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2018/12/05

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 噴火灣(ノクターン)

 

 

[やぶちゃん注:本詩篇の標題の「(ノクターン)」はルビではない。]

 

 

          灣(ノクターン)

 

稚(わか)いえんどうの澱粉や綠金が

どこから來てこんなに照らすのか

  (車室は軋みわたくしはつかれて睡つてゐる)

とし子は大きく眼をあいて

烈しい薔薇いろの火に燃されながら

  (あの七月の高い熱……)

鳥が棲み空氣の水のやうな林のことを考へてゐた

  (かんがへてゐたのか

   いまかんがへてゐるのか)

車室の軋りは二疋の栗鼠(りす)

   ⦅ことしは勤めにそとへ出てゐないひとは

    みんなかはるがはる林へ行かう⦆

赤銅(しやくどう)の半月刀を腰にさげて

どこかの生意氣なアラビヤ酋長が言ふ

七月末のそのころに

思ひ餘つたやうにとし子が言つた

  ⦅おらあど死んでもいゝはんて

   あの林の中さ行ぐだい

   うごいて熱は高ぐなつても

   あの林の中でだらほんとに死んでもいいはんて⦆

鳥のやうに栗鼠のやうに

そんなにさはやかな林を戀ひ

 (栗鼠の䡄りは水車の夜明け

  大きなくるみの木のしただ)

一千九百二十三年の

とし子はやさしく眼をみひらいて

透明薔薇の身熱から

靑い林をかんがへてゐる

フアゴツトの聲が前方にし

Funeral march があやしくいままたはじまり出す

  (車室の軋りはかなしみの二疋の栗鼠)

 ⦅栗鼠お魚たべあんすのすか⦆

  (二等室のガラスは霜のもやう)

もう明けがたに遠くない

崖の木や草も明らかに見え

車室の軋りもいつかかすれ

一ぴきのちいさなちいさな白い蛾が

天井のあかしのあたりを這つてゐる

  (車室の軋りは天の樂音)

噴火灣のこの黎明の水明り

室蘭通ひの汽船には

二つの赤い灯がともり

東の天末は濁つた孔雀石の縞

黑く立つものは樺の木と楊の木

駒ケ岳駒ケ岳

暗い金屬の雲をかぶつて立つてゐる

そのまつくらな雲のなかに

とし子がかくされてゐるかもしれない

ああ何べん理智が教へても

私のさびしさはなほらない

わたくしの感じないちがつた空間に

いままでここにあつた現象がうつる

それはあんまりさびしいことだ

  (そのさびしいものを死といふのだ)

たとへそのちがつたきらびやかな空間で

とし子がしづかにわらはうと

わたくしのかなしみにいぢけた感情は

どうしてもどこかにかくされたとし子をおもふ

 

[やぶちゃん注:大正一二(一九二三)年八月十一日の作。全集年譜によれば、この日(土曜日)の『未明、左に内浦湾(噴火湾)を走る車中に疲れはてて函館に近づこうとする。函館より連絡船で青森へ。青森から盛岡へ約六時間』かかって向い、翌八月十二日に盛岡に着いて、『盛岡より徒歩で帰花』とする。本詩篇は本書以前の発表誌等は存在しない。「手入れ本」は総て手入れはない。本篇を以って「オホーツク挽歌」パートは終わっている。

・「そんなにさはやかな林を戀ひ」底本は「そんなさはやかな林を戀ひ」。原稿は「そんなに」で脱字。「正誤表」にあるので訂した。

・「(栗鼠の䡄りは水車の夜明け」の「䡄り」の「䡄」はママ。原稿は「軋り」で誤植である。「正誤表」にも「手入れ本」にもないのは賢治の見落としであろう。

・「東の天末は濁つた孔雀石の縞」の「末」は原稿では「天未」。校正者が親切心で直したものかも知れないし、植字で原稿を「末」と読んだのかも知れない。この問題は既にこちらを始めとして何度か語っているので、ここでは略す。

 

「噴火灣」北海道の南西部と渡島半島によって北と西と南の三方を囲まれた内浦(うちうら)湾。私は高校時代、三年間地理を選択し、世界地理までやった数少ない生徒であったが、その私でも「噴火湾」と呼ぶ(胆振湾の異名もある)。ウィキの「内浦湾によれば、『渡島半島の基部東岸、室蘭市のチキウ岬(絵鞆(えとも)半島)及び駒ヶ岳北東麓の松屋崎に囲まれた、ほぼ円形』(直径約五十キロメートル)『の海域である』。『別称である「噴火湾」は』、寛政八(一七九六)年に『当地を訪れた英国の』軍艦プロビデンス号(Providence)の艦長ウィリアム・ロバート・ブロートン(William Robert Broughton)中佐が、『内浦湾がほぼ円形な事と、周囲を取り囲む北海道駒ヶ岳や有珠山などの火山を見て「これは Volcano Bay だ」と語ったことに由来するといわれる。しかし、内浦湾には陥没量に見合うだけの火山噴出物が周囲に分布しないので、カルデラに海水が進入してできた地形ではないと論じられている』とあるから、やっぱ内浦湾かなぁ。

「ノクターン」夜想曲。性格的小品(主にピアノ独奏曲)の一種。イタリアの作曲家ムツィオ・クレメンティ(Muzio Filippo Vincenzo Francesco Saverio Clementi 一七五二年~一八三二年)の弟子でアイルランド出身のピアニスト兼作曲家ジョン・フィールド(John Field 一七八二年~一八三七年)が創始した名称。英語で「ノクターン」(nocturne)、フランス語で「ノクチュルヌ」(nocturne)、イタリア語で「ノットゥルノ」(notturno)。「ノットゥルノ」は別に「セレナード」(ドイツ語:Serenade:恋人や女性を称えるために演奏される楽曲)と同様の器楽合奏を意味する場合もある。語源はラテン語の「nocturnus」(「夜に属する」)で、「nox」(「夜」)の副詞形「noctū」(「夜に」)から造語された形容詞。フレデリック・ショパン(Fryderyk Franciszek Chopin 一八一〇年(一八〇九年とも)~一八四九年)は夜想曲をより自由でロマンティックな楽曲へと発展させたことから、今日では「夜想曲」と言えばショパンの一連の作品が最もよく知られている(以上はウィキの「夜想曲他に拠った)。賢治がイメージした曲もショパンのそれであろうし、特にその中でも誰もが知っている最も知られた「夜想曲第二番変ホ長調作品九の二」(Nocturne en mi bémol majeur, op. 9 No.2:一八三一年作曲)であるとして私はよいと思う(賢治が想定したのは別の曲かも知れぬが)。私は小学生の時から大ショパン好きである。最初は言わずもがなの小学校四年の時に習っていたヤマハのオルガン教室で先生がピアノで弾いて呉れた、かの「別れの曲」(Etude Op 10 No.3)で音楽で生まれて初めて落涙し、翌年に新聞の読書感想文コンクールで初めて賞を貰ったのもショパンの伝記でであった。因みに、私の最も好きな曲は「バラード第一番ト短調作品二十三」(Ballade en sol mineur, op. 23 No.1)で、演奏はアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(Arturo Benedetti Michelangeli 一九二〇年~一九九五年)に止めを刺す。

「稚(わか)いえんどうの澱粉や綠金が」/「どこから來てこんなに照らすのか」車中の微睡(まどろみ)の夢現(ゆめうつつ)の中の幻光である。若い豌豆(えんどうまめ:マメ目マメ科マメ亜科エンドウ属エンドウ Pisum sativum)は、その豆のごく薄い色のことで、「澱粉」は彼の好んで使う「澱」(おり)を豆に合わせてずらした語彙、即ち、淡い緑色のコロイドの沈澱して出来た、とろりとした感じの澱りのような光の溜まりで、それに、本書でも先行作に複数出る彼が好む「綠金」(ろくきん)、緑色を帯びた金色を合わせたものだろうと私は読む。

「とし子は大きく眼をあいて」/「烈しい薔薇いろの火に燃されながら」/「(あの七月の高い熱……)」/「鳥が棲み空氣の水のやうな林のことを考へてゐた」/「(かんがへてゐたのか」大正一一(一九二二)年の七月は既に述べた通り、トシは同月六日に別宅に移されて(理由の一つは母イチ(当時四十五歳)の看病疲れ)、専ら、妹シゲの看護を受けるようになった。松井潤氏のブログ「HarutoShura」の本作の解説(分割)には、『農学校に勤めていた賢治も、そこに夜泊まって看病するようにな』ったとはあるものの、ここにはやはり、生前のトシに自分は充分なことを果たしてしてやれていただろうか、いや、やれなかったのではなかったかという、賢治のトシに対する自責の念は確かにある。しかし乍ら、以前のような掻き毟りたくなるような神経症的なそれではなくなっていることが詩篇の言辞のなだらかな感情曲線から窺えるのである因みに私はそうしたものが如何に神経症的に病的なものであるかを今まさに自分自身が体験して感じているのである。私は私の最愛の三女であったビーグル犬の「アリス」を脳腫瘍のために昨年の十月二十六日にわずか十二歳で安楽死させた。私の手の中で数分で急速に冷えていった彼女の感触を一年経った今も私は忘れることが出来ない。私は今も一人になると、「アリス……」と呼び掛けている自分を見出すのである。それは「いまかんがへてゐるのか)」という賢治の言葉で明らかなように、この旅によって得られた――トシの魂がどこかに今もいる――永遠にある――という確信に基づく、ある種の平穏が彼の心を支えて呉れているからである。

「車室の軋りは二疋の栗鼠(りす)」夢現の中で、車体の軋む音が二匹のリス(「二」は賢治とトシを表わす神聖数であるが、ここは寧ろ実体としては、リスの姿をしたトシの使者とするのがよかろう。或いは「靑森挽歌」で、不健全だった賢治が幻聴したギルとナーガラのことを会話し合っていた妖しい不健全な子どものような者たちが、賢治が健全な精神を得た結果として新たに再キャラクタライズして出演させた彼等ででもあるのかも知れぬ)の鳴き声に聴こえる。

「⦅ことしは勤めにそとへ出てゐないひとは」/「みんなかはるがはる林へ行かう⦆」後のトシの言葉「⦅おらあど死んでもいゝはんて」/「あの林の中さ行ぐだい」/「うごいて熱は高ぐなつても」/「あの林の中でだらほんとに死んでもいいはんて⦆」(「あたいは、もう、あと、死んでもいいから、あの林の中に行きたい。動いて熱は高くなっても、あの林の中でなら、ほんとに死んでもいいから。」)という切実な言葉からフィード・バックして解釈出来る。「今年は外に勤めに出ていない人たちは、みんなで、代わる代(が)わる、暇を見つけては林に行くことにしよう。そうして、トシに林の中で見つけたいろいろなものを、土産に持ってきてやることにしよう。」という提案であり(これは大正一一(一九二二)年三月二十日のクレジットを持つ「戀と病熱」の末尾を『ほんたうに、けれども妹よ/けふはぼくもあんまりひどいから/やなぎの花もとらない』とあるのとも合致する)、それをまた、したり顔に宣言している「赤銅(しやくどう)の半月刀を腰にさげて」/「どこかの生意氣なアラビヤ酋長」というのは、賢治自身としか思われず、賢治にしては珍しい自身の如何にも滑稽なカリカチャライズなのである。

「七月末のそのころ」校本全集年譜はこの頃の資料が極めて乏しい。

「(栗鼠の䡄りは水車の夜明け」/「大きなくるみの木のしただ)」先の、「列車の車両の軋み音」のメタモルフォーゼした「二匹の栗鼠の鳴き声」が、今度は賢治がトシのために通った「林の中の水車」の音となり、それを見かけたある日の「夜明け」の景が浮かび上がり、そこは「大きな」胡桃の「木の」下であった、という記憶サーチと再現が賢治の脳内で急速に行われる。

「一千九百二十三年の」/「とし子」大正十二年現在の異界にあるトシの霊魂。トシは大正一一(一九二二)年十一月二十七日に亡くなっている。

「透明薔薇の身熱から」トシ生前の詩篇「戀と病熱」の中間部で賢治は『あいつはちやうどいまごろから/つめたい靑銅(ブロンヅ)の病室で/透明薔薇(ばら)の火に燃される』とこれと同じ言葉を使用してはいる。そこでのそれは妖しい結核の症状としての激しい熱とその熱性譫妄症状の苦しみを忌まわしい「透明薔薇(ばら)の火に燃される」と言っているのであるが、ここでのそれは同じ言葉を用いながら、同じ意味を示していない「身熱」は、そもそもが結核の熱ではないからである。彼女は最早、ヒトであった時の、灼熱の生き地獄からは永久に解放されている(と賢治は考えている/考えたい)のである。さすれば、これは新しい世界に生きているトシの魂の持っている、何らかの「身」体的代替質が(それは目に見えないかも知れない。だから「透明」)、生きとし生けるものとしての「熱」を持っており、そうした〈トシの魂の存在体=霊体〉を敢えて言うなら、特異な霊的な「身」体としての豊饒な「熱」を帯びた全き「透明」な、美しい「薔薇の」ようなものとなって、必ずや、林の好きだったヒトだった時のトシと同じように、心静かに笑みを浮かべるように霊界の「靑い林を」夢のように少女のように「かんがへてゐる」、というのである。

「フアゴツトの聲が前方にし」/「Funeral march があやしくいままたはじまり出す」「Funeral march」は「葬送行進曲」。諸家は概ね、ベートーヴェンの交響曲第三番「英雄」の第二楽章(La Sinfonia n. 3 in mi bemolle maggiore Op. 55Eroica/原題〈イタリア語)Sinfonia eroica, composta per festeggiare il sovvenire d'un grand'uomo(「英雄交響曲、ある偉大なる人の思い出に捧ぐ」)とされておられるようである。但し、映像で確認したが、弦楽の序奏の後に最初に演奏されるのは、クラリネットである(但し、その向う側でその直後にファゴットが合わせている。こちらで確認した)。ベートーヴェンの私の守備範囲でないので、これ以上は注が出来ない。悪しからず。

「(車室の軋りはかなしみの二疋の栗鼠)」トシの野辺の送りと火葬の悲惨さ(「永訣の朝」の注の年譜引用を参照)がフラッシュ・バックする(私のアリスの時と同じだ!)。しかし、その陰惨なイメージは長続きはしない。賢治は再び健全な夢想に徐々に戻って行く。

「⦅栗鼠お魚たべあんすのすか⦆」実際の生前のトシの賢治への質問のフラッシュ・バックであろう。例えば、賢治が「林の水車の傍でさ、リスが、何か、食べてたよ」と伝えた、するとトシが「リスは、お魚を、食べるのですか?」と訊ねたのかも知れない。

「二等室」ギトン氏はこちらで、今回の旅の往(ゆ)きは恐らく三等の普通列車であったが、帰りの列車は二等の座席(或いは寝台の可能性もあるらしい)の、しかも列車ダイヤから見て、急行列車であったと推定されておられる。

「(二等室のガラスは霜のもやう)」車両の前後の入口の扉には擦りガラスが入っていたか。

「(車室の軋りは天の樂音)」換喩を別にまたやってしても、栗鼠の鳴き声から今度は、飛天の天上の楽の音(ね)だ。心地よい感じが全く失われないのである。賢治の精神の完璧な回復が認められる。

「二つの赤い灯がともり」また神聖数である。

「東の天末は濁つた孔雀石の縞」曙に近づいた。東の水平線は幾筋かの雲塊で覆われていたのであろう。そこに背後から太陽の回折で、「孔雀石」(くじゃくいし:緑青(ろくしょう)と同成分から出来ている緑色の単斜晶系炭酸塩鉱物であるmalachite(マラカイト))の青緑色。この色(リンク先は色見本サイト))色の濁った輝きの縞模様が染み出してきたのである。

「樺の木」スカイラインから沿線の立木の景に一気に下がる。ブナ目カバノキ科カバノキ属シラカンバ日本産変種シラカンバ Betula platyphylla var. japonica

「楊の木」ネコヤナギキントラノオ目ヤナギ科ヤナギ属ネコヤナギ Salix gilgiana としておく。

「駒ケ岳」北海道駒ヶ岳。北海道森町(もりまち:北海道内の町で、唯一、「ちょう」ではなく「まち」と呼ぶ自治体)・鹿部町・七飯町(ななえちょう)に跨る標高千百三十一 メートルの成層火山。渡島半島のランドマーク。ウィキの「北海道駒ヶ岳」によれば、七飯町の大沼方面からみると、横に長く、なだらかで優美な女性的印象を与えるが、森町方面や鹿部方面からみると一変し、荒々しい山肌と傾斜が目に付く男性的な激しい姿を見せる。大沼方面から見た山容が馬がいなないている姿に似ていることが、山名の由来であると言われている』とある。ここ(グーグル・マップ・データ)。私はこの山容がとても好きだ。なお、当時の列車は現在と同じ本線(駒ヶ岳の西側)を走る。

「暗い金屬の雲をかぶつて立つてゐる」/「そのまつくらな雲のなかに」/「とし子がかくされてゐるかもしれない」/「ああ何べん理智が教へても」/「私のさびしさはなほらない」/「わたくしの感じないちがつた空間に」/「いままでここにあつた現象がうつる」/「それはあんまりさびしいことだ」/「(そのさびしいものを死といふのだ)」/「たとへそのちがつたきらびやかな空間で」/「とし子がしづかにわらはうと」/「わたくしのかなしみにいぢけた感情は」/「どうしてもどこかにかくされたとし子をおもふ」……二〇一一年三月十九日に母聖子テレジアを現代医学では手の施しようもない難病ALSで失い、その母が熱愛して共寝し続けた三女アリスも逝ってしまった今、この賢治の気持ちが……私には……痛いほど……判る……そして……その悲しみは誰にも判らないと思うことも、である……

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