佐々木(鏡石)喜善・述/柳田國男・(編)著「遠野物語」(初版・正字正仮名版) 一〇二~一〇五 小正月の事
一〇二 正月十五日の晚を小正月と云ふ。宵(ヨヒ)のほどは子供等福の神と稱して四五人群を作り、袋を持ちて人の家に行き、明(アケ)の方から福の神が舞込んだと唱へて餅を貰(モラ)ふ習慣あり。宵を過ぐれば此晚に限り人々決して戶の外に出づることなし。小正月の夜半過ぎは山の神出でゝ遊ぶと言ひ傳へてあれば也。山口の字丸古立(マルコダチ)におまさと云ふ今三十五六の女、まだ十二三の年のことなり。如何なるわけにてか唯一人にて福の神に出で、處々をあるきて遲くなり、淋しき路を歸りしに、向の方より丈の高き男來てすれちがひたり。顏はすてきに赤く眼はかゞやけり。袋を捨てゝ遁げ歸り大に煩ひたりと云へり。
[やぶちゃん注:「すてきに」形容動詞「すばらし」の「す」に、接尾語「てき」の付いたものとされ、漢字は孰れも当て字で、ここは「程度が甚だしいさま」で「無暗に・ひどく・異常に」の意。]
一〇三 小正月の夜、又は小正月ならずとも冬の滿月の夜は、雪女が出でゝ遊ぶとも云ふ。童子をあまた引連れて來ると云へり。里の子ども冬は近邊の丘に行き、橇遊(ソリツコアソビ)をして面白さのあまり夜になることあり。十五日の夜に限り、雪女が出るから早く歸れと戒めらるゝは常のことなり。されど雪女を見たりと云ふ者は少なし。
[やぶちゃん注:旧正月の夜の雪女の出現という設定は、雪女が零落した神であることの証左であり、女であるという点から山の神(但し、山の神は一般に醜女とされる)との強い親和性をも持ち、共時的に彼女が本来は歳神であったことを示す有力な伝承の一つと言える。]
一〇四 小正月の晚には行事甚だ多し。月見と云ふは六つの胡桃の實を十二に割り、一時に[やぶちゃん注:「いつときに」。いっぺんに。]爐の火にくべて一時に之を引上げ、一列にして右より正月二月と數ふるに、滿月の夜晴なるべき月にはいつまでも赤く、曇るべき月には直(スグ)に黑くなり、風ある月にはフーフーと音をたてゝ火が振(フル)ふなり。何遍繰返しても同じことなり。村中何れの家にても同じ結果を得るは妙なり。翌日は此事を語り合ひ、例へば八月の十五夜風とあらば、其歳の稻の苅入(カリイレ)を急ぐなり。
【○五穀の占、月の占多少のヷリエテを以て諸國に行はる陰陽道に出でしものならん】
[やぶちゃん注:次の「世中見(ヨナカミ)」と同じく年占の一種であるが、こうしたものが、実際には古くは神前(実際には「爐」自体が古代の信仰の神聖な神ではある)ではなく、各家庭で個別的に行われ、しかもそれが翌日、それが村全体で民主的に評議されるという、農事の個別的占術の運命共同体としての村レベルでの綜合的決定を俟つという経緯を持つ点で、非常に興味深い。
「ヷリエテ」「ヴァリエテ」で「Variété」。フランス語で「多様性」の意。]
一〇五 又世中見(ヨナカミ)と云ふは、同じく小正月の晚に、色々の米にて餅をこしらへて鏡と爲し、同種の米を膳の上に平らに敷き、鏡餅をその上に伏せ、鍋を被せ置きて翌朝之を見るなり。餅に附きたる米粒の多きもの其年は豐作なりとして、早中晚の種類を擇び定むるなり。
[やぶちゃん注:これも各家庭で行われていた、作付けする稲の占術である。辞書によれば、この岩手県上閉伊郡の行事で、「ヨナカ」は作柄のこととするが、占いの真価が発揮される非日常としての「夜中」、或いは新旧の「世」の入れ替わる途「中」の辺縁的呪的時間を表わすもののように私に感じられる。]
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