宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 イーハトブの氷霧
イーハトブの氷霧
けさはじつにはじめての凛々しい氷霧(ひやうむ)だつたから
みんなはまるめろやなにかまで出して歡迎した
[やぶちゃん注:大正一二(一九二三)年十一月二十二日の作。本詩篇は本書以前の発表誌等は存在しない。「手入れ本」は藤原嘉藤治所蔵現存本が標題を「イーハトヴオの氷霧」とするのみ。本篇は本書刊行後、昭和二(一九四五)年九月発行の『銅鑼』第十二号に殆ど同形で再録されている。
標題「イーハトブの氷霧」であるが、ややこしい。「目次」では「イーハトヴの氷霧」で、以下に見る通り、原稿も「イーハトヴの氷霧」である。校本全集本文は「イーハトブの氷霧」とする。「イーハトブの氷霧」を最終校正で決定したにしては、「手入れ本」で「イーハトヴオの氷霧」とするのが気になる。しかし、どうも賢治はこの架空の国を多様な読み方で示すことを、当初から考えていたような気がし、それらは総てが有効なのだと思うのが無難であろう。
以下に本書用原稿を掲げる。
*
〔イーハトヴの氷霧〕
(廣重たちのふきぼかしは
恐ろしく偶然でなつかしい)
けさはじつにはじめての凛々しい氷霧(ひやうむ)だつたから
みんなはまるめろやなにかまで出して歡迎した
*
〔 〕は後から校正記号で挿し入れてあることを示す。以上は、校本全集口絵写真にこの原原稿の写真が収められてある。そうしてそれは当該原稿用紙の最後の部分に書かれてある。それと校異の編者注記を合わせて読んでみると、この詩篇はもとは標題のない長い詩篇の冒頭であった(全集編者は同じ題とするが、「イーハトヴの氷霧」がかく挿入されているという点から見て、同じ題であるとする根拠が私には全く判らない)が、原稿用紙の『次葉以下を差替えた際に』、上記の「廣重」以下の二行が』墨消で『削除され』、その横で新たに『この短い二行詩に置換えられられたものと考えられる』とある。
「イーハトブ」既に注で述べたが、「岩手」をアナグラムにして「イーハトーブ」を生成現出させた、岩手の歴史的仮名遣「いはて」を捩ったとする説が定説化はしている。但し、そもそもが賢治本人がその名について何も語っておらず、異論も多くある。また、こうしたファンタジー系アナグラムが生理的にだめで、賢治の作品を嫌いになったと言った生徒を私は有意に知っている。彼らの気持ちも私は痛く判る。私も嘗てそうだった(チャネリング・ブーム(判らない方は「小岩井農塲 パート九」の「ユリア」の私の注を参照)で私の心霊学への興味が一気に失せたのと、私が賢治を敬して遠ざけるようになったのは軌を一にしているのである)一面があるからである。ただ、ウィキの「イーハトーブ」にも記されてあるが(なお、同ウィキの造語の変遷過程を参考にすると、「イエハトブ」→「イーハトブ」「イーハトヴ」→「イーハトーヴ」→「イーハトヴオ」「イーハトーヴォ」「イーハトーボ」→「イーハトーブ」といった感じになるらしい)、『一貫して見られる語尾 -ov(o) の形は、ロシアの地名によくある語尾をもとにしたと推察される』こと、『語尾が「ブ」「ヴ」から後に「ボ」「ヴォ」に変わったことについては、賢治がエスペラントに親しんだ事実やエスペラントでは名詞は -o で終わる語尾をもつことからエスペラントの影響であると推察される』というのは、論理的に肯んじ得る考察で、「ポラーノの廣場」の「盛岡」モデルの「モーリオ市」や、「仙台」モデルの「センダード市」等はその規則性と合致しており、少なくとも、賢治が地名固有名詞を造語するに際しては、エスペラント語の語法をかなり真面目に念頭に置いて作ったと考えるべきであろうとは思う。
「氷霧」は「ice fog」で「こおりぎり」とも読む。ウィキの「氷霧」によれば、『霧を構成する水滴が凍り、あるいは空気中の水蒸気が直接昇華して、小さな氷の結晶』(氷晶)『となって浮かんでいるために視程が妨げられる気象現象である。気象庁では、視程』一キロメートル『未満となっている状態を氷霧と規定しており、氷霧を予想するとき、予報では霧とする』。なお、よく話題になる『細氷』(Diamond dust:ダイヤモンド・ダスト。大気中の水蒸気が昇華してできた、ごく小さな氷晶が降ることを言う)『は別の現象』である。『空気中に浮かんでいる水滴は過冷却状態となるため』摂氏零度『以下でも容易には凍らない。そのため通常は気温が』摂氏マイナス三十『以下になるような極めて限られた気象条件でしか氷霧は発生しない』。『氷霧が発生しているときに太陽が出ていると、氷の結晶が日光を散乱して輝いて見える』。『氷霧は氷晶が浮遊する状態をさし、霧に分類される。これに対し、細氷(ダイヤモンド』・『ダスト)は氷晶が降る降水現象であり、雪に分類される。氷晶の大きさも、氷霧より細氷のほうが大きい』とある。
「凛々しい」「りりしい」。様態がきりりと引き締まっているさま・勇ましい・雄々しい。「凛」の字自体、もと、「冷たい氷に触れて心身の引き締まる感じ」を指し、そこから「きっぱりとしたさま」を表わすようになったもので、ここでそれを「氷霧」の形容に当てたのは、実に原義の勘所を押さえているのである。
「みんなはまるめろやなにかまで出して歡迎した」「まるめろ」はバラ目バラ科シモツケ亜科ナシ連ナシ亜連マルメロ属マルメロ Cydonia oblonga。果実はリンゴに柑橘系を合わせたような甘酸っぱいよい匂いがある。賢治は好んだようで、いろいろな共感覚的形容として本書の他の詩篇でも用いている。
さても。今朝は実に初めての「凛々しい氷霧」だったから「みんなは」マルメロやなんやかや「まで出して」盛大に「歡迎した」のである。今朝の氷霧の到来をマルメロやいろんな美味しいネクタルを出して祝うのは、これ最早、現実の世界ではない。ここに既にして、「銀河鉄道の夜」(リンク先は特異的に「青空文庫」の『旧字旧仮名』版))は――始まっているのだねぇ、カンパネルラ!――]
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