宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 春光呪咀
春 光 呪 咀
いつたいそいつはなんのざまだ
どういふことかわかってゐるか
髮がくろくてながく
しんとくちをつぐむ
ただそれつきりのことだ
春は草穗に呆(ぼう)け
うつくしさは消えるぞ
(ここは蒼ぐろくてがらんとしたもんだ)
頰がうすあかく瞳の茶いろ
ただそれつきりのことだ
(おおこのにがさ靑さつめたさ)
[やぶちゃん注:標題の「咀」はママ。詩篇の内容からは「呪詛」であろうと思われるが、「手入れ本」の書き換え(宮澤家本が「春日呪咀」と書き換える)でも「咀」のままであり、現存する本書用原稿(「心象スケツチ 春と修羅」の通し原稿。第三葉から第四葉。本篇もこれ以前の発表誌等は存在しない)でも「咀」のままである。即ち、これは誤植ではないのである。牽強付会すると、「咀」や「咀嚼」には、「詩文などをよく読んでその意味を深く味わう」の意はあるものの、それで解釈するのにはおよそ無理がある。筑摩版全集も現行、校訂本文を強制補正して「春光呪詛」とする。私もそれが正しいと思う。さすれば、「詛」を「咀」とするのは宮澤賢治自身の思い込みの誤認なのか? にしても、「手入れ本」には他者が関わっており、それを指摘する者はいなかったものか? そうしたちょっとしたことも、言い難い雰囲気が賢治にはあったのかも知れない(それは何となく想像は出来る)。しかしやはり、多くの作家が「椽」を「緣」とする誤認慣用とはわけが違い、甚だ不審を覚える誤字ではある。大正一一(一九二二)年四月十日の作。
ともかくも「春と修羅」には「春日呪詛」や「春光呪詛」は如何にも有効にして嵌まりまくったアイテムではある。
が、「いつたいそいつはなんのざまだ」「どういふことかわかってゐるか」と呪詛する相手、この呪詛の中に見え隠れする女、「髪がくろくてながく」「しん」「と」「くちをつぐむ」「ただそれつきりの」女、「頰がうすあかく」て「瞳の茶いろ」い女は誰か?……それは無論、「草穗に呆(ぼう)け」「うつくしさは」季節が移りゆけば「消える」もので、「ただそれつきりのこと」になるもんだ、消え果るもん「だ」、だから結局は「ここ」の実在「は蒼ぐろくてがらんとしたも」のでしかない「んだ」、「おお」! 何というここの本質の「この」! 「にがさ」! 「靑つめたさ」だろう! と「呪」詛する対象は「春」の女神であろう……あろうが……しかし……それは同時に……宿痾にとり憑かれ、死地へと順調に向かって行かざるを得ない運命を背負った――賢治だけの美神――ミューズ――妹トシへの――のっぴきならない――切羽詰まった呪詛の乱暴さを纏った、哀訴だったのではあるまいか? 但し、諸家の中には、前の並びの「戀と病熱」から「春と修羅」から本篇への流れに、当時、賢治に好きな女性ができて、その人物に激しく恋をしていたのだと推定する向きもある。それも、まあ、よかろう。
以下、先の原稿を示す(促音表記は筑摩書房全集校異のママ)。
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春光呪〔咀→咀〕[やぶちゃん注:書き換えた字も「咀」。]
いったいそいつはなんのざまだ
どういふことかわかってゐるか
髮がくろくてながく
しんとくちをつぐむ
ただそっれっきりのことだ
春は草穗に呆(ぼう)け
うつくしさは消えるぞ
(ここは蒼ぐろくてがらんとしたもんだ)[やぶちゃん注:完成品より下げが一字分多い。]
頰がうすあかく瞳の茶いろ
ただそれっきりのことだ
(おおこのにがさ靑さつめたさ)[やぶちゃん注:最初、五字下げで書いたものを、後から、三字下げに改めている。]
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宮澤家「手入れ本」は七行目に激しい変更の後があるが、最終形を示す(変更過程は後で示す)。
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春 日 呪 咀
いつたいそいつはなんのざまだ
どういふことかわかつてゐるか
髮がくろくてながく
しんとくちをつぐむ
ただそれつきりのことだ
春は草穗に呆(ぼう)け
あてごとはみんな消えるぞ[やぶちゃん注:傍線はママ。筑摩版の修正箇所指示は傍点「・」であるから、これは「手入れ本」自身の「あてごと」に傍線を引いてあると判断する。]
(ここらはいったい蒼くくろくて
ひどくがらんとしたもんだ)[やぶちゃん注:二行化している。]
頰がうすあかく瞳の茶いろ
ただそれつきりのことだ
(このにがさ靑さつめたさ
このにがさ靑さつめたさ)[やぶちゃん注:リフレインで二行化。]
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以上の変更過程は以下。
・標題は「光」を消して一旦、右に「日」と記すも、それを削除、再び左に「日」と書く。
・「髪がくろくてながく」は最終形では変更はないが、一度、「髪がくろくてぐん」と書き(「ん」は全集編者推定)「ん」を削除し、「ぐなり」と挿入するも、それを結局、削除している。
・「(ここらはいったい蒼くくろくて)」は最初、丸括弧内の「ここは」を「いったいここは」と書き換え、それを「こ〔こ〕[やぶちゃん注:「こ」を挿入。]らはいったい」としてある。
藤原嘉藤治所蔵本(二種を無視して、基本的な手入れ決定版とされるもののみを示す)では、
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春 日 呪 咀
いつたいそいつはなんのざまだ
どういふことかわかつてゐるか
髪がくろくてながく
しんとくちをつぐむ
ただそれつきりのことだ
春は草穗に呆(ぼう)け
あてごとはみんな消えるぞ
(ほんたうはここらは蒼ぐろくてがらんとしたもんだ)
頰がうすあかく瞳の茶いろ
ただそれつきりのことだ
(このにがさ靑さつめたさ
このにがさ靑さつめたさ)
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である。これらの「手入れ」に出る「あてごと」は恐らく「當て事」で、「頼り・頼みにしていること・当てにしていること」の意と思われる。]

