宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 日輪と太市
日輪と太市
日は今日は小さな天の銀盤で
雪がその面(めん)を
どんどん侵しかけてゐる
吹雪(フキ)も光りだしたので
太市は毛布(けつと)の赤いズボンをはいた
[やぶちゃん注:現存稿はなく、これ以前の発表誌等も存在しない。大正一一(一九二二)年一月九日の創作とする。但し、筑摩書房版全集校訂本文及び現行の「春と修羅」に於いては、この詩篇は、二行目の頭の「雪」は「雲」である。以下にそのようにしたものを示す。
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日輪と太市
日は今日は小さな天の銀盤で
雲がその面(めん)を
どんどん侵しかけてゐる
吹雪(フキ)も光りだしたので
太市は毛布(けつと)の赤いズボンをはいた
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これはそうされて見ると、「雪」よりも腑には落ちる。寒天の天空の今にも変ずるさまが、映像的に遙かにワイドに迫るからである。但し、「手入れ本」の菊池曉輝氏所蔵本で「雲」と訂されてあるのみで、他の三冊の「手入れ本」ではそのままである。何故、なのかは判らぬ。ここからは、宮澤賢治の初期形ではこれはやはり「雪」であった可能性を否定は出来ない(但し、次注も参照されたい)。
「太市」は「たいち」で少年の名であろう。後の大正一三(一九二四)年十二月一日に刊行される宮澤賢治の唯一の刊行童話集「注文の多い料理店」(副題「イーハトヴ童話」)に所収された「水仙月の四日」に(渡辺宏氏の「森羅情報サービス」内の「宮沢賢治作品館」にある同作を、筑摩版全集第十一巻で校合し、漢字を恣意的に正字化した。読みは一部を除いて省略した。太字は全集では傍点「・」。「カリメラ」はプリン等の上にかける、あの「キャラメル」のこと)、
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雪婆(ゆきば)んごは、遠くへ出かけて居りました。
猫のやうな耳をもち、ぼやぼやした灰いろの髪をした雪婆んごは、西の山脈の、ちぢれたぎらぎらの雲を越えて、遠くへでかけてゐたのです。
ひとりの子供が、赤い毛布(けつと)にくるまつて、しきりにカリメラのことを考へながら、大きな象の頭のかたちをした、雪丘(ゆきをか)の裾を、せかせかうちの方へ急いで居りました。
(そら、新聞紙(しんぶんがみ)を尖つたかたちに卷いて、ふうふうと吹くと、炭(すみ)からまるで靑火が燃える。ぼくはカリメラ鍋に赤砂糖(あかさとう)を一つまみ入れて、それからザラメを一つまみ入れる。水をたして、あとはくつくつくつと煮るんだ。)ほんたうにもう一生けん命、こどもはカリメラのことを考へながらうちの方へ急いでゐました。
お日さまは、空のずうつと遠くのすきとほつたつめたいとこで、まばゆい白い火を、どしどしお焚たきなさいます。
その光はまつすぐに四方に發射し、下の方に落ちて來ては、ひつそりした臺地の雪を、いちめんまばゆい雪花石膏(せつくわせきかう)の板(いた)にしました。
二疋の雪狼(ゆきおいの)が、べろべろまつ赤な舌を吐きながら、象の頭のかたちをした、雪丘の上の方をあるいてゐました。こいつらは人の眼には見えないのですが、一ぺん風に狂ひ出すと、臺地のはずれの雪の上から、すぐぼやぼやの雪雲をふんで、空をかけまはりもするのです。
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とあり、このシークエンスとの映像的親和性が本篇はすこぶる高いと私には思われるから、この太市もやはり少年としてよかろうと思う。しかし、それは、この「水仙月の四日」の中では人間の少年ではない。「猫のやうな耳をもち、ぼやぼやした灰いろの髪をした」「雪婆(ゆきば)んご」という、賢治によって創出・造型された異界世界の妖怪的異人の親族である妖怪的少年「雪童子(ゆきわらす)」(この後の本文に出る)であり、上記の「二疋の雪狼(ゆきおいの)」というのは、人間の眼には見えない、その「雪童子」が使役する眷属という設定である。さすれば、私などはそこからフィード・バックして、この少年も人間の少年であるよりも、既にして「序」の謂う「因果交流電燈の」「靑い照明」に照らし出された、賢治的異界の異人としての少年であると私は読みたくなる。そうすることで、この詩篇は全く異なった、強烈な色彩を帯びた、雪を呼ばう虚空の天界のアクロバティクなショーの様相を見せるからである。而して、この「水仙月の四日」を読んでしまうと、やはり本篇の二行目の冒頭は「雪」ではなく、「雲」でありたい、と思わずにはいられなくなるのである。
「吹雪(フキ)」小学館「日本国語大辞典」の見出し「ふき【吹】」の項では、三番目に『吹雪(ふぶき)。暴風雪』とし、なんと、次にこの宮澤賢治の詩篇の二行目を使用例として示す。最後の『方言』の部分で、吹雪の意の採集地として岩手県及び同県盛岡市の他、青森県・宮城県及び同県仙台・山形県及び同県庄内地方・秋田県・福島県・新潟県・鳥取県を挙げる。
「太市は毛布(けつと)の赤いズボンをはいた」「手入れ本」の一つでは、
太市は毛布(けつと)の赤いズボンをはいる
とするが、これは前行の「ので」を受けると、動態が起こらないので、私はだめだと思う。また、別な一本では、この行を二行に分けた上で、「急いで」を挿入し、
太市は急いで
毛布(けつと)の赤いズボンをはいた
としている。しかしこれも、二行に分離することによってブレイクが入ってしまい、「急いで」のスピード感が相殺されてしまうからだめだし、では一行ではどうかというと、それはそれで一行の長さがここまでの四行に比して、有意にずるずると下がってしまい、それはそれで「急いで」のそれが相殺されてしまうからだめだと私は思う。]
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