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2018/12/03

和漢三才圖會第四十三 林禽類 鵲(かささぎ)

 

Kasasagi

 

かさゝき 芻尼 喜鵲

     飛駁鳥

     乾鵲【佛經】

 

ツヤツ 【和名加佐佐木】

 

本綱鵲乃烏屬也大如鴉而長尾尖觜黑爪緑背白腹尾

翮黑白駁雜上下飛鳴以音感而孕以視而抱十二月始

巢開太歳向太乙知來歳風多巢必卑下故曰鵲知

來猩猩知徃又云鵲有隱巢木如梁令鷙鳥不見人若見

之主富貴也鵲至秋則毛頭禿其性最惡濕靈能報喜

故名喜鵲淮南子云鵲矢中蝟蝟卽反而受喙【火勝金之理也】

肉【甘冷】用雄鵲治石淋消熱結

凡烏之雌雄難別者其翼左覆右者是雄右覆左者是雌

又燒毛作屑納水中沉者是雌浮者是雄

 新古今かさゝきのわたせる橋にをく霜の白きを見れは夜そ更けにける家持

△按此歌據淮南子云七月七日烏鵲天河渡織女之

 日本紀推古天皇六年自新羅國獻鵲二侯乃俾

 養於難波杜因巢枝産之然本朝未常有焉近頃自

 中華來偶有見之耳

 

 

 

かさゝぎ 芻尼〔(すうに)〕 喜鵲〔(きじやく)〕

     飛駁鳥〔(ひはくてう)〕

     乾鵲【佛經。】

 

ツヤツ 【和名、「加佐佐木」。】

 

「本綱」、鵲は乃〔(すなは)ち〕烏〔(からす)〕の屬なり。大いさ鴉のごとくして、長き尾、尖〔れる〕觜、黑き爪、緑の背、白き腹、尾翮〔(をばね)は〕黑〔と〕白〔と〕駁雜〔(ばくざつ)〕す。上下〔に〕飛鳴〔(ひめい)〕して、音を以つて感じて孕〔(はら)ま〕す。視を以つて抱〔(いだ)く〕。十二月、始めて、巢くふ。開くこと、太歳〔(たいさい)〕に背〔(そむ)き〕て太乙〔(たいいつ)〕に向かふ。來〔たる〕歳〔の〕風〔(かぜ)〕多きを知りて、巢、必ず卑-下(ひき)くす。故に曰はく、「鵲〔は〕來たるを知り、猩猩〔は〕徃〔(ゆく)〕を知る」〔と〕。又、云はく、「鵲、隱巢有り。木、梁〔(はり)〕のごとくして、鷙-鳥(たか)をして見せざらしむ。人、若〔(も)〕し、之れを見るときは、富貴を主〔(つかさど)〕る」と。鵲、秋に至るときは、則ち、毛、〔(はへそろ)ひ〕、頭、禿〔(はげ)る〕。其の性、最も濕を惡〔(にく)〕み、靈ありて、能く喜びを報ず。故に、「喜鵲」と名づく。「淮南子」に云はく、『鵲の矢(くそ)、蝟〔(はりねづみ)〕に中〔(あた)〕れば、蝟、卽ち反つて、受け、喙〔(ついば)〕む【火、金に勝つの理〔(ことわり)〕なり。】」〔と〕。

肉【甘、冷。】雄〔の〕鵲を用ひ、石淋を治し、熱結を消す。

凡そ烏の雌雄、別〔(べつ)〕し難き者なり。其の翼、左、右を覆ふは、是れ、雄。右、左を覆ふは、是れ雌〔なり〕。又、毛を燒きて屑〔(くず)〕と作〔(な)〕し、水中に納めて、沉〔(しづ)む〕は、是れ、雌。浮くは、是れ、雄〔なり〕。

 「新古今」

   かさゝぎのわたせる橋にをく霜の

      白きを見れば夜ぞ更けにける

                  家持

△按ずるに、此の歌、「淮南子」に云ふ、『七月七日、烏-鵲〔(うじやく)〕天河に塡(み)ちて織女を渡す』のに據るか。「日本紀」推古天皇六年、新羅國より、鵲、二侯〔(は)〕を獻ず。乃〔(すなは)ち〕、難波〔(なには)〕の杜(もり)に養ひ俾〔(せし)む〕。因つて枝に巢〔(すく)ひ〕て、之れを産む』云云〔(うんぬん)と〕。然れども、本朝、未だ常には有らず。近頃、中華より來たりて、偶(たまたま)見ること有るのみ。

[やぶちゃん注:スズメ目カラス科カササギ属カササギ亜種カササギ Pica pica sericeaウィキの「カササギ」より引く。『世界的には北アメリカ西部、欧州全域、中央アジア、アラビア半島南西部、極東、オホーツク海北部沿岸に分布する』。当該亜種の『分布域はほぼ東アジアに限られ』、『日本では北海道、新潟県、長野県』、『福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県で繁殖が記録されている。秋田県』、『山形県、神奈川県、福井県、兵庫県、鳥取県、島根県、宮崎県、鹿児島の各県、島嶼部では佐渡島、対馬で生息が確認されている』。『九州の個体群は、朝鮮とは別亜種で中国と同亜種に分類されている』。『九州の個体群は』十七『世紀に朝鮮半島から現在の佐賀県(佐賀藩)および福岡県筑後地方(柳河藩)に人為移入された個体が起源とされる』。『なお、『日本書紀』には飛鳥時代に新羅から「鵲」を持ち帰ったという記述がある』(本文の記載にあるもの)。『しかし、室町時代以前の文献にみられる観察記録にはカササギと断定出来る記述は無いとされている』。『移入時期は豊臣秀吉の朝鮮出兵とする説(後述)もあるが』、『文献記録が無く』、『伝聞の域を出ていない』。『一方、台風や季節風により』、『本来』、『生息域である大陸から迷行し』、『飛来した自然渡来個体が定着した可能性も否定されていない』が、専門家によれば、『福岡県玄界灘沿岸生息群と佐賀平野生息個体群の分布調査からは自然渡来の可能性は極めて低いと』されており、『また、万葉集にカササギの歌が無い事が渡来時期の傍証のひとつとなっている』。『江戸時代には「朝鮮がらす」「高麗がらす」「とうがらす」の別称があり、江戸時代の生息範囲は柳河藩と』佐賀藩『の周辺の周辺非常に狭い地域に限られていた。また』、佐賀藩『では狩猟禁止令により保護されていた』。『生息域が極めて狭く珍しい鳥であることから』、大正一二(一九二三)年三月、『その生息地を定めて、カササギ生息地一帯の市町村は国の天然記念物に指定されていた。また、佐賀県では、県民からの一般公募により』、昭和四〇(一九六五)年に『県鳥とされた』。一九六〇年代以降、『電柱への営巣特性を獲得し』、『分布障壁となっていた山地の森林が減少した』『事などから』、一九七〇年代以降、『急速に生息域が拡大し』、『数が増加した』。一九八〇年代には、『北海道の室蘭市や苫小牧市周辺で観察され』、繁殖が確認されている。『酪農学園大学らの研究グループが』二〇一一年より『調査を行い』、『苫小牧の個体群のDNAはロシア極東のものとほぼ一致したが、韓国のものとは違いが大きい』ことが二〇一五年に報道されている。『カササギは長距離の飛行が苦手なこともあり、これらの地域に生息する個体群の移入経路は長らく不明であったが』、二〇一六年には、『ロシアから貨物船に乗って来ていた』という『説が提唱されている』。以下、「地域名」の項。『佐賀県:「カチガラス」「キシャガラス」「シチャガラス」』、『福岡県筑後地方(福岡県南部):「コーライガラス」「コーゲガラス(「高麗ガラス」からの転訛)」』。以下、「生態」の項。『人里の大きな樹の樹上に球状の巣を作り繁殖する。ハシブトガラス』(カラス属ハシブトガラス Corvus macrorhynchos)『のように群れを作らず、主にツガイ、もしくは巣立ち前の雛と少数単位で暮らす。また、ハシブトガラスよりも一回り小さく、黒地に白い羽を持つ』。一九六〇年代に『行われた調査では、標高』百メートル『以上の山地には生息せず』、『人里を住みかとしており、広い森林が覆う山地は分布障壁となっている』。『なお、和名「カササギ」はサギの音を含むが、分類学的にはサギ(鷺)』(サギ科 Ardeidae 或いはサギ亜科 Ardeinae)『と遠く離れている』。以下、「食性」の項。『穀類や昆虫、木の実、穀類などを食べる雑食性である』。『ケラやハサミムシ、コオロギなど地面に生息する虫も捕食する。秋にはイナゴなどの害虫を食べることから、益鳥とされる。戦前の調査では、全羅南道のカササギの砂嚢から、ジャガイモや大豆が見出されている』。以下、「繁殖」の項。『日本に生息するほとんどの個体は古い巣の再利用はせず』、十『月下旬頃から営巣地を探しはじめ』、三『月中旬頃までにはカキノキ、エノキ、クスノキ、ポプラなどの樹高』八メートル『以上の樹木に、木の枝や藁などを用いて直径』六十センチメートルあkら一メートル『程度の球状の巣を作る。日本に生息する個体が作成する巣は屋根を有する構造であるが、ヨーロッパに生息する個体では屋根の無い構造の巣も作成すると報告されている』。『また、屋根があっても』、『カラスによる卵や雛の捕食を完全に防ぐことはできない』。『地域的にあるいは生息環境により、電柱や鉄塔などの人工物に巣を作る個体がみられる。樹木が少ないため人工物を用いると考えられ、都市部でも樹木が多いヨーロッパでは人工物への営巣が少なく、また日本(九州北部)では都市化が進んだ』一九八〇『年代頃から電柱巣が急増した。電柱巣はネコなどの地上の捕食者を完全に阻止出来る利点があり、雛が巣立ちする割合は樹木巣よりも電柱巣のほうが高い』。『九州北部では電柱巣の傾向が顕著になっており、樹木が多い山麓や農村でも電柱巣の割合は住宅地とあまり変わらないという調査がある』。『なお、樹木が少ない環境では金属製ハンガーや針金などを巣材とする場合があり、時として停電を招くこともある。そのため、九州電力などは、電柱上の変圧器付近に黄色い風杯型風車を取り付けるなどして、カササギなどの鳥に巣を作られないよう対策を講じている。また、行政では針金などの金属ゴミを放置しないよう』、『呼び掛けている』。『産卵は、営巣後すぐに行なわれ、楕円形の薄い緑色をした卵を』六~七『個産む』。『雌が抱卵し、最終卵産卵後』十七~十八『日で孵化する。各卵は日を置いて逐次孵化するため、雛の成長度には差が生じ、遅れて孵化した雛鳥の多くは死亡する。孵化後約』四『週間で』一~四『羽が巣立ちし』、『巣も放棄される。巣立ち後の若鳥の生存率は』三十%『程度で』十二『月頃まで集団でねぐらにつくが、その後番いを形成して分散し、個別の縄張りを持つようになる。なお、番いの関係は一生続く』。以下、「知能」の項。『カササギは鳥類のなかでも大きな脳を持っており』、哺乳類以外では初めて「ミラー・テスト」をクリアした生物である。『すなわち、鏡に映った像が(他の個体ではなく)自分であることを認識したことが確認された』のである。『日本においても、老人や子供は警戒しない一方で、若い男性など危害を与えようとするものには警戒して近寄らないという観察結果が出ている』。以下、「文化」の項。『古代の日本には、もともとカササギは生息しなかったと考えられる。「魏志倭人伝」も「日本にはカササギがいない」と記述している』。『しかし、七夕の架け橋を作る伝説の鳥として、カササギの存在は日本に知られることとなった。奈良時代の歌人大伴家持は七夕伝説に取材した下記の歌でカササギを歌っている。(『新古今和歌集』・『小倉百人一首』に収載)』

 鵲の渡せる橋におく霜のしろきを見れば夜ぞ更けにける

『七夕のカササギの伝承は日本では「サギと付くからサギの仲間だろう」と思われたため、カササギではなくサギで代用されている』。『現代では「鵲」は鳥類のカササギを指す文字として使用されているが、古代における「鵲」の意味と読みは特定されていない』。『例えば『日本書紀』には、飛鳥時代の』推古天皇六(五九八)年、『聖徳太子の使者として新羅に渡った吉士盤金(きしのいわかね)が』二『羽の「鵲」を持ち帰り献上、難波の杜(大阪市にある鵲森宮や生國魂神社などが比定地)で飼ったという記述がある』。『この日本書紀の「鵲」には万葉仮名が振られておらず、「かささぎ」という読みが初めて登場するのは平安時代中期の『和名類聚抄』である』。『現在日本に生息するカササギは、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、肥前国の佐賀藩主鍋島直茂、筑後国(現福岡県)の柳川藩主立花宗茂など九州の大名らが朝鮮半島から日本に持ち帰り繁殖したものだとされる説があるが、持ち帰りに関して記録した文献が無く、真相は不明である』。『一方、佐賀・柳川両藩では主に』十七『世紀に入ってから、地誌や産物帳などに目撃例や生息地、生態に関する記録がみられるようになる』。『その一方で、冬に朝鮮半島から渡ってくるミヤマガラス』(カラス属ミヤマガラス Corvus frugilegus)『の大群にカササギが混じっていることがあるという観察結果から、渡ってきたカササギが局地的に定着したという意見もある』らしい。中国では、『七夕伝説における織姫と彦星の間をつなぐ掛け橋の役を担う鳥として、親しまれている。なお、現代中国語では「喜鵲」と表記する』。朝鮮半島では、『カササギを「까치(カチ)」と呼ぶ。大韓民国では首都のソウル特別市をはじめとする多くの都市が市の鳥に指定している。また、ソウルの地下鉄にはカチ山駅という駅がある。済州島には生息していなかったが』、一九八九年に『新聞社と航空会社が協賛して半島の生息種を約』五十羽を『放鳥した。天敵のいない環境で』、『一時期』、十『万羽以上にまで増殖し、外来種として生態系と農作物に深刻な被害をもたらしている』。『済州島のカササギは有害野生動物に指定され、自治体による計画的な駆除が行われている』(カササギ、哀れ!)。『英語では、カササギ、オナガ、サンジャク、ヘキサンなどをまとめて magpie(マグパイ)と呼び(magpieの「pie」は属名由来で、「mag」は女性名「Margaret」の変形したもの。尼僧といい、鳥類は概ねその見た目の可愛らしさから女性に擬えることが多い)、伝統的に「おしゃべり好きのキャラクター」としての表象を与えられている。また、金属など光るものを集める習性があることから、「泥棒」の暗喩に用いられることがある。しかし、実際はカササギは光る物を持っていくことは無い』とある。

「かさゝぎ」の和名は澤田粂夫氏のブログ「古代史に登場する鳥」の「カササギ」に、金容雲氏の「日本語の正体」(三五館)によれば、『古代韓(から)語では、「鵲」の訓が「かち」、音は「ちゃく」。百済人は、これを続けて使いました。つまり「かちちゃく」。更に、これが変化して「カササギ」。百済からの渡来人から伝わった百済語だそうです』とある。これとは別に、朝鮮語のその「かち」が「かさ」になり、それに鳴き声がかしましいことから、日本語の「騒ぐ」を意味した「さぎ」を合成したという説も見たが、上記のそれの方がすっきりしていて納得出来る。

「芻尼〔(すうに)〕」女性の出家者を「比丘尼」(びくに)と呼ぶが、これはそのサンスクリット語「クシュニー」の漢訳語で、それには他に「必芻尼」「福芻尼」「備芻尼」などがある。カササギの羽毛の白黒(びゃっこく)が尼の僧衣染みたものとして認識されたからであろう。

「飛駁鳥〔(ひはくてう)〕」「駁」の字の原義はいろいろな毛色の交じった斑馬(まだらうま)のことで、これも白黒の羽毛の混じり合っていることに由来する異名であろう。

「乾鵲【佛經。】」割注は仏典に載るという意。後文にあるように、鵲は性質上、最も湿気を嫌い、「乾を喜ぶ」のであり、故に「乾鵲」なのである。荒俣宏「世界博物大図鑑」の第四巻「鳥類」(一九八七年平凡社刊)の「カササギ」の項には『川から離れて生息することに由来する』とある。

「鵲は乃〔(すなは)ち〕烏〔(からす)〕の屬なり」カササギはカラス科 Corvidae であるから正しい。

「駁雜〔(ばくざつ)〕す」入り混じっている。

「音を以つて感じて孕〔(はら)ま〕す。視を以つて抱〔(いだ)く〕」雄の声に感応して子を孕み、卵を見つめるだけで孵化させる。うへえ!

を開くこと、太歳〔(たいさい)〕に背〔(そむ)き〕て太乙〔(たいいつ)〕に向かふ」巣の入口を開く方向を言っている。東洋文庫版の注に『大歳は木星。十二歳をもって天を一周し、これに當たる方位は犯すべからざるものとされる。太乙は北辰の神、天帝。北天にあるのを本位とする』とある。営巣するという旧暦の十二月の木星の出現位置は概ね南から南南東の間辺りかと思われるが、そちらの反対側だから北から北北西に位置に巣の入口を設けるということであろうか。

「來〔たる〕歳〔の〕」翌年の。

「卑-下(ひき)くす」風で飛ばされないように低い位置に営巣する。無論、そんな予知能力は実際にカササギにはない。頭は確かにいいんだけどね。

「鵲〔は〕來たるを知り、猩猩〔は〕徃〔(ゆく)〕を知る」カササギには未来を予期する能力があり、猩々(しょうじょう)には過去となる現在進行中の半確定された「徃」(ゆ)く時間=やはり(近)未来を知ることが出来るという意味であろう。私の漢三才圖會 卷第四十 寓類 恠類」の「猩猩」を見られたいが、そこの「本草綱目」の指すのは、概ね想像上のヒト型獣類(類人猿)であるのに対し、良安が比定しているのは、真猿亜目狭鼻下目ヒト上科ヒト科オランウータン属 Pongoであることが判る。そこで「本草綱目」から引くに、まさに『能く言ひて來を知』る、とあるのである。但し、時珍は、『能く言ふと雖も、當に鸚〔(あうむ)〕の屬のごとく〔は〕、亦、必ず〔しも〕盡さざるべし』と疑義を呈している。これは、「『未来を予言する』『よく人語を語る』などと言い伝えられているが、それは鸚鵡の類が美事に人語を語るように、明瞭な言語を発して語る、という訳では、まさかあるまい。」という意味である。これは、恐らく、次の箇所に現れる「人の祖先の姓名」を「罵」るかのように聞こえる啼き声を発するに過ぎず、「よく人語を語る」のでは毛頭ない、という伝承に対する時珍のクレームなのだと思われる。

「隱巢」取り敢えず「かくしす」と読んでおく。カモフラージュした巣。先に引用したように屋根状の部分もあるとするから、そうしたもののようでもある。但し、カラスの襲来には防禦効果がないともあったから、果たしてカモフラージュする意思があるかどうかは不明な気がする。寧ろ、嘗て韓国で見たそれは、巣であることが目立つ部類のものばかりであった。

「梁〔(はり)〕」屋根。

「鷙-鳥(たか)」ワシ・タカなどの猛禽類の総称。

「人、若〔(も)〕し、之れを見るときは、富貴を主〔(つかさど)〕る」人がもし、このカササギの隠し巣を発見したら、その人は金持ちになれる。

〔(はへそろ)ひ〕」この漢字は、鳥獣の毛が生え替わって綺麗に生え揃うことを指す。

「靈ありて、能く喜びを報ず」霊的な神秘力を持っていて、直近で慶事があると、事前に知らせて呉れる。

「淮南子」前漢の武帝の頃に淮南(わいなん)王であった劉安(高祖の孫)が学者達を集めて編纂させた一種の百科全書的性格を備えた道家をメインに据えた哲学書(日本では昔からの読み慣わしとして呉音で「えなんじ」と読むが、そう読まねばならない理由は、実は、ない)。同書の「説山訓」に、

   *

膏之殺鱉、鵲矢中蝟、爛灰生蠅、漆見蟹而不幹、此類之不推者也。推與不推、若非而是、若是而非、孰能通其微。

   *

とあるが、どうも時珍が言っていることと真逆のことを言っている気がする(「蝟」は哺乳綱 Eulipotyphla目ハリネズミ科ハリネズミ亜科 Erinaceinae。背は体毛が変化した棘で被われている。同種は日本を除く東アジアにも棲息するから、「本草綱目」のそれは本種ととってよい)。さても東洋文庫の注を見ると、そこに『ここは『淮南子』の文を引いたことになっているが実際の『江南子』(説山訓)には「鵠矢中ㇾ蝟(注)中亦殺也」』(注は「中(あた)るは亦「殺(ころ)す」なり)『とある。ここの良安の文は『本草綱目』鵲〔集解〕の時珍の言をそのまま引いたもので、これでは鵲より蝟の方が強いことになる。『淮南子』原文では蝟より鵲の方が強いことになる。ところで『本草綱目』猬(蝟)[やぶちゃん注:ハリネズミの現代中国語名は「刺猬」である。]〔集解〕では陶弘景の言として「(蝟)能跳入虎耳中。而見鵲便自仰腹受啄。物相制如此」とある。これによれば飼より鵠の方が強いことになる』とある。

「矢(くそ)」「矢」には「糞」「屎」、「動物が肛門から排出する排泄物」の意がある。

「火、金に勝つの理〔(ことわり)〕なり」これはハリネズミは五行の「火」(か)であり、カササギは「金」(ごん)に当たるということか。

「石淋」(せきりん)は尿路結石症を伴う排尿障害。

「熱結」熱性の邪気が集結したために生じる症状。例えば、熱が胃腸に結して生じる腹痛・便秘・譫言(うわごと)や脈搏の沈滞、或いは悪血の鬱血などを指す。

「凡そ烏の雌雄、別し難き者なり」そもそもカササギに限らず、鳥類の雌雄の弁別はしがたいものである。

「其の翼、左、右を覆ふは、是れ、雄。右、左を覆ふは、是れ雌〔なり〕」いいえ、良安先生、それは嘘です、と言わねば!

「毛を燒きて屑〔(くず)〕と作〔(な)〕し、水中に納めて、沉〔(しづ)む〕は、是れ、雌。浮くは、是れ、雄〔なり〕」同前。しかし、これって迂遠に面倒臭せえぞ!

「新古今」「かさゝぎのわたせる橋にをく霜の白きを見れば夜ぞ更けにける」「家持」大伴家持の歌として「新古今和歌集」の「巻第六 冬歌」に載る(六二〇番)。「をく」は定家仮名遣と呼ばれる掟破りのもの。「小倉百人一首」で人口に膾炙してしまっているが、「新古今」での配置も異様で、さらに採取元の「家持集」は信頼性がなく、そもそもが「万葉集」にはカササギは詠まれていない、当時、本邦にいなかった可能性が大であるからして、本歌の家持作という信憑性は限りなくゼロに近い。

『「淮南子」に云ふ、『七月七日、烏-鵲〔(うじやく)〕天河に塡(み)ちて織女を渡す』のに據るか』東洋文庫注に『この部分は現在通行の『港南子』には載っていない』とあった。よかった、調べる前で。

『「日本紀」推古天皇六年、新羅國より、鵲、二侯〔(は)〕を獻ず。乃〔(すなは)ち〕、難波〔(なには)〕の杜(もり)に養ひ俾〔(せし)む〕。因つて枝に巢〔(すく)ひ〕て、之れを産む』云云〔(うんぬん)と〕』「日本書紀」の推古天皇六(五九八)年四月に、

   *

六年夏四月。難波吉士磐金至自新羅、而獻鵲二隻。乃俾養於難波杜。因以巢枝而産之。

   *

とある。なお、同書には今一箇所、後の天武天皇一四(六八五)年五月辛未(二十六日)の条に、

   *

辛未。高向朝臣麻呂。都努朝臣牛飼等。至自新羅。乃學問僧観常。雲観。従至之。新羅王献物。馬二疋。犬三頭。鸚鵡二隻。鵲二隻。及種々寶物。

   *

という記事にも「鵲」が出る。]

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