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« 和漢三才圖會第四十三 林禽類 鵲(かささぎ) | トップページ | 宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 鈴谷平原 »

2018/12/04

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 樺太鐵道

 

            

 

やなぎらんやあかつめくさの群落

松脂岩薄片のけむりがただよひ

鈴谷山脈は光霧か雲かわからない

  (灼かれた馴鹿の黑い頭骨は

   線路のよこの赤砂利に

   ごく敬虔に置かれてゐる)

 そつと見てごらんなさい

 やなぎが靑くしげつてふるえてゐます

 きつとポラリスやなぎですよ

おお滿艦飾のこのえぞにふの花

月光いろのかんざしは

すなほなコロボツクルのです

  (ナモサダルマプフンダリカサスートラ)

Vant Hoff の雲の白髮の崇高さ

崖にならぶものは聖白樺(セントベチユラアルバ)

 

靑びかり野はらをよぎる細流

それはツンドラを截り

   (光るのは電しんばしらの碍子)

夕陽にすかし出されると

その綠金の草の葉に

ごく精巧ないちいちの葉脈

   (樺の微動のうつくしさ)

黑い木 も設けられて

やなぎらんの光の

 (こゝいらの樺の木は

  燒けた野原から生えたので

  みんな大乘風の考をもつてゐる)

にせものの大乘居士どもをみんな灼け

太陽もすこし靑ざめて

山脈の縮れた白い雲の上にかかり

列車の窓の稜のひととこが

プリズムになつて日光を反射し

草地に投げられたスペクトル

 (雲はさつきからゆつくり流れてゐる)

日さへまもなくかくされる

かくされる前には感應により

かくされた后は威神力により

まばゆい白金環(はくきんくわん)ができるのだ

  (ナモサダルマプフンダリカサスートラ)

たしかに日はいま羊毛の雲にはいらうとして

サガレンの八月のすきとほつた空氣を

やうやく葡萄の果汁(マスト)のやうに

またフレツプスのやうに甘くはつかうさせるのだ

そのためにえぞにふの花が一さう明るく見え

松毛虫に食はれて枯れたその大きな山に

桃いろな日光もそそぎ

すべて天上技師Nature氏の

ごく斬新な設計だ

山の襞(ひだ)のひとつのかげは

綠靑のゴーシユ四邊形

そのいみじい玲瓏(トランスリユーセント)のなかに

からすが飛ぶと見えるのは

一本のごくせいの高いとどまつの

風に削り殘された黑い梢だ

  (ナモサダルマプフンダリカサスートラ)

結晶片岩山地では

燃えあがる雲の銅粉

   (向ふが燃えればもえるほど

    ここらの樺ややなぎは暗くなる)

こんなすてきな瑪瑙の天蓋(キヤノピー)

その下ではぼろぼろの火雲が燃えて

一きれはもう練金の過程を了へ

いまにも結婚しさうにみえる

 (濁つてしづまる天の靑らむ一かけら)

いちめんいちめん海蒼のチモシイ

めぐるものは神經質の色丹松(ラーチ)

またえぞにふと桃花心木(マホガニー)の 

こんなに靑い白樺の間に

鉋をかけた立派なうちをたてたので

これはおれのうちだぞと

その赤い愉快な百姓が

井上と少しびつこに大きく壁に書いたのだ

 

[やぶちゃん注:前の「オホーツク挽歌」と同日の大正一二(一九二三)年八月四日の作とする。本詩篇は本書以前の発表誌等は存在しない。「手入れ本」は総て手入れはない。

・最初の行空け(「崖にならぶものは聖白樺(セントベチユラアルバ)」の次)には、本書用原稿では、三字下げで、

   *

   (O, My reverence, Sacred St. Betula Alba!

   *

とあり、行空けはない。最終校正で除去したものらしい。「おお、私の崇敬せる者(尊師)! 神々しき聖ベトゥラ・アルバ!」か。Betula Alba」は Betula alba で、賢治の偏愛するブナ目カバノキ科カバノキ属シラカンバ日本産変種シラカンバ Betula platyphylla var. japonica の近縁種であるカバノキ属ヨーロッパダケカンバ Betula pubescens のシノニム(synonym)である(ヨーロッパダケカンバは本邦には自然植生しない)。前行で賢治は「白樺」「ベチユラアルバ」と振ってしまっているが、現在もこの二種はしばしば混同されるので、賢治のそれは誤りではない。例えば、ウィキの「ヨーロッパダケカンバ」によれば、『多くの北米の教科書は』現在も『この』二『つの種を同種として扱っているが、ヨーロッパでは異なる種であるとされている』とあるからである。種小名の頭文字を大文字にするのは明治から大正期の生物学者のメモや文献にも普通に見られる。しかしここは寧ろ、この「Betula alba」という学名を聖人の女性名に擬えた結果と読むべきであろう。

・二番目に出る「(ナモサダルマプフンダリカサスートラ)」の頭の「ナモ」は底本では「ナマ」であるが、「正誤表」にあるので訂した。

 

「樺太鐵道」敷設その他の経緯はウィキの「日本統治時代の南樺太の鉄道」を参照されたいが、この当時は樺太庁鉄道所有の樺太東線(からふととうせん)として、樺太大泊郡大泊町の大泊港駅から小谷駅があり、そこから大正二(一九一三)年十二月に前の「オホーツク挽歌」のロケーションである栄浜海岸のある栄浜駅までが延伸開業(泊栄線と称した)していた(翌年にそこから栄浜海岸駅が出来ていたが(一・八キロメートル延伸)、これは貨物線の駅であった)。既に述べた通り、当時、栄浜駅が日本最北端の駅であった。ギトン氏のこちらによれば、作者は栄浜駅十六時三十五分発の『大泊行きの列車に乗ったと思われます。というのは、この詩の終り頃には、夕焼けとたそがれの風景になるからです』とある。

「やなぎらん」フトモモ(蒲桃)目アカバナ科ヤナギラン属ヤナギラン Epilobium angustifolium「オホーツク挽歌」の終りに既出既注。

「あかつめくさ」「赤詰草」はマメ目マメ科シャジクソウ属 Trifolium 亜属 Trifolium 節ムラサキツメクサ Trifolium pretense の異名。ウィキの「ムラサキツメクサ」によれば、『ヨーロッパ、西アジアおよび北西アフリカ原産であるが、世界中に移入されている』。『七変種が知られており、変種毎に分布も変わる。日本にはシロツメクサと共に牧草として明治以降移入されたようである』とある。汎存亜種は Trifolium pratense var. pratense。私の大好きな花である。ああ、もう長いこと、その繁りを見ていないなぁ……。

「松脂岩薄片のけむりがただよひ」「松脂岩」は「しやうしぐわん(しょうしがん)」と読み、「pitchstone」(ピッチストーン)、流紋岩質のガラス質の火山岩の名称である。ウィキの「松脂岩」によれば、樹脂状の光沢を示し、黒曜岩(obsidian)に少し似て見えるが、別物で(英文サイトのこちらで比較出来る)、火山性『ガラスであるが、通常のガラス断口が貝殻状に割れるのと異なり、鋸状断口となる』。『スコットランドのアラン島では、中石器時代、新石器時代から青銅器時代にかけて、この岩を使ったアイテムが数多く作られた』とある。「薄片」とあるが、実物を知らぬのでよく判らない。ギトン氏はこちらで、『松脂岩を薄片にして光に透かして見ると、黒い煙のような濃淡が見え』るので、『空に、松脂岩薄片のような煙(あるいは霧)が漂っているという意味だと思』われるとされている。

「鈴谷山脈」(すずやさんみゃく)は大泊の楠渓(なんけい)台地から栄浜に至り、海に沈降している山脈で奥鈴谷岳千四十八メートルが最高峰。地質的には古生層で、侵食が進んでいる。鈴谷平野側は緩やかに、富内(ふない)側は急峻な斜面となっている。南部は百メートル程の高原で、ここを「楠渓高原」と称した。参照した個人サイトらしき「ようこそ! 北の果て 白夜とツンドラの世界へ」のこちらで位置が判る。樺太東線はこの西側に敷設されているものと思われる。

「光霧」こういう熟語は知らない。空気中の粒子に光りが乱反射して濁って見えることを言うか。

「(灼かれた馴鹿の黑い頭骨は」/「線路のよこの赤砂利に」/「ごく敬虔に置かれてゐる)」「馴鹿」は「なれじか」(音で「じゅんろく」とも読むが私はその読みを好まない)で、哺乳綱獣亜綱鯨偶蹄目反芻亜目シカ科オジロジカ亜科トナカイ属トナカイ Rangifer tarandus若き日に本詩篇を読んだ際、この一行は強烈な映像として胸を打った。今も同じで、私はここで立ち止まってしまう。何故、この「灼かれた馴鹿の黑い頭骨は」「線路のよこの赤砂利に」「ごく敬虔に置かれてゐる」のか? 「敬虔に」は賢治の心象とばかりは言えない。そう感ずるほどにある種の〈信仰〉を感じさせる神々しさをもってしっかりと置かれていたのである。村瀬甲治氏の論文『「図書館幻想」論――宮澤賢治における書記/読書行為の空間構成――』(『日本近代文学』第七十一集(二〇〇四年十月刊)所収・PDF)の「四 「シュレーバー」/書き記す者の頭蓋」で(太字は底本では著者による傍点「ヽ」である。注記号は省略した)、

   《引用開始》

先の樺の木[やぶちゃん注:本篇中間部の「(こゝいらの樺の木は」/「燒けた野原から生えたので」/「みんな大乘風の考をもつてゐる)」/「にせものの大乘居士どもをみんな灼け」を指す。]と同じ「焼(しょう)」「灼(しゃく)」に付された「(馴鹿の黒い頭骨)」に捧げられた「(敬虔)」の念が、不可視にされた北方先住民族の生に捧げられているのは、栄浜の地が、賢治の樺太行の翌一九二四年、清野謙次の「樺太アイノに関する人類学的探求紀行」のフィールドとして選定されているからである。そこで清野が示す事例こそ「死後何かの迷信によって」「大後頭孔を切開いて大きくし」て「死者の脳髄をかき出して埋葬した「樺太アイノ」の頭蓋骨であった。この清野を参照し栄浜周辺を含む調査にあたる児兒玉作左衛門が「文献」として挙げるポーランドの「コペルツキー」が入手しその「人成爲的損傷」を調査したのも、あるいは「ルドルフ・ウヰルヒヤウ」がベルリン近郊ブランデンブルグでの出土品との比較を行なっていたものこそ、樺太や北海道アイヌの頭蓋骨であった。彼等が執り行っていたのは、「人爲的」に樺太アイヌの埋葬地を「損傷」し、その「頭蓋骨」を含む遺骨を「發掘」するという営為に他ならなったのである。「がらんとした町かど」から「がらんとした」海岸に漲る「かへつてがらんと暗くみえ」[やぶちゃん注:]以上の三箇所は「オホーツク挽歌」から。]る「光線の充満した樺太栄浜の「天蓋(キヤノピー)」[やぶちゃん注:これは本篇の後半に出る、それ。]の下しは、日本のみならず、ドイツ、ヨーロッパの研究者の解剖学的な眼差しに晒された先住民族の頭蓋骨内の空隙は蓋いようもなく露呈されていたのである。

   《引用終了》

とあるのが、一つの大きなヒントとなろうか。ここで村瀬氏の指摘される近代人類学の横暴がここで指弾されているかどうかは別としても、未開民族がごく近年まで親族の死に際してその遺体を食べる習慣があり、ニューギニア島のフォレ族がその脳をも食した事実はアメリカの医学者ダニエル・カールトン・ガイダシェック(Daniel Carleton Gajdusek 一九二三年~二〇〇八年:初めて報告されたプリオン(prion)病クールー病の研究によって一九七六年にノーベル生理学・医学賞を受賞している)の研究によってよく知られている(これがプリオン及びそれによって引き起こされる伝達性海綿状脳症やヒトのクロイツフェルト・ヤコプ病(Creutzfeldt-Jakob disease:日本神経学会では「ヤコブ」ではなく「ヤコプ」とを正式用語としている)の解明へと向かった)。現認当時の賢治がそうした民俗学的慣習や信仰の深層にまで知識として知っていてこのシーンを描いたとは思わないものの、この「馴鹿」の霊を鎮めるために安置されたかのような光景(しかしそれは或いはただ、本土人の狩猟の戦利品として飾られていただけだったのかも知れぬ)に、そうした原初のアニミスティクな「敬虔」を感じとっていたことは疑いがないように思われる。

「やなぎ」「ポラリスやなぎ」キントラノオ目ヤナギ科ヤナギ属Salix polaris。但し、これは匍匐型の矮生ヤナギで、我々が認識する柳類とは全く似ても似つかぬものである(北海度大学の植物データのこちらのページを参照)。しかも当該種は主にツンドラ地帯からの極地性の種で、カムチャツカ半島には植生するが、樺太では、ちと、無理がある。或いは、種小名「polaris」とは「北極星」のことであるから、沿線のヤナギ類を見て、かく洒落て言ったものと考えるべきであろう。

「えぞにふ」セリ科シシウド属エゾニュウ Angelica ursina。「ニュウ」はアイヌ語で「食用・薬用になる草本類」を指す。龍氏のブログ「花図鑑」の「蝦夷ニュウ(エゾニュウ)」に写真つきで、『北方領土を含む北海道から本州の中部地方にかけて分布し、海岸や山地の草地に生える。海外では、サハリンやカムチャツカ半島にも分布する』。『若い芽や茎が食用とされる』。草丈は一メートルから三メートルで、開花時期は六月から八月で、『茎先に大きな複数の散形花序(たくさん枝が出て、先に』一『個つずつ花がつく)を出し、白い小さな花をたくさんつける』。『属名の Angelica はラテン語の「angelus(天使)」からきている。この属の植物に強心剤として効果のあるものがあり、死者を蘇らせるというところから名づけられた』『種小名の ursina は「熊の」という意味』とある。調べると、ヒグマも好んで食べるとあった。私も登山でよく見た。

「月光いろのかんざしは」グーグル画像検索「Angelica ursinaを見られると判るが、エゾニュウは開花してほうけて、周縁にごく薄い黄緑色を帯びた小花が散開すると、それらがあたかも花魁のように沢山の簪を挿しているかのように「滿艦飾」に見えるのである。

「コロボツクル」コロポックルとも呼ぶ。アイヌの伝説に現れる矮小民族。アイヌ語で「ふきの葉の下の人」の意で、雨が降ると、一本の蕗(キク亜綱キク目キク科キク亜科フキ属フキ Petasites japonicus)の葉の下に何人かが集ることができるほど、小さかったという。伝説によれば、アイヌ以前に先住していた民族で、初めアイヌと平和に交際していたが、後、争いを起して北方に去った。北海道各地に残る竪穴は彼らの住居跡で、石器や土器を使用していたともされる。明治年間、人類学者坪井正五郎は、このコロボックルを日本全土の先住民と見做し、縄文文化の担い手であったとしてかなり論争を呼んだが、現在、この説は否定されている(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。私は「銀河鉄道の夜」を小さな頃に初めて読んだ時、このジョバンニやカンパネルラはコロボックルだと思ったことを思い出す。

「ナモサダルマプフンダリカサスートラ」「南無妙法蓮華経」のサンスクリット語のカタカナ音写。「オホーツク挽歌」に既出既注。

Vant Hoff の雲の白髮の崇高さ」「Vant Hoff」はオランダの化学者ヤコブス・ヘンリクス・ファント・ホッフ(Jacobus Henricus van 't Hoff 一八五二年~一九一一年)。平衡状態にある可逆反応の条件を変化させると、その変化を和らげる方向に平衡が移動するという、熱力学に於ける「ファントホッフの式」を発見したことで知られる(これによって一九〇一年に最初のノーベル化学賞を受賞している)。但し、ここはそれらの業績とは恐らく関係なく、グーグル画像検索「Jacobus Henricus van 't Hoffで彼の肖像写真を見れば判る通り、その老いた折りの(若い時からそうであったことが画像で判る)、豊かな白髪の前髪の印象的な立ち昇りを、実景の鈴谷山脈にかかる白雲に、かく換喩したものであろう。

「聖白樺(セントベチユラアルバ)」本注に初めに掲げたそれを参照されたい。賢治の好きな木。

「ツンドラ」サハリンは湿潤大陸性気候の冷温帯域で、冬に落葉する樹種によって代表される夏緑広葉樹林と草原によって形成されており、地下に永久凍土が広がる降水量の少ないツンドラ地帯(тундра/英語:tundra)ではない。賢治がそれを知らなかったはずはないから、ここは曲寒(ごっかん)幻想(厳冬期の一・二月以外の南樺太は想像するよりもはるかに温暖である)を読者の与えるための仕掛け(樺太をアナグラムして北斗の白鳥国にメタモルフォーゼさせる)と考えるべきであろう。

「綠金」既出既注。「ろくきん」と読んでおく。緑色を帯びた金色。

「木「もくさく」「ぼくさく」。前者で読んでおく。

(こゝいらの樺の木は」/「燒けた野原から生えたので」/「みんな大乘風の考をもつてゐる)」/「にせものの大乘居士どもをみんな灼け」ここはギトン氏のこちらでの解釈が私にはストンと落ちる。『列車の走って行く車窓には、火入れか山火事で焼かれた原野が続いています。細い樺の木がまばらに生えているのは、カンバ類』(カバノキ科 Betulaceae カバノキ亜科 Betuloideae とハシバミ亜科 Coryloideae を含むが、ここはカバノキ亜科カバノキ属 Betula ととってよかろう)『は日なたを好むので、山火事跡には真っ先に生えるパイオニア樹木だからです』。『ここで賢治が言っているのは、大乗仏教全般ではなくて、『法華経』の「如来壽量品」にあるような考えだと思います』。それは――『この世は、心がけ次第で地獄にもなれば、天界にも浄土にもなる。悪い心の人にとっては、苦しみに満ちた地獄そのものだし、心の良い人の眼には、美しい宝石で飾られた天の楼閣や花園が見えるのだ』――『ということで』、『この思想から、中国・日本の大乗仏教では、たとえば中国の天台智顗は“十界互具の説”を唱え、「地獄に仏界あり、仏界に地獄あり」「十界』(地獄・餓鬼・阿修羅・人間・天上・声聞(しょうもん)・縁覚・菩薩及び仏界)『のそれぞれに十界がそなわっている」』『としました。日本の“天台本覚思想”では、「凡夫のふるまいに真の仏のすがたが見られ」「穢土のただなかに真の浄土のありかが知られ」「只今のひとときに真の永遠のいぶきが感ぜられる」』『とされます』。『つまり、焼け跡から生え出た樹木のように、“地獄の業火”に焼かれてこそ、真の仏の世界を見ることができる。あるいは、業火に焼け爛れた世界こそ、浄土そのものとなりうるのだ──という考えだと思います』。私は直前の「やなぎらん」を「オホーツク挽歌」で「修羅の火」と読んだ。あたかもその業火の名残のように、或いは焼き尽くされたものたちの鬼火のように、「転轍」しているのである。さすれば「にせものの大乘居士ども」とは、そうした根源的仏教の自然な在り方としての悟達へ至る唯一の道、地獄や修羅の業火に一度焼かれてこその真の霊的再生が図り得るといことを知らず、怪しげな秘密主義的ギルド集団へと変質させたり、教団形成の維持拡張及びその経済的利益にばかり熱心となっている現実社会の有象無象の仏教の宗派集団を指すものと考えてよかろう。「居士」に拘って在家信者に限ったりするのは、いただけない。寧ろ、戒名のそれを僧や信徒に広げて嘲笑的に用いたととるべきである。

「列車の窓の稜のひととこが」「稜」は「かど」と読んでいよう。

「后は」「あとは」。陽は落ちるが、その来迎の光は光子となって確かに在り続け、これからの夜の時へと移っても、その賢治の覚悟の心に輝かしく感応し、また「威神力」によって「まばゆい白金環(はくきんくわん)」(仏菩薩に持つ光背のようなイメージであろう)を形成すること「ができるのだ」と宣言する。「威神力」は「いじんりき」と読み、「妙法蓮華経」の「観世音菩薩普門品第二十五」に「若有持是。觀世音菩薩名者。設入大火。火不能燒。由是菩薩。威神力故。」(若し、是の観世音菩薩の名を持つことあらん者は、設(たと)ひ、大火に入るとも、火も燒くこと、能(あた)はず。是の菩薩の威神力に由(よ)るが故に。)とある。「大谷大学」公式サイト内の兵藤一夫氏の「威神力」によれば、『ブッダや菩薩たちは、私たち凡人の認識や思議を超えた』、『ある種の力を具(そな)えているとされる。それが「威神力(いじんりき)」であり、「威力(いりき)」「神力(じんりき)」などとも言われる』。『仏教は、諸仏の教えによって覚りの知恵を獲得しブッダになること(成仏)を最終的な目標とするものである。一見すると、経典などに説かれる教えを読んだり、説法者から教えを聞いたりすることによって、自分だけでそれを深め覚りに至ることが求められているようであるが、そうではない。目に見えない諸仏の「威神力」がその人に関与している』。『「威神力」とは、サンスクリット語anubhāva(アヌバーヴァ)の訳語で、原義は「実現させるもの」「経験させるもの」である。諸仏が目に見えない形で私たちの仏道の歩みを手助けする力、覚りを実現(経験)させるために働きかけてくる力である。したがって、この力は基本的には仏道の歩みの中で実感されるものであり、単なる無病息災などの現世利益の願いに応えるものではない』。『「威神力」に似たことばに「加護(かご)(加持〈かじ〉)」がある。原義は「そばに立つもの」「支配するもの」であるから、「そばにいて支え、手助けしてくれるもの」という意である。視点は少し異なるが、「威神力」と同じ意味合いの語であり、並び用いられる場合もある』。『これら諸仏の「威神力」や「加護」は、仏教に真摯に向かう者たちの中に自然に現れて実感されるものであって、計らい求めて得られるものではない。これはただ仏教だけではなく、いずれの道を歩むにしろ共通することであろう』とある。

「サガレン」Saghalien。サハリン(樺太)の旧異名。満州語に由来する。「オホーツク挽歌」で既出既注。

「果汁(マスト)」ムスト(英語:must/ラテン語:vinum mustum:「若いワイン」の意)。新鮮な圧搾した葡萄ジュース。葡萄の果肉はもとより、皮・種・柄(小果梗(しょうかこう))を含んだものを指す。

「フレツプス」「オホーツク挽歌」で既出既注のツツジ目ツツジ科スノキ(酢の木)亜科スノキ属コケモモ亜種コケモモVaccinium vitis-idaea var. vitis-idaea のこと。ユーラシア産で、葉の長さは一~二・五センチメートル。そこで注したように、北海道ではアイヌ語の「フレップ」(赤い実)の名で知られる。英名はCowberry

「はつかう」「醱酵」。原稿は漢字。最終校正で変えたか。

「松毛虫」「虫」はママ。鱗翅(チョウ)目カレハガ(枯葉蛾)科カレハガ亜科 Dendrolimus 属マツカレハ Dendrolimus spectabilis の幼虫の名。ウィキの「マツカレハ」によれば(下線太字やぶちゃん)、『日本全国およびシベリア、樺太、朝鮮半島に分布する』。『成虫は翅の』開長が七~九センチメートルに『なる。全体に褐色で、前翅にはまだら模様があるが、個体によってかなり異なる。幼虫は背面が銀灰色で腹面は金色になり、背面に藍黒色の長い毛を密生する。胸部の毛には毒針毛がある。頭部付近に毒針毛の束を』二『束持っており、この束は刺激を受けると膨らむ。また、繭には幼虫の時にもっていた毒針毛が残る。終齢幼虫は約』六・五センチメートルで、『大型になる。成虫には毒針毛はない』。『幼虫は、アカマツ、クロマツ』などの総ての裸子植物門マツ綱マツ目マツ科マツ属 Pinus と、マツ科カラマツ属 Larix・マツ科ヒマラヤスギ属ヒマラヤスギ Cedrus deodara『などを食草とする。時には大量発生し』、甚大な食害被害を起こす『ことがある』。まさに、この詩篇が作られた翌大正一三(一九二四)年、『樺太の大泊湾一帯で大量発生』し、『一夜にして数百町歩の森林が食い荒らされたとの記録も残る』とあり、『冬季に松の幹に藁でできたこもを巻くこも巻きは、古くからこの種を駆除する方法として行われた』ともある。

「すべて天上技師Nature氏の」/「ごく斬新な設計だ」生態学的に、概ね、賢治が人為によって自然を改造した農業や、今の我々が「自然」だと思い違いをしている「里山」をさえも〈反自然〉の産物と捉えていた感じが、この謂いには私には感ぜられる。

「ゴーシユ四邊形」「英和辞典」に「ゴーシュ四辺形」として「gauche-quadrilateral」が載る。「gauche」はフランス語で「左(の)」の意で、そこから、「社交態度がぎこちない・不器用な・歪んだ・曲がった」の意となったもの。従って、ここは山の襞(ひだ)の作る影が、光りや地形或いは植生によって、歪んだ四角形・鞍型を成した(計測された宇宙全体の形象だ)立体四辺形のような形、形象空間に見えたことを言っている。

「玲瓏(トランスリユーセント)」translucent。「半透明の」の意。カタカナ音写は「トランルーゥセント」。

「一本のごくせいの高いとどまつの」「一本の極(ご)く背(せい)の高い椴松(とどまつ)」。裸子植物門マツ綱マツ目マツ科モミ属トドマツ Abies sachalinensis

「結晶片岩」「オホーツク挽歌」に「白い片岩類の小砂利」と出た「片岩」。変成岩の一種。広域変成作用を受けて鉱物が一定方向に並び、「片理」と呼ばれる薄く板状に割れ易い構造を示す。

「燃えあがる雲の銅粉」車窓から東を見ている。鈴谷山脈が、西から夕陽に照らされているのである。「銅粉」は先の山襞の「影」を緑青で示したことに応じて表象されたものか。

「やなぎ」ビワモドキ亜綱ヤナギ目ヤナギ科ヤナギ属ケショウヤナギ Salix arbutifolia であろう。樹高は二十五メートルもの高木になる個体もある。グーグル画像検索「ケショウヤナギ」をリンクしておく。

「瑪瑙」「めなう(めのう)」。石英の結晶の集合体(玉髄(ぎょくずい))で、色や透明度の違いにより、層状の縞模様を持つもの。色は乳白・灰・赤褐色など、変化に富む。宝石・装飾品とされる。

「天蓋(キヤノピー)」canopy。ここは語源のギリシャ語の「蚊帳附きのベッド」の意であろう。

「火雲」「かうん」と読んでおく。一般には夏の積乱雲を指す。それでいいが、ここは「火」を夕映えの色とも重ねていよう。

「一きれはもう練金の過程を了へ」/「いまにも結婚しさうにみえる」夕焼けの下方の雲が最後の輝きを示しつつ、夕闇のそれに溶け込もうとするさまを言っているが、非常に興味深いのは「練金の過程を了」(を)「へ」「いまにも結婚しさうにみえる」という錬金術(alchemy)の比喩である。錬金術では、卑金属を金に変える際の触媒となると考えた霊薬として「賢者の石」(ラテン語:lapis philosophorum:ラピス・フィロソフィウム)が知られるが、これはしばしば「硫黄」と「水銀」が「結婚する」ことで完成するとされ、錬金術の一部では男・女の生体を不完全なものと捉え、それらが合一したアンドロギュヌス(androgynos)がその窮極体のシンボルともされた。

「海蒼」音で「かいさう(かいそう)」と読んでおく(「うみあを」では如何にも締りが悪い)。暮鳥ではないが、「一面のチモシイ」「一面のチモシイ」の葉と穂の波状に広がる海のようなさまに、暗くなって青緑が暗く沈んだ色に映るのを掛けたものであろう。

「チモシイ」Timothy。アメリカ英語で Timothy-grass。単子葉植物綱イネ目イネ科アワガエリ(大粟還り)属オオアワガエリ Phleum pratense「オホーツク挽歌」で既出既注。

「めぐるものは神經質の色丹松(ラーチ)」そのチモシーの「海」原を繞って囲んでいるのが「神經質の色丹松(ラーチ)」。「色丹松(ラーチ)」は裸子植物門マツ綱マツ目マツ科カラマツ属ダフリアカラマツ変種グイマツ Larix gmelinii ver. Japonica で、別名を「シコタンマツ(色丹松)」「シベリアカラマツ」「ダウリアカラマツ」「ホクヨウカラマツ(北洋唐松)」などと称する。ウィキの「グイマツ」によれば、『和名に含まれる「グイ」はアイヌ語でグイマツをさす言葉であるクイ(kuy)に由来する。樺太アイヌなど樺太と沿海州の先住民に対する元明朝における呼び名「骨嵬」』(コツガイ)『が、これに関係するという説がある』。『種ダフリアカラマツは、ダウリアおよびダフリアはバイカル湖の東からアムール川流域の西部までの地域の古称に由来し、種小名はヨハン・ゲオルク・グメリンに由来。多様な姿を見せることから』、L. cajanderiL. dahuricaL. kamtschaticaL. komaroviiL. kurilensisL. lubarskiiL. ochotensis『といったシノニムを有する』。『ダフリアカラマツは世界一北に分布する樹種で、北緯』七十二『度』三十『分に及ぶ。西はタイムィル半島のピャシノ湖とバイカル湖を結んだ線、東はレナ川の下流域の大部分を含みアルダン川方面でその中流域から南の方向へオホーツク海のウダ湾、更にブレヤ山脈から南の方向へ向かい小興安嶺山脈の尾根沿いへ、ロシア国境のアムール川へ至る。分布域の南はザバイカル東部にあたる』。『最適条件では樹高』三十メートルで幹径は八十センチメートルにも『達する。極北ではがっしりとして背が低くなる。樹皮は赤みを帯びているか』、『または淡褐色で、分厚く、古株の幹の下部には亀裂が走る。針葉は明緑色で長さ』一・五~三センチメートルの『細長い線形』で、それが二十五から四十本で一束となっている。球果は一・五~三センチメートルの楕円形を成す。種子は八~九『月に熟し、乾燥した天気の時に松毬が開いて』四十度から五十の角度辺りで『種子が落ちる。厳しい気候に耐える樹木であり、森林限界付近では樹高は低くなり』、『ハイマツ』(マツ目マツ科マツ属 Strobus 亜属 Strobi 節ハイマツ(這松)Pinus pumila)『のような姿をとる。最適環境は平地の湿地帯で、永久凍土や山岳地帯の岩場に疎ら。気候の厳しい場所では競合種はなく、最適状況ではトウヒ』(唐檜:マツ科トウヒ属エゾマツ変種トウヒ Picea jezoensis var. hondoensis)・マツ(マツ属 Pinus)・カバノキ(ブナ目カバノキ科カバノキ属 Betula)『などとの混成林となる』とある。賢治が振っているルビ「ラーチ」(Larch)は基本的にはマツ科カラマツ属 Larixのことを指すが、グイマツの英名は基種の名を冠した Dahurian Larch であるから問題ない。賢治が彼らを「神經質の」と形容している理由は判らないが、ギトン氏は写真を添えられた上で、こちらで『グイマツは、地球上で最も寒冷条件に耐える樹種です。それだけに、北方のグイマツ林は、グイマツ自身にとってもけっして良い条件ではないわけで』、『ごらんのように、荒れたような感じで細々と生えています。「神経質」とは、自然林のグイマツのひょろひょろとした樹形を言っているのではないでしょうか』と評釈しておられる。

「桃花心木(マホガニー)」「マホガニー」は四字へのルビ。高級家具材・楽器材として知られるムクロジ目センダン科マホガニー属 Swietenia は北アメリカのフロリダや西インド諸島原産で、しかもそれで家の柵などあり得ようはずはない。賢治の遊びで、浮世離れしたファンタジクの世界にここからなっているように私は思う。

「これはおれのうちだぞと」/「その赤い愉快な百姓が/井上と少しびつこに大きく壁に書いたのだ」「井上」は壁書した表札代わりのそれ。まるで、コロボックルか森の小人めいた感じで彼が飛び出してきそうではないか。このエンディングには私は賢治の詩篇の中では特異的にほっとするものを感ずるのである。]

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