迎春 * 佐々木(鏡石)喜善・述/柳田國男・(編)著「遠野物語」(初版・正字正仮名版) 一一三 シヤウヅカ森
一一三 和野にジヤウヅカ森と云ふ所あり。象を埋めし場所なりと云へり。此處だけには地震なしとて、近邊にては地震の折はジヤウヅカ森へ遁げよと昔より言ひ傳へたり。此は確かに人を埋めたる墓なり。塚のめぐりには堀あり。塚の上には石あり。之を掘れば祟ありと云ふ。
【○ジヤウヅカは定塚、庄塚又は鹽塚などゝかきて諸國にあまたあり是も境の神を祀りし所にて地獄のシヤウツカの奪衣婆の話などゝ關係あること石神問答に詳にせり又象坪等の象頭神とも關係あれば象の傳說は由なきに非ず塚を森と云ふことも東國の風なり】
[やぶちゃん注:「和野にジヤウヅカ森と云ふ所あり。象を埋めし場所なりと云へり」ということは「ジヨウズカ」は「象塚」ということになる。無論、これは実際の象ではなくて、柳田國男の注に出る象の頭部を持った歓喜天の像、即ち、「象」の頭を持った「像」を埋めた「塚」ということに成ろう。さらにdostoev氏のブログ『不思議空間「遠野」-「遠野物語」をwebせよ!-』の『「遠野物語113(ジャウヅカ森)」』を読むと、『確かに、この』現存する『ジャウヅカ森には塚があり、石が立っている』(リンク先に写真有り)。『墓といえば墓なのかもしれない。ここは以前、天台宗の寺院があった広大な土地の一部であり、所謂聖地でもあった。そういう意味では、全体的に地震が来ない地とも云われて良いのだが、この塚の場所だけ地震が来ないと云われるのは、この塚の下に埋まっている人に対する信仰みたいなものがあるのではなかろうか。中世時代に密教の呪術が流行った時、宗教に携わる者の髑髏には、その効果が絶大とされた。そういう意味合いから、恐らくこのジャウヅカ森の塚に眠る人物は、天台宗の徳の高い人物であったろうと想像する』とされつつ、しかし『近くには堀らしきも確かにあり、全体を見れば』、『天台宗の寺院というより城跡に近いものだと感じる。そしてジャウヅカ森の語源だが、先人があれこれ思索しているが、三途の川の辺にいて亡者の脱衣を剥ぎ取る葬頭河婆(ショウヅカバア)』(奪衣婆(だつえば)の方が今は知られる。三途川(葬頭河)の渡しの此岸側でやってきた亡者の衣服を剥ぎ捕るとされる老婆の鬼。「葬頭河婆(そうづかば)」「正塚婆(しょうづかのばば)」「姥神(うばがみ)」「優婆尊(うばそん)」等とも称する)。『との語源の関連を指摘するものが多い。確かにショウヅカがジャウヅカに転訛したとしても、何等違和感が無い』ため、『その可能性は高いだろう。象頭(ショウズ)とも記されるが、葬頭と捉えれば、密教の呪術に髑髏を使用されたのを考えると、この塚の下に眠る聖人の能力、死んで髑髏となって』なお、『聖人の迸る霊力に頼ったものではなかろうか。葬った聖なる髑髏が宿る森、それがジャウヅカ森(葬頭ヶ森)であったのかもしれない』と非常に興味深い考察をしておられる。さすれば、「象」は「像」でもあり「僧」でもあるのかも知れない。「葬頭河」ならそのままで、高徳な僧がいたのなら「僧都が森」かも知れぬし、その人の霊力を頭蓋骨を埋めたとなら「僧頭が森」かも知れぬ。
「地獄のシヤウツカの奪衣婆の話などゝ關係あること石神問答に詳にせり」「石神問答」のここ(国立国会図書館デジタルコレクションの当該部分の画像)。]
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