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« 宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 昴 | トップページ | 1170000アクセス突破 »

2018/12/10

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 第四梯形

 

            

 

   靑い抱擁衝動や

   明るい雨の中のみたされない唇が

   きれいにそらに溶けてゆく

日本の九月の氣圈てす

そらは霜の織物をつくり

萓(かや)の穗の滿潮(まんてふ)

     (三角山(さんかくやま)はひかりにかすれ)

あやしいそらのバリカンは

白い雲からおりて來て

早くも七つ森第一梯形(ていけい)の

松と雜木(ざふぎ)を刈(か)りおとし

   野原がうめばちさうや山羊の乳や

   沃度の匂で荒れて大へんかなしいとき

   汽車の進行ははやくなり

   ぬれた赤い崖や何かといつしよに

七つ森第二梯形の

新鮮な地被(ちひ)が刈り拂はれ

手帳のやうに靑い卓狀臺地(テーブルランド)は

まひるの夢をくすぼらし

ラテライトのひどい崖から

梯形第三のすさまじい羊齒や

こならやさるとりいばらが滑り

   (おお第一の紺靑の寂寥)

縮れて雲はぎらぎら光り

とんぼは萓の花のやうに飛んでゐる

   (萓の穗は滿潮

    萓の穗は滿潮)

一本さびしく赤く燃える栗の木から

七つ森の第四伯林靑(べるりんせい)スロープは

やまなしの匂の雲に起伏し

すこし日射しのくらむひまに

そらのバリカンがそれを刈る

    (腐植土のみちと天の石墨)

夜風太郞の配下と子孫とは

大きな帽子を風にうねらせ

落葉松のせわしい足なみを

しきりに馬を急がせるうちに

早くも第六梯形の暗いリパライトは

ハツクニーのやうに刈られてしまひ

ななめに琥珀の陽(ひ)も射して

  ⦅たうたうぼくは一つ勘定をまちがへた

   第四か第五かをうまくそらからごまかされた⦆

どうして決して、そんなことはない

いまきらめきだすその眞鍮の畑の一片から

明暗交錯のむかふにひそむものは

まさしく第七梯形の

雲に浮んだその最後のものだ

綠靑を吐く松のむさくるしさと

ちぢれて悼む 雲の羊毛

    (三角(さんかく)やまはひかりにかすれ)

 

[やぶちゃん注:大正一二(一九二三)年九月三十日の作。本詩篇は本書以前の発表誌等は存在しない。「手入れ本」は以下の「です」の誤植訂正のみ。

・「日本の九月の氣圈てす」「てす」はママ。原稿は「です」で誤植「手入れ本」で訂正。

・「野原がうめばちさうや山羊の乳や」字下げがないが、原稿は三字字下げ。意味をとると、字下げが正しいように私には読めるのだが。校本全集校訂本文は上げたママである。ただ、この最終行「   ぬれた赤い崖や何かといつしよに」は、上っている「七つ森第二梯形の」と詩句の意味としては繋がっているにも拘わらず、かく処理されており、この部分には何か〈秘密が隠されている〉とは読める。

・「どうして決して、そんなことはない」原稿は「どうして、決してそんなことはない」。「手入れ本」に修正はない。が、意味や音読した際のリズムでは「どうして、決してそんなことはない」が圧倒的によい。校本全集校訂本文は読点が他に見られないことから統一を図ったものか、「どうして決して そんなことはない」となっている。何でこんなことをするのか? 私には全くわけがわからない。

 

「第四梯形」「梯形」は台形のこと。ここは後に出る「七つ森」(「屈折率」で既出)、岩手県岩手郡雫石町の岩手山南麓に広がる里山の森の、七箇所の起伏(丘陵)を賢治が数字を附して呼称しているのである。まず、加倉井厚夫氏のサイト「賢治の事務所」の「七つ森」のページを最初にリンクさせておく。そこには原子朗「新宮澤賢治語彙事典」(一九九九年東京書籍刊)や奥田博著「宮沢賢治の山旅」(一九九六年東京新聞出版局刊)から引用した、現行のアカデミックな定番記載の引用が載る。しかしどうも私にはこれらが、本篇作者である賢治の眼に、そこにある通りのパノラマ写真の如く映っていたなどとは、流石に思われない。そもそも賢治は山の固有名を殆んど上げずに、このナンバー附き台形の山として詠んでおり、しかも全部の名数をさえ挙げきっていない。さらに、詩篇を読むに、ロケーションは列車の車窓からの風景なのである。「雫石町」公式サイト内の「七ツ森森林公園」を見ると、判る通り(下部に広域地図も有る)、列車から見えるのは、現在のJR田沢湖線線の小岩井駅から出て暫くした南から南東方向に雫石駅のずっと手前の辺りでしか見られないし、その区間で「七つ森」の一部が見えている時間は、たいして長くないことが想定出来るのである。そもそも、国土地理院図によってこの附近を見るに(拡大は左下のボタンで!)走っている車窓からは手前のピークや高みに遮られて、「七つ森」(はっきり視認出来るのはせいぜい四つか?)総ては到底見られないであろうことも判った。これはどうも、権威的な上記のそれを無批判に鵜呑みには出来ない気が強くしてきた。そこで、いつもオリジナルな解釈を提示して呉れる彼のサイトを訪れた。「七つ森」についてギトン氏はこちらで以下のように記しておられる。「七つ森」は『秋田新幹線・田沢湖線(当時は橋場線)の小岩井駅と雫石駅の間にある標高』二百五十~三百五十メートル『程度の丘の集まりです』(ギトン氏の単独別画像(名前のキャプション附)はこちら)。なお、『「もり」は、方言(ないし方言古語)で、“やま”のことです。“もり・おか”という地名も、同じ。関東の“大室山”の“むろ”も同じ語源から来ています。もともとは、古代朝鮮語の mori』(「山」の意)『(現代韓国方言で moi)だと言われています』。『じつは、《七ツ森》のあたりには、似たような、おわんをかぶせた形の低い山がたくさんあるのですが、地元では、どの』七『つを《七ツ森》と言うか、昔から決まっていたようです』。『橋場線の線路と、秋田街道(国道』四十六『号線)の間にある丘のうちの』七『個で、それぞれ名前がついています。東から西へ順に』、『①三手森(見立森)』(みてのもり:三百四メートル)・『②三角森』(みかどもり:約二百九十メートル)・『③勘十郎森(小鉢森)』(三百十六メートル)・『④稗糠森』(ひえぬかもり:約二百五十メートル)・『⑤鉢森』(三百四十三メートル)・『⑥石倉森』(約二百九十メートル』・『⑦生森(おおもり)』(三百四十八・四メートル)とされつつ、最後に『しかし、宮沢賢治は、これを知っていたかというと』、実は『よく知らなかったのではないかと思います。賢治作品には、短歌でも詩でも、「七つ森」という呼び名はよく出てきますが、個々の山の名前で呼んでいる作品はありません』とある。ギトン氏の以上の終りの部分から、やはり、賢治の「七つ森」が現在の「七つ森」と一致するのかは、甚だ疑問であることが判るが、流石はギトン氏、ちゃんとそれを調べるために現地を踏破され――一致しない――ことが明らかになったとされるのである。検証のコンセプトは賢治が、『少なくとも《七ツ森》のおおよその範囲(橋場線の南側だということ)は知っていて、列車から南側を見てスケッチしたことを前提』としたもので、私が思った通り、実際には列車からは「七ツ森」の総てが見えるわけではなく、「勘十郎森」や「稗糠森」などは隠れて見えないそうである。結論をこちらで示しておられるので確認されたい。大雑把に纏めると、

「第一梯形」と「第二梯形」は「三手森」の一部のピーク(三手森は名前が示すように頂上部が三つに分かれていて、麓から眺めると三つの独立した山のように見えるそうである)

であり、

「第三梯形」も、その「三手森」の一部か或いは全く無名のピークか

で、

「第四梯形」は無名の馬形をした丘陵(第五梯形というのは詩篇中にない)

「第六梯形」は先の⑤の「鉢森」

「第七梯形」は⑦の「生森(おおもり)」

とされておられる(上記リンク先にはその踏破の際の関連画像もある)。私はこの見解に従う。

「靑い抱擁衝動や」/「明るい雨の中のみたされない唇が」/「きれいにそらに溶けてゆく」最初の二行は賢治にしては特異的に性的な雰囲気を顕在化させている。しかし、賢治にしては、であって、特にエロティクだとは言えない。「抱擁衝動」という硬質の四字熟語を使用しないではいられない賢治の超自我や、「みたされ」てい「ない」はずの「唇」が「明るい雨」の中にイメージとして「きれいに」「そらに」「溶けて」実体を消してしまう詩想辺りは、かえって性未満的であるかのような、一見、微笑ましくさえあるように見える。がしかし、目を転ずれば、「靑」生臭「い抱擁衝動や」「明るい雨の中の」じくじくとした饐えた満「されない唇が」何と! 綺麗に空に「溶けて」昇って「ゆく」というのは性衝動の「昇華」の教科書的解説のようでさえあるではないか。

「そらは霜の織物をつくり」秋の高い空にかかっている、霜のように薄く平たく動かぬように見える薄雲。巻雲(絹雲)であろう。

「萓」「萱(かや)」の異体字。茅(かや)。イネ科(単子葉植物綱イネ目イネ科 Poaceae)及びカヤツリグサ科(イネ目カヤツリグサ科 Cyperaceae)の草本の総称。細長い葉と茎を地上から立てる一部の有用草本植物のそれで、代表種にチガヤ(イネ科チガヤ属チガヤ Imperata cylindrica)・スゲ(カヤツリグサ科スゲ属 Carex)・ススキ(イネ科ススキ属ススキ Miscanthus sinensis)がある。

「三角山(さんかくやま)」諸家では岩手山を指すとする主張が強いらしいが、「宮澤賢治語彙辞典」はそれを採らず、「三角森のことではなく』、『七つ森の位置からは南東の方角に当たる』、『乳頭山の南東にそびえる三角山(標高』一四一九メートル『)のことであろう」とされて』あるとある(松井潤氏のブログ「HarutoShura」の本詩篇の解説(分割掲載の一つ)から孫引き)。ギトン氏はこちらで岩手山を支持された上で、『ほかの候補としては、《七ツ森》の三角森(みかどもり)、秋田駒ケ岳の前衛にある三角山』『などがあります。しかし、三角森は、橋場線の線路からはほとんど見えません。三角山は、小岩井や雫石から見ると、三角ではなく平べったい山です』と一蹴されておられる。先の加倉井厚夫氏のサイト「賢治の事務所」の「七つ森」のページの写真を見るに、これは当初、視線を真北に向けていた賢治の目に入った遠い岩手山以外にはないと私も思う。

「あやしいそらのバリカンは」/「白い雲からおりて來て」/「早くも七つ森第一梯形(ていけい)の」/「松と雜木(ざふぎ)を刈(か)りおとし」「バリカン」は山形の二枚の刃を左右に往復させて毛髪を切る理容器具で、英語では「Hair clipper」、フランス語では「Tondeuse」(トンドゥーズ)。ウィキの「バリカン」によれば、『バリカン本体の普及とともにその名称も広まったが、その語源は長らく不明だった。しかし、金田一京助が三省堂書店で『日本外来語辞典』作成時の調査で、東京帝国大学(東京大学)正門前の理髪店「喜多床」の二代目店主舩越景輝が刃の刻印からフランスのバリカン・エ・マール製作所(仏語:Bariquand et Marre)の名を発見、社名が名称として広まったものと確認した』とある。なお、この人名は音写すると「バリクォン」である。さても、一叢(ひとむら)の厚みを持った雲が急速に降りてきて、影が地表への太陽光を翳ったのを、かく言ったものであろうか。しかし、ギトン氏はこちらこちらで秋枝美保氏の「宮沢賢治 北方への志向」(一九九六年朝文社刊)の分析をまず、以下のように引用(引用符の混同を避けるために引用文内の二十鍵括弧を普通の鍵括弧に変えた)される。ここまでの詩篇で『繰り返される「木をきる」という表現』は『詩人の内的生命の伸長を断つということを示していると考えられる』『「木」のモチーフは』「春と修羅」『第一集の象徴体系の中で、詩人の内的生命のシンボルとしての意味を持つことは間違いない』。花巻農学校での同人誌『アザリア』の『時代の連作短歌』「ひのきの歌」(これ。引用元は「ひのきのうた」と平仮名であるが、全集で訂した。リンク先は渡辺宏氏のもの)『によって、「木」は、賢治の心象中に生命の形そのものとして定着していくことになったと考えられる』。『「詩「原体剣舞連」では、「原体村の舞手たち」の体内には「鴾いろのはるの樹液」が流れ、彼らは』「楢と椈(ぶな)とのうれひ」『をあつめ、「ひのきの髪をうちゆす」って激しく踊り狂うのである。詩集の象徴体系の中にこの詩が組み込まれたとき、その生命の形は、「木」で表現されることになったと言ってよい』。『「木を切る」ことが、はじめて積極的に、壮大に行われはじめる』『詩「第四梯形」では』『「七つ森」の「第一梯形」から「第七梯形」までの木が「あやしいそらのバリカン」で、次々に刈り落とされるという凄まじいイメージが描かれる』。『詩「原体剣舞連」の「舞手たち」は、「ひのきの髪をうちゆす」って、内的生命を発散させた。その髪がバリカンで刈り落とされるというのは、やはり「剃髪」のイメージを想起させるものであり、内的生命を断つことを示していよう』。而してギトン氏も、『ここは山に影が落ちているのだ』など『という“合理的解釈”』などせずに、『書かれたままの異常な風景を、すなおに想像すればよいのではない』かと述べておられる。私は秋枝氏の当該書を読んでいないのでよく判らない箇所があるが、以上を読まさせて戴いた限りでは、寧ろ、「バリカンで」「髪」を「刈り落とされる」というイメージは、私に言わせれば、「剃髪」よりも、寧ろ、フロイト的な父権による少年の男根の鋏による切断の恐怖の「イメージを想起させるもの」のように思われる。「バリカン」はあんな形をしていても「鋏」である。さすれば、冒頭の性的欲求が「昇華」したはずのものが、イカルスのように失敗して堕天し、逆に罰としての去勢恐怖のシンボルとして出現したのだとした方が、私の今までの賢治の中の自然対人間(科学技術としての農地・農業)の構図にも無理なくフィットするように思われるのである(いや、言おうなら、賢治の精神分析、無意識下の父政次郎に対する「父親殺し」の願望と超自我によるその罪障感(これはあったと私は考えている。さすればこそここでの私のエディプス・コンプレクスによる解釈は私には極めてリアルなものとしてあるのである)や、同じく妹トシに対する無意識の近親相姦的願望の有無(こちらは私はその可能性は殆んどゼロに等しいと考えている。しかし、純粋に精神的な近親愛であっても賢治の禁欲主義はそれ罪とした可能性は極めて高い)等にまで広げて見ても、何らの無理が生じないのである。さればこそ、そうした狂騒的バリカンが異常な幻想として現実の車窓からの景色に侵犯してくるというのは、フロイトに熱狂し、フロイトが陰で精神的に異常であると述べて警告を発したサルヴァドール・ダリの、あの緻密な線と錯視的「だまし絵」風の自然で描いて貰ったら、これ、さぞ、面白いものが描かれたであろうと思うのだ。題名は差し詰め、〈狂騒的巨大バリクォンが宙天より下って刈り穫(と)られる車窓の彼方の「七つ森」の秋〉がよい。言っておくが、これは何も皮肉やちゃらかしを言っているのでも何でもない。私は大真面目に言っているのである。私は小学生高学年の時にフロイトの「夢判断」をドキドキしながら読破した嘗ては熱心なフロイディストであったし、父はシュールレアリスムの画家であって超現実主義には常人よりは遙かに一家言ある人間でもあるのである。

「うめばちさう」ニシキギ目ニシキギ科ウメバチソウ(梅鉢草)属ウメバチソウ Parnassia palustrisウィキの「ウメバチソウ」によれば、和名は『花が梅の花を思わせる』ことに由る。『根出葉は柄があってハート形。高さは』十~四十センチメートル『で、花茎には葉が』一『枚と花を』一『個つける。葉は、茎を抱いている。花期は』八~十月で二センチメートル『ほどの白色の花を咲かせる』。『北半球に広く見られ』、『日本では北海道から九州に分布する。山地帯から亜高山帯下部の日の当たりの良い湿った草地に生え、地域によっては水田のあぜにも見られる』とある。可憐な花で私は好きである。

「山羊」「やぎ」。哺乳綱鯨偶蹄目ウシ科ヤギ亜科ヤギ族ヤギ属(家畜種)ヤギCapra hircus

「沃度」は「ヨード」で「沃素」「ヨウ素」のこと(常温・常圧では固体であるが、昇華性がある。体内で甲状腺ホルモンを合成するのに必要なため、ヨウ素は人にとって必須元素であり、ヨード欠乏症は甲状腺腫や甲状腺機能低下症などが発症し、過剰摂取(医療用造影剤やポビドンヨード(外用消毒薬)の使用等による)では甲状腺機能の亢進症や低下症を発症する)であるが、賢治は自然界の揮発的な鼻に少しツンとくる匂いの比喩として用いる傾向があるようである。

   *

あやしいそらのバリカンは

白い雲からおりて來て

早くも七つ森第一梯形(ていけい)の

松と雜木(ざふぎ)を刈(か)りおとし

   野原がうめばちさうや山羊の乳や

   沃度の匂で荒れて大へんかなしいとき

   汽車の進行ははやくなり

   ぬれた赤い崖や何かといつしよに

七つ森第二梯形の

新鮮な地被(ちひ)が刈り拂はれ

さても、ここで映像画面に有意な変容が起こっている。私は「汽車の進行ははやくなり」とは――実際の汽車がスピードを上げたのでは――ない――と採るのである。ここで取り敢えず、先の秋枝氏の「木をきる」「バリカン」の幻視説を採るとするならば、私はここで映像的には「早回し」か、微速度撮影が採られていると見るのである。そうしてこそ、短い時間で通過してしまう「七つ森」附近で巨大な「木をきる」「バリカン」を降下させて、同じく速いスピードで剪り取らせることが出来、唯一、それによってのみ、詩篇のその異様な幻想イメージを保持出来ると考えるからである。

「地被(ちひ)」地面の土石の表面を覆っている植物や苔類・地衣類(菌類(主に子嚢菌類(菌界子嚢菌門 Ascomycota)の中で藻類(シアノバクテリア(藍色細菌門 Cyanobacteria)或いは緑藻(緑色植物亜界緑藻植物門緑藻綱 Chlorophyceae))を共生させることで自活できるようになった種群)を広範に指す。

「卓狀臺地(テーブルランド)」tableland。地理用語としては「メサ」(mesa)で、上位方に硬い水平な地層が積み重なってあり、下位方には浸食され易い柔らかい地層がそれぞれに有意に固まってある場合に、下方の地層が浸食されて急な崖を形成し、上部は浸食されず、テーブル状の台地となったものを言うが、大規模なものでないと、かくは呼ばない。こういった誇大・肥大手法も賢治得意な部分である。或いは、こうした嗜好傾向が逆に賢治の精神にも影響を与えていたとも言えるかも知れぬ。

「まひるの夢をくすぼらし」/「ラテライトのひどい崖から」/「梯形第三のすさまじい羊齒や」/「こならやさるとりいばらが滑り」「ラテライト」(laterite)は「成帯土壌」と呼ばれるもののうち、湿潤土壌に分類される土壌の一つで、語源はラテン語の「Later」(「煉瓦」の意)。ウィキの「ラテライト」によれば、『サバナや熱帯雨林に分布する。地表の風化物として生成された膠結物質(粒子間に鉱物が入り込み、それが接着作用をしたもの)である。雨季に有機質が微生物により分解することに加えて珪酸分や塩基類が溶脱したことにより残った鉄やアルミニウムなど金属元素の水酸化物が表面に集積して形成される』(懐かしいな! 地理で好んだカタカナ名だ!)。これが「バリカン幻想」なのだろう。それに従うなら、「まひるの」静かな「夢を」「くすぼらし」て「バリカン」が剪る! 敢然と剪る! 剪って伐って伐りまくる! 「ラテライト」(ここは単に赤土を言っている)のガレ場から「梯形第三の」上を覆っていた「すさまじい羊齒」(しだ:維管束持った非種子植物で胞子によって増殖するシダ植物類。旧来の分類が大きく変わったので、詳しくはウィキの「シダ植物を見られたい)や「こなら」(ブナ目ブナ科コナラ(小楢)属コナラ Quercus serrata)や「さるとりいばら」単子葉植物綱ユリ目サルトリイバラ(猿捕茨)科シオデ属サルトリイバラ Smilax china)「が滑り」落ちる!……いやいや、ちょっと待ってくれやい! マツやコナラならまあいいが、それでもコナラの平均樹高は十五メートル前後しかないぞ? すっかり「剃髪」丸禿げ丸裸にするのなら判るが、何だか、シダや半低木のサルトリバラじゃあ、ショボいじゃないか? これが異常な「バリカン幻想」?……いやいや、そうじゃないのかも知れない! 現実は既にして侵犯されているのだから、今現代じゃないかも知れない、ラテライトも本物のそれなんだろう……凄まじい「羊齒」なんだから古生代の石炭紀(三億三千六百万年前から二億九千万年前)のシダ植物の大森林なのか?……しかし、だったら、「こなら」や「さるとりいばら」はないだろ? 「七つ森」の植生上から、これらを賢治が現実的にこれらを選んだと言うのは私には承服出来ないね。幻想なんだからしてヒノキでもシラカバでも巨木を持ち出していいはずじゃないか?! ――と――どうもその辺り、私にはこの「巨大バリカン幻想」というアクロバティクなそれのパワーが、今一つ、詩篇から感じとれないのである。言っておくと、「まひるの夢をくすぼらし」というのが少なくとも私の幻想を邪魔しているように思う。先には「まひるの」静かな「夢を」と好意的に解したのだが(それはそれで解釈としては成り立つ)、実際には私はここで躓いた。「まひるの夢」はどう見ても「白晝(まひる)の夢」で「白昼夢」、それこそ「異常な巨大バリカンの夢」ではないのかという別解が頭を擡げてくる。しかし、それを落下する小者の羊歯や「さるとりいばら」の滑落する際に生じた土煙りで「燻ぼらし」てしまったのでは、巨大バリカンの異様な光景がよく見えなくなるように思うのである。

「(おお第一の紺靑の寂寥)」「第一」は過ぎた「第一梯形」。「紺靑の寂寥」と後の「萓の穗は滿潮」から、このロケーションの時刻は夕刻であることが判る。

「第四伯林靑(べるりんせい)スロープ」「第四」梯形。「伯林靑(べるりんせい)」は「Berlin blue」所謂、「プルシアン・ブルー」(Prussian blue)。「スロープ」は「slope」で傾斜面。

「やまなし」はこの場合、バラ目バラ科ナシ亜科ナシ属ホクシヤマナシ 変種チュウゴクナシ Pyrus ussuriensis var. culta と同種ともされる和種の梨の自生種ミチノクナシ(イワテヤマナシ)Pyrus ussuriensis var. aromatica であろうか。ナシ亜科リンゴ属オオウラジロノキ Malus tschonoskii とする説もあるようである。

「天の石墨」「石墨」炭素成分を持つ鉱物で、「黒鉛」「グラファイト」(graphite)とも称する。黒色で金属光沢があり、軟らかく、鉛筆の芯などに使用される。夕暮れの空の暗い深みの形容。

「夜風太郞」「風の又三郎」を想起させるが、松井潤氏のブログ「HarutoShura」の本作の解説(分割)では、『東北や新潟で広まっている風の神(妖精)「風の三郎」伝説に基づいています。新潟では、農家が台風などの災害に備える「二百十日」そのものを「風の三郎」と呼んで風神祭をしたそうです』。『風は自然現象の代表的なもので、伝承や信仰で神格化されることがしばしばあります。この詩では、三郎ではなくて「太郎」。「夜風太郎」とは、夜を司る風の神か妖精、ないしは首領、大元締めといったあたりを想定しているのでしょうか』と注しておられる。以下、「大きな帽子を風にうねらせ」/「落葉松のせわしい足なみを」/「しきりに馬を急がせるうちに」全体はそうした自然神風神の擬人化された幻像が騎馬で駆け抜けるのである。

「落葉松」「からまつ」。裸子植物門マツ綱マツ目マツ科カラマツ属カラマツ Larix kaempferi。漢字表記は「落葉松」「唐松」。

「リパライト」流紋岩(rhyolite)。花崗岩質のマグマが地上に噴出して形成された、白っぽい火山岩の一種。

「ハツクニー」ハクニー (Hackney)。乗系種に分類される馬の品種の一つ。ウィキの「ハクニーによれば、『ハクネーとも。ハクニー歩様という脚を高く上げて馬車を引く優雅な仕草で知られ、馬車用としては最上級の品種。馬車競技に用いられるため輓系とされることもある』。『現在では実用というよりは競技用に生産されており、力強さよりは美しさを重視して改良が進んでいる』とあることから、「刈られてしまひ」は、そうした美形の目的で体型が鍛えられ、しかも短く毛が刈り揃えられているように、リバライトの「第六梯形」の山が「ハツクニー」の背のような形に見え、しかも光線で美しく磨かれたように光っているさまを言っているのであろう。

「ちぢれて悼む 雲の羊毛」神々の黄昏(たそがれ)である。]

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