佐々木(鏡石)喜善・述/柳田國男・(編)著「遠野物語」(初版・正字正仮名版) 一〇九 雨風祭
一〇九 盆の頃には雨風祭とて藁にて人よりも大なる人形を作り、道の岐(チマタ)に送り行きて立つ。紙にて顏を描(ヱガ)き瓜(ウリ)にて陰陽の形を作り添へなどす。蟲祭の藁人形にはかゝることは無く其形も小さし。雨風祭の折は一部落の中にて頭屋(トウヤ)を擇(エラ)び定め、里人集まりて酒を飮みて後、一同笛太鼓にて之を道の辻まで送り行くなり。笛の中には桐の木にて作りたるホラなどあり。之を高く吹く。さて其折の歌は『二百十日の雨風まつるよ、どちの方さ祭る、北の方さ祭る』と云ふ。
【○東國輿地勝覽に依れば韓國にても厲壇を必ず城の北方に作ること見ゆ共に玄武神の信仰より來れるなるべし】
[やぶちゃん注:「雨風祭」「あめかぜまつり」でよいか。時期的見ても実りへ向けての最終段階への大事な季節で、度を過ぎた雨風が致命的であるから、これはプラグマティクなそうした気象現象への祈願を主としたものであろう。また、復元されている人形も本文にある通り、このように(トラベル・サイトの個人の写真)豊饒を込めた巨大な男根を持っていたり、男女二体で女性の「ほと」(藁製の窪み)も象形されている(個人サイト)のも頷ける。陰陽の気がバランスがとれてこそ気象や実りは平穏無事となる。本文で「蟲祭の藁人形」との相違を述べていながら、その実、この行事の方法には最後に村外(異界)への通路である「道の辻まで送り行く」ところが全く同じであることから、この人形には豊饒の祈りを表(陽)とすれば、裏に台風や冷害封じ込める呪的な除災の裏(陰)の目的があり、それを送り去る点で御霊的な虫送りと同じなのだと思われる。
「笛の中には桐の木にて作りたるホラ」これが判らない。「笛」と言っている。しかし、「桐の木」で法螺貝をミミクリーして作るのは困難であろう。法螺貝のような音を出す、長い管状のそれであろうか? 画像などを探して見たが、判らぬ。
「頭屋(トウヤ)」本来は「頭家」。神事に際して氏子やその組織集団の中から本来は卜占や籤などによって選び出され、当該年・当該回の行事に限って総てを主宰する(或いは神主の重要な介添えをする)、人物或いは当該家の当主を指す。現在の神主が各種神事で行うことと役割上と全く同じであるが、本来は一回性で限定的なものである。
「北の方さ祭る」東北地方ではこれからの時期、稲を痛める強い冷・寒気や過剰な湿気を多量に持ち込むのは主に北方である。]
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