宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 高級の霧
高 級 の 霧
こいつはもう
あんまり明るい高級(ハイグレード)の霧です
白樺も芽をふき
からすむぎも
農舍の屋根も
馬もなにもかも
光すりぎてまぶしくて
⦅よくおわかりのことでせうが
日射(ひざ)しのなかの靑と金
落葉松(ラリツクス)は
たしかにとどまつに似て居ります)
まぶし過ぎて
空氣さへすこし痛いくらゐです
[やぶちゃん注:・「光すりぎてまぶしくて」はママ。原稿は「光りすぎてまぶしくて」で誤植であるが、「正誤表」になく、「手入れ本」にも何もない(あってしかるべき修正も「ない」し、削除されているわけでもない。これは異常な特異点である。ここを出版後に読んだ彼は、同時に何か衝撃的なフラッシュ・バックがあって、この誰もが気づくはずの誤植に気づかなかったのではなかったか?)。無論、校本全集校訂本文は訂している。
・「⦅よくおわかりのことでせうが」の始まりの二十丸括弧はママ。御覧の通り、その連の終りの「たしかにとどまつに似て居ります)」の末尾は普通の丸括弧である。原稿は始まりも「(」であるから誤植であるが、「正誤表」になく、「手入れ本」の修正にもない。校本全集校訂本文は原稿通り、開始を「(」とする。
大正一一(一九二二)年六月二十七日の作。本書以前の発表誌等は存在しない。
「あんまり明るい高級(ハイグレード)の霧です」霧の持つ光と、その自然の源としての水の粒子のぎゅっと詰まった緻密さの感覚的質感に、自然の悠久(永久の時空間と言い換えてもよい)の無窮に豊饒さを喩えているようにも読める。だが、そんな濃密な霧ではしかし、白樺が芽を吹いているのも、鴉麦も、農作業用舎屋の屋根も、「落葉松」(ラリックス)も(こちらに「とどまつに似て居」ると謂い掛ける以上は誰にでも見えて判別し得る状態を実は指している)、それこそ「馬も」「なにもかも」隠して見えなくなっているはずで、叙述と全く齟齬することに気づく。「光すりぎてまぶしくて」「まぶし過ぎて」の畳み掛け、「日射(ひざ)しのなかの靑と金」という即物的感覚描写からは、これは実は、実際の「霧」なのではなく、〈遮るもののない燦々と降り注ぐ眩し過ぎる初夏の陽光〉を描出しているのである。しかし、どうも気になることがあるのだ。……この詩篇、単なるそうした自然への手放しの謳歌にしては、形容表現に幽かに詩人のネガテイヴ、という謂いが不適切であるなら、少し身を引いている妙な捩じれた感じが纏わりついているように感じるのだ。……「こいつは」という名指しの粗さ、「もう」「あんまり」という副詞、現世的な「高級(ハイグレード)」という語の持つ語感、「光りすぎて」いて「まぶしくて」(眼を背ける感じ)、「よくおわかりのことでせうが」という改まった他人行儀な、くどくどしい不快な慇懃無礼な謂い掛け、どうでもいいような「落葉松(ラリツクス)は」「たしかにとどまつに似て居」るというさして説明したいというのでもない軽い薀蓄(近くでよく観察すりゃあ違いははっきりしてるんだ、と字背で賢治がぼそついて乱暴に言っている感じさえする)、光りが「まぶし過ぎて」、「空氣さへ」も「すこし痛いくらゐ」だという添えの感想……どうも……おかしい……ギトン氏もそこに着目されておられ、こちらで最後に、『…つまり、おおざっぱに言うと、光る空、光る山、明るすぎる新緑の林、まぶしい屋根の照り返し‥‥などは、もし、「高原」のように、そこに自己を没入できれば』(「できるならば」を字背に匂わせておられるのである)、『躍動的なエネルギーの源泉となりますが、そうでないと、作者は、“過度の明るさ”に輝く周りの世界から疎外されてしまい、憂鬱に沈み込まざるをえないのです‥』。『そうすると、「高級の霧」の「高級(ハイグレード)」とは、作者にとって必ずしも歓迎できるものではないのです』。『むしろ』、(私は「今の」と挿入したい)『自分には似合わない、敬遠したくなる、嫉妬、羨望、けむったい、迷惑だ‥‥というような語感が伴っているのではないでしょうか?』と述べておられる。同感である……
「白樺」既出既注。ブナ目カバノキ科カバノキ属シラカンバ日本産変種シラカンバ Betula platyphylla var. japonica。
「からすむぎ」私の好きな単子葉植物綱イネ目イネ科カラスムギ属カラスムギ Avena fatua。既に出た「燕麥(オート)」(単子葉植物綱イネ目イネ科カラスムギ属エンバク Avena sativa)は野生種である本種の栽培種である。
「落葉松(ラリツクス)」既出既注。裸子植物門マツ綱マツ目マツ科カラマツ属カラマツ Larix kaempferi の属名。
「とどまつ」マツ科モミ属トドマツ Abies sachalinensis。トドマツはモミ属の常緑針葉樹で、冬でも緑を保ち、枝は水平や斜め上に張り出す。葉は枝全体に並んで生え、先が窪んで裂けている。松毬(まつかさ)は細長く、枝の上方向に着くのを特徴とする。対して、カラマツはカラマツ属の落葉針葉樹で、秋になると、黄色く色づき、落葉するのを大きな特徴とする。枝は水平に張り出し、長枝と短枝があり、短枝には、葉が一ヶ所から束になって、花が咲いたかのように生える。松毬は「まつぼっくり」という言葉でイメージ出来る丸い形状のものである(以上は情報発信サイト「BIGRUN HOKKAIDO」の「カラマツとトドマツとエゾマツの違い」に拠った)。
本篇は既に「岩手山」の注の最後で述べた通り、大正一一(一九二二)年六月二十七日クレジットの最後の詩篇(先行する「岩手山」・「高原」・「印象」と同日の創作)である。再度言うと、ここまでコンスタントに創作し続けてきた賢治なのであるが、その次の「電車」は大正一一(一九二二)年八月十七日の創作で、五十日ものスパンが空いている。既に賢治に詳しい方は知っておられようが、この間の妹トシの病態は思わしくなく、看病をしていた母イチが看病疲れから床に臥すようになったことから、七月六日、遂にトシを下根子桜にあった別宅へ移しているのである(後掲引用参照)。私はこの日に創作された、
・何か暗く「古ぼけ」た「黑くえぐるもの」で「きたなくしろく澱むもの」と謂い掛けて不定形の何ものかを重く表象する「岩手山」
・わざわざ三年も前の過去の記憶に基づいて(この事実自体が本書のここまでの共時的詠唱中では異様な特異点である)詠んで挟み込んだ回想の詩篇「高原」
・シュールレアリスムの絵画ようなスマートを気取りながら謂わく言い難い不安に満ちた暗い絵「印象」
・詩人が普段なら一体化を謳歌する自然の対象物に対してどこか距離を持って眺めている或いは忌避するような雰囲気を感じさせるこの「高級の霧」
という四篇が、詩人の内なる暗鬱さの共通項に於いて括られているように見えてしょうがないのである。やはり、これは、偶然では、ない。これはここまでの主調であった、今までの電光石火の鮮やかでファンタジックな〈賢治マジック〉のそれとは全く異質なものだと私は思うのである。
そもそも「心象スケツチ 春と修羅」には、実は、この部分を境とする一冊の書籍としても物理的即物的な〈謎〉が存在する。
それは、後尾に附された「目次」にある。
「目次」ではこの「高級の霧」の次は「電車」ではなく、
高級の霧 ……(一九二二、六、二七、)…… 一二八
途上二篇 ……(一九二二、六、二七、)…… 一三〇
電車 ……(一九二二、八、一七、)…… 一三一
となっているのである(リーダは八点、漢数字は半角で字空けももっと多い。当該箇所画像(見開き・モノクローム)を前に掲げた)。この上掲四篇とともに書かれたはずの「途上二篇」という心象スケッチは、しかし、本文には、全く存在しないのである。本書用原稿にもなく、下書き稿も残っていない、失われた詩篇なのである。
しかも「目次」の末尾のページ数は、この不整合ために、当然、「電車」から実際のノンブルと順にズレ始め(「電車」の実際の開始ページは一二〇ページである。以下同じことを略して示す)、「天然誘接」が「一三二」(実際は一三一)、「腹體劔舞連」が「一三七」(実際は一三二)、「グランド電柱」が「一三九」(実際は一三七)、「山巡査」が「一四〇」(実際は一三九)、「電線工夫」が「一四一」(実際は一三九)で、その次の「たび人」で、やっと(偶然と推定される)実際の版組上から順送りとなってズレが解消され、正しくなっている。これらは本書用原稿もその通り(誤った通り)であり、「正誤表」でも全く訂されていないのである。これは一冊の書物としては、極めて異様な「目次」と本文の不対応齟齬である。
なお、このズレと本書の版組の様態と制限容量から見て、幻しの「途上二篇」なる詩篇は、
百三十ページ目の第一行から題名を含めて始まり、詩篇本文(題名を除いて)は最大長で十六行、最短で十行のもの
であったことが判る。この賢治によって最終段階で削除されてその片鱗さえも残存しない不思議な幻しの「途上二篇」については、管見した限りでは、誰も何も有意に具体的なことは言っていないようであるから(と言っても、私は本電子化の冒頭でも述べた通り、宮澤賢治の研究書等は、三十以降はせいぜい十数冊しか読んでいないし、研究者の単発論文や彼の特集号も幾つかは持ってはいるが、ろくに読まずに、あたら、書庫で紙魚の餌食となっているぐらいだから、既にこんなことは周知の事実なのであろうとは思う)、ここに取り敢えず記しておくこととした。
最後に。創作が途切れた「六月二七日」の後、校本全集年譜は、同年「七月六日」(『頃』と附記)まで記載がない。七月六日の部分総てを電子化して本注を終りとする。
《引用開始》
七月六日(木)頃 トシを下根子桜の別宅に移す。妹シゲの回想。
「だんだん姉の病状がよくなく、七月には弱かった母が看病疲れで床につくようになったので、桜の方に姉をうつしました。私は岩田の人たちの思いやりで桜の家で看病することになりました。極度に食欲のない姉の食事と、看護婦の藤本さん、付添いのおきよさん、せんたくなどの太田のばあさん、また学校から帰ってきて泊る賢治の食事をこしらえるのが私の役目だったようです。
お医者さまは一週間に一度くらいおいでになって、栄養をとるよりほか、しかたないとのことで、料理の知恵もなかった私はほんとに因って、姉がなくなって三十年くらい後までどの戸棚をあけてもあるはずのお魚がなかったり、おかゆばかり煮えてもおかずがまとまらなくてウロウロしている夢をよく見たものです。」
「そのころ兄は書きたいことが、次から次へ湧きだすようで、それがとてももどかしくていちいち字にはしていられないというような時が多かったようでした。」
《引用終了》]
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