」/「ああ頁が折れ込んだのだ」「藤原」は既に「銅線」の冒頭注で出た、この登山に参加した生徒の藤原健太郎である。ギトン氏はこちらで、『「提灯を見せてゐる」は、生徒が提灯で、賢治がメモを書いている帳面を照らしてくれたという意味で』、『藤原の回想談を見』ると、『「暗くて見えないだろうと思い、わたしがちょうちんを差し出すと、いらないと言う。それで書けるだろうかとわたしは不思議でならなかった。翌朝、のぞき見ると字が重なっている。けれども、先生はこれで十分わかるんだと言う……。」』(読売新聞盛岡支局編「啄木・賢治・光太郎」より)とある。暗い中で見ると、帳面に詩篇を沢山書いたはずなのに「書いた分がたつた三枚になってゐる」ように見えた、しかし藤原君が提灯で照らして呉れ、よく見ると、「ああ」、なあんだ、「頁が折れ込ん」でしまっていて、三枚しかないように見えたに過ぎなかった「のだ」という謂いである。

「地球照(アースシヤイン)」地球照(ちきゅうしょう、英語:earthshine)とは、月の欠けて暗くなっている部分が、地球に照らされて、薄っすらと見える現象を指す。そこが「赤銅」色に現認出来るのである。

「後藤(どう)又兵衞」安土桃山から江戸初期の武将後藤基次(永禄三(一五六〇)年~慶長二〇(一六一五)年)の通称。黒田孝高(如水)・黒田長政・豊臣秀頼に仕え、数多くの軍功を挙げた智将。江戸時代に講談や軍記物などで豪傑な英雄として描かれ、「大坂城五人衆」の一人に数えられた。身長は六尺(百八十センチメートル)を超える巨漢であった。

「小田島治衞(はるゑ)」藤原健太郎と同じ農学校二年生。この登山に参加していたのであろう。

「山中鹿之助」戦国時代武将山中幸盛(天文一四(一五四五)年~天正六(一五七八)年)の通称(自署は「鹿介」)。尼子義久に仕え、伯耆尾高城を攻め落し、勇名を馳せた。永禄九(一五六六)年、尼子氏が毛利氏に敗れて降伏したが、幸盛は尼子氏再興に力を尽し、豊臣秀吉に支援を求め、その中国征伐に従軍、播磨上月(こうづき)城に拠って、毛利氏に対抗した。しかし、天正六年、落城して捕縛され、毛利方へ護送される途中、謀殺された。勇猛な美男子であったともされる。このシーンの軍配は賢治の誤りで、小田島の勝ち三日月に向かって「我に七難八苦をあたえ給え」と祈ったのは山中鹿介である。Kokoro氏のサイト「出雲の月神」の「三日月の影」の枕の部分によれば、『このエピソードにはかなり後世の潤色が入っている、ということを断っておく必要がある。というのも、最初に「七難八苦をあたえ給え」の台詞を編み出したのは、鹿介本人ではなく、幕末の松江藩の儒者、桃節山だと考えられているからである。鹿介が初めてこの台詞を口にしたのは、明治二十五年』(一八九二年)『に補訂された『出雲私史』であり、しかも同書ではまだ「三日月を拝しながら」ということになっていなかった。最終的に、彼が三日月に祈り、この台詞をしゃべった、ということにしたのは、明治初期に島根県知事などを務めた籠手田安定』(こてだやすさだ:小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)を松江に招聘した人物として私は記憶している)『であると言う。そして昭和』一二(一九三七)『年、このエピソードが小学校の国語読本に『三日月の影』のタイトルで採用され、鹿介は戦前の少年達の間でヒーローとなった』。『とはいえ、鹿介がしばしば三日月を拝していたこと自体は本当だった可能性が高い。『陰徳太平記』によれば』十六『歳の少年鹿介が三日月に向かって「願わくは三十日を限り、英名を博せしめ給え」と祈ったとあり、鹿介が三日月を拝したのはこの時が初めてで、それからは常に三日月を拝するようになり、その信仰は終生変わらなかったという』(ここへの注の記載『ちょっと気になるのは、昭和』四六(一九七一)『年に初版が発行された妹尾豊三郎の『山中鹿介幸盛』には、この三日月を拝したエピソードについて「武者物語や尼子十勇士伝等には見えているが、雲陽軍実記、陰徳太平記、恩故私記には載っていない。」とあることである』)。「陰徳太平記」は『江戸期に成立した文献であり、鹿介と同時代のものではないが、全くの作り事で三日月を信仰していたなどという話は出てこないだろう。こういったことから、彼が三日月を拝する信仰をもっていたこと自体は本当だと考えて良いと思う。だが、この信仰はどこから到来したのか』。『いちおう、定説というのか、鹿介は兄から山中家の家督を譲られた際、家宝の甲冑を譲り受け、その兜の脇立てに鹿の角が使われていたため「鹿介」を名乗り、前立てに三日月の飾りが付けてあったので三日月を信仰するようになった、という伝えがある』。『しかし、いくら家督と共に譲られた兜とはいえ、そこに三日月を象った前立てが付いていただけで、月を信仰する気持になれるだろうか。むしろ、その風変わりな月への信仰を解く鍵は、もっと別のところにあると考えるべきではないか』。『山中鹿介幸盛は出雲の人である。天文十四年八月十五日に出雲国富田庄で生まれたとされる』(異説有り)。『富田庄は出雲東部を流れる富田川流域の土地で、鹿介の主家、尼子氏の本拠であった。鹿介の頃は能義郡になっていたが、分割される前は意宇郡である。そして先にも触れた通り、意宇郡は海上交通神としての神格をもつ出雲の月神信仰圏であると考えられた。してみると、三日月を拝する彼の信仰も、じつは上代から続くそうした月神信仰の流れをひくものであった可能性を感じるのである』とある。さらに考察は続くが、それはリンク先を見られたい。ともかくも、小学校国語読本に載る以前、少年たちが貪るように読んだ歴史読み物の中に既に、彼が武将として戦勝を込めて三日月に向かって「我に七難八苦を與へ給へ」と祈ったというエピソードが載っていたのである。

「二十五日の月」この大正一一(一九二二)年九月十八日の前日は旧暦七月二十五日で、その終りに月の出は起きている。

「金牛」牡牛座。この時、オリオン座の右上方に見えていた。

「さだ、オリオンの右肩から」/「ほんたうに銅靑の壯麗が」/「ふるえて私にやつて來る」「銅靑」は銅青(どうせい)色で色名。steel blueこれ(リンク先は色見本サイト)。明度のある群青色というべきか。ギトン氏はこちらで、『「オリオンの右肩」は』『オリオン座の向かって左、つまり、この日の空で言うと、ちょうど日が昇る東の空を指しているのだと思』われるとし、『星座に重ねられる巨人オリオンの姿は、右手で棍棒を振り上げて』おり、『α星(ベテルギウス)は、棍棒の先ではなく、ちょうど「右肩」の位置になり』、『この日時の星空では、オリオンは30°くらい右に(向かって左に)傾いてい』る『から、「オリオンの右肩」が、東の地平線を指すような位置関係になると思』うと述べておられる(ギトン氏の掲げておられる一九二二年九月十八日の星空の単独画像をリンクさせて貰う)。賢治の中の宇宙の霊気が壮大「壯麗」に賢治の体に降臨するのである。

「三つの提灯」三つとあるが、全集年譜では五、六人の生徒を引率したことになっているから、三人と限定するに当たらないのではないか。用意した提灯は四つだけだったのであろう。

「仙人草」キンポウゲ目キンポウゲ科センニンソウ属センニンソウ Clematis terniflora。有毒植物(全草有毒。葉や茎の汁に触れても皮膚炎を起こし、誤って食べると、胃腸炎や嘔吐を発し、多量に食べると生命の危険もある)。但し、植生から見て、同種が高地の岩手山の火口内に群生するというのは考えにくい。植物系・ガーデニング系サイトでも高地に群落を作ることはないとあるから、これは違う。しかし、まあ、賢治も「さうでなければ」と言ってはいる。

「高陵土(カオリンゲル)」ケイ酸塩鉱物で粘土鉱物の一種であるカオリナイト(kaolinite:高陵石。名は中国の有名な粘土の産地である江西省景徳鎮付近の高嶺(カオリン:Kaoling)に由来する。高嶺で産出する粘土は景徳鎮で作られる磁器の材料として有名で、同質の粘土(鉱石)は「カオリン」(kaolin)「陶土」(china clay)などとも呼ばれる)のゲル(泥)状化したものの謂いらしい。但し、これも、ギトン氏がこちらで、『《御鉢》火口は、まだできて日が浅く、風化は進んでいないので、カオリンは無いと思われます』と否定しておられる。さて? その白い一帯は一体、何だったのだろうか? 本篇ではそれは明らかにされずに終わっていて、ひどく気になるのである。渡部芳紀氏の「東岩手火山」では、実はやっぱり雪だったのではないか? という仮説を立てておられる。『筆者が勝手な逞しい推測をするに、この<向ふの白いの>は、本当に雪だったのでは ないかということがある。今回この原稿を書くにあたって』、『何度も以前登山したときの写真を見てみたのだがその中に一か所雪のような真っ白なところがある。どう見ても雪である。草や粘土ではない。筆者が登ったのは九月十日、賢治が登ったのは九月十八日で一週間くらいしか違わない。とすると』、『同じところの白い物を見ているのかも知れない。<《雪ですか 雪ぢやないでせう》>と言われて<困つたやうに返事してゐる>のは、先生は雪じゃないと思い込んでいるが本当に雪だった。先生に言っていいものかどうか躊躇していたのではないか。そんなふうにも考えられなくもない。自分の写真にあまりはっきりと雪の跡があるので。少々非論理的推測をしてみた』と述べておられる。実はやっぱり「雪」だった説、私も「困つたやうに返事してゐる」少年たちのシーンのニュアンスから、強く支持したい

「一升のところ」登りの十合目で「一升」、頂上のこと。嘗てはそれを示す石標があったが、現在は撤去されている模様(ギトン氏の単体写真を参照されたい。写真の中の石造物は火口辺縁の「御鉢」に沿って並ぶ三十三観音石仏だそうである)。

「河村慶助」松井潤氏のブログ「HarutoShura」の本詩篇の解説(分割掲載の一つ)に、『川村慶助。賢治の教え子で、このとき稗貫農学校』三年生、とある。

「メガホーンもしかけてあるのだ」火口内の形状から声がよく反響するのを、自然がメガホン効果を齎して呉れているのだ、と言うのであろう。

「すこしのかなしさ」私にはこの唐突の一行が身に染みて判る。それはペシミスティクな世界観をどこかに持っている総ての人間の孤独な宿命である。

けれどもこれはいつたいなんといふいゝことだ

「ちぎれた朱子のマント」実際のその時の着衣を指している。「朱子」は「しゆす」で「繻子」(しゅす)のこと。経(たて)糸と緯(よこ)糸の交わる点を少なくして布面に経糸或いは緯糸のみが現れるようにした織物。布面に縦又は横の浮きが密に並んで光沢があって肌ざわりがよいが、摩擦や引っ掛けなどには弱くてほつれ易い。ギトン氏のこちらに、『賢治は、注文して作らせた黒いサテンのマントを気に入っていて』、余所行きにしていたらしいとされ、大正一四(一九二五)年に『弘前で徴兵訓練中の清六氏のところに、兄の賢治が面会に来た時の回想』に、『「私共〔訓練中の清六氏と隊友──ギトン〕がだんだん廠舎に近づいたとき、道のそばの小高いところに支那服のようなものを着た人が、太陽を背中にして直立し、逆光線に浮かび上がっているのに気づいたのであった』。(中略)『私に面会人だというので急いで行ってみると、兄が満面に笑いを浮かべて衛兵所のそばに居たのである。そこで私は先刻途中で立っていた人が兄であったことに気付いたのであるが、支那服と見えたのは実は黒い折襟の服で、それは繻子でダブダブに仕立てた変なものであった。」』(宮沢清六「兄のトランク」より)とある。確かに、彼はお洒落である。

「下向の道と書いてあるにさういない」以下によって暁時のロケーションは我々が心内で映像化しているのより遙かに暗いことが判る。実は比較的その石標の近くにいても賢治にはそれが読めないのだ。いわば、我々は映画の中の夜のシークエンスが明度が上って見えているように、本詩篇を賢治のカメラで〈見せて貰っている〉のだということに気づく必要がある。

「宮澤」松井潤氏のブログ「HarutoShura」の本詩篇の解説(分割掲載の一つ)に、『賢治の教え子で、稗貫農学校を』、この翌月の、大正一一(一九二二)年十月に退学することになる『宮沢貫一と考えられている』とある。

「雲平線(うんぴやうせん)」穏やかに平らになった雲海の果てを地平線に擬えて言った。

「雲平線をつくるのだといふのは」/「月のひかりのひだりから」/「みぎへすばやく擦過した」/「一つの夜の幻覺だ」賢治ファンタジーの洒落た「雲平線」という造語を、賢治の中の別な一人が「幻覺」だと嘲笑的に批評している。しかしその評し方も、また「月のひかりのひだりから」「みぎへすばやく擦過した」結果の「幻覺」だという謂いに於いてお洒落でファンタジックであることから逃れられていないところが、また面白いと言える。

「いま火口原の中に」/「一點しろく光ひかるもの」/「わたくしを呼んでゐる」(原稿ではここに読点が入っている)「呼んでゐるのか」それは、火口に降りてそこからまた戻ろうとする生徒の提灯の光りが最初であるが、それが見る間に、オペラの舞台のフット・ライトかスポット・ライトの如く強烈に変化し、賢治の奔放自在な夢想が幕を開ける。

「鉛筆のさやは光り」/「速かに指の黑い影はうごき」/「唇を圓くして立つてゐる私」とは、まさにそこで夢想にただぼうっと身を任せているのではなく、その幻の大「氣圈」座の「オペラの役者」を演じながら、同時に恐るべきスピードで詩を詠じ、実際にノートに書き取っている賢治を外から描写しているのである。

渡部芳紀氏の「東岩手火山」に『頂上付近の外輪山を指すか?』『右上がりのスロープになっており』、『<力強い肩>に符号する』とある。

「集塊岩」agglomerate。大小の岩石塊を多数含む火山砕屑(さいせつ)岩の総称。集塊凝灰岩・集塊溶岩などがある。集塊凝灰岩は火山礫・軽石・火山弾・火山岩塊などが火山灰で凝結されたもの。集塊溶岩は岩塊の間が溶岩で満たされたもので,一般に火口の近くに分布する。

「力い肩だ」渡部芳紀氏の「東岩手火山」に『力強い肩を思わせる形をしている。頂上付近の形状に似ている』とある。

「あすこからこつちへ出て來るのだ」現場を知らないとよく判らない。ギトンの『「あすこ」は、「向ふの黒い巨きな壁」を指しています。《御鉢めぐり》は、通常は左回りに行きます(画像ファイルの矢印とは逆)』から、『《下向の道》石標(∩)から見ると、ちょうど』、『頂上の右肩あたりから出てくることになります』という見解を単立画像とともに示しておくに留める。

「妙好(みやうこう)の火口丘」「妙好」は「御鉢」の中にある火口丘の通称である「妙高岳」のこと。その麓部分に火口がある。

「幾條かの軌道のあと」溶岩が流れた地形上の筋を指しているようである。

「海拔六千八百尺」二千六十・六〇四メートル。岩手山最高峰の薬師岳は二千三十八メートル。

「(あんまりはねあるぐなぢやい」/「汝(うな)ひとりだらいがべあ」/「子供達(わらしやども)連れてでて目にあへば」/「汝(うな)ひとりであすまないんだぢやい)」奔流する幻想に、制動がかかる。賢治自身の教師としての最低限の超自我の発する社会的倫理義務に拠る禁則警告である。ギトン氏の訳を引かせて貰う。『あんまり跳ね歩くんじゃない。お前ひとりならいいだろうが、子供ら(わらしゃども)を連れていて事故に遭えば、お前ひとりでは済まないんだぞ』。

「天の川の小さな爆發」高校一年の夏、友人と土方のアルバイトをしてテントを買い、能登半島を一周した。最初に泊まった能登金剛の砂浜で見た夜空は天空の暗黒部より星の輝きの方が多いような錯覚を起させた。その中でも、「天の川」は本当に乳液の流れのようであり、今にも流れ下ってきそうな奔流であり、確かに、まっこと、「小さな爆發」だったのを私は忘れられない。

「みんなのデカンシヨの聲も聞える」渡部芳紀氏の「東岩手火山」には、『でかんしょ節。丹波杜氏たちが「あとの半年は寝て暮らす」と歌ったところから「出稼ぎしよう」の意。今宵徹夜で騒ぎましょうの意で「徹今宵」から来たのとの説などある。明治末から大正初めにかけ全国の学生間、花柳界で歌われた。ここでは、徹夜登山で眠くなってきた生徒たちが景気付けに歌っているか?』とされ、ギトンの最後で、『デカンショを、農学校の生徒たちに流行らせたのは、宮澤、堀籠両教諭だそうです』と記される。

「オーパル」オパール(opal)。先に出た「蛋白石」に同じ。

「蔗糖溶液(しよたうようえき)」「蔗糖」はサッカロース(saccharose)・スクロース(sucrose)とも称し、サトウキビやサトウダイコン(テンサイ)などの多くの植物によって合成されるグルコースとフラクトースが一分子ずつ結合した二糖類。ショ糖を主体とする工業的製品を総称して「砂糖」と呼ぶ。「ショ糖」及び「砂糖」という言葉は混同して使われることが多いが、化学物質として扱う場合は常に「ショ糖」の名称が用いられる。「ショ糖」は光合成能力のあるすべての植物体に見いだされ,人類には甘味料として非常に古くから用いられていた歴史を持つ(平凡社「世界大百科事典」)。まあ、砂糖水でよかろうかい。ちょっと想像する判る通り、それに「また水を加へたやうなの」というのは、すこぶる腑に落ちる。あの儚い感じが。

「とにかく」「あくび」(アップ。1ショット)「と」/「影ばうし」(アップ。1ショット)/「空の」「あの邊の星は」「微かな散」(ワイド・1ショット)/「すなはち」「空の模樣が」「ちがつてゐる」(ワイドでゆっくりティルト・ダウンして→)/「そして」「今度は」「月が」「蹇(ちぢ)まる」(「蹇」(音「ケン」)の原義は「足萎(あしな)え・跛(びっこ・ちんば」で「悩む・苦しむ」「止まる・留まる」「曲がる・入り組んでしまう」であり、「易」の六十四卦の「嶮しさに行き悩むさま」を指す卦(け)でもある)(月がインしてストップしてズーム・アップ。前との1ショット)……(F・O)……あたかも父アルセイニ・タルコフスキの詩を被せながら、アンドレイ・タルコフスキが撮った映画のように(「鏡」「ノスタルジア」)私は思う、この作品はオペラ役者なんぞ扮した詩人が出たりするが、全く以ってこれ、演劇的でない。……即ち、テンションのクライマックスで幕は下りず、映画的終局、ある侘しいエピローグで、見る間に萎んでゆくのだ。……御来光の光輝を予感させながら、それを描かず、強い哀感を湛えながら、急速にフェイド・アウトしてしまうのである。……


 

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