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2018/11/05

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」ヴァーチャル正規表現版始動 / 序

 ブログ・カテゴリ「宮澤賢治」を創始し、宮澤賢治の詩を集めた「心象スケツチ 春と修羅」ヴァーチャル正規表現版を始動する。賢治はこれが「詩集」と呼ばれることを好まなかったので、本書を呼ぶにはこの呼称に拘ることとする。

 使用底本は所持する昭和五八(一九八三)年刊の日本近代文学館刊行・名著復刻全集編集委員会編・ほるぷ発売の「名著復刻 詩歌文学館 紫陽花セット」内の、関根書店大正一三(一九二四)年四月二十日発行の初版本を用いた。

 天才的詩人宮澤賢治(明治二九(一八九六)年八月二十七日~昭和八(一九三三)年九月二十一日:結核と急性肺炎のために満三十七歳で亡くなった)は、ファンの裾野が広く、ネット上でもかなり多くの個人サイトが、個人サイトとは思われないマニアックな精緻さで電子化がなされてある。しかし、ちょっと調べて戴ければ、じきに分かる通り、実は賢治の作品を正字(私は旧字を正字とは思ってはいないが、かといって旧字という言い方も気に食わないのでかく使用している)で電子化したデータはまずみかけることがない。これは恐らく、近代文学至上、これ以上、優れた全集は望めないものの一つ(私はそれに個人的には所持する学研の「国木田独歩全集」を加えたい)と思う、筑摩書房版の原「校本 宮澤賢治全集」(昭和四八(一九七三)年~昭和五二(一九七七)年刊。私は妻の所有物として所持している)でさえも、新字採用であることが非常に大きな理由であると思う。則ち、彼は日本を代表する戦前の詩人の確かな一人でありながら、圧倒的に、新字に変換されてしまった詩篇しか現在の我々は見ることが出来なくなっているのである。但し、一つ慰みはある。国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの画でなら、同初版(但し、外装は初版のそれではない)を視認することは出来る

 なお、加工用データとしては、私が電子データとして最も信頼し、ネットを始めたその日からずっとお世話になってきた、最も優れた個人の宮澤賢治サイトである、渡辺宏氏の「森羅情報サービス」内の「宮沢賢治作品館」にある、「心象スケッチ 春と修羅」(これは、宮澤賢治生誕百『年を記念して、国立国会図書館から発見された、「春と修羅」初版本』の『復刻出版され』ものを電子化したものとある。上記のリンク先のものであろうか。但し、漢字は新字で拗音も拗音表記されてしまっている)を使用させて戴いた。なお、渡辺氏は現在、闘病中であられ、当該サイトの更新は本年六月三十日で止まってしまった。ここに、渡辺氏が再び元気に戻って来られ、再開されんことを切に祈る。

 また、本「心象スケツチ 春と修羅」は植字・校正が杜撰で、誤りが甚だ多いことでも悪名が高いが、基本、誤植部分は「正誤表」に載るものは、読者が、それを訂して読むことが出来るので補正を行い、注を附し、その他の「正誤表」に載らぬものは(有象無象、驚くべき多数、存在する)そのままで示し、注でそれを指示することとする。校合資料としては上記筑摩書房版全集を用いた。注はストイックに附すが、初期形・推敲原稿等は、推敲が甚だしく、驚くべき膨大な量になるので、私がどうしても示したいと思うなるべく少数に留めるつもりであるあるが、宮澤賢治の詩篇の生成過程や創作後の改変願望に基づく書き込み(本書には後に示すように三種四本(冊)の宮澤賢治自身及びその指示或いはその転写による「手入れ本」が存在し、その誘惑は危険度が高いと同時に激しい依存性を持った麻薬に等しい。どうなるか、分らぬ。また、私は小学四、五年生の頃に賢治の伝記を読んで石にも魂があるという考え方に心打たれてから、相応に彼の作品を読んできた。しかし、とある理由のあって、ある時期から私は彼を敬して遠避けてきた。それでも、校本全集の後に出た「新修宮澤賢治全集」は持っていた(結婚後に妻が校本全集を持っていたので、賢治を愛していた同僚の友人教師にそれは贈った)。従って、私はそれほど賢治をディグしてはいない。彼の時に難解な表現箇所に関しては、私の繊弱で貧困な智力の及ばぬものも多く出てくるものと考えている。そういう時こそは積極的に多くある宮澤賢治の個人サイトの知見を大いに参考にさせてもらおうと思っている。

 本電子化では、底本に合わせて明朝体を用いることとし(アルファベットは私の趣味でローマン体とした)、ルビは丸括弧で後に附した。画像として示したくなる箇所は、積極的にとり込んで示すこととし(例えば以下に示す「序」は画像でもとり込んで、本初版の組版を視認出来るように掲げた)、ヴァーチャルにも味わえるようにした。なお、初版であることを示すためと、一部の誤植の存在を事前に示すために、フライングして奥附(画像でも掲げた)及びその裏にある「正誤表」(画像のみ)を、この電子化の冒頭に特異的に挿入して示しておいた。字のポイントや字間はなるべく底本に類似するようには努めたが、必ずしも再現はしていない。【2018年11月5日始動 藪野直史】]

 

Hakohyousi

 

修羅

   心象スケツチ

 

    宮沢賢治

 

[やぶちゃん注:箱表紙。]

 

 

Hakose

 

 春と修羅   宮沢賢治

 

[やぶちゃん注:箱の背。「と」はご覧の通り、有意にポイントが小さい。箱の裏は何もない(表紙・背の貼紙の周囲と同じ薄暗い黄土色に淡い縦縞の用紙)ので省略した。]

 

Hontai

 

詩集 春と修羅  宮澤賢治作

 

20181213101623


[やぶちゃん注:本体の表紙・背・裏表紙の全景。背を電子化した。「詩集」は右からの横書。なお、本体の天(あたま)部分は藍色に染められているが、装本の関係上、取り込みが難しいので諦めた【2018年12月13日追記:携帯で撮影したものを上に掲げた。】。ただ、後に示す「序」本文を拡大すると、上部にその色の染み出しを確認出来るので、見られたい
周囲の白い部分は私がとり込む際に上敷きとした紙の色で、本体とは無縁である。本底本の解説書の中村稔氏の「作品解説」及びウィキの「春と修羅」によれば、この背文字を書いたのは歌人で国文学者の尾山篤二郎(とくじろう 明治二二(一八八九)年~昭和三八(一九六三)で、『これは賢治の親戚である関徳弥の歌の師であるという縁からだった』(ウィキ)とある。冒頭注で述べたように、賢治はこの作品を「詩集」と呼ばれることを嫌ったにも拘らず、ここに「詩集」とあるのは、『これは題字を頼んだ歌人尾山篤二郎が書い』てしまった『ものを、尾山に遠慮してそのまま印刷したもので、堀尾青史』(せいし)の「年譜 宮澤賢治伝」(一九九一年中央公論社刊)に『よると、賢治はこの本ができあがると、自分で』この背にある「詩集」の『文字をブロンズの粉をぬって消した、という。自分で書いているものを』、『詩ではない、心象スケッチ、つまりは、心にあらわれるさまざまの事象をスケッチしたものにすぎない、と宮沢賢治が考えていたことは、友人たちへの書簡などから窺われるが、一面ではこれは賢治の謙遜にちがいない。同時にその反面、じぶんが書いているものはそれまで詩として知られていた文学の表現形式にあてはまらないものと彼が考えていたこと、いいかえれば、彼の作品に対する自負心のあらわれと、みられないわけでもない』(中村稔氏)とある。また、この『天・地・小口を含む寒冷紗風』(寒冷紗(かんれいしゃ)は荒く平織に織り込んだ布で、織り糸には主に麻や綿などが用いられ、実際、製本では本の表紙や背を補強するために用いられることが多い)『荒目麻布』の『墨・藍の二色木版刷』の『薊か蒲公英』(たんぽぽ)『の図柄』(上記解説書の編集部の「復刻製作の概要」の本書の解説より引用)を描いた装幀は染色工芸家として知られた広川松五郎(明治二二(一八八九)年~昭和二七(一九五二)年:新潟県出身。大正一四(一九〇三)年の「パリ万国装飾美術工芸博覧会」で銀賞。翌年には工芸団体『无型(むけい)』を創立して同人となった。昭和四(一九二九)年の帝展で特選、後に審査員を勤め、昭和十年には母校である東京美術学校(現在の東京芸術大学)の教授に就任した。昭和二五(一九五〇)年には染色研究団体『示風会』を創立している。友禅染・蠟染めを得意とした)である。]

 

 

 

Okuduke

 

大正十三年三月廿五日印刷

              定價 貮圓四拾錢

大正十三年四月二十日發行

 

 春     著 者     宮 澤 賢 治

 と   著  東京市京橋區南鞘町十七番地

 羅 印  書 發行者     關 根 喜太郎

 修   檢  岩手縣花卷川口町百九番地

 奥   印 印刷者     吉 田 忠太郎

 付

    東京京橋區南鞘町十七番地

發行所              關

    
振替口座東京 五五七九番

[やぶちゃん注:奥附。電子化では検印の周囲を囲むギザギザの円形や飾り罫は省略した。は「宮沢」である。]

 

Seigohyou

 

[やぶちゃん注:奥附(左ページ)の裏に印刷されてある(則ち、本体と一体)正誤表。使用活字や傍点など、電子化すると、ごちゃごちゃするだけなので画像のみで示した。全部で二十箇所が掲げられているが、実際には誤植はもっと激しくあり(各篇冒頭で逐一指摘する)、しかも、この「正誤表」自体に複数の誤りがある(これは出版物として致命的である)。それはまず、(1)上段の七項目目で、頁が「四七」とあるが、これは「七四」の誤記(原稿により、賢治の誤記載であることが判る)である。次に、(2)下段の五項目目「一八四」で、行が「一一」と活字されているが、これは「二」の誤植である(挿入補正した二番目の「だ」の傍点「ヽ」も落ちている)。次の、(3)「二三七」の英文であるが、修正されべき「正」の綴りが「suqer」とあるべきところなのに、「suger」と誤植(原稿は正しく「super」)となってしまっている――★序でに言っておくと、校本全集版の『〔初版正誤表〕』の「異同」のこの部分の編者注は誤植を指摘しながら、そこで誤った綴りを『super』と〈誤っている〉ことを発見してしまった!――恐るべし! 賢治はその死後四十年後に刊行された(賢治は昭和八(一九三三)年九月二十一日に亡くなり、校本全集の校合参照している第二巻は昭和四八(一九七三)年七月刊である)栄えある豪華な全集にあってさえも〈誤植の修羅〉に生きていたのであった!★――さて、この内、(1)(2)は本書を買った読者が注意深く読めば、誤植を見出せる。従って、特異的に以下ではこれらを補正して本文を示し、冒頭注でそれを示す。修正されべき「誤」の綴りが「suqer」とあるべきところなのに、「suger」と誤植(原稿は正しく「suqer」)となってしまっている。この内、(1)(2)は本書を買った読者が注意深く読めば、誤植を見出せる。従って、特異的に以下ではこれらを補正して本文を示し、冒頭注でそれを示す。(3)に就いても、読者は戸惑うものの、「正誤表がまた間違ってら!」と微苦笑を浮かべつつも、正しい「superficial」という語への訂正と気づけるから、これも本文を訂し、注でそれを示す。それ以外は、原則、濁点・半濁点・ルビの誤りに至るまで、「正誤表」に載らないものは、総て、これを再現する。これは決して意地の悪い仕儀なのではない。本書の用語特性を考えた時、当時の読者が戸惑った最終文字正規表記形を示すことが私のこの電子化の基本的な構想である以上、そう操作することが正しいと考えるからである。それでこそ漢字を正字にしただけのものではない、初版本「心象スケツチ 春と修羅」の正規表現版と言えるからである。それを馬鹿らしいと一蹴する方は、ここを去られ、元のそれとは似ても似つかぬネットの随所に氾濫している新字体・促音・拗音表記のそれで満足されるが、よかろう。 以下、改めて本文の扉から入る。]

 

 

Tbira

 

――――――――――――――――――――――

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―――心象スツケチ―――――――――――――

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――――――――――――――――――――――

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――――春 と 修 羅―――――――――――

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――――――――――大正十一、二年―――――

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――――――――――――――――――――――

[やぶちゃん注:パラフィン紙を挟んで、見開き左ページ。十三本の縦罫が引かれ、その罫の中に文字が打たれてある。電子化ではポイントは同じにした。早くも甚だ情けない、正誤表に現れない誤植が現われる。「心象スツケチ」はママ。無論、「心象スケツチ」である。賢治が可哀想!

 

 

 

Jyo1

Jyo2

Jyo3

Jyo4tobira

 

  

 

わたくしといふ現象は

假定された有機交流電燈の

ひとつの靑い照明です

(あらゆる透明な幽靈の複合体)

風景やみんなといつしよに

せはしくせはしく明滅しながら

いかにもたしかにともりつづける

因果交流電燈の

ひとつの靑い照明です

(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)

 

これらは二十二箇月の

過去とかんずる方角から

紙と鑛質インクをつらね

(すべてわたくと明滅し[やぶちゃん注:「わたく」はママ。「わたくし」の誤植(「し」の脱字)。]

 みんなが同時に感ずるもの)

ここまでたもちつゞけられた

かげとひかりのひとくさりづつ

そのとほりの心象スケツチです

 

これらについて人や銀河や修羅や海膽は

宇宙塵をたべ、または空氣や𪉩水を呼吸しながら

それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが

それらも畢竟こゝろのひとつの風物です

たゞたしかに記錄されたこれらのけしきは

記錄されたそのとほりのこのけしきで

それが虛無ならば虛無自身がこのとほりで

ある程度まではみんなに共通いたします

(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに

 みんなのおのおののなかのすべてですから)

 

けれどもこれら新世代沖積世の

巨大に明るい時間の集積のなかで

正しくうつされた筈のこれらのことばが

わづかその一點にも均しい明暗のうちに

  (あるひは修羅の十億年)

すでにはやくもその組立や質を變じ

しかもわたくしも印刷者も

それを變らないとして感ずることは

傾向としてはあり得ます

けだしわれわれがわれわれの感官や

風景や人物をかんずるやうに

そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに

記錄や歷史、あるひは地史といふものも

それのいろいろの論料(データ)といつしよに

(因果の時空的制約のもとに)

われわれがかんじてゐるのに過ぎません

おそらくこれから二千年もたつたころは

それ相當のちがつた地質學が流用され

相當した證據もまた次次過去から現出し

みんなは二千年ぐらゐ前には

靑ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ

新進の大學士たちは氣圈のいちばんの上層

きらびやかな氷窒素のあたりから

すてきな化石を發堀したり

あるひは白堊紀砂岩の層面に

透明な人類の巨大な足跡を

發見するかもしれません

 

すべてこれらの命題は

心象や時間それ自身の性質として

第四次延長のなかで主張されます

 

   大正十三年一月廿日 宮 澤 賢 治

 

[やぶちゃん注:本「序」は現存稿はない。無論、これ以前の発表誌等も存在しない。なお、「心象スケッチ 春と修羅」には賢治自身による「手入れ本」が三種四本(宮澤家所蔵本・菊池曉輝氏所蔵本・藤原嘉藤治所蔵本(二冊であるが、異同がある。但し、この内の一冊は現在は行方不明である))が、存在する。「複合体」及び第三連三行目「本体論」の「体」はママ。

 

「假定された有機交流電燈」「有機」体で出来た「交流電燈」は存在しないから、それは当然、「假定され」ねばならないが、これは既に「假定された」賢治独自の心象世界、幻想世界(私はそれを必ずしもファンタジックだとは思わない。寧ろ、そうした煌びやかな装飾物を纏いながら、その袷せを開くとあらゆる存在を呑み込んでしまうブラック・ホールが開孔しているようなものと捉えている)への案内の呪文であり、これを読んだ直後から、我々はそこへ否応なしに踏み込んでいる。従って、本書の詩篇を辞書的な注で補強しても、その辺縁的な見かけ上の姿を捕捉し得たかのように見えても、その幻想実体は実は、ワームのように、するりと人体を貫通して彼方へと去ってしまう。しかし、以下の詩篇に登場する科学用語の中には、秘かに生物学的文系であると自負している私にも、一般的な科学用語としての注なしには読解不能な箇所がある。そこはなるべく禁欲的を心がけながら注したとは思う。閑話休題。「有機交流電燈」は「靑い照明で」あり、「あらゆる透明な幽靈の複合体」であり、それは「風景やみんなといつしよに」「せはしくせはしく明滅しながら」「いかにもたしかにともりつづける」ものであり、別に言い換えると、それは「因果交流電燈の」「ひとつの靑い照明」なのだと謂う。「有機」体とはヒトに代表される(と私は思っていないが)〈生きとし生けるもの、総ての衆生〉と同義であろう(「因果交流電燈」の「因果」はその確信犯的使用である。同義であってもそれは双方向性のものであって、総てを仏教的宗教的世界に逐一、還元出来るなどと考えると墓穴を掘ると私は思う。そうした日蓮宗教義一辺倒でマニアックに誤解析したり、賢治教の教務部が書いたみたような如何にも気持ちの悪いサイトはネット上に有象無象ある)。私は若き日にこの部分を読んだ際、「有機」は「幽鬼」(「鬼」は単に「死者」の意である。「幽鬼」はモンスターではなく、過去現在未来に於ける死者或いはその霊魂の存在の謂いである。その証拠に「あらゆる透明な幽靈の複合体」と賢治は言い換えている)であり、だから「靑」白「い照明」なのだと思い、さらに「交流電燈」は「交流」が物理上の「電流や電圧が時間とともに大きさ及び向きが一定の周期ごとに変化すること」から、それを不可逆的と考えていた時間の「流」れに対して適応し、可逆的に、戻ったり、今よりも圧を増して遙かに進んだりすることと採った。それは本心象スケッチの中で、賢治が中生代の太古を夢想したり、既に亡くなった者たちとの「交流」を望んだりすることと激しく共鳴共振するからである。そうした時間軸を自在に往復出来るとき、「風景やみんな」は「いつしよに」になって「せはしくせはしく明滅しながら」「いかにもたしかにともりつづけ」ているように見える様態が存在するはずだと私は思うのである。さすれば、そのような遥かな時空間の旅の中では何が起こるであろう? この「交流電燈」は、そうした〈時の旅人〉の〈魂〉に、「電」気のようにビリッとくるような「交」感をも意味する根源的生命の「燈」(ともしび)なのだとも言えよう。それが専ら〈魂〉の世界の問題であり、現実界は見かけのものに過ぎないことは、次の「ひかりはたもち、その電燈は失はれ」の言い添えによって明らかだ。これは逆転した謂いなのである。即ち、見かけ上の儚い現実世界では一見、「その電燈は失はれ」たかのように見えても、時空間をドライヴし続ける、全生命の精神体は「ひかりはたもち」続けていると賢治は言うのだと私は採っている(誰か彼かは直ちに神智学の「アストラル体(Astral body)などという妖しげな語を想起されるかも知れぬが、そんな連関を暗示させるつもりは私には残念ながら、全くないことを言い添えておく。但し、アストラル(Astral)という語が「星の」「星のような」「星からの」「星の世界の」などを意味する英語であり、訳語で「星幽(せいゆう)」と表記されたりする事実は、もし賢治が知ったら、我が意を得たりと膝を打つであろうことは想像に難くない)。

「二十二箇月」本「序」の最後のクレジットは大正一三(一九二四)年一月二十日であるが、本作に納められた詩篇(ほぼ完全に昇順の編年配置)の内、最も早い時期の創作は詩篇冒頭の「屈折率」「くらかけの雪」で、それは二年前の大正一一(一九二二)年一月六日である(この創作年月日のクレジットは、本底本の「奥附」の前、本文の最後に配されてある「目次」の各詩篇の標題とページ数の間のリーダの中央に、丸括弧で年・月・日(間は読点)の順に漢数字のみで記されてある)。その期間は約「二十二箇月」となるのである。但し、この二年間、継続的に詩作が行われていたわけではない。何故なら、大正一一(一九二二)年十一月二十七日に結核で妹トシが急逝し、激しいショックを受けた賢治は同日「永訣の朝」「松の針」「無聲慟哭」を書いた後、『それから半年間、賢治は詩作をしなかった』とされ(ウィキの「賢治に拠る)、事実本書の中の当該三篇の次の詩篇の創作クレジットは、大正一二(一九二三)年六月三日の「風林」である。因みに、賢治は大正一〇(一九二一)年十二月三日に稗貫郡立農学校教諭となっているから、この「序」の執筆は教諭着任からは二年一ヶ月余り後である。

「かげとひかりのひとくさりづつ」「手入れ本」の一種では「かげとひかり」を消し、

 明暗交替のひとくさりづつ

としてある。

「海膽」「うに」。海胆。言わずもがな、棘皮動物門 Echinodermata ウニ綱 Echinoidea のあのウニである。

𪉩水」の「𪉩」は「鹽」(塩)の異体字。私は当初より「えんすい」と音読みすることを常としており、科学的な賢治の用語法からもそれでよいと考えている。

「ある程度まではみんなに共通いたします」「手入れ本」の一種には、「は」を削除し、

 ある程度までみんなと共通でもありませう

とある。

「新世代沖積世」「沖積世」(Alluvium)は、現在、「完新世」(Holocene)と呼ばれる、地質時代区分の中で第四紀の第二世に当たる最も新しい時代、最終氷期が終わる約一万年前から近未来も含む現在までとほぼ同義。参照したウィキの「完新世の注釈によれば、『沖積世の名は、地質学に時期区分が導入された』十七『世紀のヨーロッパで』、『この時代の地層が』、『ノアの洪水以降に生成された』、『と信じられたことによる。現在では神話に結びつけることは望ましくないことと、より厳密な定義が必要とされたことにより、この区分名は使われなくなった』とある。

「修羅の十億年」「修羅」を地球と置き換える解釈が一般的であるようだ。地球誕生は現在四十五億四千万年前(±五千万年)頃とされるが、約十億年前には原大陸ロディニア大陸(Rodinia:プレートテクトニクス理論で約十一億年前から七億五千万年前にかけて存在したと考えられている、世界のほぼ全ての陸塊が集まってできた超大陸)が形成され、多細胞生物が出現(十億~六億年前)したと考えられているから、生命の誕生とともに生き残るための闘争、「修羅」が始まったとするのは自然ではある。しかし、この「十億年」とは単に読者に測り知れぬ天文学的数値を示したものに過ぎぬとすれば、「修羅」とは或いはビック・バンの爆発による膨張に始まり、宇宙の生成から地球の誕生そして、収縮による宇宙そのものの消失を指すとするなら、それでよかろうとも思う私がいる。因みに、さらに言っておくと、以下、本書を通読すれば判る通り、「心象スケツチ 春と修羅」の「修羅」とは、誰にも理解されることがない宮澤賢治の心内の「修羅」であることが判る。因みに、私は彼の晩年の私塾「羅須地人協会」の「羅須」も「天地人」の六道の三善道の最上である「天」上道を「人間」道を越えて三善道の最下層「修羅」道に言い換えて、賢治得意のアナグラムで「羅修」に反転、さらに転訛したものと考えている(但し、その語源説は幾つかあるようだ。個人サイト「宮澤賢治の捜査」の「羅須地人協会の捜査」を見られたい)。

 

「おそらくこれから二千年もたつたころは」本書は大正一三(一九二四)年四月二十日発行であるから、西暦三九二四年となる。人類がいれば、の話である。私は地球のために、いないことを望む人間である。

「白堊紀」(はくあき:Cretaceous period)。約一億四千五百万年前から六千六百万年前の地質時代。ジュラ紀に続く時代で、中生代の終わりの時期に当たる(次代は新生代古第三紀の暁新世)。「白堊」の「堊(本来の音は「アク」で「ア」は慣用)」の字は「粘土質の土」、「石灰岩」を意味し、石灰岩の地層から設定された地質年代であるため、「白堊紀」の名がついた(「白亜」の「亜」は「堊」の同音の漢字による書き換え。以上はウィキの「白亜紀」に拠る)。

「透明な人類の巨大な足跡を」/「發見するかもしれません」これは既にしてシュールレアリスムである。

「けだしわれわれがわれわれの感官や」「手入れ本」の一種では、

 けだしわれわれがわれわれの感官をかんじ

とする。

「そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに」「手入れ本」の一種では、

 そしてたゞ共通に信ずるだけであるやうに

とする。

「(因果の時空的制約のもとに)」底本は「(因果の時空的制約のものとに)」となっている。「正誤表」にある通り、誤植であるので、特異的に訂した。

「われわれがかんじてゐるのに過ぎません」「手入れ本」の一種では、

 われわれが信じてゐるのに過ぎません

とする。

「氷窒素」「ひようちつそ(ひょうちっそ)」と読んでおく。氷った窒素。科学的には窒素は六十ケルビン(マイナス二百十三・一五度)で固体となる。

「あるひは白堊紀砂岩の層面に」「手入れ本」の一種では、

 あるひは白堊紀砂岩の層面から

とする。

「發堀」はママ。「掘」を「堀」と表記する詩人や作家は萩原朔太郎を始めとして意想外に多い。筑摩書房版全集も校訂本文を「発堀」のママとしている

「心象や時間それ自身の性質として」筑摩版全集本文脚注によれば、「手入れ本」の別な一種では、一旦、『「時間」を判読不能の別な語に書き直そうとして中止している』跡があるとある。

「第四次延長」所謂、SF的四次元世界の意か。畑山博「教師 宮沢賢治のしごと」(初版一九八八年小学館刊。本書は非常に興味深いもので、読んでいて楽しい。但し、後半部は畑山氏の現代教育批判となっており、賢治の研究書として読むと、ちょっと「あれ?」っと感じさせる部分がある)で、賢治の花巻農学校の教え子根古吉盛氏の証言に、賢治は『生徒に、一次元から四次元までの話をしてくれ』、その中で『四次元は、もう人は空を飛ぶし、地下も走る、というようなことを話』したとある。

「第四次延長のなかで主張されます」「手入れ本」の一種では、この最終行に、さらに二行を追加して、

 第四次延長のなかで主張されます

 以下のスケッチの各項は

 四次構造にしたがひます

とする「スケッチ」の促音は参照した筑摩書房版全集の校異のママ。]

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