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2018/12/20

和漢三才圖會第四十三 林禽類 文鳥(ぶんちやう) (ブンチョウ・キンパラ)

 

Buntyou

   

ぶんちやう

文鳥

 

文鳥狀似宇曾而灰色頂喉黒頰純白觜脚俱紅聲短不

圓滑近時自異國來以形麗號文鳥畜籠而弄之又能孕

於籠中

――――――――――――――――――――――

錦波羅 本朝食鑑云此鳥狀似文鳥而頭頷黑全身紫

 紅觜青脛黃色或爲金腹近年來於異國亦希有之美

 鳥也

 

 

ぶんちやう

文鳥

 

文鳥、狀、宇曾〔(うそ)〕似て灰色。頂(いたゞき)・喉(のど)黒く、頰、純白。觜・脚、俱に紅。聲、短くして圓滑ならず。近時、異國より來たる。形、麗〔なるを〕以つて「文鳥」と號す。籠に畜ひて之れを弄す。又、能く籠の中に孕む。

――――――――――――――――――――――

錦波羅〔(きんぱら)〕 「本朝食鑑」に云はく、『此の鳥、狀、文鳥に似て、頭・頷〔(あご)〕黑く、全身、紫紅。觜、青く、脛、黃色。或いは「金腹〔(きんぱら)〕」と爲〔(な)〕す。近年、異國より來たる。亦、希有〔(けう)〕の美鳥なり』〔と〕。

[やぶちゃん注:スズメ目カエデチョウ科キンパラ(金腹)属ブンチョウ Lonchura oryzivoraウィキの「ブンチョウ」を引く。『インドネシア(ジャワ島、バリ島)』原産であるが、『アメリカ合衆国(ハワイ州およびプエルトリコ)、スリランカ、フィジー、フィリピン、ブルネイ、マレーシア、メキシコなどの世界各地に移入・定着』しており、『日本では大阪府、東京都、兵庫県、福岡県で定着した例がある』。全長十七センチメートル、体重約二十四~二十五グラム。『額や後頸・喉は黒く、頬は白い』。『体上面や胸部の羽衣は青灰色、腹部や体側面の羽衣は薄いピンク色』を呈し、『尾羽は黒い』。『嘴の色彩はピンク色』。『幼鳥は灰褐色で、顔が淡褐色』。『嘴の色彩は灰黒色で、基部は薄いピンク色』。『オスは上嘴の基部が盛り上がる』。元来は原産地の標高千五百メートル『以下にある草原や開けた低木林などに生息し、農耕地周辺や民家の庭でも見られる』。『ペアや小規模な群れを形成して生活するが、大規模な群れを形成する事もある』。『主に草本の種子を食べるが、果実、小型昆虫なども食べる』。『樹上に枯草などを組み合わせた球状の巣を作り』、五~七『個の卵を産む』。『抱卵期間は』十七~十八日で、『雛は孵化してから約』二十『日で巣立つ』。『コメやトウモロコシなどを食害する害鳥とみなされることもある』。『ペット用の乱獲などにより』、『生息数は減少し、害鳥としての駆除・農薬による汚染・スズメとの競合などによる影響も懸念されて』おり、一九九七年には『ワシントン条約附属書II』(国同士の取り引きを制限しないと、将来、絶滅の危険性が高くなる虞れがある生物で、輸出入には輸出国の政府が発行する許可書が必要とされる種)『に掲載されている』。『一方で遺棄や脱走により移入・定着している地域もある』。『ペットとして飼育されることもあり、日本にも輸入されている。日本には江戸時代初期から輸入されていたとされる』。『飼育下で様々な品種(サクラブンチョウ、シロブンチョウなど)が作出されている』。『鳥籠や庭籠で飼育される』。『水浴びを好むため』、『水容器を設置し、水は汚れやすいため不衛生にならないように毎日取り替える』。『餌としてアワやキビ・ヒエなどの穀物、青菜、ぼれい粉』(牡蠣(カキ:音「ボレイ」)殻の粉砕したもの)、『配合飼料などを与える』『孵化後』五~十八『日で雛を親鳥から離し』、『ヘラやスポイトなどで給餌して育てた個体は人馴れし、訓練すれば手に乗せることも可能である』。

 

「錦波羅〔(きんぱら)〕」スズメ目 カエデチョウ科キンパラ属キンパラ Lonchura atricapillaウィキの「キンパラ」によれば、『以前の分類ではギンパラ』(銀腹。キンパラ属ギンパラ Lonchura malacca。東南アジア(インド・スリランカ・ベトナム・マレーシア・インドネシア)に分布する留鳥で、日本では外来種で、一九六八年に神奈川県で発見され、以降留鳥として棲息しているが、愛玩用に持ち込まれたものが野生化したものと考えられている。体長十一~十二センチメートルほどで、は頭部が黒く、背部が橙褐色、嘴が青灰色。は褐色。 羽色は本種キンパラに似るが、ギンパラは脇腹の部分が白いので判別できる)『の亜種と考えられていた(学名:Lonchura malacca atricapilla)が、最近では別種として扱われている』。『一時はフィリピンの国鳥であった』。『南アジアおよび東南アジア(バングラデシュ、ブルネイ、インド、スリランカ、中国南部、インドネシア、ラオス、ミャンマー、ネパール、フィリピン、シンガポール、台湾、タイ王国、ベトナム)に分布する留鳥』で、『日本では外来種で』、明治四三(一九一〇)『年頃に東京都で野生化した群れが見つかって以降、各地で見つかっている』。体長は十一~十二センチメートルで、『成鳥はずんぐりした薄灰色の嘴、黒い頭、褐色の体を持つ。地域によっては腹部が黒いこともある。雌雄はよく似ている。若鳥は上部は一様に単褐色で、下部は白から淡い黄土色をしている』。『外見・生態的特徴はギンパラに似るが、腹部が白くならず、背部とほぼ同じ橙褐色である点で判別できる』。『群れで行動し、主に穀類など種子を食べる。開けた草原や農耕地を好む。薮や背の高い草の中に草で大型のドーム状の巣を作り』、四~七『個の白い卵を産む』とある。

『「本朝食鑑」に云はく……「本朝食鑑」(医師で本草学者であった人見必大(ひとみひつだい 寛永一九(一六四二)年頃?~元禄一四(一七〇一)年:本姓は小野、名は正竹、字(あざな)は千里、通称を伝左衛門といい、平野必大・野必大とも称した。父は四代将軍徳川家綱の幼少期の侍医を務めた人見元徳(玄徳)、兄友元も著名な儒学者であった)が元禄一〇(一六九七)年に刊行した本邦最初の本格的食物本草書)の「禽部」の「林禽類」のスズメ目アトリ科ウソ属ウソPyrrhula pyrrhulaのパートの「附録」にあった。国立国会図書館デジタルコレクションの画像なんだけど…………見よ! でさんざん困らされたのと同じだぞ! 大標題が「」じゃない! 前の「うそ」字の「」だギャア!! 良安先生の間違いはここに起因するような気がしてきたぞ!!  ヤラレタ! これじゃ良安先生と一緒に、この人見の「ウソ(噓)」にやられてあたら討ち死にだったわけカイ!!! クソ!!! 

 最後に。腹を立てて終わるのも癪、しかしオリジナルに言うこともないし……。そこで、見つけた個人サイト「文鳥団地生活」というサイトの「文鳥御紹介させて貰う。それによると、『日本では江戸時代末期より、いったん野生化しても根付かずに消滅することを繰り返している。日本の自然環境には、完全に適応できないようだ』とされ、『このジャワ雀』(Java Sparrow。文鳥の英名)『が江戸時代にはすでに日本に持ち込まれており、文鳥として絵画や浮世絵などに描かれるようになっている。しかし、どういった経緯で日本に持ち込まれ、『文鳥』と呼ばれるようになったのか、今一つわからない。試みにその起源を少し調べたところ、本によって諸説が分かれ、しかもそれぞれの話の根拠が不明瞭なので、かえって混乱してしまう』。『伝聞推量の論説を排除し、とりあえず根拠が明確なものは、飼育書の類には存在せず、むしろ小林清之介さんの随筆(「文鳥」『日本の名随筆 生きるってすばらしい』)に見出される。小林さんはその随筆の中で、『本朝食鑑』』『に「近時外国から来たもの」とあることから、その数年前に文鳥は日本にやって来たとお考えになっている』。『そこで『本朝食鑑』の原文を確認すると、確かに「・・・近時自外国来、以形麗号文鳥、・・・」とある。しかしこの「近時」という表現を数年前と単純に考えて良いものか疑問であろう。大昔はいなかった程度の意味かもしれないのだ』。『何しろ』、この当『時の将軍は「犬公方」の徳川綱吉であり、生類憐れみ政策のもと、極端な動物愛護が強いられており、鳥の飼育自体を禁じることはなかったものの(「慰み」のために野鳥を捕獲飼育することは禁じられていた)、カゴの鳥を新たに外国から輸入する時期としては 、最も不適当な時期に相違ないのである』。『むしろ、それ以前の方が自然ではないかと私は思う』とされ、『安土桃山時代から江戸の初期』(この部分以降を中略させて戴いた。単に引用が許容を越えて長く過ぎることを避けんがためである)、『貿易商人を通じて日本に持ち込まれたとしても、何ら不思議ではない』。『つまり、日本人の文鳥飼育の起源をたどっていくと、野生の文鳥が南蛮貿易を通じて直接日本に持ち込まれたものにさかのぼれると、ここでは考えておきたい』。『しかし一説には、すでに飼鳥化したものが中国(China)を経由して日本に入ったとされている。無根拠なのでとるに足らないが、たしかに『文』という漢字には、『いくつかの色で作りだす模様』とか『みやびやかな』といった意味があるので、南方の珍奇な、どことなく上品な色彩の小鳥を指して、中国の知識人層が『文鳥』と表現することは大いに有り得そうだ』。『ただ』、『飼鳥化していたという事は、この場合』、十七『世紀までに、中国で文鳥の人工繁殖が行われていたという意味になる点が気にかかる。何しろ』、『日本でも中国でも野鳥を捕らえ』、『飼鳥とすることはあっても、そういった小鳥を人工繁殖させるような習慣があったとは思えない』から『である』。『例えば日本にも、鳥をカゴに入れて飼うという行為自体は古くからあり、古くは』大化三(六四七)年に『オウムが新羅(朝鮮半島にあった国)から送られているし』、十一『世紀あたりの平安貴族たちは、小鳥合(コトリアワセ、持ち寄った小鳥の鳴き声や羽の色を競う遊びという)をしており(『日本史小百科動物』、『鳥の日本史』など参照)、清少納言というその頃の女性も「すずめの子がひ」がお気に入りだったし、さらに』十四『世紀の兼好法師』『は、空を飛ぶ鳥の翼を切って籠に入れるなんてかわいそうだと主張しているくらいだ』「徒然草」第百二十一段)。『しかし、これらは野生の鳥を捕まえてきて、鳥カゴに放りこんでいるに過ぎず、野生の小鳥をわざわざ繁殖などする事はなかった。元々、小鳥は声や姿のためだけの存在で、かわいがって育てようなどという発想は乏しかったのである。昔の児童唱歌に、「歌を忘れたカナリヤは、裏のお山に捨てましょか。」などという文句があったらしいが、昔の人々にとって、小鳥は完全に鑑賞物でしかないのである』。『そういった感覚は、おそらく中国も同様であったものと思う。もし前近代に中国でジャワ雀が飼われていても、野生のものを捕まえて輸入したものだった可能性が高く、まして、人工繁殖をし、それを日本に輸出するなどという、現代のペット産業化した側面は、ほとんど想定しがたいであろう』。『さらに、「文鳥」という言葉の由来を、一概に中国に求めるのにも問題がある。『大漢和辞典』の「文鳥」の項によれば、かの国には「文鳥之夢」という四文字熟語があるのが、この『文鳥』というのは「文彩の有る鳥」、つまり模様の有るきれいな鳥という意味で、ジャワ雀の事だけを指す言葉ではない』。『実はジャワ鳥をはじめて見た日本人に、彩色の有る鳥=「文鳥」と中国人が説明したのを、『文鳥』という種類の鳥なのだと誤解したのが、ジャワ雀が日本で文鳥と呼ばれるようになる発端なのではないか、そのように考えた方が、無理がないように思う』。『さらに『日本鳥名由来辞典』によれば、清国(中国の近世帝国)では「瑞紅鳥」と文鳥を表記していた事が判明する。中国では、元々ジャワ雀は「文鳥」ではなく「瑞紅鳥」という別の固有名詞を持っていたのである。結局、現代も過去も中国で「文鳥」が文鳥という品種をさす固有名詞ではなかったと考えざるを得ないのである』。『しかし、中国大陸経由で持ち込まれたという話は、まったく的外れとも言えない。何しろ日本の場合』、一六三〇『年代から鎖国体制に入り、徳川幕府の政策によって、貿易港は基本的に長崎の出島だけとなり、相手国は中国とオランダに限られていたのである。当然『文鳥』の輸入も出島を経て行われたはずで、中国商人の手を通じた輸入の形態をもって、中国経由であったと理解することも十分に可能なのである』と考察されておられる。中略も施したので詳しくはリンク先をお読みになられたい。これで「文鳥」の和名の私の不審も氷解し、ただの私の怒りで終わるはずだった注が、すこぶるアカデミックになった。「文鳥団地の生活」サイト主に心より御礼申し上げる。

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