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2018/12/25

和漢三才圖會第四十三 林禽類 獦子鳥(あとり) (アトリ)

 

Atori

 

あとり 胡雀 臈觜鳥

獦子鳥

     【名義未詳】

     【和名阿止里】

 

△按和名抄注云此鳥群飛如列卒之滿山林故名獦子

 鳥也【獦者獵字之誤乎】此鳥常棲山林不時有群飛出于寺院

 叢林百千成群蔽天狀似雀而大觜太圓頭頸灰蒼有

 柹斑頷黃赤觜白背蒼黑帶赤有黑斑胸腹赤黑腹下

 黃白翅尾黑脚黃白肉味黃不可食

[やぶちゃん注:「肉味黃不可食」は意味が通らない。東洋文庫版はこの字を『苦』とする。これまでの肉味の記載からもそれが自然であるから、訓読では特異的に「苦」に変えた。]

 日本紀云天武天皇七年臘子鳥弊天【其後亦有之以爲天變】蓋

 臘字獵之訛乎近頃攝州天滿之寺院獵子鳥群飛不

 知幾千而爲鳥林木皆隱矣如此三四日人亦群集以

 爲奇恠然無些吉凶焉自古以邂逅群飛兒女爲恠異

 也突厥雀亦然矣【突厥雀見于原禽類】

 

 

あとり 胡雀 臈觜鳥〔(らうしてう)〕

獦子鳥

     【名義は未だ詳びらかならず。】

     【和名、「阿止里」。】

 

△按ずるに、「和名抄」注に云はく、『此の鳥、群飛して列卒の山に林滿つるがごとし。故に獦子鳥と名づくなり』〔と〕。【「獦」は「獵」の字の誤りか。】此の鳥、常に山林に棲み、不時に群飛して寺院の叢林を出ずること有り、百・千と群れを成し、天を蔽ふ。狀、雀に似て、大きく、觜、太く圓〔(まろ)〕し。頭・頸、灰蒼、柹斑、有り。頷、黃赤。觜、白く、背、蒼黑に赤を帶びて黑斑有り。胸・腹、赤黑。腹の下、黃白。翅・尾、黑。脚、黃白。肉味、苦く、食ふべからず。

「日本紀」に云はく、『天武天皇七年、臘子鳥、天に弊〔(おほ)ふ〕』〔と〕【其の後、亦、之れ、有りて、以つて天變と爲〔せり〕。】。蓋し、「臘」の字は「獵」の訛〔(あやまり)〕か。近頃、攝州天滿〔(てんま)〕の寺院、獵子鳥、群飛〔して〕幾千といふことを知れず、鳥の爲(ため)に、林〔の〕木、皆、隱るゝ。此くのごとくなること、三、四日、人、亦た、群集して以つて奇恠〔(きくわい〕と爲す。然れども、些〔(いささか)〕の吉凶も無し。古へより邂逅・群飛することを以つて、兒女、恠異と爲すなり。「突厥雀」も亦、然り【「突厥雀」は原禽類を見よ。】。

[やぶちゃん注:鳥綱スズメ目鳴禽亜目スズメ小目スズメ上科アトリ科アトリ亜科アトリ族アトリ属アトリ Fringilla montifringillaウィキの「アトリ」によれば、『ユーラシア大陸北部の亜寒帯で繁殖し、冬季は北アフリカ、ヨーロッパから中央アジア、中国、朝鮮半島に渡りをおこない』、『越冬する』。『日本には冬鳥として秋にシベリア方面から渡来する。主に日本海より山形県、富山県等に飛来し、それから各地に散らばる。渡来する個体数は年による変化が大きい』。全長は十六センチメートル。『黄褐色を基調に黒、白を加えた羽色をもち、特に胸部の羽毛は橙褐色で目立つ』。『オスの夏羽は頭部が黒い。メスおよびオスの冬羽の頭部は褐色であり、メスはオスより色が薄い』。『山麓の森林や農耕地に生息する。昼行性で昼間は小規模な群れで生活するが、夜は集団で休む。日本においては渡来直後や繁殖地への渡去直前に、数千羽から数万羽になる大群を作ることがある』。『食性は雑食性で果実、植物の種子、昆虫類、節足動物を食べる』。『秋に飛来する鳥なので戦前は穀物に害を与える害鳥とされていた』。一方、『古くから日本ではツグミ』(スズメ目ツグミ科ツグミ属ツグミ Turdus eunomus)『と並んで食用の鳥として重視されてきた。かすみ網で捕らえられ、焼き鳥などで食されたものの、戦後にかすみ網が禁止されたため』、『猟は下火となった』とある。和名「あとり」は如何にも不思議な名であるが、非常に古い呼名で、オーディオの「CEC株式会社」公式サイト内の「徒然野鳥記」の「アトリ」によれば、『「鳥名の由来辞典」(柏書房)によると、万葉の時代には獦子鳥(あとり)と呼ばれ、室町、安土桃山時代には「あっとり」と呼ばれ、江戸時代にはその双方が用いられ、今日の「アトリ」に統一されるに至ったと経過の説明がされていますが、「大言海」の説明する語源として、大群をなして移動することから集鳥(あつとり)が略されたという説を紹介しています。また、この「由来辞典」では、今日』、『漢字表記する際に普通に用いられる「花鶏」(かけい)については、単に、「漢名」とのみ記載されています』[やぶちゃん注:「花鶏」は本種の鮮やかなオレンジ色が目立つ体色が花が咲いたように見えることに由来するようである。]。『そうしますと』、『中国で「花鶏」と記述されたアトリを、ある時』、『日本でそのまま取り入れ、それを「あとり」と読み下したと理解するしかないようです。和名がほぼ確定した明治時代もしくはそれ以前の中国名は、おそらく「花鶏」だったのでしょう。今日、アトリは、台湾では「花雀」、中国では「燕雀」と記述されています。野鳥写真家、文筆家の叶内拓哉氏は「花鶏」の自分なりの解釈として、黒、橙、白とカラフルなこの野鳥が数万、数十万もの大群で飛び交う様が「まるで枯野に花が咲いたようにはなやか」で、そのような光景を目にしてこの鳥に「花」の名を冠したのであろうと述べています(「日本の野鳥100」昭和』六一(一九八六)『年新潮文庫)。残念ながら』、『そう名付けたのは日本人ではなく中国人だったのですが。事実、叶内氏は、昭和』六〇(一九八五)年十一月に『鹿児島県で一万羽のアトリの大群を目にした時の驚きを、「壮観そのものだった」と同書に書き記しています。いつの日か、数千、数万のアトリの乱舞する姿を見てみたいものです。島崎藤村は、「夜明け前」でこのような情報をさりげなく入れています』。『「あれは嘉永二年[やぶちゃん注:一八四九年。黒船来航の四年前。]にあたる。山里では小鳥のおびただしく捕れた年で、殊に大平村の方では毎日三千羽づつものアトリが驚くほど鳥網にかかるといはれ」』と記し、『また』、古くは『「万葉集」』に[やぶちゃん注:リンク先では『よみびと知らず』とするが、巻第二十の刑部虫麿の一首(四三三九番)である。以下、講談社文庫の中西進訳注を参考に独自に表記した。]、

 國巡る獦子鳥(あとり)鴨(かま)鳧(けり)行き𢌞り歸り來(く)までに齋(いは)ひて待たね

『と「アトリの大移動を、防人が国を廻るのにたとえている」と、「鳥名の由来辞典」は紹介しています』とある(「鴨(かま)」はカモの訛りで、「鳧(けり)」現行の和名ではチドリ目チドリ亜目チドリ科タゲリ属ケリ Vanellus cinereus を指す。諸家は無批判に現在のケリにこの「万葉集」の「けり」を同定しているが、私はかなり疑問がある。何故なら、「鳧」は「鳬」とも書き、古くから「かも」と訓じてきた経緯があるからで、実際には「鴨(かも)」と同義とする古記載も多いからである。困ったことに、「鴨(かも)」自体が鳥類の分類学上の纏まった群ではなく、カモ目カモ科 Anatidaeの鳥類のうち、雁(これも通称総称で、カモ目カモ科ガン亜科 Anserinaeのマガモ属 Anas よりも大型で、カモ科 Anserinae 亜科に属するハクチョウ類よりも小さいものを指す)に比べて体が小さく、首があまり長くなく、冬羽(繁殖羽)はで色彩が異なるものを指すが、カルガモ(マガモ属カルガモ Anas zonorhyncha)のように雌雄で殆んどその差がない種もいるので、これも決定的な弁別属性とは言えないからである。私はこの一首の「けり」を種で限定することは出来ないと思っている。鳴き声は「サントリーの愛鳥活動」の「アトリ」を参照されたい。

 

『「和名抄」注に云はく……』ここは送り仮名が少ないので、原典に当たって訓読した。巻十八の「羽族部第二十八 羽族名第二百三十一」に以下のようにある(訓読した全文を示す)。

   *

獦子鳥(アトリ) 「辨色立成」に云はく、「臈觜鳥」【「阿止里」、一に「胡雀」と云ふ。】「楊氏漢語抄」に云はく、「獦子鳥」【和名、上に同じ。今、按ずるに、兩説出づる所、未だ詳らかならず。但し、本朝国史に「獦子鳥」を用ひ、又、或る説に云はく、『此の鳥、群飛して列卒の山林に滿つるがごとし。故に「獦子鳥」と名づくなり』〔と〕。】

   *

『「獦」は「獵」の字の誤りか』と良安は述べているが、誤りである。何故なら、「獦」は「獵」(猟)の異体字だからである。而して「獦子鳥」とは「和名類聚鈔」が解読のヒントで、林に恐るべき数の兵士が構えているような想像を絶する本種の群れが、恰も(実際にはそうではない)それが「獲物を追いたてる勢子(せこ:獲物を狩り出す人)」の役に見えることから「猟」をするのに多数の勢「子」がいる「鳥」に由来するものであろう

「柹斑」柿色の斑(まだら)。グーグル画像検索「アトリ」を見られたい。

『「日本紀」に云はく……』「天武天皇七年」は六七八年。

   *

十二月癸丑[やぶちゃん注:二十七日。]朔己卯。臘子鳥蔽天。自西南飛東北。

   *

とあり、その後、二年後の天武天皇九年に、

   *

十一月辛丑[やぶちゃん注:三十日。]。臘子鳥蔽天。自東南飛以度西北。

   *

とある。但し、それを具体的に不吉な出来事の予兆とするような記載は「日本書紀」には見られない。まあ、乗せた理由は「天變」と見做したからに他ならない訳ではある。

『「臘」の字は「獵」の訛〔(あやまり)〕か』こう思うのは無理もない。私もそう思ったが(事実、両字は別字である)、しかし、ちょっと考えてみると、「臘」で一番に浮かぶのは「臘月」で、これは陰暦十二月の異名であり、年の暮れであり、中国古代に於いて「冬至の後の第三の戌(いぬ)の日に猟の獲物の獣肉を供えて先祖百神を祭った祭り」のことを「臘」と称したから、それに引かれてこの字を用いた確信犯とも考えられなくもない

「攝州天滿〔(てんま)〕の寺院」現在の天満(てんま)は大阪府大阪市北区天満及び同地域南東部の町名。(グーグル・マップ・データ)。現在は同地区内には浄教寺・定専坊・祐泉寺等があるが、これらの寺が、本書執筆当時実在したか、また、どの寺かは不明である。「日本書紀」の部分からこの部分まで、大朏東華(おおでとうか:江戸出身とするのみで生没年等一切不詳)著の随筆「斉諧俗談」の巻之五に「獦子鳥怪(あとりのくわい)」として、殆んど同一の文が載るが、同書は宝暦八(一七五九)年板行で、本書の成立(正徳二(一七一二)年)から四十七年も後。だのに「近頃」と云う部分まで同じだから、本書から丸のまんま抜き出したものに過ぎないと思われる。

「突厥雀」『「突厥雀」は原禽類を見よ』先行する和漢三才圖會第四十二 原禽類 突厥雀り)(サケイ)を指示する。そこに『此の鳥、北より來(きた)るときは、則ち、大唐、當に、賊、有るべし』とあるのを指す。私はそこで「突厥雀(たとり)」をサケイ(沙鶏)目サケイ科サケイ属サケイ Syrrhaptes paradoxus(漢名「毛腿沙鶏」。俗名「沙鶏」)に同定した。但し、本邦ではサケイは迷鳥で、十例ほどの観察記録があるのみである。]

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