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2018/12/11

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 過去情炎

 

            

 

截られた根から靑じろい樹液がにじみ

あたらしい腐植のにほひを嚊ぎながら

きらびやかな雨あがりの中にはたらけば

わたくしは移住の淸教徒(ピユリタン)です

雲はぐらぐらゆれて馳けるし

梨の葉にはいちいち精巧な葉脈があつて

短果枝には雫がレンズになり

そらや木やすべての景象ををさめてゐる

わたくしがここを環に堀つてしまふあひだ

その雫が落ちないことをねがふ

なぜならいまこのちいさなアカシヤをとつたあとで

わたくしは鄭重(ていちよう)にかがんでそれに唇をあてる

えりおりのシヤツやぼろぼろの上着をきて

企むやうに肩をはりながら

そつちをぬすみみてゐれば

ひじやうな惡漢(わるもの)にもみえやうが

わたくしはゆるされるとおもふ

なにもかもみんなたよりなく

なにもかもみんなあてにならない

これらげんしやうのせかいのなかで

そのたよりない性(せい)質が

こんなきれいな露になつたり

いぢけたちいさなまゆみの木を

紅(べに)からやさしい月光いろまで

豪奢な織物に染めたりする

そんならもうアカシヤの木もほりとられたし

いまはまんぞくしてたうぐわをおき

わたくしは待つてゐたこひびとにあふやうに

應揚(おうやう)にわらつてその木のしたへゆくのだけれども

それはひとつの情炎(じやうえん)だ

もう水いろの過去になつてゐる

 

[やぶちゃん注:大正一二(一九二三)年十月十五日(月)の作。曜日から見て、花巻農学校の午後の樹種の植付の実習(実際には実習を名目とした新校の校内整備の一貫でもあった)時間中(既に述べた通り。同校の実習は毎日、午後の第六限目(最終時限)に行われた、実習は二時間配当であった)のロケーションであろう。本詩篇は本書以前の発表誌等は存在しない。「手入れ本」は手入れなし。本篇は本書出版後、賢治生前の大正一四(一九二五)年八月発行の同人誌『貌』第二号にも掲載されているが、『単なる転載と思われる』と全集校異にある。

・「わたくしがここを環に堀つてしまふあひだ」「堀」はママ。原稿もママ。「掘」を「堀」と表記する詩人や作家は萩原朔太郎を始めとして意想外に多い。校本全集校訂本文も「堀」のママとしている。

・「鄭重(ていちよう)」ルビはママ。原稿は正しく「ていちやう」。

・「「えりおり」ママ。原稿もママ。「襟折」(背広やワイシャツの襟のように、折り返すように仕立てた襟)なので「えりをり」が正しい。

・「應揚(おうやう)」ママ。原稿の同じ。正しくは「鷹揚(おうやう)」(現代仮名遣「おうよう」)。校本全集校訂本文は「鷹揚」。「鷹が悠然と空を飛ぶように、小さなことに拘らずゆったりとしているさま・おっとりとして上品なさま」を言う。

 

「淸教徒(ピユリタン)」ピューリタン(Puritan)は十六世紀から十七世紀の英国に於ける改革派プロテスタント(Protestant:「反抗する者・抗議者」の意で、十六世紀のルターやカルヴィンの宗教改革後、ローマカトリック教会の信仰理解に反抗して分離形成されたキリスト教各派及びその信徒の総称。北部ヨーロッパ・イギリス・北アメリカにおいて優勢。プロテスタント教会自身は「福音主義教会」と公称する)の総称。「清教徒」と訳されるが、本来はカタリ派(中世キリスト教の異端で「Cathari」は「清浄なる者」の意。十二世紀中頃以降、特に南フランスと北イタリアに盛行し、その殲滅のための十字軍や異端審問を産み出した。二元論・二神論で極端な禁欲と現世否定を特徴とする)を匂わせる旧派からの蔑称であった。国教会からの非分離派カルビニスト(後の「長老派」)・分離派カルビニスト(後の「独立派」)・分離派の非カルビニストを包含する。ピューリタン革命の主体となったのが独立派であった。ピューリタンはクロムウェルのもとに結集して王政を倒し、共和政を樹立した。「失楽園」の詩人ジョン・ミルトンはその秘書であった。王政復古後に解体したが、バプティスト・クエーカーなどに引き継がれ,またピルグリム・ファーザーズ(Pilgrim Fathers:一六二〇年にメイフラワー号(Mayflower)で北アメリカに渡ったピューリタンその他の人々。「巡礼始祖」と訳される)として渡米した人々はアメリカ建国の祖になった。、「契約神学」にもとづく社会観・国家観・労働観などは近代精神のバックボーンともなった。新しい土地で新しい学校の敷地を開拓する、その植付作業からピューリタンに自身らを擬えたのはすこぶる自然である。

「馳けるし」「かけるし」。原稿では「翔けるし」。

「梨」バラ目バラ科サクラ亜科ナシ属ヤマナシ変種ナシ(ワナシ(和梨))Pyrus pyrifolia var. culta

「短果枝」(たんかし)は実成樹種で、実のつく、十センチメートル以下の短い枝を指す。その枝の長さによって「中果枝」・「長果枝」と呼び分ける。短果枝は花芽がつきやすいので、短果枝を増やすことが育成のポイントとされる(Yoko Kodama氏のサイト「ハーブと花の畑から」の用語集に拠った)。

「わたくしがここを環に堀つてしまふあひだ」/「その雫が落ちないことをねがふ」/「なぜならいまこのちいさなアカシヤをとつたあとで」ギトン氏のこちら(頭に男性のヌード写真があるので注意されたい)によれば、『作者は』、『ニセアカシヤ』(=マメ目マメ科マメ亜科ハリエンジュ(針槐)属ハリエンジュ Robinia pseudoacacia)『の幼木を掘り取る作業をしています』。『そのために、まず、根の周囲を丸く掘ってから、幼木を、根についた土ごと掘り出しました』。『この掘り取り作業は、移植のためではなく、「アカシヤ」を駆除するためです。丁寧に丸く掘ってから掘り取っているのは、「アカシヤ」を傷つけないためではなく、徹底的に根こそぎ除去するためなのです』。『この点が、この詩を理解する上で最重要のポイントです』。『作者は、梨畑に侵入した雑木を駆除して、果樹園を整備しているのだと思います』。『作者が作業をしているすぐ傍には、梨の果樹があり、やや離れて、マユミ』(ニシキギ目ニシキギ科ニシキギ属マユミ(檀・真弓)Euonymus hamiltonianus:果実は枝にぶら下がるようにしてつき、小さく角ばった四裂の形を成す。秋の果実の色は品種により白・薄紅・濃紅と異なるが、どれも熟すと、果皮が四つに割れ、鮮烈な赤い種子が四つ現れる。材質が強い上によくしなることから、古来、弓の材料として知られ、名前の由来にもなった。現在は印鑑や櫛の材料とされる。以上はウィキの「マユミ」に拠った)『の木があります』。『梨は、果樹として剪定されて植栽されているものです。「雨あがり」なので、梨の枝には、まだ水滴が付いています』。『マユミは、おそらく自然木でしょう。一本だけでなく数本あるかもしれません。ちょうどマユミは実をつける季節であり、赤いきれいな実が下がっています』とされる。

「雫がレンズになり」/「そらや木やすべての景象ををさめてゐる」接写映像としてすこぶるいい。「その雫が落ちないことをねがふ」、それは「いまこのちいさなアカシヤをとつたあとで」/「わたくしは鄭重(ていちよう)にかがんでそれに唇をあてる」つもりでいるから。何と! 妖艶なことであろう!

「ひじやうな惡漢(わるもの)にもみえやうが」ニセアカシアを完膚無きまでに徹底的に掘り起し、除去する賢治らを擬えて指す。

「わたくしはゆるされるとおもふ」どうも今までのような、自然対人間の強烈な二項対立的雰囲気がここには、ない。それは、何故、それが許されると思うのかというと、「これら」の我々を取り巻いている、単なる仮の「げんしやうのせかい」(現象の世界)は、実は「なにもかもみんなたよりなく」て、「なにもかも」が「みんなあてにならない」ということが判ってしまったからだと言うからである。これをギトン氏はこちらで、前月に『起きた関東大震災に触発されたもので』あると断定されておられる。それはそれで解の一つとして認められ得るが、であるとすれば、賢治が関東大震災からカタストロフを感ずるのが、私にはえらく遅い、遅過ぎる、と思うのである。無論、現在のようなヴァーチャルに津波や水素爆発のそれが、ほぼリアル・タイムで強烈に見せられてしまうのとはわけが違うというのは判る。しかし、賢治ような鋭い感覚を持った人物として、しかも科学者としてどのような現実の災害が関東一円に発生しているかを想起出来た知性も有していたのであるなら、そうした総合的なカタストロフ感は早くに感じていたはずだと思うのである。しかし、ここまでの「宗教風の戀」・「風景とオルゴール」・「風の偏倚」・「昴」・「第四梯形」・「火藥と紙幣」の中にそうした、不可知論的終末意識のようなものは、私には微塵も感じられない。「宗教風の戀」では震災に言及しなから、どうもそれに起因するような激しい虚無感を感じているようには逆立ちしても思われない(寧ろ、そこに現れるのは賢治のごくごく内的な葛藤の焦燥感である)し、「火藥と紙幣」の最終行をそうしたニヒリズムで読み解くことは私には全く以って出来ないのである。ここでも農学校のルーティンな実習作業は普通に楽しくも正確に落ち度なく行われているのであり、そこで賢治は生徒と作業をしながらも、心象をスケッチする〈余裕〉をも持っている。空ろな巨人の翳が賢治の心に掛かっていたとするのなら、私は本篇の心象スケッチ自身が成立しないとさえ思うのである。そうした心の〈余裕〉や〈静謐〉という観点に立ってこそ、以下の、「そのたよりない性(せい)質が」/「こんなきれいな露になつたり」/「いぢけたちいさなまゆみの木を」/「紅(べに)」色「から」、「やさしい月光いろ」に「まで」/「豪奢な織物に染めたりする」のだ、という部分を、語注や解釈なしにごこごく素直に読めるのではなかろうか。寧ろ、ここで賢治は――「現象」としての見かけの社会・世界なんてものは、絶対的真理たる自然の摂理や信仰や愛の力の前では、全く以って「なにもかもみんなたよりなく」て、「なにもかもみんなあてにならない」ものだと、改めて感じたし、判ったよ! そうして、今、私は一箇の生命としてのニセアカシアのそれを絶ちはしたけれど、その命はまた霊となって、別な世界に甦る、或いは今の世界に転生し、その宇宙的なエネルギとして循環しているに違いないんだ! だから「わたくし」のニセアカシアを殺したその罪も、大局的な霊的な力の円環という中に於いては、永遠に「ゆるされるとおもふ」のだ――と笑みさえ浮かべて述懐しているのではないかと私は思うのである。でなくてどうして、最後に彼が「いまはまんぞくしてたうぐわをお」くことができようか!(「たうぐわ」は「唐鍬」(とうぐわ)で、長方形の鉄板の一端に刃をつけ、他の端に木の柄を嵌めた鍬の一種。開墾や根切りに使用する)

「わたくしは待つてゐたこひびとにあふやうに」/「應揚(おうやう)にわらってその木のしたへゆくのだけれども」/「それはひとつの情炎(じやうえん)だ」/「もう水いろの過去になつてゐる」「わたくしは待つてゐた」恋人に「逢いに「行く「やうに、如何にも余裕綽々と笑みを含んでゆったりと、さっきの梨の「短果枝」の「雫」に「唇をあてる」つもりで向かったが、もうそれは散ってなかった――その私の雫への情念の炎が幻の梨の雫のレンズに映っている――もうそれは儚い雫の儚い水色の儚い「過去にな」ってしまっている……やはり「生」(雫への恋)と「死」(雫の消滅)の問題では、やはり賢治にはトシ喪失のトラウマが未だ襲ってくるのだと言える。……いや……この通りのことを、私(藪野)は、毎夜、夢現(うつつ)の内に、繰り返し体験しているいるのだから本当だ…………]

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