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2018/12/08

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 風の偏倚

 

        風 の 偏 倚

 

風が偏倚して過ぎたあとでは

クレオソートを塗つたばかりの電柱や

逞しくも起伏ずる暗黑山稜(あんこくさんりよう)や

  (虛空は古めかしい月汞(げつこう)にみち)

硏ぎ澄まされた天河石天盤の半月

すべてこんなに錯綜した雲やそらの景觀が

すきとほつて巨大な過去になる

五日の月はさらに小さく副生し

意識のやうに移つて行くちぎれた蛋白彩の雲

月の尖端をかすめて過ぎれば

そのまん中の厚いところは黑いのです

(風と嘆息(たんそく)との中(なか)にあらゆる世界の因子(いんし)がある)

きららかにきらびやかにみだれて飛ぶ斷雲と

星雲のやうにうごかない天盤附屬の氷片の雲

  (それはつめたい虹をあげ)

いま硅酸の雲の大部が行き過ぎやうとするために

みちはなんべんもくらくなり

   (月あかりがこんなにみちにふると

    まへにはよく硫黃のにほひがのぼつたのだが

    いまはその小さな硫黃の粒も

    風や酸素に溶かされてしまつた)

じつに空は底のしれない洗ひがけの虛空で

月は水銀を塗られたでこぼこの噴火口からできてゐる

   (山もはやしもけふはひじやうに峻儼だ)

どんどん雲は月のおもてを硏いで飛んでゆく

ひるまのはげしくすさまじい雨が

微塵からなにからすつかりとつてしまつたのだ

月の彎曲の内側から

白いあやしい氣體が噴かれ

そのために却つて一きれの雲がとかされて

  (杉の列はみんな黑眞珠の保護色)

そらそら、氏のやつたあの虹の交錯や顫ひと

苹果の未熟なハロウとが

あやしく天を覆ひだす

杉の列には山烏がいつぱいに潜(ひそ)み

ペガススのあたりに立つてゐた

いま雲は一せいに散兵をしき

極めて堅實にすすんで行く

おゝ私のうしろの松倉山には

用意された一萬の硅化流紋凝灰岩の彈塊があり

川尻斷層のときから息を殺してまつてゐて

私が腕時計を光らし過ぎれば落ちてくる

空氣の透明度は水よりも強く

松倉山から生えた木は

敬虔に天に祈つてゐる

辛うじて赤いすすきの穗がゆらぎ

  (どうしてどうして松倉山の木は

   ひどくひどく風にあらびてゐるのだ

  あのごとごといふのがみんなそれだ)

呼吸のやうに月光はまた明るくなり

雲の遷色とダムを越える水の音

わたしの帽子の靜寂と風の塊

いまくらくなり電車の單線ばかりまつすぐにのび

 レールとみちの粘土の可塑性

月はこの變厄のあひだ不思議な黃いろになつてゐる

 

[やぶちゃん注:同じく大正一二(一九二三)年九月十六日の作。本詩篇は本書以前の発表誌等は存在しない(「正誤表」所収は前の篇で終わっているので以降は示さない)。「手入れ本」は菊池曉輝氏所蔵本の変形が著しい(何故か、宮澤家版には手入れがない)ので、hamagaki氏のサイト「宮澤賢治の詩の世界」のこちらで最終形を参照されたい。

・「逞しくも起伏ずる暗黑山稜(あんこくさんりよう)や」「起伏ずる」はママ。原稿は「起伏する」で誤植

・「  あのごとごといふのがみんなそれだ)」二字下げはママ。原稿は前の二行と同じく三字下げ一から本文を開始している。しかし、「手入れ本」菊池本ではそれを訂していない模様

・「雲の遷色とダムを越える水の音」/「わたしの帽子の靜寂と風の塊」の二行は、原稿では一字下げとなっているが、「手入れ本」菊池本ではそれを訂していない模様。

 ギトン氏のこちらによれば、前篇「風景とオルゴール」の続きで、大沢温泉へ日帰りで行ったその帰り、『大沢温泉方面から松原停車場に向かう歩行中のスケッチ』とされ、『当時の花巻電気軌道の時刻表と歩行タイムの計算から』同日の午後六時から六時三十分頃と推定されておられる。ウィキの「花巻電鉄」を見ると、この当時、花巻電気軌道は、大正一二(一九二三)年五月四日に志戸平温泉と湯口(大沢温泉)が開業、松倉と志戸平温泉の間の電車運転も開始されていたが、この部分は全開通では、「松原」(最も花巻寄りの駅)―「松倉」(詩篇に登場する松倉山の南麓)―富士保前―志戸平温泉―大沢温泉の順であり、恐らくは本数が少なく、距離も二キロメートル(駅間走行距離)とそうないことから、賢治は徒歩で行ったものらしい。なお、現在、この同電鉄線は全廃されて存在しない。

 

「偏倚」一方へ片寄ること。当地の地形から山風や谷風によるものであることが判る。ギトン氏の附近の単独鳥瞰図をリンクさせておく。

「クレオソート」「風景とオルゴール」で既出既注。

「暗黑山稜(あんこくさんりよう)」既出既注の松倉山や五間森(ごけんもり)(山)を指すのであろう。

「月汞(げつこう)」賢治の造語。「汞」は水銀の異名。月光の形容。

「天河石天盤の半月」「天河石」珪酸塩鉱物の一種である微斜長石(microcline:マイクロクリン)の内、微量の鉛によって青緑色を呈したものを天河石(amazonite:アマゾナイト)と称する。北アメリカ・ブラジルから産出し、古代エジプトで宝石として利用されていた。緑青色の強いものは翡翠に類似し、空青色の強いものはトルコ石の色に類似している、とウィキの「微斜長石」にある。現物の色はリンク先を参照されたい。「天盤」は蒼穹・天空の比喩。「半月」とあるが、既に述べた通り、当日は月の出は早く、午前十一時六分からずっと出ていて、月の入りは午後九時三十三分であった。翌日が上弦の真半月であった。ギトン氏はこちらで、『松倉山を過ぎると』(後に「おゝ私のうしろの松倉山には」と出る)、『しだいに谷は広くなって、志戸平の先で平野に出るので、空が広くなります。「風の偏倚」の描写を読んでいても、次第に空が広くなってゆくようようすが感じられます』とされ、痒いところの手が届くように地図と当地の写真を別に添えておられる

「すべてこんなに錯綜した雲やそらの景觀が」/「すきとほつて巨大な過去になる」賢治得意の時空間の超古代への遡上心象である。

「五日の月はさらに小さく副生し」既に述べた通り、当日は旧暦八月六日であった。「副生」は、生物学の実験で、ホルモンの働きなどを調べるために行われる、ラットやマウスなどの同種の二匹の動物の身体の一部を縫合することを指す。これは前日の「五日の月」の三日月に陰影部が添えられて、ますます見かけが半月化しつつあることを示していよう。

「意識のやうに移つて行くちぎれた蛋白彩の雲」「蛋白彩」平凡社「世界大百科事典」におれば、『例えば』、『ダイヤモンドのように著しい光の分散のために現れる色の変化やオパール(貴タンパク石)のように内部構造に起因する色彩の変化が認められるが』、『このような現象を変彩と呼』び、また、『普通のタンパク石にみられるような乳濁色はタンパク光とも呼ばれている』とあるから、この「蛋白石」(opal:同鉱物は乳白色・褐色・黄色・緑色・青色などの多様な色を呈する)の「変彩」を接合した色形容であろう。「月の尖端をかすめて過ぎれば」/「そのまん中の厚いところは黑い」というのが、それで腑に落ちるように思われる。にしても、ここでそれを「意識のやうに」と直喩している部分が、読者に、賢治の意識の目くるめく内部意識の変転或いは混乱の様相を暗示させている表現でもあることに注意せねばなるまい。

「風と嘆息(たんそく)との中(なか)にあらゆる世界の因子(いんし)がある」賢治独特の世界観の表明として面白い。「風」は自然の、「嘆息」はその中の惨めな生き物、「修羅」に生きる人間の移ろい易い情念の齎す生と死の、モナド(単子)であろうか。

「斷雲」「だんうん」。千切れ雲。

「それはつめたい虹をあげ」「天盤附屬の氷片の雲」に月光が指して発生する心象の中の冷徹な光を発する虹であろう。

「いま硅酸の雲の大部が行き過ぎやうとするために」/「みちはなんべんもくらくなり」描写から見て、「大部」(たいぶ)=沢山の、「硅酸の雲」=白っぽいが厚い千切れ雲が、「行き過ぎやうとするために」道は何遍も暗くなるというのであるから、空の低い位置を、そうした雲がかなりのスピードで流れているらしいことが判る。登山でもよく経験したが、これは天候の悪化を意味している。

「硫黃のにほひ」既に注した通り、この今歩いている豊沢川沿いは、大沢温泉の他に複数の温泉地へ向かう道である(賢治の方向は逆に下っている)。

「噴火口」言わずもがなであるが、現在では月のクレーター(crater)は(実際には他の惑星の同形地形の殆ども)彗星や小惑星の天体衝突などによって作られたものである。但し、この当時は月に古い時代にマグマ対流があって噴火口であるとした説もあった。現在の知見はついこの間の、アポロ計画等以来の有人・無人探査による観測の結果である。

「峻儼」(しゆんげん(しゅんげん))は非常に厳しいこと。一般には「峻嚴(厳)」であるが、こう書くことも古い書物ではある。「儼」には「態度や処置がきびしい・厳格」の他に「動かしがたい」の意があり、しかも「峻」の原義は「山が高くて嶮(けわ)しい」の意であるから、「峻厳」が、今や、人間の態度に専ら使われていることを考えると、賢治が差別化してこの「儼」を選んだ気持ちが却って判る気がした。

「硏いで」「といで」。

氏のやつたあの虹の交錯や顫ひと」ギトン氏はこちらで、この「B氏」をノルウェーの物理学者クリスチャン・ビルケランド(Kristian Birkeland 一八六七年~一九一七年)とされておられる。ウィキの「クリスチャン・ビルケランド」によれば、『オーロラが太陽からの荷電粒子の大気との反応であることを示し、実験室でオーロラを発生させた。発明家としても、さまざまな分野の特許を得た。世界的な名声を得て』七度も『ノーベル賞の候補となった』一九九四年『発行のノルウェーの紙幣(』二百『ノルウェー・クローネ札)に肖像が採用され、ノルウェーでは有名な科学者である』。『オスロ(当時はChristiania)に生まれ』、十八『歳で最初の科学論文を書くなどの才能を示した』。三十『歳でオスロ大学の教授となったが、その興味は学問にとどまら』ず、一九〇五年にはノルウェーの電気技術者で工業化学者であった『サミュエル・アイデ』(Samuel Eyde 一八六六年~一九四〇 年)『と後に大企業となるノルスク・ハイドロ』(ノルウェー語:Norsk Hydro ASA:ノルウェーのオスロに本社を置くアルミニウムと再生可能エネルギーに関する事業を行っている企業で、世界で四番目の規模を誇る一貫アルミニウム生産企業)『の設立メンバーとなった。実用化されなかった発明の例として』一九〇〇年に『電磁力で砲弾を飛ばす電磁砲(コイルガン)の特許をえて、デモンストレーションを行ったが結果は実らなかった。放電による空中窒素の固定の実験もおこなった』。『オーロラ研究の分野では』一八九九年から一九〇〇年に『ノルウェーの高緯度地域の探検隊を組織し、地磁気の測定結果を得た。真空中の陰極線と磁場の実験で、オーロラを実験室で再現した』一九一三年には『宇宙空間が高速の電子やイオンで満ちていることを予測し』てもいる(この予測は正しかった)。大正六(一九一七)年六月十五日、『日本滞在中に東京の上野精養軒ホテルで睡眠薬の量を誤って摂取し死去した。自殺したとも言われる』。この事件をもとに書かれた随筆が寺田寅彦の「B教授の死」である(リンク先は「青空文庫」のそれ。これ、下手な怪談を読むよりキョワい!)とある。また、共同研究者であったアイデを日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」で調べると、一九〇三年クリスティアニア大学(現在のオスロ大学)のビルケランとともに、空気中での放電による高温窒素酸化法を工業化し、ノルウェーでは安価だった水力発電を利用したこの製品は「ノルウェー硝石」として販売された、という記載が目を惹いた。これは空中窒素固定法(現在では「ハーバー・ボッシュ法(HaberBosch process:現行のそれは鉄を主体とした触媒上で水素と窒素を摂氏四百度から六百度、二百から千気圧もの超臨界流体状態で直接反応させてアンモニアを生産する方法)が知られる)で、空中の窒素から窒素(肥料の主原料)を作り出す技術である。邦文ウィキには書かれていないが、英文ウィキの「History of the Haber process(「ハーバー法の歴史」。ハーバー・ボッシュ法は単に「ハーバー法」とも呼ばれる)には(注記語を除去した)、

  In 1905, Norwegian physicist Kristian Birkeland, funded by engineer and industrialist Samuel Eyde, developed the Birkeland-Eyde process which fixes atmospheric nitrogen as nitrous oxides. The Birkeland-Eyde process requires a considerable amount of electricity, constraining possible site location; fortunately, Norway possessed several sites capable of meeting these needs. Norsk Hydro was founded 2 December 1905 to commercialize the new process. In 1911, the Norsk Hydro facility was consuming 50,000 kW, the next year, consumption doubled to 100,000 kW. By 1913, Norsk Hydro's facilities were producing 12,000 tonnes of nitrogen, about 5 percent of the volume extracted from coke at the time.

とあった。これで賢治が如何にも旧知の仲のような、馴れ馴れしい感じで「そらそら、B氏のやつた」が氷解するのである。農学校出身の賢治には、この窒素肥料の画期的な製造法の発明者として、クリスチャン・ビルケランドの名は十二分に記憶されていたからなのであり、しかもビルケランドの日本での奇怪な死は、賢治が未だ賢治が盛岡高等農林学校三年生(最終学年)であったのだから、学校でそれが話題にならなかったはずがないからである。なお、「南方熊楠 履歴書(その30) 窒素固定法(2)」によれば(リンク先は私の電子化注)、南方熊楠は何と『空中から窒素をとるべきバクテリア』を研究しようとしていたのであった(宮澤賢治は彼の二十九歳歳下であるが、この二人が逢っていたら、と考えると、心底、武者震いが起きる)。閑話休題。以上から、ビルケランド氏の「やつたあの虹の交錯や顫ひと」(「顫ひ」「ふるひ」)というのは、実験室内でのオーロラ再生実験を指していると考えてよかろう。ギトン氏もこちらで、彼が『地球を模した球形の電磁石に、陰極線(電子の流れ)を当てて光芒を生じさせる真空放電装置(テレラ Terrella)を作成して、オーロラの発生を再現してい』るとして、その画像も添えておられる(この図は如何にも賢治が好きになりそうだ)。

「苹果の未熟なハロウと」「苹果」も「ハロウ」も既出既注。「オーロラ」の妖しい光りのグラデイションに、「未熟な」「苹果」(「ひやうくわ(ひょうか)」はリンゴの果実であるが、それが「未熟な」で、「青林檎」を指す)のような色の「ハロウ」(英語「halo」(英語読み:ヘイロー:太陽やその周囲に光の輪が現れる大気光学現象。日暈(にちうん)。太陽や月を光源として、それらに薄い雲がかかった際、その周囲に発生するように見える光の輪)が賢治の心象に煌めいて「あやしく天を覆ひだす」のである。それはかの宇宙に充満するエーテルかも知れない。

「杉の列には山烏がいつぱいに潜(ひそ)み」/「ペガススのあたりに立つてゐた」/「いま雲は一せいに散兵をしき」/「極めて堅實にすすんで行く」宇宙軍の神兵か。「山烏」は和名としてはカラス属ミヤマガラス Corvus frugilegus を指す(実際には現行では、ハシブトガラスCorvus macrorhynchos をも一般的にかく呼称する)。ミヤマガラスは森林や農耕地に生息し、大規模な群れを形成し、食性は雑食で、昆虫類・鳥類の卵や雛・果実・種子など、何でも捕食する強健な鳥である。詳しくは私の最近の仕儀、「和漢三才圖會第四十三 林禽類 山烏(やまがらす)(ヤマガラス)」を見られたい。しかし、この表現は、傍観でなく、そうした杉の木にカモフラージュしている狙撃「兵」のヤマガラスや、空中に「散」開している千切れ雲の匍匐「兵」の、「堅實にすすんで行く」その群れの中には、実は、賢治自身がいるようにも読める。まさに〈行き行く神軍としての「修羅」の死を賭した黒尽くめのブラッキーな情念の賢治〉の姿が、である。

「用意された一萬の硅化流紋凝灰岩の彈塊があり」/「川尻斷層のときから息を殺してまつてゐて」/「私が腕時計を光らし過ぎれば落ちてくる」ここも目から鱗なのはギトン氏のこち見解である。『こんどは、“火薬庫”です。「用意された」と言っているように、「山烏」とちぎれ雲の“軍勢”が周到に準備した弾薬が、「松倉山」の地下で、点火を待っているのです』。『「川尻断層」はよく分かりませんが』、明治二九(一八九六)年の「陸羽(りくう)大地震」に『関係』する断層『ではないかと思います』とされる。これはウィキの「陸羽大地震によれば、同年八月三十一日午後五時に、『秋田県と岩手県の県境にある真昼』(まひる)『山地の直下で』『発生した逆断層型の内陸直下型地震(大陸プレート内地震)で』、マグニチュード』は七・二で、『東北地方最大規模の直下型地震』であり、『震源は』十キロメートルより『浅く、震源地付近で震度』六、『一部では震度』七『の揺れがあったと推定されている。被害は、横手盆地の内部と東側の山地に集中し、仙北郡の千屋・長信田・畑屋・飯詰・六郷などの集落では、全戸数の』七『割以上が全半壊した。全体では、死者』二百九『人、負傷者』七百七十九『人、家屋全壊』五千七百九十二『戸、半壊』三千四十五『戸、山崩れ』が九千八百九十九『箇所に及』んだとある。ギトン氏の記載に戻ると、彼は、この「川尻斷層」というのは本陸羽大地震で発生した「川舟斷層」のことであるとされるのである。この地震の際、『岩手県和賀郡湯田村(現在の北上線「ほっと湯田」駅付近)』(グーグル・マップ・データ)。右上部に大沢温泉が見える。ここから東北へ現在のロケーションの松倉山下までは二十三キロメートルほどと、近い)『では、この地震で長さ』四キロメートルの『“川舟断層”ができました。「川尻」は、同村の役場所在地です』(現在の岩手県和賀郡西和賀町川尻地区)。『ここで「川尻断層」と言っているのは、おそらく、“陸羽大地震”でできた“川舟断層”のことでしょう』とされる(これは、ブログ「宮澤賢治世界」の「「神様 2011)」と活断層露頭でも、『「川尻断層」というのは「川舟断層」の誤記ではないかと個人的に思う』とあるから、間違いなかろう)。ギトン氏の引用に戻る。『「硅化流紋凝灰岩」は、流紋岩質(珪酸』(石英)『に富むマグマ)の火山灰が堆積してできた凝灰岩が、酸性の熱水(温泉)などの作用を受けて、溶脱・再結晶して硅化(石英化)した・白っぽい硬い岩石で』、『「松倉山」については、「風景とオルゴール」では「石英安山岩」と書いてあったのとどういう関係になるのか不明ですが、松倉山を実踏された奥田博氏によれば、この山は「どう見ても安山岩だ。」』そうである。『もっとも、「硅化流紋凝灰岩」は、ぼろぼろと崩れやすく、落石の危険性がある岩石ですから、《心象》として、そのイメージを附加しているのかもしれません』とされ、『なお、賢治の歩いた鉛街道から見ると、「松倉山」の斜面には、崩壊したガレ場が見えます。崖崩れなのか』、『石切り場の跡なのか、道路から見ただけでは分かりませんが、賢治の頃からあったとすれば、この詩の描く風景にふさわしい場所です』と、画像おられる。さらにギトンで、最後の「私が腕時計を光らし過ぎれば落ちてくる」に着目され、『「腕時計」は』『「オホーツク挽歌」にも出ていましたが、宮沢賢治は、いつも腕時計をしていたようです。当時の竜頭ねじ式の腕時計でしょうけれども、「光ら」すというのは、金メッキか銀メッキなのでしょうか?』『あるいは、針に蛍光塗料が塗ってあるのか?』『いずれにしろ、当時の地方では、金持ちでなければ持てない贅沢品だったはずで、その「腕時計を光らし過ぎれば」岩の「弾塊」が「落ちてくる」ということから、先ほど来描かれている“軍勢”と“弾薬庫”の性質が分かります。つまり』、『それらは、地元の貧しい農民たちの“声なき声”につながるものだと思います』。『もちろん、その一方で、それらは、作者にとって“外在的”な事象にとどまるものではありません』。『この“軍勢”と“弾薬庫”のイメージは、あの《熱した》精神の時代から繋がって及んで来ている作者の中の不定形な衝動をも、感じさせます』と述べておられる。この腕時計の部分は、凡そ、暗愚な私には到底及びもつかなかった解釈の地平であった。

「空氣の透明度は水よりも強く」/「松倉山から生えた木は」/「敬虔に天に祈つてゐる」これ以降、感情の昂揚は沈静化し、コーダへと向かうが、しかしそこには部分着色の「赤い」芒の淋しい「ゆらぎ」や、山から聴こえてくる「ごとごと」いう怪しい響きや、「呼吸」する「やうに」「明るくな」ったり暗くなったりする妖しい「月光」や、「ダム」(松原発電所。ギトン単独地図画像「を」ダダッと落ちる「水の音」が、不安なアクセントを添え、「月はこの變厄のあひだ不思議な黃いろになつてゐる」(「變厄」は賢治の造語であろう。悪しき災「厄」の様態へと「変」貌して行く兆しか)という不吉な一行でフェイド・アウトしてしまう。

「わたしの帽子の靜寂と風の塊」またしてもマグリット的な不安の線形である。

「電車の單線」先に示した花巻電気鉄道のそれ。ギトンによれば、『道の片側に敷設されてい』たとある。

「レールとみちの粘土の可塑性」ギトンは、『月が陰った闇の中に』、二『本のレールと、未舗装道路の』、『でこぼこに固まった靴や轍(わだち)の跡だけが、辛うじて見え』、「可塑性」とは、例えば、その『雨のあとの泥の上に残った足跡など』と注されておられる。]

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