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« 宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 白い鳥 | トップページ | 宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 オホーツク挽歌 »

2018/12/01

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 靑森挽歌

 

 

 

       

 

 

 

        靑 森 挽 歌

 

こんなやみよののはらのなかをゆくときは

客車のまどはみんな水族舘の窓になる

   (乾いたでんしんばしらの列が

    せはしく遷つてゐるらしい

    きしやは銀河系の玲瓏(れいらう)レンズ

    巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる)

りんごのなかをはしつてゐる

けれどもここはいつたいどこの停車塲(ば)だ

枕木を燒いてこさえたが立ち

   (八月の よるのしづまの 寒天凝膠(アガアゼル))

支手のあるいちれつの柱は

なつかしい陰影だけでできてゐる

黃いろなラムプがふたつつ)き

せいたかくあほじろい驛長の

眞鍮棒もみえなければ

じつは驛長のかげもないのだ

   (その大學の昆蟲學の助手は

    こんな車室いつぱいの液体のなかで

    油のない赤髮(け)をもぢやもぢやして

    かばんにもたれて睡つてゐる)

わたくしの汽車は北へ走つてゐるはづなのに

ここではみなみへかけてゐる

燒杭のはあちこち倒れ

はるかに黃いろの地平線

それはビーアの澱(をり)をよどませ

あやしいよるの 陽炎と

さびしい心意の明滅にまぎれ

水いろ川の水いろ驛

  (おそろしいあの水いろの空虛なのだ)

汽車の逆行は希求(ききう)の同時な相反性

こんなさびしい幻想から

わたくしははやく浮びあがらなければならない

そこらは靑い孔雀のはねでいつぱい

眞鍮の睡さうな脂肪酸にみち

車室の五つの電燈は

いよいよつめたく液化され

  (考へださなければならないことを

   わたくしはいたみやつかれから

   なるべくおもひださうとしない)

今日のひるすぎなら

けはしく光る雲のしたで

まつたくおれたちはあの重い赤いポムプを

ばかのやうに引つぱつたりついたりした

おれはその黃いろな服を着た隊長だ

だから睡いのはしかたない

  (おゝ(オー)おまへ(ジウ) せはしい(アイリーガー)みちづれよ(ゲゼルレ)

   どうかここから(アイレドツホエヒト)急いで(フオン)去らないでくれ(デヤステルレ)

  ⦅尋常一年生 ドイツの尋常一年生⦆

   いきなりそんな惡いびを

   投げつけるのはいつたいたれだ

   けれども尋常一年生だ

   夜中を過ぎたいまごろに

   こんなにぱつちり眼をあくのは

   ドイツの尋常一年生だ)

あいつはこんなさびしい停車塲を

たつたひとりで通つていつたらうか

どこへ行くともわからないその方向を

どの種類の世界へはいるともしれないそのみちを

たつたひとりでさびしくあるいて行つたらうか

 (草や沼やです

  一本の木もです)

 ⦅ギルちやんまつさをになつてすわつてゐたよ⦆

 ⦅こおんなにして眼は大きくあいてたけど

  ぼくたちのことはまるでみえないやうだつたよ⦆

 ⦅ナーガラがね 眼をぢつとこんなに赤くして

  だんだん環わをちいさくしたよ こんなに⦆

 ⦅し、環をお切り そら 手を出して⦆

 ⦅ギルちやん靑くてすきとほるやうだつたよ⦆

 ⦅鳥がね、たくさんたねまきのときのやうに

  ばあつと空を通つたの

  でもギルちやんだまつてゐたよ⦆

 ⦅お日さまあんまり變に飴いろだつたわねえ⦆

 ⦅ギルちやんちつともぼくたちのことみないんだもの

  ぼくほんたうにつらかつた⦆

 ⦅さつきおもだかのとこであんまりはしやいでたねえ⦆

 ⦅どうしてギルちやんぼくたちのことみなかつたちう

  忘れたらうかあんなにいつしよにあそんだのに⦆

かんがへださなければならないことは

どうしてもかんがへださなければならない

とし子はみんなが死ぬとなづける

そのやりかたを通つて行き

それからさきどこへ行つたかわからない

それはおれたちの空間の方向ではかられない

感ぜられない方向を感じやうとするときは

たれだつてみんなぐるぐるする

 ⦅耳ごうど鳴つてさつぱり聞けなぐなつたんちやい⦆

さう甘へるやうに言つてから

たしかにあいつはじぶんのまはりの

眼にははつきりみえてゐる

なつかしいひとたちの聲をきかなかつた

にはかに呼吸がとまり脈がうたなくなり

それからわたくしがはしつて行つたとき

あのきれいな眼が

なにかを索めるやうに空しくうごいてゐた

それはもうわたくしたちの空間を二度と見なかつた

それからあとであいつはなにを感じたらう

それはまだおれたちの世界の幻視をみ

おれたちのせかいの幻聽をきいたらう

わたくしがその耳もとで

遠いところから聲をとつてきて

そらや愛やりんごや風、すべての勢力のたのしい根源

萬象同歸のそのいみじい生物の名を

ちからいつぱいちからいつぱいんだとき

あいつは二へんうなづくやうに息をした

白く尖つたあごや頰がゆすれて

ちいさいときよくおどけたときにしたやうな

あんな偶然な顏つきにみえた

けれどもたしかにうなづいた

   ⦅ヘツケル博士!

    わたくしがそのありがたい證明の

    任にあたつてもよろしうございます⦆

 假睡珪酸(かすゐけいさん)の雲のなかから

凍らすやうなあんな卑怯なび聲は……

 (宗谷海峽を越える晚は

  わたくしは夜どほし甲板に立ち

  あたまは具へなく陰溫の霧をかぶり

  からだはけがれたねがひにみたし

  そしてわたくしはほんたうに姚戰しやう)

たしかにあのときはうなづいたのだ

そしてあんなにつぎのあさまで

胸がほとつてゐたくらゐだから

わたくしたちが死んだといつて泣いたあと

とし子はまだまだこの世かいのからだを感じ

ねつやいたみをはなれたほのかなねむりのなかで

ここでみるやうなゆめをみてゐたかもしれない

そしてわたくしはそれらのしづかな夢幻が

つぎのせかいへつゞくため

明るいいゝ匂のするものだつたことを

どんなにねがふかわからない

ほんたうにその夢の中のひとくさりは

 かん護とかなしみとにつかれて睡つてゐた

おしげ子たちのあけがたのなかに

ぼんやりとしてはいつてきた

⦅黃いろな花こ おらもとるべがな⦆

たしかにとし子はあのあけがたは

まだこの世かいのゆめのなかにゐて

落葉の風につみかさねられた

野はらをひとりあるきながら

ほかのひとのことのやうにつぶやいてゐたのだ

そしてそのままさびしい林のなかの

いつぴきの鳥になつただらうか

I'estudiantinaを風にききながら

水のながれる暗いはやしのなかを

かなしくうたつて飛んで行つたらうか

やがてはそこに小さなプロペラのやうに

音をたてゝ飛んできたあたらしいともだちと

無心のとりのうたをうたひながら

たよりなくさまよつて行つたらうか

   わたくしはどうしてもさう思はない

なぜ通信が許されないのか

許されている、そして私のうけとつた通信は

母が夏のかん病のよるにゆめみたとおなじだ

どうしてわたくしはさうなのをさうと思はないのだらう

それらひとのせかいのゆめはうすれ

あかつきの薔薇いろをそらにかんじ

あたらしくさはやかな感官をかんじ

日光のなかのけむりのやうな羅(うすもの)をかんじ

かがやいてほのかにわらひながら

はなやかな雲やつめたいにほひのあひだを

交錯するひかりの棒を過ぎり

われらが上方とよぶその不可思議な方角へ

それらがそのそのやうであることにおどろきながら

大循環の風よりもさはやかにのぼつて行つた

わたくしはその跡をさへたづねることができる

そこに碧い寂かな湖水の面をのぞみ

あまりにもそのたひらかさとかがやきと

未知な全反射の方法と

さめざめとひかりゆすれる樹の列を

ただしくうつすことをあやしみ

やがてはそれがおのづから硏かれた

天のる璃の地面と知つてこゝろわななき

紐になつてながれるそらの樂音

また瓔珞やあやしいうすものをつけ

移らずしかもしづかにゆききする

巨きなすあしの生物たち

速いほのかな記憶のなかの花のかほり

それらのなかにしづかに立つたらうか

それともおれたちの聲を聽かないのち

暗紅色の深くもわるいがらん洞と

意識ある蛋白質の碎けるときにあげる聲

亞硫酸や笑氣(せうき)のにほひ

これらをそこに見るならば

あいつはその中にまつ靑になつて立ち

立つてゐるともよろめいてゐるともわからず

頰に手をあててゆめそのもののやうに立ち

(わたくしがいまごろこんなものを感ずることが

いつたいほんたうのことだらうか

わたくしといふものがこんなものをみることが

いつたいありうることだらうか

そしてほんたうにみてゐるのだ)と

斯ういつてひとりなげくかもしれない……

わたくしのこんなさびしい考は

みんなよるのためにでるのだ

夜があけて海岸へかかるなら

そして波がきらきら光るなら

なにもかもみんないいかもしれない

けれどもとし子の死んだことならば

いまわたくしがそれを夢でないと考へて

あたらしくぎくつとしなければならないほどの

あんまりひどいげんじつなのだ

感ずることのあまり新鮮にすぎるとき

それをがいねん化することは

きちがひにならないための

生物體の一つの自衞作用だけれども

いつでもまもつてばかりゐてはいけない

ほんたうにあいつはここの感官をうしなつたのち

あらたにどんなからだを得

どんな感官をかんじただらう

なんべんこれをかんがへたことか

むかしからの多數の實驗から

俱舍がさつきのやうに云ふのだ

二度とこれをくり返してはいけない

おもては軟玉(ないぎよく)と銀のモナド

半月の噴いた瓦斯でいつぱいだ

卷積雲(けんせきうん)のはらわたまで

月のあかりはしみわたり

それはあやしい螢光板(けいくわうばん)になつて

いよいよあやしい苹果の匂を發散し

なめらかにつめたい窓硝子さへ越えてくる

靑森だからといふのではなく

大てい月がこんなやうな曉ちかく

卷積雲にはいるとき……

     ⦅おいおい、あの顏いろは少し靑かつたよ⦆

だまつてゐろ

おれのいもうとの死顏が

まつ靑だらうが黑からうが

きさまにどう斯う云はれるか

あいつはどこへ墮ちやうと

もう無上道に屬してゐる

力にみちてそこを進むものは

どの空間にでも勇んでとひこんで行くのだ

ぢきもう東の鋼もひかる

ほんたうにけふの…きのふのひるまなら

おれたちはあの重い赤いポムプを…

     ⦅もひとつきかせてあげやう

      ね じつさいね

      あのときの眼は白かつたよ

      すぐ瞑りかねてゐたよ⦆

まだいつてゐるのか

もうぢきよるはあけるのに

すべてあるがごとくにあり

かゞやくごとくにかがやくもの

おまへの武器やあらゆるものは

おまへにくらくおそろしく

まことはたのしくあかるいのだ

     ⦅みんなむかしからのきやうだいなのだがら

      けつしてひとりをいのつてはいけない⦆

ああ わたくしはけつしてさうしませんでした

あいつがなくなつてからあとのよるひる

わたくしはただの一どたりと

あいつだけがいいとこに行けばいいと

さういのりはしなかつたとおもひます

 

[やぶちゃん注:大正一二(一九二三)年八月一日の作。但し、詩篇中の「宗谷海峽を越える晚は」の連は、予定上の仮りの謂いとしても少し無理があり、実際の八月二日の深夜から三日朝の体験(後掲するサハリンまでのタイム・テーブルの下線部を参照)に基づくものである可能性が濃厚で、本詩篇がこの日以降に時間をかけて推敲された可能性を強く示唆するものである。

 本詩篇は本書以前の発表誌等は存在しない。但し、本篇と一部で共通箇所を持つ「青森挽歌 三」と題された詩篇の清書稿が現存する(リンク先は渡辺宏氏のもの)。長詩であるが、「手入れ本」(宮澤家版)は、以下の●の誤植一箇所の訂正以外には、第六連目(字下げパートを一連に数えた)の、「(その大學の昆蟲學の助手は」/「こんな車室いつぱいの液体のなかで」/「油のない赤髮(け)をもぢやもぢやして」/「かばんにもたれて睡つてゐる)」をカットしているのみである(他の「手入れ本」は誤字訂正などが少しあるだけで大きな変化はないので略す)。かなりの誤植があり、中に見逃せない致命的なものが複数含まれているので、それらが目立つように頭の記号を変えて示した。

・「せいたかくあほじろい驛長の」「あほ」はママ。原稿は「あを」で誤植。「正誤表」になし。

・「わたくしの汽車は北へ走つてゐるはづなのに」の「はづ」はママ。原稿もママ。ありがちな慣用表現。

・「ナーガラがね 眼をぢつとこんなに赤くして」「ぢつと」はママ。原稿もママ。慣用表現。小学館「日本国語大辞典」によれば、『かなづかいは、古い用例では「じっと」が多く、江戸期から明治にかけて「ぢっと」がふつうの形になる』とある。

●「どうしてギルちやんぼくたちのことみなかつたちう」原稿は「どうしてギルちやんぼくたちのことみなかつたらう」で誤植。「正誤表」になし。

★「あたまは具へなく陰溫の霧をかぶり」原稿は「陰溫」は「陰濕」で重大な誤植であるが、「正誤表」になし。

・「そしてわたくしはほんたうに姚戰しやう」「姚」はママ。原稿もママ。全集校訂本文は「挑」と訂する。

・「それらがそのそのやうであることにおどろきながら」「そのその」は原稿は「その」で衍字。「正誤表」にはない。

★「速いほのかな記憶のなかの花のかほり」原稿は「速」は「遠」で「遠いほのかな記憶のなかの花のかほり」で重大な誤植であるが、「正誤表」にない。

◎「みんなよるのためにでるのだ」原稿は「みんなよるのためにできるのだ」で、全集校訂者は『脱字か?』とする。文脈から見て、「できる」の「る」の脱字の可能性が濃厚ではあるが、本文を読んでゆくと、「でる」で誤読にはならないようにも思われる。「正誤表」にはない。

・「おもては軟玉(ないぎよく)と銀のモナド」ルビの「ないぎよく」はママ。原稿は「なんぎよく」で誤植であるが、「正誤表」にない。

・「どの空間にでも勇んでとひこんで行くのだ」「とひこんで」は原稿では「とびこんで」で誤植であるが、「正誤表」にない。

・「みんなむかしからのきやうだいなのだがら」「だがら」はママ。今までの方言表記に馴れていると、普通に読んでしまうが、この一文自体では他は方言でないことに気づく。原稿は「だから」。従って、誤植である。

 

 校本全集年表によれば、この創作クレジットの前日である大正一二(一九二三)年七月三十一日、花巻を午後に立って、青森・北海道を経由して樺太へと出発した。

 これは花巻農学校を翌大正十三年三月に卒業予定の生徒二名の就職を、当時、日本領土であった南樺太(現在のサハリン(Сахалин)島の南部にあるロシア連邦極東連邦管区サハリン州州都ユジノサハリンスク(Южно-Сахалинск))。ここ(グーグル・マップ・データ)。日本政府は「サンフランシスコ平和条約」で南樺太を放棄したが、ソヴィエト連邦とは締結していなかったため、「南樺太」は現在も国際法上は帰属未定地のままである旧樺太庁豊原支庁豊原市にあった王子製紙株式会社に勤務する、盛岡高等農林で賢治の一年先輩であった細越健氏に依頼する、という校務(就職指導)上の出張であった。全集はしかし、その『目的があったが、トシとの交信を求める傷心旅行である』とわざわざ断ってある。嘗て必要があってこの部分を読んだ時、正直、「こういう書き方は、いかがなものか?」と私は不快に思った。それは今も変わらない。それは、彼のこの時の出張は、挨拶がてらのお気軽な、夏休みの旅行のついで仕事などではなかったからである。ギトン氏それについこちらで詳述しておられる。『農学校の卒業生の就職先を、外地の樺太まで頼みに行くとは』、『とってつけた口実のように思うかもしれませんが、じっさいにそうしなければならない理由があったようです。というのは』、斡旋した二名のうちの一名は、『在学中に非行で警察に捕まり、起訴猶予になったものの、卒業後』は『近在で働くことは困難だったのです。賢治としては、教え子の活路を見出すために、熱意を持って出かけたわけで、“とし子うんぬん”以上に、この正規の目的に意を注いでいたはずです。私たちは、どうしても、作者を作品だけから見てしまいがちですが、こうした点には、とくに気をつけなければいけないと思うのです。なお、この非行生徒の就職依頼については、関係者の証言に時期的な食い違いがあって未解明なのですが、堀籠教諭の回想談に、「あの旅行では、宮沢さんは、多くの詩を書いていますが、その夏』、「生徒※」(その問題のある方の生徒)『をどうやって救ったらいいか考えた末に、樺太』『就職』『にきめて、出かけたのでした』(森荘已池「宮沢賢治の肖像」に拠るものと注がある)とあるのである。この二名の生徒は全集に氏名が載るが、私はここには必要がないので記さない。しかし、ここに書かれたことから、奇妙な好奇心で誤った穿鑿などをされないようにするため、この二人の氏名と、その後も教師を辞めた賢治が如何にこの二人のことを気にかけていたかが実にしみじみと語られてある、栗原敦氏の論文『「銀河鉄道の夜」最終形の生成と「〔或る農学生の日誌〕」 -夢・現実・軌道の交錯-』(『實踐國文學』(二〇一三年十月発行)所収・PDF)を紹介しておく。

 七月三十一日の夜或いは八月一日早朝に青森に着き(校本全集記載の午後二時三十一分花巻発の普通列車なら、午後十時十分着、花巻発午後九時五十九分の遅い夜行列車ならば、午前五時二十分着。これについてはnitta245氏のブログ「星と写真の部屋」の「賢治と鉄道2-樺太行-」に考証と諸家の説が示されてあり、また、鈴木健司氏の論文『詩「青森挽歌」における《心象スケッチ》の時と場所―再構成された体験―』(『高知大国文』第三十号・一九二〇年三月・PDFでダウン・ロード可能)の冒頭の「一 賢治の乗った汽車は」でも考証されて、最後に『「花巻発午後九時五九分」は現時点で最も有力な説と考えられる』とある)、青森港七時五十五分発の青函連絡船で関門海峡を渡り、函館港午後十二時五十五分着。函館桟橋午後一時四十五分(普通列車)発で札幌を経由(車中泊)して、八月二日の午前四時五十五分旭川着。ここで農事試験場を訪ね(但し、移転していて試験場はなかった)、午前十一時五十四分旭川(普通列車)発、午後九時十四稚内着。稚内港午後十一時三十分発の稚泊連絡船でオホーツク海の宗谷海峡を北上(船中泊)し、八月三日午前七時三十分に南樺太の大泊港(現在のサハリン州コルサコフ(Корсаков))に到着している。以上はギトン氏のこちらの詳細なタイム・テーブルを主に参照した(以降の日程(七日までのサハリン滞在中の動きは殆んど判っていないが、無論、生徒の就職依頼は滞りなく行っている)もギトン氏のそちらを参照されたい。校本全集年譜とは比べ物にならないほど詳細である)。

「遷つて」「うつつて(うつって)」。

「こんなやみよののはらのなかをゆくときは」/「客車のまどはみんな水族舘の窓になる」//「(乾いたでんしんばしらの列が」/「せはしく遷つてゐるらしい」/「きしやは銀河系の玲瓏(れいらう)レンズ」/「巨きな水素のりんごのなかをかけてゐる)」//「りんごのなかをはしつてゐる」私たちは遂に「銀河鉄道の夜」の原型をここに見出す。「銀河系の玲瓏レンズ」の「玲瓏」は賢治の好きな語で、今までは概ね「玉などが透き通るように美しいこと・玉のように輝くこと」として出てきた。ここも「レンズ」なのだから、それで良いのだろうが、どうもそれでは私は不満である。賢治的にはそれでは賢治的に平凡だからだ。「銀河系」の形は巨大な凸「レンズ」の形に似ていると言えなくもない(私はそのように錯覚している)。或いはそれは「巨きな水素のりんご」とも言い得るようにも思われる。そして賢治は共感覚が得意だ。さればこそ、「レンズ」のような「銀河系」を「遷」って行く「列車」は、その天文学的な大きさを持つ「銀河系」の中では、一粒の恒星=「巨大な水素の」林檎もコロイド粒子のような粒々までミクロ化し、その「玲瓏」たる星の輝く中〈視覚〉を、「玲瓏」(玉などが触れ合って美しく鳴ること・音声の澄んで響くこと)たる音を立てながら〈聴覚〉架空の大きな列車が進んで行くのではあるまいか?

「枕木を燒いてこさえたが立ち」私(昭和三二(一九五七)年生まれ)は幾らも実際に見たことがあるが、そのうち、都会の若者にこれも説明しないと判らなくなる時代がやってくるだろう。ギトン氏の画像ページをリンクさせておく。

「よるのしづま」「夜の靜寂(しじま)」の訛りか。「しじま」は、静まりかえって物音一つしないことである。

「寒天凝膠(アガアゼル)」英語の「agar gel」寧ろドイツ語の「Agar Gel」(「ゲル」は固まって流動性を失った状態のコロイドを指す)或いは判り易い単語に並べ変えてしまうなら「agar jelly」で言い添えると「流動性を失ってある程度固まったゼリー状の寒天」である。「凝膠」は音では「ギョウコウ」で凝り固まった状態を指す。闇の粒子(実は私は若い時からよく使う。作小説「雪炎」のラストなど)が目詰った感じで、質感の感覚的置換表現として面白い。

「支手」「ししゆ(ししゅ)」と読んでおく。電柱や電信柱を昇降するための腕木。

「黃いろなラムプがふたつ(つ)き」/「せいたかくあほじろい驛長の」/「眞鍮棒もみえなければ」/「じつは驛長のかげもないのだ」実景が幻想となるスイッチが入って、黄色いランプが点灯し、目前の映像が変容を始める。ギトン氏はこちらでこの部分について、『この』『深夜に通過した(あるいは停車した?)駅の描写は、ひじょうに不可解な点があります。「真鍮棒」は、タブレットに変る前の単線の通票』[やぶちゃん注:以下に補注有り。]『で、通過する列車にも渡すものなのに、それが「みえない」。そして、「せいたかくあほじろい驛長の」と言っておいたあとで、「じつは驛長のかげもないのだ」──駅長は、プラットホームにいないのだ、というのです』(以下、「通票」補注:『単線の鉄道で、上り列車と下り列車が衝突しないように、駅ごとに駅長が運転手に渡す区間通行許可証の役割をするタブレットまたは棒。次の駅で回収され、次に逆方向に入る列車に渡されて、もとの駅に戻される。なお、鈴木氏[やぶちゃん注:鈴木健司「宮沢賢治という現象」二〇〇二年蒼丘書林刊を指す。]の調査によれば、この』大正一二(一九二三)『年には東北本線は、すでにタブレットに変り、真鍮棒は使われていなかったそうです。その点からも、この駅の描写は幻想またはフィクションと思われるのです』)。『列車が停車した通過したのか、賢治は何も書いておらず、曖昧ですが、その点をあえて実証的に突き止めようとするのは(詩の内容から時刻を割り出して、ダイヤで通過駅か停車駅か調べるなど)、ギトンはあまり意味がないと思います。なお、各駅停車でも通過する駅はあります』。『幻覚の中で、半分この世の駅でないような処に、迷い込んでしまった感があります』。七『行目までの「りんごのなかをはし」った後ですから、ここは夢幻的に読んでおいてよいと思うのです』とある。ギトン氏の『詩の内容から時刻を割り出して、ダイヤで通過駅か停車駅か調べるなど』ということは『意味がない』に激しく同意する。賢治は鉄道ファンであったが、私は不孝にして/幸いにしてその趣味は全く、ない。「と線」みたような通俗推理小説染みた真似は賢治の独擅場である『夢幻』の詩想の冒瀆以外の何ものでもないと私は思う。なお、この部分を鉄道に詳しい方が読むと、リアリズムな景として読解出来ることが、ぼっちハルク氏のブログ「オンゲ電譚」の『春と修羅より「青森挽歌」 評釈(1)』で判る。『汽車の外に人がいない孤独感をよく引きたてる一節である』。『「眞鍮棒(真鍮棒)」はかつて鉄道で使われていた通行票で、駅に着いた汽車から、出発する汽車へ、リレーのバトンのように受け渡され真鍮棒を持つ電車だけがその区間を走れるようにするシステムである。複数の汽車が同じ線路を走る事故を防止するためだ』。『しかしこの駅では真鍮棒の受け取りはない。時間が時間、他にこの駅を通る汽車もないので』、『この駅で受け取る予定だった真鍮棒はすでに前の駅で受け取っていたのだろう。だから駅長がいるわけがないのだ、と作者は気づく』。『このような真鍮棒を用いた通行手続きのことを、"スタフ閉塞"という。また閉塞区間をまとめ、通行票もまとめて受け渡すこの形式は"併合閉塞"である』とあった。これはこれで、鉄道に冥い私は「なるほど」とは思う。

「大學の昆蟲學の助手」儀礼的に名刺交換でもしていたのであろう。

「こんな車室いつぱいの液体のなかで」闇の粒子「寒天凝膠(アガアゼル)」が車中にも侵犯し、車内を満たしているのである。

「わたくしの汽車は北へ走つてゐるはづなのに」/「ここではみなみへかけてゐる」こうし感覚認識の変調は列車内では進行方向の逆転感覚として普通にしばしば起こるが、ここで賢治は南北でそれを指示しており、これは恐らく見えている星座に基づく謂いであるから、見当識の錯誤ではなく、確信犯の幻想である。それは後の「汽車の逆行は希求(ききう)の同時な相反性」/「こんなさびしい幻想から」によって詩人によって証明されている。

「燒杭」「やきぐひ(やきぐい)」と訓じておく。

「はるかに黃いろの地平線」以降の詩篇を追っても夜明けはまだ先であるから、これも幻像イメージである。

「ビーア」ビール。

「さびしい心意の明滅にまぎれ」「心意」は精神の意であるが、ここはまさに「心象」と読み換えてよかろう。本書の「序」にある通り、「わたくしといふ現象は」「假定された有機交流電燈の」「ひとつの靑い照明」であり、「あらゆる透明な幽靈の複合体」であり、「風景やみんなといつしよに」「せはしくせはしく明滅しながら」「いかにもたしかにともりつづける」「因果交流電燈の」「ひとつの靑い照明」なのであった。但し、ここではトシの死を契機として「風景やみんなといつしよに」は「明滅」していない。だからその「明滅」は「さびしい」のである。ギトン氏はこちらで『「心意の明滅」とは、作者には予想もできず突然にやってくる』『感情の急激で無軌道な起伏で』であるとされ、同様に「序」を引かれて『賢治の《心象》は、感情の起伏や変化によって、たえまなく変転し飛躍するもので』あったと記された後、宮沢清六「兄のトランク」から、『心象スケッチという難事業について、第一の難関は、この一度に飛躍し、無軌道に奔翔する心象の明滅を、どんな風にして詩に書き表わすかという問題である』という一文を引用されておられる。

「水いろ川の水いろ驛」/「(おそろしいあの水いろの空虛なのだ)」「流れを渡る」ことは古い民俗社会では異界(冥界)への移動を意味したし(水底(みなそこ)は水死や水葬された死者のニュアンスをも古くから持つ)、精神分析学的には成人の性のイニシエーションとも強く連関するから、ここはそうした「水」界、現実とは乖離した向う側の対称世界に対する生理的な恐怖の述べているように私には思われる。

「汽車の逆行は希求(ききう)の同時な相反性」汽車が逆行しているという異常な感覚変調は私(賢治)が希求(ききゅう)していることが共時的に「相反性」を持っているからであり、それは「さびしい」だけでなく危険なものであるから、「こんな」「幻想から」は「わたくしははやく浮びあがらなければならない」と自身に警告しているのである。賢治が希求している共時的相反性(アンビバレンツ)を持ったものとは何か? それこそが私は「春と修羅」なのではないかと思う。「春」は「生」(エロス)であり、「修羅」は「死」をも恐れぬ闘争であり、いやさ、最後に「死」(タナトス)を以って終わる闘諍の世界である。だからこそそれは危険であり、「はやく浮びあがらなければならない」のだと私(藪野)は思う。

「そこらは靑い孔雀のはねでいつぱい」賢治の幻想が目玉模様の孔雀が羽を広げるように総天然色で拡張する。

「眞鍮の睡さうな脂肪酸にみち」「脂肪酸」(Fatty acid)は長鎖炭化水素の一価のカルボン酸で、一般式 CnHmCOOH で表せる。『脂肪酸はグリセリンをエステル化して油脂を構成』し、『脂質の構成成分として利用される。広義には油脂や蝋、脂質などの構成成分である有機酸を指すが、狭義には単に鎖状のモノカルボン酸』(最も単純なカルボン酸は蟻酸や食酢の酸味成分である酢酸で、レモンなどクエン酸なども含まれる)『を示す場合が多い』(以上はウィキの「脂肪酸」に拠った)。松井潤氏のブログ「HarutoShura」の本詩篇の解説(分割掲載の一つ)ではこの詩の場面について、「宮澤賢治語彙辞典」から以下を引用されている。『「空間をしばしばコロイド溶液でとらえる賢治の夜明け前の車室内描写で、疲労によってぼんやり目に写る黄色電燈に照らされた車室を、真鍮の黄色と乳酸(脂肪酸の一。人間が体内でエネルギーを消化した残りかす。疲労の化学的表現)とを結びつけて表現したものである」』。なお、そこで松井氏は『賢治は、カルボン酸や脂肪酸をよく雲の形容に用いています。それは脂肪酸特有の白蝋色から雲を連想した』からとか、或いはCnHmCOOHで『表せる化学構造式が雲の形に似ているから、などの説があるよう』だとある。化学式云々は面白い。賢治なら如何にも考えそうである。

「(考へださなければならないことを」/「わたくしはいたみやつかれから」/「なるべくおもひださうとしない)」詩人による本篇の「挽歌」たる核心への予告である。

「今日のひるすぎなら」/「けはしく光る雲のしたで」/「まつたくおれたちはあの重い赤いポムプを」/「ばかのやうに引つぱつたりついたりした」/「おれはその黃いろな服を着た隊長だ」/「だから睡いのはしかたない」賢治はこの日(七月三十一日)の昼過ぎ(この謂いからも私は花巻発午後二時三十一分の普通列車乗車はやや無理っぽい気はする)、農学校で水田実習指導を行ったものらしい。当時の学校の実習服が黄色であったのは資料から確認出来る。「ポムプ」は揚水用ポンプで、「ばかのやうに引つぱつたりついたりし」ないと機動しない、話にならないポンコツ品であったようだ。

「(おゝ(オー)おまへ(ジウ) せはしい(アイリーガー)みちづれよ(ゲゼルレ)」/「どうかここから(アイレドツホエヒト)急いで(フオン)去らないでくれ(デヤステルレ)/「⦅尋常一年生 ドイツの尋常一年生⦆」私は第一外国語をフランス語でとってしまったからドイツ語は全く解らぬので、ここは全面的にギトン氏のこちらに御厄介になる(文字の一部を斜体化し、記号の一部も変更させて貰った)。まず、以上をドイツ語原文で示すと、

O du eiliger Geselle,

Eile doch nicht von der Stelle!

だそうで、『これは、"Des Wassers Rundreise"(水の周遊, 水の旅)という作者不詳のドイツ詩☆の一節なのですが、当時、旧制高校などのドイツ語教科書として使われていた『独文読本』(大村仁太郎他編・独逸学協会出版部』・明治三〇(一八九七)年刊)『には、この詩が載せられていたそうです。賢治は、この教科書でドイツ語を習った可能性が高いのです』。『いま、ネットで検索をかけると、"Bildersaal deutscher Dichtung" という』一八二九年(文政十二年相当)にスイスの『ヴィンタトゥーア発行のドイツ詩の教科書がヒットします。こちらでは、題名が "Wiederfinden"(再発見・復縁)になっており、本文も、"eiliger Geselle" (せわしい若者よ)が "lieblicher Geselle" (愛らしい若者よ)になっています。やはり作者名は書いてありません。相当に古くから教科書に載っていたこと、また、再会の約束に力点がおかれた明るい調子の詩だということが分かります』とされ、リンク先にその「水の周遊」》全体の原文が示された後、ギトン氏の訳が載る。

   《引用開始》

 【ギトン訳】 水の周遊

 

花たちが波に言った

「おお、きみ、せわしい若者よ、

せわしくその場を去ってゆくなよ!」

しかし、波はそれに答えて言う

「私は下の国々へ行かねばならない

この大河に保証されてどこまでも

さいごは海で水浴びして若返るため;

だがそのあと青空から降りて来よう

ふたたび雨となって君たちの上に」

 

   《引用終了》

ギトン氏はその後に「国会図書館デジタルコレクション」で、当該読本の明治四〇(一九〇七)年版と明治四二(一九〇九)年版が閲覧出来ることを示されていたので、その後者、大村仁太郎山口小太郎・谷口秀太郎共編「獨文讀本 第一 修正」(獨逸語學雜誌社刊)当該詩篇の載るページを確認したのでリンクさせておく。以下、『河の水は海に注ぎ、蒸発して雲となり、降水となって、また地上に戻って来る。つまり、“水の循環”を歌にしたもので、スイスの民謡ではないでしょうか』。『おもしろいのは「花たち」との関係で、根があって動けない花は、忙しそうに行ってしまわなくてもいいじゃないか、と言いますが、水(波)は、諸国を旅して見聞を広め、最後は若返り、きれいなツユになって、きみたちのところへ戻って来ると答えます』。『海に注いだ後は、またツユになって生まれてくるという「波」の返事は、仏教の《輪廻転生》を思わせないでしょうか?』と述べておられる。さらにギトン氏は、この歌と賢治の親友で決裂してしまった保阪嘉内の家の家庭歌との関連を述べて非常に興味深い考察おられるが、引用が多量に及ぶため、そこは割愛させて戴く。なお、松井潤氏のブログ「HarutoShura」の本詩篇の解説(分割掲載の一つ)には、賢治は大正四(一九一五)年、『盛岡高等農林学校(現在の岩手大学)に入学、彼が学んだ農学科第』二『部(農芸化学科)では週』四~五『時間の外国語(英語とドイツ語)が課されてい』たとある。

「いきなりそんな惡いびを」/「投げつけるのはいつたいたれだ」/「けれども尋常一年生だ」/「夜中を過ぎたいまごろに」/「こんなにぱつちり眼をあくのは」/「ドイツの尋常一年生だ)」ギトン氏はこちらから複数回でこの部分を考察され(詳細はリンク先を読まれたい)、最終的に、この現在の小学校一年生に相当する『「尋常一年生」くらいの子供』は、『賢治の《心象》』の中で車中に出現したドイツ人の子ども、『夜半過ぎのこの時刻に、「ぱつちり眼をあ」いている』ドイツの少年なのだとされ、或いは、実際にドイツ人の少年が『車内にいたのだ』ともされる青森に向かう夜行列車内にいたとされる部分はちょっと私には信じ難いので、私は夢想ととっておく。しかし、これも後の「銀河鉄道の夜」の雰囲気を完璧に醸成している。但し、「いきなり」「そんな惡いびを」「投げつけるのはいつたいたれだ」という不吉な対象への批難めいた言いは、賢治の夢想に強引に侵入してきた、魔物か悪魔に対する拒絶のポーズのようにもとれる。そうすると、「少年」=小人と悪魔から、自動的に私はゲーテの「ファウスト」(Faust:第一部は一八〇八年に、第二部はゲーテの死の翌年一八三三年に発表)のメフィストフェレス(Mephistopheles)と人造人間ホムンクルス(Homunculus:ラテン語で「小人」の意)が想起されるのだ。生み出されたばかりのホムンクルスなら、ドイツ語を一から学習しなくてはならず、発音が「惡いび」としか聞こえないのは極めて腑に落ちるではないか?!

「あいつはこんなさびしい停車塲を」/「たつたひとりで通つていつたらうか」/「どこへ行くともわからないその方向を」/「どの種類の世界へはいるともしれないそのみちを」/「たつたひとりでさびしくあるいて行つたらうか」遂にトシが登場する。この「あいつ」はトシ以外には考えられない。この時、トシの死から八ヶ月が経過している。

「(草や沼やです」/「一本の木もです」死出の旅路、冥界へ向かう、その景か。

⦅ギルちやんまつさをになつてすわつてゐたよ⦆」/「⦅こおんなにして眼は大きくあいてたけど」/「ぼくたちのことはまるでみえないやうだつたよ⦆」/「⦅ナーガラがね 眼をぢつとこんなに赤くして」/「だんだん環わをちいさくしたよ こんなに⦆」/⦅し、環をお切り そら 手を出して⦆」/「⦅ギルちやん靑くてすきとほるやうだつたよ⦆」/「⦅鳥がね、たくさんたねまきのときのやうに」/ばあつと空を通つたのでもギルちやんだまつてゐたよ⦆」/⦅お日さまあんまり變に飴いろだつたわねえ⦆」/「⦅ギルちやんちつともぼくたちのことみないんだもの」/「ぼくほんたうにつらかつた⦆」/「⦅さつきおもだかのとこであんまりはしやいでたねえ⦆」/「⦅どうしてギルちやんぼくたちのことみなかつたち[やぶちゃん注:「ら」の誤植。]う」/忘れたらうかあんなにいつしよにあそんだのに⦆」二人或いはそれ以上の〈ある子どものような存在たち〉の対話形式になっているので、取り敢えず、二者と仮に考え、同一者と思われる一方を太字で以上に示してみた。複数であっても論理上の問題はない。松井潤氏のブログ「HarutoShura」の本詩篇の解説(分割掲載の一つ)には、『「ギルちゃん」はトシのことで、蛙になぞらえて語られているのでしょう。宮澤賢治語彙辞典によれば、ギルというのは「恐らくGilda(ドイツ語に多い女性名)からきたものか、あるいはGoruda(インド神話の巨鳥。蛇の敵)のもじりかもしれない」ということです』。『「ナーガラ」は、龍(巨蛇の鬼神)、あるいは町を囲む城壁を意味する梵語に由来すると考えられています。妹の化身である蛙(ギルちゃん)を絞め殺そうとしている蛇の名と考えられます』。『蛇であるナーガラは「だんだん環〈わ〉をちひさくし」て、ギルちやんを締めつけているのでしょうか。「環をお切り」とは、そうした呪縛を解くことを意味しているように思われます』。『でも、ギルちやんは「青くてすきとほるやう」で「だまつてゐた」まんま。「切」ったり逃れたりといった反応を何も示すことはありません。もはや死のときを迎えていたのでしょう』とある。無理のない腑に落ちる解釈である。「ナーガラ」は確かに私も直ちに「ナーガ」、蛇ととった。ただ、その蛇は単なる「死」のネガティヴなシンボルではあるまい。私は「ウロボロスの環」ouroborosuroborosウィキの「ウロボロス」より引く。汎世界的に認められる『古代の象徴の一つで、己の尾を噛んで環となったヘビもしくは竜を図案化したもの』で、『語源は、「尾を飲み込む(蛇)」の意のギリシャ語』に由来する。『ウロボロスには』一『匹が輪になって自分で自分を食むタイプと』、二『匹が輪になって相食むタイプがある』後者の『場合は一『匹は何も無い素のままの姿だが(王冠を被っているタイプもあり)、もう』一匹には一つの王冠と一対の翼と一対の肢がある図案で描かれることが多い。『ヘビは、脱皮して大きく成長するさまや、長期の飢餓状態にも耐える強い生命力などから、「死と再生」「不老不死」などの象徴とされる。そのヘビがみずからの尾を食べることで、始まりも終わりも無い完全なものとしての象徴的意味が備わった』。『古代後期のアレクサンドリアなどヘレニズム文化圏では、世界創造が全であり一であるといった思想や、完全性、世界の霊などを表した』。『錬金術では、相反するもの(陰陽など)の統一を象徴するものとして用いられ』、『カール・グスタフ・ユングは、人間精神(プシケ)の元型を象徴するものとした』。『他にも、循環性(悪循環・永劫回帰)、永続性(永遠・円運動・死と再生・破壊と創造)、始原性(宇宙の根源)、無限性(不老不死)、完全性(全知全能)など、意味するものは広く、多くの文化・宗教において用いられ』る)や「輪廻」を想起する。「おもだか」は「沢瀉(おもだか」で単子葉植物綱オモダカ目オモダカ科オモダカ属オモダカ Sagittaria trifolia。水田・湿地・溜め池などに自生する水生植物。

「⦅耳ごうど鳴つてさつぱり聞けなぐなつたんちやい⦆」/「さう甘へるやうに言つてから」/「たしかにあいつはじぶんのまはりの」/「眼にははつきりみえてゐる」/「なつかしいひとたちの聲をきかなかつた」/「にはかに呼吸がとまり脈がうたなくなり」最初のそれは「耳が、『ゴウ!』と鳴って、全く聞こえなくなってしまったわ」という臨死のトシの言葉である。永訣の朝で引用した全集年譜の注の一節に、『夜、母の手で食事したあと、突然耳がごうと鳴って聞こえなくなり、呼吸がとまり、脈がうたなくなる』とある。ここではトシの死の体験を賢治がトシとなって再体験している。

「それからわたくしがはしつて行つたとき」/「わたくしがその耳もとで」/「遠いところから聲をとつてきて」/「そらや愛やりんごや風、すべての勢力のたのしい根源」/「萬象同歸のそのいみじい生物の名を」/「ちからいつぱいちからいつぱいんだとき」/「あいつは二へんうなづくやうに息をした」「永訣の朝」で引用した全集年譜の注の一節に、『呼び立てられて賢治は走ってゆき、なにかを索めるように空しくうごく目を見、耳もとへ口を寄せ、南無妙法蓮華経と力いっぱい叫ぶ。トシは二へんうなずくように息をして彼岸へ旅立った。八時半である』とある。

「⦅ヘツケル博士!」/「わたくしがそのありがたい證明の」/「任にあたつてもよろしうございます⦆」「ヘツケル博士」既出既注であるが、再掲すると、エルンスト・ハインリッヒ・フィリップ・アウグスト・ヘッケル(Ernst Heinrich Philipp August Haeckel 一八三四年~一九一九年)は、「個体発生は系統発生を繰り返す」という命題で知られた、私の好きな生物学者・自然哲学者で、今まで多くの記事で述べてきたが、ここは取り敢えず私見を殆んど交えていない、「進化論講話 丘淺次郎 第十五章 ダーウィン以後の進化論(3) 三 ハックスレーとヘッケル」をリンクさせておくが、彼はロマン主義的な汎神論的進化主義者であったが、ここでは反神秘主義の立場から、ヘッケルが霊魂の不滅を否定したことをまず押さえなければならない。先に掲げた鈴木健司氏の論文『詩「青森挽歌」における《心象スケッチ》の時と場所―再構成された体験―』(『高知大国文』第三十号・一九二〇年三月・PDFでダウン・ロード可能)には『第二章「青森挽歌」研究・2 「ヘツケル博士!」の解釈をめざして』という独立章がある。詳細は当該論文をお読み戴くとして、その終章『八 「ヘツケル博士!」の解釈』で鈴木氏は、『「青森挽歌」における二重括弧の意味は、「無意識領域に住む《天使》と《蛇》」の問題として、ほぼ理解し得るのではないだろうか。問題は「ヘツケル博士!」に付された二重括弧を《天使》と見るか《蛇》と見るかであるが、すでに述べたように、私はここでの二重括弧を「あんな卑怯な叫び声」の指示対象と判断しているので、《蛇》すなわち《魔》の声となる』とされた上で、『それにしても、なぜ《魔》は、とし子の天界往生の証明をヘッケル博士に向かって呼びかけたのか。それは、ヘッケル博士が賢治の分身としての意味を持っており、ヘッケル博士への呼びかけは賢治自身への呼びかけと同義であったからではないか。私はすでに、ヘッケルの霊魂観と賢治の霊魂観とが抵触しないこと、また、ヘッケルの生命的物質観が賢治にとって近しいものであったことを論証してきているので、ここにいたって、ヘッケルが賢治の誇大化された分身であると主張したとしても、あながち無謀な試みではないと思う』と述べられ、最後に、『「ドイツの尋常一年生」と「ヘツケル博士!」とは対応的に配置された、矮小化された自己と誇大化された自己である。そこから読み取れる最も重要な点は、賢治が《魔》の告げるところの、前者の自己を受け入れ、後者の自己を拒絶したことにある。その理由はおそらく、そこで問われていることが賢治自身のことでなく』、『妹とし子のことであり、誇大化された自己に酔うことは、妹の死後の行方の追究の放棄を意味するに他ならなかったからではないだろうか』。『「青森挽歌」の旅を通じ、賢治は矮小化された自己や誇大化された自己に揺れながら、内なる《魔》と戦いつづけたのである』。『最後に、まとめの意味で「ヘツケル博士!」の二重括弧の私なりの読みを記し、今後の批判を仰ぎたいと考える』と記されて、

   《引用開始》

 《魔》が、賢治の誇大化された分身であるヘッケル博士に向かって、

((ヘツケル博士!

わたくしが、妹とし子さんの天界への往生という、ありがたい証明の任にあたってもよろしうございます。))

   《引用終了》

という解釈変換を示して終えておられる。私は、賢治はここで、死んだトシの霊魂への呼びかけは可能であり、現に意識の交換・通信がし得る、という確信の中にあると読むべきであろう。でなくては、この「オホーツク挽歌」の世界全体が定立しなくなるからである。

「假睡珪酸(かすゐけいさん)の雲のなかから」「假睡珪酸」は賢治の造語。「珪酸」は珪酸ナトリウムの溶液に酸を加えて得られる白い膠状物質で賢治の好きな謂いなら「コロイド珪酸」とも称する。転寝(うたたね)の微睡(まどろみ)の見当識を失ったようなぼんやりとした意識世界を表象していよう。それは「魔物」のエネルギ体としても相応しい。私は好きなアメリカのSFテレビドラマ「アウター・リミッツ」(The Outer Limits)の「人喰い雲」(It Crawled Out of the Woodwork)や「人間電池」(The Man with the Power)を直ちに思い出した。

「宗谷海峽を越える晚は」これは事実としては八月二日の深夜から三日朝に相当するから(前掲のサハリンまでのタイム・テーブルの下線部を参照)、この連全体はこれからの予定の中での、ある覚悟を示していることになる。しかし、本注冒頭でも記した通り、この「宗谷海峽を越える晚は」の連は、そうした予定上の仮りの謂いとしても、かなり無理があり、実際の八月二日の深夜から三日朝の体験(前掲するサハリンまでのタイム・テーブルの下線部を参照)に基づくものである可能性が濃厚である。

「からだはけがれたねがひにみたし」「體は瀆れた願ひに滿たし」。漠然とした現実の男としての性的欲求の謂いととっておく。特にそれを、誰にとか、どのようなとか、穿鑿する必要は全くない。それは賢治にとって修羅の対象であるだけで充分に理解される。寧ろ、広義のエロス、賢治の超自我が「瀆れた」と指弾する「性」的なるが故に、それは修羅に生きる賢治の根源的な「なま」の「生」のエネルギでもあるようなものである。トシと絡めて解釈するような大誤読をやらかすと、私が「宮澤トシについての忌々しき誤謬」で指弾した嵐山光三郎のようなトンデモ誤謬に陥る。リンク先は私のブログ・アクセス・ランキングで常に十番以内を維持している特異点の記事である。

「そしてわたくしはほんたうに姚戰しやう」これは先の「ヘツケル博士!」のそれから、トシとの霊界通信への絶対可能の確信犯の挑戦と読むのが自然である。

「ここでみるやうなゆめをみてゐたかもしれない」今現在の「ここ」の車内で「夢見」心地に幻覚(「夢幻」)を「見てい」る賢治の状況を指す。

「つぎのせかい」賢治の中には霊界(この言葉を生理的嫌悪される方には「序」の最後の「すべてこれらの命題は」/「心象や時間それ自身の性質として」/「第四次延長のなかで主張されます」とあった「第四次延長の」世界と措定してもよい)を認めている確かな賢治が「いる」のである。

「ほんたうにその夢の中のひとくさりは」/「かん護とかなしみとにつかれて睡つてゐた」/「おしげ子たちのあけがたのなかに」/「ぼんやりとしてはいつてきた」/「⦅黃いろな花こ おらもとるべがな⦆」/「たしかにとし子はあのあけがたは」/「まだこの世かいのゆめのなかにゐて」/「落葉の風につみかさねられた」/「野はらをひとりあるきながら」/「ほかのひとのことのやうにつぶやいてゐたのだ」「おしげ子」は次妹シゲ。ここは「永訣の朝」に引用した、トシの亡くなった後のその日の夜の、

   *

 重いふとんも青暗い蚊帳も早くとってやりたく、人びとはいそがしく働きはじめた。そして女たちは経かたびらを縫う。そのあけがた、針の手をおいてうとうとしたシゲは、落葉ばかりのさびしい野原をゆくゆめを見る。自分の歩くところだけ、草花がむらがって、むこうから髪を長くたらした姉が音もなく近づいてくる。そして「黄色な花コ、おらもとるべがな」ときれいな声で言った。

   *

という事実に基づく。

「そしてそのままさびしい林のなかの」/「いつぴきの鳥になつただらうか」「白い鳥」参照。

I'estudiantinaギトン氏のこちらの解説によれば、発音は「レストゥディアンティナ」(スペイン語式)で、「スケーターズ・ワルツ」として人口に膾炙する「スケートをする人々」(Les Patineurs)で知られるフランスの作曲家エミール・ワルトトイフェル(Émile Waldteufel 一八三七年~一九一五年)が作曲したワルツ曲である。ウィキの「女学生(ワルトトイフェル)」他によれば、パリの通俗作曲家パウル・ラコーム(Paul-Jean-Jacques Lacôme d'Estalenx 一八三八年~一九二〇年)の『重唱曲やスペインの俗謡を素材として』一八八三年(明治十六年)に『作曲された。当初四手ピアノのために書かれ、その後現在親しまれる管弦楽版が作られた。『スケーターズ・ワルツ』などと並ぶワルトトイフェルの代表作の一つである』。『広く使われている』邦訳『題「女学生」は、原題の』“Estudiantina”『(学生の楽隊の意)を、両性同形名詞』“studiante”『(学生)の女性形と誤ったものと考えられる』とある。You Tube waldteufel78氏の「Emile Waldteufel - Estudiantina (Op. 191, Waltz)で聴ける。「ああ! あれか!」という知られたものである。個人ブログ「森のぐらさん」の「ワルトトイフェル《ワルツ「女学生」op.191》」は本曲に就いて非常に詳しい。全楽譜画像附きで演奏(You Tube:先のそれとは別)も聴ける。但し、この曲それを「風にききながら」「水のながれる暗いはやしのなかを」「かなしくうたつて飛んで行」くには、ちと、派手な曲で、私には馴染めない。

「わたくしはどうしてもさう思はない」トシが鳥(聖なる鳥だとか、魔の鳥だとか、どこかの霊媒師みたような考察をしている御仁がいるらしいが、どうでもよいことだ、「鳥」なのだ)に転生してしまったのでは、通信が出来ない可能性が高くなると賢治は思ったのである。民話や童話のそれのように鳥となってしまっては、林の奥深く永久に翔り去ってしまうのである。霊的存在のままでこそ、それは可能だと彼は考えているのである。

「なぜ通信が許されないのか」? いや! それは「許されている」! と賢治は高々と宣言し、「そして私」は確かに! それを「うけとつた」のだ! その「通信は」と続く。

「母が夏のかん病のよるにゆめみたとおなじだ」この母イチが看病の夜に見た夢というのは不詳。ただ、これはその通信をこの時制以前に既に受け取ったとしているわけで、それを本書の過去の詩篇の中に求めるなら、林」

   *

 (ああけれどもそのどこかも知れない空間で

  光の紐やオーケストラがほんたうにあるのか

  …………此處(ここ)あ日(ひ)あ永(な)あがくて

      一日(いちにぢ)のうちの何時(いづ)だがもわがらないで……

  ただひときれのおまへからの通信が

  いつか汽車のなかでわたくしにとどいただけだ

   *

「…………此處(ここ)あ日(ひ)あ永(な)あがくて」「一日(いちにぢ)のうちの何時(いづ)だがもわがらないで……」というそれ以外にはないと思われる。

「どうしてわたくしはさうなのをさうと思はないのだらう」それをトシの霊界からの通信だと素直に認めることが出来ない、科学者としての、日蓮宗信徒としての、そうして修羅の魔としての自分が〈いる〉のは何故だろう? と言うのか? 否! 以下、賢治はその通信に素直に従って、夢想を空へ飛ばす。

「未知な全反射の方法」光明如来のイメージか。「妙法蓮華経」第三巻の「授記品第六」に説かれる如来で「光り輝く者」の意。釈迦の十大弟子の中で、最も物事に執着せず、「頭陀第一」とされた摩訶迦葉が、将来仏となった時の名で、その時に住む国の名は光徳(こうとく)、その時代(劫名)は大荘厳(だいしょうごん)であるとされる(サイト「通信用語の基礎知識」のこちらに拠った。「通信」とはびっくり!)。

「る璃」「瑠璃」(原稿はこの漢字表記)。仏教の七宝の一つ。サンスクリットの音訳。「金緑石」(chrysoberyl:クリソベリル。は鉱物の一種。組成は BeAl2O4 で、色は黄色・帯黄緑色・緑色・褐色等さまざまである。ペグマタイト(pegmatite:大きな結晶から成る火成岩の一種)や変成岩中に産出する。ウィキの「金緑石」によれば、『金緑石の変種には変わったものがあり、研磨により明るい光の筋が見えるキャッツアイ(猫目石)や、光源により色の変わるアレキサンドライトなども金緑石の変種である』とあった)のこととも、「ラピス・ラズリ」(lapis lazuli:「ラピス」はラテン語で「石」、「ラズリ」はペルシア語で「青」の意。藍青(らんせい)色を呈し、飾り石として古代から用いられてきた鉱物。数種の鉱物の混合物で、黄鉄鉱が混じっており、磨くと濃い青地に金色の斑点が輝くので、青金石ともいう。主産地はアフガニスタン)であるともされる。

「瓔珞」(ようらく)は装身具及び仏堂・仏壇等の荘厳具(しょうごんぐ)の一種。古くはインドの貴族の装身具として用いられていたものが仏教に取り入れられたもので、菩薩以下の仏像に首飾り・胸飾りとして用いられているのをしばしば見かけ、寺院・仏壇等に於いて天蓋などの荘厳具として用いられることもある。

「移らずしかもしづかにゆききする」これは天人の動作。童話「インドラの網」に、

   *

 天人はまつすぐに翔けてゐるのでした。

(一瞬百由旬を飛んでいるぞ。けれども見ろ、少しも動いてゐない。少しも動かずに移らずに變らずにたしかに一瞬百由旬づつ翔けてゐる。實にうまい。)私は斯うつぶやくやうに考へました。

 天人の衣はけむりのやうにうすくその瓔珞は昧爽[やぶちゃん注:「まいさう(まいそう)」。明け方のほの暗い時。]の天盤からかすかな光を受けました。

(ははあ、ここは空氣の稀薄が殆んど眞空に均しいのだ。だからあの繊細な衣のひだをちらつと亂す風もない。)私は又思ひました。

 天人は紺いろの瞳を大きく張つてまたたき一つしませんでした。その唇は微かに哂ひ[やぶちゃん注:「わらひ」。笑い。]まつすぐにまつすぐに翔けてゐました。けれども少しも動かず移らずまた變りませんでした。

(ここではあらゆる望みがみんな淨められてゐる。願ひの數はみな寂められて[やぶちゃん注:「しづ(しず)められて」。]ゐる。重力は互に打ち消され冷たいまるめろの匂ひが浮動するばかりだ。だからあの天衣の紐も波立たず又鉛直に垂れないのだ。)

 けれどもそのとき空は天河石[やぶちゃん注:「てんがせき」。美しい緑青色を呈する微斜長石。カシミール地方を主産地し、カットして飾り石に使われる。アマゾナイト(Amazonite)とも呼ぶ。]からあやしい葡萄瑪瑙の板に變りその天人の翔ける姿をもう私は見ませんでした。

   *

「巨きなすあしの生物たち」これを白亜紀の恐竜のようなものとするのは、私はどうも前後からしっくりこない。「序」に、

   *

おそらくこれから二千年もたつたころは

それ相當のちがつた地質學が流用され

相當した證據もまた次次過去から現出し

みんなは二千年ぐらゐ前には

靑ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ

新進の大學士たちは氣圈のいちばんの上層

きらびやかな氷窒素のあたりから

すてきな化石を發堀したり

あるひは白堊紀砂岩の層面に

透明な人類の巨大な足跡を

發見するかもしれません

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とある。賢治にとっては天人はアンドレ・ブルトンが一九四二年に提唱した「透明な巨人」(Les Grands Transparents)のようなものででもあったのではなかったか? 『人間はおそらく、世界の中心や照準点などではない。動物界の序列のなかで、人間よりさらにうえに生物が存在し、その生物の行動は、ちょうど人間の行動がカゲロウや鯨にとって無縁なものであるのと同じように、人間には無縁なものなのだと、思わずそんな風に考えてしまうことだってできるのだ』(ブルトン「シュルレアリスム第三宣言か否かについての序論」より。以上は「日本アートNipponArtのブログ」のこちらから引用した)。

「それともおれたちの聲を聽かないのち」以下、「斯ういつてひとりなげくかもしれない……」までを諸家は〈地獄〉とする。

「笑氣(せうき)」亜酸化窒素N2O。ヒトが吸入すると、陶酔させる作用があることから「笑気ガス」(laughing gas)という呼称でよく知られる。ここは真に笑っているのではなく、薬物によって笑わせられるという、痙攣的な〈笑地獄〉というニュアンスとなろう。

「(わたくしがいまごろこんなものを感ずることが」/「いつたいほんたうのことだらうか」/「わたくしといふものがこんなものをみることが」/「いつたいありうることだらうか」/「そしてほんたうにみてゐるのだ)と」/「斯ういつてひとりなげくかもしれない……」言わずもがな、トシがである。

「わたくしのこんなさびしい考は」/「みんなよるのためにでるのだ」「考」は「かんがへ」。冒頭で注した通り、原稿は「できるのだ」であるが、前掲の〈地獄〉風景を受けるなら、想念の中に「夜のために出來るのだ」よりも、「夜のために」こんな忌まわしい陰惨なイメージは「出る」のだ、という方が躓かずに読めると私は思う。

「夜があけて海岸へかかるなら」/「そして波がきらきら光るなら」/「なにもかもみんないいかもしれない」ここで意識が現実へ戻る。しかし!

「けれどもとし子の死んだことならば」/「いまわたくしがそれを夢でないと考へて」/「あたらしくぎくつとしなければならないほどの」/「あんまりひどいげんじつなのだ」「ならば」の順接の仮定条件は用法としておかしい。「なれば」「なればこそ」「なのだから」である。これはトシの死を受け入れられない賢治がやはりここにはいることをよく示しているものと私は思う。

「感ずることのあまり新鮮にすぎるとき」/「それをがいねん化することは」/「きちがひにならないための」/「生物體の一つの自衞作用だけれども」/「いつでもまもつてばかりゐてはいけない」まさに賢治の詩篇の難解さや、ある種、膜のようなものを介して対しているような妙な感じを受けるのは、まさにこうした自衛作用による、ごわごわした防護服のせいであると思われる。

「むかしからの多數の實驗から」/「俱舍がさつきのやうに云ふのだ」「俱舍」はインドの大乗仏教僧世親(ヴァスバンドゥ)の著わした「倶舎論」(正式には「阿毘達磨倶舎論(あびだつまくしゃろん)」)のこと。五世紀半ば頃の成立で、全体は九品(ほん:章)に分かれ、初めの二品で基本的な「法(ダルマ)」の定義と諸相を明かし、次の三品で「迷い」の世界を、後の三品で「悟り」の世界をそれぞれ説明し、最後の付録的性格をもつ一品では「無我」を証明する。先行する原始仏教の思想を体系化し、後の大乗仏教にも深い影響を与えた。中国では玄奘と真諦(しんだい)の訳があり、法相(ほっそう)宗の基本教学書であるとともに、仏教学の基礎として大いに用いられた。「さつき」とは「あかつきの薔薇いろをそらにかんじ」から、「速いほのかな記憶のなかの花のかほり」/「それらのなかにしづかに立つた」までを指し、天界(極楽浄土)はそのように清らかで美しい世界であると「倶舎論」は「云」うのだ、の意。

「二度とこれをくり返してはいけない」「これ」は先の部分の〈地獄〉パートを指すのであろう。トシが地獄染みた怖ろしく穢れた世界へ行ってしまったなどという夢想を繰り返してはいけない、そのようなまさに「迷い」を生じさせてはいけない、と言うのである。

「おもては軟玉(ない[やぶちゃん注:「ん」の誤植。]ぎよく)と銀のモナド」「軟玉」はネフライト(nephrite)で透閃石-緑閃石系角閃石の緻密な集合体である。ウィキの「軟玉」によれば、『軟玉とは硬玉』(翡翠輝石・ジェダイト(jadeite))『に対する言葉で、硬度が石英に並ぶ硬玉よりわずかに低い』『ことからこう呼ばれる。中国では軟玉しか採れず、古くは玉(ぎょく)と呼ばれ、古代より中国で価値ある宝石として多く使われていたが』、十八『世紀に入り』、『ミャンマーの現カチン州でジェダイトが発見されたため、ネフライトは軟玉と呼ばれ』て『区別されるようになった』。『ネフライトは古代ギリシア語で腎臓を意味するnephrósと英語で鉱物を意味する-iteからきており、「腎臓の石」を意味する。中南米で腎臓の治療に使われていたことからスペイン人が名づけたのが元と言われる』とある。「モナド」(monad)はギリシア語の「モナス」(monas:「単位・一(いつ)なるもの」の意)由来する概念で「単子」と訳される。古代ではピタゴラス学派やプラトンによって用いられ、近世ではニコラウス・クサヌスやブルーノが、モナドを、「世界を構成する個体的な単純者・世界の多様を映す一者」として捉えた。これらの先駆思想を継承して、ライプニッツは彼の主著「モナドロジー」に於いて、独自の単子論的形而上学思想を説いた。ライプニッツは物理的原子論を批判し、宇宙を構成する最も単純な要素、即ち、自然の真のアトムは、不可分であって空間的拡がりをもたぬ「単純者」であり、いわば「形而上学的点」とも言うべきものであると主張した(ここは平凡社「世界大百科事典」に拠った)。ここでは「半月の噴いた瓦斯」(ガス)とともに、夜のごく薄い明りの比喩である。

「卷積雲(けんせきうん)」cirrocumulus。上層雲に属し、白色の小さい雲片の群れが、蜂の巣状・鱗状・波状の形を成した雲。通常は五~十三キロメートルの上空に現れる。陰影はなく、一般に白色に見える。巻雲・巻層雲から変化した状態のものが大部分で、長続きはしない。日本の俗称では「鱗雲」「鰯雲」「鯖雲」など称される(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。或いは、これらの和名異名から、雲の内部の方の意で、「はらわた」(腸)と表現したものかも知れない。

「月のあかりはしみわたり」/「それはあやしい螢光板(けいくわうばん)になつて」/「いよいよあやしい苹果の匂を發散し」/「なめらかにつめたい窓硝子さへ越えてくる」「苹果」は林檎。既に眞空溶媒これで「りんご」のルビを振っているから、それでよい。月光によって内側からぼんやり青白く光っているように見える巻積雲を蛍光塗料を塗った板に換喩した。

「靑森だからといふのではなく」前行への添え辞。青森で林檎で知られているから、「苹果の匂」と形容したわけではないの意。こういう言わずもがなな言い訳は、私は賢治の詩篇としては瑕疵であると思う。

「⦅おいおい、あの顏いろは少し靑かつたよ⦆」/「だまつてゐろ」/「おれのいもうとの死顏が」/「まつ靑だらうが黑からうが」/「きさまにどう斯う云はれるか」/「あいつはどこへ墮ちやうと」/「もう無上道に屬してゐる」/「力にみちてそこを進むものは」/「どの空間にでも勇んでとひ[やぶちゃん注:「び」の誤植。]こんで行くのだ」渡部芳紀評釈「青森挽歌では、『賢治に囁きかける唯物論者の声。それは、賢治自身の中の分裂した心の一方の声でもある。賢治の中に科学者の目があり、唯物論的に物をみようとする目がそうした呼びかけを招きよせるのだ』とされる。〈魔〉の囁きともとれる。「無上道」は仏語で「最高の悟り。この上ない仏の悟り」の意。悟った以上は、修羅もまた菩提か。賢治の覚悟が示される。

「鋼」「はがね」と訓じておく。

「ほんたうにけふの…きのふのひるまなら」/「おれたちはあの重い赤いポムプを…」どうも再び詩人は睡魔に襲われているようである。しかし、それでも彼は十全にしっかりしている。「けふ」を、既に午前零時を回ったから、「きのふ」と言い直していることからそれが判る。

「⦅もひとつきかせてあげやう」/「ね じつさいね」/「あのときの眼は白かつたよ」/「すぐ瞑りかねてゐたよ⦆」/「まだいつてゐるのか」後の「おまへの武器やあらゆるもの」はからも、やはり詩篇の構造上は〈魔〉=「迷い」の囁きであろう。

「もうぢきよるはあけるのに」「のに」は永劫不変の意識か。続く「すべてあるがごとくにあり」/「かゞやくごとくにかがやくもの」でまさに自然界のザイン(ドイツ語:Sein:実在・存在・本質)の屹立を闡明している。〈魔〉のひとときの終焉の近さ、御来光の予感を感じさせる。

「おまへの武器やあらゆるものは」/「おまへにくらくおそろしく」/「まことはたのしくあかるいのだ」難解。ただ私の自己流の解では――〈魔〉或いは渡辺氏の謂われるような唯物論を絶対的真理とする科学者らの産み出す〈技術〉(「おまへの武器やあらゆるもの」)「は」、結局は、「まこと」の信仰を失わせ、科学万能を信奉する愚かな人類(修羅に生きる「おまへ」)を信仰の真理を顧みない冥所(「くらくおそろしく」)へ導き、その「武器やあらゆるものは」「おまへに」怖ろしい不可逆的な絶滅の未来を見させる結果となるであろう(後の原爆の製造は言うに及ばず、私が先に想起したホムンクルスは、まさに錬金術という当時の魔的科学技術の生成物であり、それは「クローン羊ドリー」や一部の科学者どもがやりたくてうずうずしているクローン人間や自由自在な遺伝子操作とダイレクトに繋がり、人間はまさに今日只今、不遜にも神や仏になりたがっているのである。いや、そもそもが自然と現実世界はその基本に於いて〈修羅〉法則に従っている。ダーウィンの「自然選択説」と「突然変異説」は自然が生命体に対して行なう間接的闘争である(但し、私はその結果として現在のヒトを頂点としたような今の世界が出来上がる点での全体の進化システムについては「中立説」を支持している)。修羅に生きているのは実は賢治だけではない。我々総てが修羅の住人なのである)。そうしたものに毅然として限界の基線を引き、正しき唯一の信仰こそが絶対唯一の真理であり、それは永遠(とわ)に「たのしくあかるい」ものな「のだ」と宣言するもの――ででもあろうか?

「⦅みんなむかしからのきやうだいなのだがら」/「けつしてひとりをいのつてはいけない⦆」/「ああ わたくしはけつしてさうしませんでした」/「あいつがなくなつてからあとのよるひる」/「わたくしはただの一どたりと」/「あいつだけがいいとこに行けばいいと」/「さういのりはしなかつたとおもひます」賢治の詩篇としては非常に変わったエンディングである。松井潤氏のブログ「HarutoShura」の本詩篇の解説(分割掲載の最後で松井氏は草野心平『「春と修羅」研究Ⅰ』から以下を引用されている。『〈心の態度の告白として表現の方法もいい。幻想と叙情の混淆としてのこの作品の結末が、割合リアルな言葉で終つていることに疑念を投影する人もあるかもしれない。けれどもここはそのリアルさがいいのである。賢治の人柄すらもよく出ている』。『注意したいことは』、『この最後の行であるが』、『前篇を通じ』、『「……ます」という丁寧な言葉が出てるのはこの一箇所で、これは敬虔な気持ちを反映している。「さういのりはしなかつたとおもひます」の一見弱々しい言いまわしは、実は沈潜していて強いのである』。『もしもこれを「さういのりはしなかつた」とすれば』、『はつきり割切ることになるが、そう割切れば、そうでないときもあつただろうという反駁のもぐり込む余地が出来るし』、『「とおもひます」といえば納得できようというものである』。『余韻をのこす最後のこの行の不思議な効果は、心の座のいつわりのない状態の告白だが、技術的に、その通りに扱うことは却々勇気の要ることである。普通は割切ることによつてリアリティを失うのがオチである場合が多い』と、流石に、詩人の感性で本篇のコーダを捉えていて、鋭い。]

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