佐々木(鏡石)喜善・述/柳田國男・(編)著「遠野物語」(初版・正字正仮名版) 八四、八五 海べりの西洋人・アルビノ
八四 佐々木氏の祖父は七十ばかりにて三四年前に亡くなりし人なり。この人の靑年の頃と云へば、嘉永[やぶちゃん注:一八四八年から一八五五年まで。アメリカの東インド艦隊ペリー提督が四隻の黒船を率いて浦賀沖に到着したのは嘉永六(一八五三)年六月で、翌嘉永七年三月三日(一八五四年三月三十一日に「日米和親条約」が締結されている。]の頃なるべきか。海岸の地には西洋人あまた來住してありき。釜石にも山田[やぶちゃん注:現在の岩手県下閉伊郡山田町(やまだまち)。ここ(グーグル・マップ・データ)。]にも西洋館あり。船越[やぶちゃん注:「ふなこし」。]の半島[やぶちゃん注:ここ(国土地理院図)。]の突端にも西洋人の住みしことあり。耶蘇教は密々に行は、遠野鄕にても之を奉じて磔(ハリツケ)になりたる者あり。濱に行きたる人の話に、異人はよく抱き合ひては嘗(ナ)め合ふ者なりなど云ふことを、今でも話にする老人あり。海岸地方には合(アヒ)の子(コ)なかなか多かりしと云ふことなり。
八五 土淵村の柏崎にては兩親とも正しく[やぶちゃん注:「まさしく」。]日本人にして白子(シラコ)二人ある家あり。髮も肌も眼も西洋人の通りなり。今は二十六七位なるべし。家にて農業を營む。語音も土地の人とは同じからず、聲細くして鋭(スルド)し。
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