佐々木(鏡石)喜善・述/柳田國男・(編)著「遠野物語」(初版・正字正仮名版) 四四~四九 猿の怪
四四 六角牛の峯續きにて、橋野(ハシノ)と云ふ村【○上閉伊郡栗橋村大字橋野】の上なる山に金坑(キンコウ)あり。この鑛山の爲に炭を燒きて生計[やぶちゃん注:「なりはひ」或いは「たつき」と読みたい。]とする者、これも笛の上手にて、ある日晝(ヒル)の間(アヒダ)小屋(コヤ)に居り、仰向(アホムキ)に寢轉(ネコロ)びて笛を吹きてありしに、小屋の口なる垂菰(タレゴモ)をかゝぐる者あり。驚きて見れば猿の經立(フツタチ)なり。恐ろしくて起き直りたれば、おもむろに彼方へ走り行きぬ。
[やぶちゃん注:「經立(フツタチ)」「三六」で既出既注。]
四五 猿の經立(フツタチ)はよく人に似て、女色を好み里の婦人を盜み去ること多し。松脂(マツヤニ)を毛に塗(ヌ)り砂を其上に附けてをる故、毛皮(ケガハ)は鎧(ヨロヒ)の如く鐵砲の彈(タマ)も通(トホ)らず。
四六 栃内村の林崎(ハヤシザキ)に住む何某と云ふ男、今は五十に近し。十年あまり前のことなり。六角牛山に鹿を擊ちに行き、オキ【○オキとは鹿笛のことなり】を吹きたりしに、猿の經立あり、之を眞(まこと)の鹿なりと思ひしか、地竹(ヂダケ)を手にて分(ワ)けながら、大なる口をあけ嶺の方より下(クダ)り來れり。膽潰(キモツブ)れて笛を吹止めたれば、やがて反(ソ)れて谷の方へ走り行きたり。
[やぶちゃん注:「鹿笛」dostoev氏のブログ『不思議空間「遠野」-「遠野物語」をwebせよ!-』の『「遠野物語46(鹿笛の呼ぶ魔)」』に鹿笛の画像及びその笛の音で誘われて射殺されるエゾシカの動画がある(射殺以後のシーンはここでは見る必要はなく、4:50以後には胸部を捌くシーンがあるので見られる場合は自己責任で)。そちらによれば、『鹿笛は鹿の腹子の腹部の皮、モモンガの皮、ヒキ蛙の』『皮をパンと張った物を最良とするらしい。他にも鹿の胎仔の皮、鹿の耳の内側の皮、仔鹿の耳の内側の皮、リスの皮など、比較的柔らかな皮を使用している』とある。]
四七 この地方にて子供をおどす言葉(コトバ)に、六角牛の猿の經立が來るぞと云ふこと常の事なり。この山には猿多し。緖挊(ヲガセ)の瀧(タキ)を見に行けば、崖(ガケ)の樹の梢(コズウェヱ)にあまた居(ヲ)り、人を見れば遁(ニ)げながら木の實などを擲(ナゲウ)ちて行くなり。
四八 仙人峠にもあまた猿をりて行人に戲(タハム)れ石を打ち付けなどす。
四九 仙人峠は登り十五里降り十五里あり【○この一里も小道なり[やぶちゃん注:「二」で既出既注。一里を六町(六五四メートル)とする古い坂東道の「里」単位。]】。其中程に仙人の像を祀りたる堂あり。此堂の壁(カベ)には旅人がこの山中にて遭ひたる不思議の出來事を書き識(シル)すこと昔よりの習(ナラヒ)なり。例へば、我は越後の者なるが、何月何日の夜、この山路にて若き女の髮を垂れたるに逢へり。こちらを見てにこと笑ひたりと云ふ類[やぶちゃん注:「たぐひ」。]なり。又此所にて猿に惡戲(イタヅラ)をせられたりとか、三人の盜賊に逢へりと云ふやうなる事をも記(シル)せり。
[やぶちゃん注:ウィキの「遠野物語」によれば、『実際は遠野側の沓掛からと釜石側の大橋からでは、大橋からの方が』二『倍弱の距離があり、厳密には中間地点ではない』。『この峠には仙人が住むと伝えられ、昭和に入ってからも団体写真を撮れば』、一『人多く写ると云われてきた』『昭和』十『年代に遠野の市川洗蔵によって』、『雨風がしのげる程度の堂が奉納され』たが、『その後、トンネルが開通したことにより』『人通りが少なくなってからは』、『仙人堂の本尊は上郷町佐生田へと遷された』とある。]
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