佐々木(鏡石)喜善・述/柳田國男・(編)著「遠野物語」(初版・正字正仮名版) 六〇~六二 山の怪
六〇 和野村の嘉兵衞爺(ヂイ)、雉子小屋(キジゴヤ)に入りて雉子を待ちしに狐(キツネ)屢(シバシバ)出でて雉子を追ふ。あまり憎(ニク)ければ之を擊たんと思ひ狙(ネラ)ひたるに、狐は此方を向きて何とも無(ナ)げなる顏してあり。さて引金(ヒキガネ)を引きたれども火移(ウツ)らず。胸騷(ムナサハ)ぎして銃を檢[やぶちゃん注:「けみ」。]せしに、筒口(ツヽグチ)より手元の處までいつの間にか悉く土をつめてありたり。
[やぶちゃん注:「雉子小屋」バード・ウオッチングのように、キジに気づかれないように射撃するためのシューティング・スペース。小屋と言っても、藁・葦などを自然な形に組んだ人一人が入れるような簡易の空間と思われる。]
六一 同じ人六角牛に入りて白き鹿(シカ)に逢へり。白鹿(ハクロク)は神(カミ)なりと云ふ言傳(イヒツタ)へあれば、若し傷(キヅヽ)けて殺すこと能はずば、必ず祟(タヽリ)あるべしと思案(シアン)せしが、名譽(メイヨ)の獵人(カリウド)なれば世間(セケン)の嘲(アザケ)りをいとひ、思ひ切りて之を擊つに、手應(テゴタ)へはあれども鹿少しも動かず。此時もいたく胸騷(ムナサハ)ぎして、平生(ヘイゼイ)魔除(マヨ)けとして危急(キキウ)の時の爲に用意したる黃金(ワウゴン)の丸(タマ)を取出し、これに蓬(ヨモギ)を卷き附けて打ち放したれど、鹿は猶動かず、あまり恠しければ近よりて見るに、よく鹿の形に似たる白き石なりき。數十年の間山中に暮(クラ)せる者が、石と鹿とを見誤るべくも非ず、全く魔障(マシヤウ)の仕業(シワザ)なりけりと、此時ばかりは獵を止(ヤ)めばやと思ひたりきと云ふ。
[やぶちゃん注:キク目キク科キク亜科ヨモギ属ヨモギ変種ヨモギ Artemisia indica var. maximowiczii は初期に於いては鉄砲の火薬に用いたが、ここは無論そうではなく、香気の強いそれが邪気を払うことから、金の弾丸に念には念を入れて蓬を巻き付けたのである。]
六二 また同じ人、ある夜(ヨ)山中(サンチウ)にて小屋を作るいとま無くて、とある大木の下に寄り、魔除(マヨ)けのサンヅ繩(ナハ)をおのれと[やぶちゃん注:自分で。]木のめぐりに三圍(ミメグリ)引きめぐらし、鐵砲を竪(タテ)に抱(カヽ)へてまどろみたりしに、夜深く物音のするに心付けば、大なる僧形(ソウギヤウ)の者赤き衣(コロモ)を羽(ハネ)のやうに羽ばたきして、其木の梢に蔽ひかゝりたり。すはやと銃を打ち放せばやがて又羽ばたきして中空(ナカゾラ)を飛びかへりたり。此時の恐ろしさも世の常ならず。前後三たびまでかゝる不思議に遭ひ、其度毎(タビゴト)に鐵砲を止(ヤ)めんと心に誓ひ、氏神(ウヂガミ)に願掛(グワンガ)けなどすれど、やがて再び思ひ返して、年取るまで獵人(カリウド)の業を棄つること能はずとよく人に語りたり。
[やぶちゃん注:「サンヅ繩」dostoev氏のブログ『不思議空間「遠野」-「遠野物語」をwebせよ!-』の『妖怪の通り道』によれば、『サンズ縄は三途縄と書き、棺桶を縛る紐をこっそりとくすねて手に入れるか、葬儀の参列に使用する竜頭』(たつがしら:葬儀の時に竹竿の先に龍の頭を象ったものを附けたもの。龍の口の下に天蓋を下げたものや、魂を入れる紙袋を下げたようなものもあった。死者の霊が荒ぶる魂であることを示した、という解釈(五来重氏)と、死者の霊が龍のように昇天することを願ったとする解釈(藤井正雄氏)がある。ここは葬祭サイトの記載を参考にした私は知っているが、念のため、「グーグル画像検索「竜頭 葬式」をリンクさせておく。最初の一列にある)『に紐をこすり付けるだけでも良いとされている』『マタギに伝わる』結界を作ることの出来る呪具であるようだ。]
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