佐々木(鏡石)喜善・述/柳田國男・(編)著「遠野物語」(初版・正字正仮名版) 九八 路傍の石神
九八 路の傍に山の神、田の神、塞(サヘ)の神の名を彫りたる石を立つるは常のことなり。又早地峯山六角牛山の名を刻したる石は、遠野鄕にもあれど、それよりも濱に殊に多し。
[やぶちゃん注:「山の神」「田の神」ここは分類学的に優れた「ブリタニカ国際大百科事典」の記載を引く(コンマを読点に代えた)。『山を支配し』、『領有する神。農民は』「田の神」『と結びつけて考え,山で働く人々は山を司る神と考えるなど,その内容は種々ある』。①『山そのものの姿態および山をめぐる自然現象に神秘性を感じて、それを神霊の力なり意志の現れとして神聖視する山岳信仰上の山霊。高山、秀峰に固有の神で世界的に分布するが、日本では火山系、神奈備(かんなび)系』(神霊の鎮まる小山・丘陵・森のような地形)、『水分(みくまり)系』(水源となる高地部)『と山容によって分離される』。②『人間が山に働きかけて、その体験から信仰対象となった山の神。春に芽を出し秋に実を結び、永遠に山の幸を授けてくれるものを山の大地母神と考えた。多くは女神として信仰する。日本で山の神を女神、姥(うば)神、夫婦神とするのもそれである』。③『狩猟民の信仰する山の神。山を領有する神とされ、日本では山の神に狩猟を許可されたという伝説をもつ狩猟集団がある』。④『平地農民の信仰する山の神。古代より山を死者の霊の休まるところとし、死者の霊が時を経るにつれて祖先神となり、山頂にしずまって子孫を守護するとする信仰で,日本に特徴的に認められる。農耕の開始される』春に山から迎えた「山の神」は、「田の神」となって五穀の生育を見守り、秋の収穫後には、再び、田から山へ帰って「山の神」となる『とされる。そのほか』、「山の神」信仰には、『山で生産に従事する炭焼き、きこり、木地屋、鉱山業者などの奉じる』分枝的な『神があり、複雑な信仰内容を伝えている』。
「塞(サヘ)の神」現代仮名遣は「さえのかみ」。同じく「ブリタニカ国際大百科事典」の記載を引く(コンマを読点に代えた)。『村や部落の境にあって、他から侵入するものを防ぐ神。邪悪なものを防ぐ』「とりで」(「塞」は「寨」「砦」と同義)の『役割を果すところからこの名がある。境の神の一つで、道祖神、道陸神(どうろくじん)、たむけの神、くなどの神などともいう。村落を中心に考えたとき、村境は異郷や他界との通路であり、遠くから来臨する神や霊もここを通り、また外敵や流行病もそこから入ってくる。それらを祀り、また防ぐために設けられた神であるが、種々の信仰が習合し、その性格は必ずしも明らかでない。一般には神来臨の場所として、伝説と結びついた樹木や岩石があり、七夕の短冊竹や虫送りの人形を送り出すところとなり、また』、『流行病のときには』、『道切りの注連縄(しめなわ)を張ったりする。小正月に左義長などの火祭をここで行う場合もある。神祠、神体としては、「塞の神」「道祖神」などの字を刻んだ石を建てたものが多いが、山梨県には丸石を祀ったものもあり、人の姿を刻んだ石や、男根形の石を建てるものも少くない。行路や旅の神と考える地方ではわらじを供え、また』、『子供の神としてよだれ掛けを下げたり、耳の神として穴あきの石を供えたりするところもある』。]
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