萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 田舍を恐る
田舍を恐る
わたしは田舍をおそれる、
田舍の人氣のない水田の中にふるへて、
ほそながくのびる苗の列をおそれる。
くらい家屋の中に住むまづしい人間のむれをおそれる。
田舍のあぜみちに座つてゐると、
おほなみのやうな土壤の重みが、わたしの心をくらくする、
土壤のくさつたにほひが私の皮膚をくろづませる、
冬枯れのさびしい自然が私の生活をくるしくする。
田舍の空氣は陰欝で重くるしい、
田舍の手觸りはざらざらして氣もちがわるい、
わたしはときどき田舍を思ふと、
きめのあらい動物の皮膚のにほひに腦まされる。
わたしは田舍をおそれる、
田舍は熱病の靑じろい夢である。
[やぶちゃん注:太字「きめ」は底本では傍点「ヽ」。「くろづませる」「腦まされる」の「腦」はママ。萩原朔太郎の強烈な田舎への生理的嫌悪感の表出であり、彼の故郷喪失者としてのの面目の公的宣言である。初出は『感情』大正六(一九一七)年一月で、プレ広告である。一連構成でもあり、幾つかの異同があるので、初出形を示す。太字は同前。
*
田舍をおそる
わたしは田舍をおそれる
田舍の人氣のない水田の中にふるへて
ほそほそとのびる苗の列をおそれる
くらい家屋の中にすむ、まづしい人間のむれをおそれる
田舍のあぜみちに座つてゐると
おほなみのやうな土壤の重みが、わたしの心をくらくする
土壤のくさつたにほひが私の皮膚をくろづませる
冬枯れのさびしい自然が私の生活をくるしくする
田舍の空氣は陰欝で重くるしい
田舍の手ざわりはざらざらして氣もちがわるい
わたしはときどき田舍を思ふと
きめのあらい動物の皮膚のにほひになやまされる
わたしは田舍をおそれる
田舍は熱病の靑白いゆめである
詩集「月に吠える」より
*
「手ざわり」はママ。
なお、筑摩版「萩原朔太郞全集」第一巻の『草稿詩篇「月に吠える」』には、本篇の草稿として『田舍を恐る(本篇原稿七種十枚)』として以下の二三がチョイスされて載る。孰れも無題。表記は総てママである。
*
○
おれは田舍に行つゐたとき、
はげしい熱病にかゝつてゐた、いろいろなおそろしいものものをみた、
よにもさびしい思をした
たとへばむしあついたんぼみちにたつてには、
すえた苗の列をながめてゐたがはえてゐた
それがくるしいほど光つてゐた
とほりがゝりの百姓 でも は
土壤にはくさつた熱病のいきではくさつた肉のにほひがした
おれはくらいまづしい家屋の中では
はだかの人間が
しなびたはだか女の乳房をみた
あらゆるものが
田舍は桑ののあほくさいにほひをかぐと、空氣の中はおれはあの靑をかぐと、するとな さけないあぢきない、心になる、
いろいろなものの熱病
きめのあらい 人間 皮膚の手さはりが
百姓たちはその子供たちのたゞれた目に
おれの心をおびやかした
田舍ではなにもかもぐちたなくあらあらしかつた、[やぶちゃん注:「ぐちたくなる」には編者によるママ注記が右に附されてある。]
おれの足は氣味のわるいものをふみつけた
田舍はしみしみ
おそろしい手
きめのあらい生物の皮膚を織物をなぜるやうな感覺が
いつも熱病のやうにおれをくるしめた、
おれのうすい皮膚しんけいをいたいたしくすりぬいた、
それで 田舍の風景 田舍のいやらしい生活
おれは田舍を思ふと、いつもくるしい熱病のやうな心になる、
田舍はえたいのわからぬ憂鬱の恐怖である、
○
田舍の田の中で水が→靑い稻の苗→水が光つてゐた、つめたい水がながれてゐるた、
水の中から水のながれうづまきの中にあほい稻の苗がひよつこり こつくりと顏を出してゐた、〉ううつけてある、
さびしいこの光る苗の列をみる靑いさびしい列をみてゐると
犬はさびしいいやな遠白い心になつた、
また、みんな ひとつまみほどの苗のひよつこである、
とほいさびしい 田舍の空のはてに 田舍の水田の中で、 水の 子供たちが話をしてゐる、 かはいらしい苗が列んでゐる、
みんな泣きた
いまにも 「雨がぼつぼつふつてきたよ
きめのあらい、むくむくした土攘の
百姓が通つた、
くさいくさい桶を
田舍に ゐる ゐるときの心はくるしい、→田舍はひとの心をくるしくする
田舍はおそろしくくさつた 土攘のにほひを 食物をたべてゐた、
土ぜう は のたぐひは、
いちにちひとりでどこまで步いていつても
田舍の→そのへんのあぜみちの雜草はなにかのきいろく死んでゐたしなびてゐるし
田舍では人間のの土壤のにほひをかぐと
いきものの 頭が 肌が しなび くさつてくる、
きめのあらい馬の
おまけにしつきりなしにわたしはおつかけられて
くさつた生物の死骸のにほひはするしのにほひがするので
犬はわるものゝために毒を主人にのまされてゐた、犬は主人に述子になつたので、よるもさびしい聲を出して鳴いてゐたで吠えてゐた、[やぶちゃん注:「述子」は「迷子」の誤字であろう。]
そのへんの草はきいろくしなびてゐるし
そしてくさつた土壤のにほひをかぎながら
草むらの中で死んでしまつた、
だんだしだいに心が弱つていつた、
とうとう→しまひにおそろしく頑丈な
しまひのあのきれいな犬は
田舍の水田の中で苗が光つてゐる、
○
わたしは田舍をおそれる、
田舍の人氣のない水田のなかで、すいすいとほそほそとのびる苗の列をおそれる。
くらいおほきい家屋中にすむ貧しい人々のむれをおそれる。
田舍はあらつぽい布
田舍の田にきて座つてゐると
さむいさむい
うねうねとうねつた
おほなみのやうな土壤のおもみをおそれるがわたしの心をくら重くする。
冬のさびしい大風と木立→おほかぜ木立と灰色の空をがわたしの胸をかなしくする、
田舍の靑くさい桑の葉のにほひが、わたしの生活を陰鬱にする皮膚をくろずませる、
わたしは田舍を思ふと
おそろしく大きな→みにくいきめのあらい動物の皮膚肌のにほひになやまされる、
田舍はくらいいつも陰鬱で退屈で人間が下等野卑である。
鉛のやうに重くるしい
田舍の 人間 粗野な農民はわたしを好まない
田舍にはきれいな娘はゐない
田舍には美しいものはひとつもない。
田舍には 文明的 美しい建築がない、
田合はあらつぽい布のやうなものだ。
田舍はわたしにとつては
わたしは田舍のあらつぽい自然をおそれる、
わたしが田舍に生活するのは
ざらざらしたきめあらつぽい→かたい荒目の自然の帆布の
しんけいをすりむくやうだ、
きやしやな高貴の織物をすりむくやうだ、
田舍は病身の詩人にとつてくるしい→おそろしい熱病やみの靑白い夢である。
*
言っておくが、私はこの社会的生活者として失格であった自らを詩人と自負する男のこれらの田舎の習俗や民人(たみびと)を差別し、軽蔑する、痙攣的詩篇を、激しく生理的に嫌悪する人種であることを表明せずにはいられない。――言ってやろうか? 朔太郎? 「そうしたお前を、都会は、ますます致命的に不可逆的に病的に憂鬱にさせ、晩年の、詩想も思想もない畸形の日本主義の奈落へと、お前を陥れたことを、心から無慚極まりない、と、感ずるね。」と。
なお、これを以って「見知らぬ犬」パートは終り、残る詩篇本文は長篇詩二種「雲雀の巢」と「笛」のみである。]
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