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2018/12/12

宮澤賢治「心象スケツチ 春と修羅」正規表現版 鎔岩流

 

        鎔 岩 流

 

喪神のしろいかがみが

藥師火口のいただきにかかり

日かげになつた火山礫堆(れきたい)の中腹から

畏るべくかなしむべき碎塊熔岩(ブロツクレーパ)の黑

わたくしはさつきの柏や松の野原をよぎるときから

なにかあかるい曠原風の情調を

ばらばらにするやうなひどいけしきが

展かれるとはおもつてゐた

けれどもここは空氣も深い淵になつてゐて

ごく力な鬼神たちの棲みかだ

一ぴきの鳥さへも見えない

わたくしがあぶなくその一一の岩塊(ブロツク)をふみ

すこしの小高いところにのぼり

さらにつくづくとこの燒石のひろがりをみわたせば

雪を越えてきたつめたい風はみねから吹き

雲はあらはれてつぎからつぎと消え

いちいちの火山塊(ブロツク)の黑いかげ

貞亨四年のちいさな噴火から

およそ二百三十五年のあひだに

空氣のなかの酸素や炭酸瓦斯

これら淸洌な試藥(しやく)によつて

どれくらゐの風化(ふうくわ)が行はれ

どんな植物が生えたかを

見やうとして私(わたし)の來たのに對し

それは恐ろしい二種の○で答へた

その白つぽい厚いすぎごけの

表面がかさかさに乾いてゐるので

わたくしはまた麺麭ともかんがへ

ちやうどひるの食事をもたないとこから

ひじやうな饗應(きやうおう)ともかんずるのだが

(なぜならたべものといふものは

 それをみてよろこぶもので

 それからあとはたべるものだから)

ここらでそんなかんがへは

あんまり潛越かもしれない

とにかくわたくしは荷物をおろし

灰いろの苔に靴やからだを埋め

一つの赤い苹果(りんご)をたべる

うるうるしながら苹果に嚙みつけば

雪を趣えてきたつめたい風はみねから吹き

野はらの白樺の葉は紅(べに)や金(キン)やせはしくゆすれ

北上山地はほのかな幾層の靑い縞をつくる

  (あれがぼくのしやつだ

   靑いリンネルの農民シヤツだ)

 

[やぶちゃん注:前の「一本木野」とともに大正一二(一九二三)年十月二十八日(日)の作。岩手山東北山麓を跋渉した二篇。こちらは岩手山東北東山腹から山麓にかけて残る「焼走(やけばし)り溶岩流」がロケーションとなる。本詩篇は本書以前の発表誌等は存在しない。「手入れ本」は行方不明の方の藤原嘉藤治所蔵本には幾つかの手入れがある。後に示す。なお、「火山塊(ブロツク)」のルビは「火山塊」三字へのもの。

・「それは恐ろしい二種の○で答へた」「○」はママ。原稿は「苔」で、行方不明の藤原嘉藤治所蔵本で訂しているので植字ミス。全集校訂本文は「苔」。

・「あんまり潛越かもしれない」「潛越」はママで、原稿も「潛越」。「僭越」の「僭」は「身分不相応に奢り昂ぶる」の意で、「潛」にその意はない。賢治の誤字

・「雪を趣えてきたつめたい風はみねから吹き」「趣えて」はママ。原稿は「越えて」で誤植。藤原嘉藤治所蔵現存本では「趣」を「超」と直しており、同所在不明本の方では、その前書の訂した「超」をさらに「越」と訂している。

・「あれがぼくのしやつだ」平仮名「しやつ」は原稿もママ。

 行方不明の方の藤原嘉藤治所蔵「手入れ本」の最終形を示す。修正行を太字で示した。

   *

 

        鎔 岩 流

 

喪神のしろいかがみが

藥師火口のいただきにかかり

日かげになつた火山礫堆(れきたい)の中腹から

畏るべくかなしむべき碎塊熔岩(ブロツクレーバ)の黑

わたくしはさつきの柏や松の野原をよぎるときから

なにかあかるい曠原風の情調を

ばらばらにするやうなひどいけしきが

展かれるとはおもつてゐた

けれどもここは空氣も深い淵になつてゐて

はげしい鬼氣さへながれてゐる

一ぴきの鳥さへも見えない

わたくしがあぶなくその一一の岩塊(ブロツク)をふみ

すこしの小高いところにのぼり

さらにつくづくとこの燒石のひろがりをみわたせば

雪を越えてきたつめたい風はみねから吹き

雲はあらはれてつぎからつぎと消え

いちいちの火山塊(ブロツク)の黑いかげとわつがにぬるいその副射

貞亨四年のちいさな噴火から

およそ二百三十五年のあひだに

空氣のなかの酸素や炭酸瓦斯

これら淸洌な試藥(しやく)によつて

どれくらゐの風化(ふうくわ)が行はれ

どんな植物が生えたかを

見やうとして私(わたし)の來たのに對し

それは恐ろしい二種の苔で答へた

その白つぽい厚いすぎごけの

表面がかさかさに乾いてゐるので

わたくしはそれを麺麭ともかんがへ

ちやうどひるの食事をもたないとこから

ひじやうな饗應(きやうおう)ともかんずるのだが

(なぜならたべものといふものは

 それをみてよろこぶもので

 それからあとはたべるものだから)

ここらでそんなかんがへは

あんまり潛越かもしれない

とにかくわたくしは荷物をおろし

灰いろの苔に靴やからだを埋め

一つの赤い苹果(りんご)やうとする

うるうるしながら赤い苹果に嚙みつけば

雪を越えてきたつめたい風はみねから吹き

野はらの白樺の葉は紅(べに)や金(キン)やせはしくゆすれ

北上山地はほのかな幾層の靑い縞をつくる

  (あれがぼくのしやつだ

   靑いリネンの農民シヤツだ)

 

   *

以上の修正の内の「いちいちの火山塊(ブロツク)の黑いかげとわつがにぬるいその副射」の「わつがに」(「わづかに」の誤りであろう)「副射」(「輻射」が正しいか)はママである。

 

「鎔岩流」(「鎔」は「溶ける」で「熔岩」の「熔」に同じく、「熔」は「鎔」の俗字である)焼走り溶岩流。「瀧澤野」の注で既注であるが、再掲しておく。ウィキの「焼走り溶岩流」によれば、『岩手山の北東斜面山腹から山麓にかけた、標高約』五百五十~千二百『メートルに広がり、天然記念物に指定された面積は』百四十九・六三『ヘクタール、溶岩流の延長は約』四『キロメートル、岩石の種類は「含かんらん石紫蘇輝石普通輝石安山岩」で』、『一般的に輝石安山岩溶岩は粘性が大きいが、焼走り熔岩流の溶岩は粘性が小さく流動性に富んでいると言われている』。『岩手山は山頂部に爆裂カルデラと中央火口丘を持つ円錐形の成層火山であり』、貞享三(一六八六)年から昭和九(一九三四)年の『間に複数回、爆発と熔岩流噴出の火山活動記録が残されているが、焼走り溶岩流はこれら山頂部の噴火活動とは違う、中腹部にできた噴火口、いわゆる寄生火山から流出したものである』。『焼走り溶岩流が形成された火山活動の年代は従来より』、享保四(一七一九)年正月(旧暦)『とされて』きた『が、近年の研究では』、享保一七(一七三二)年』『とする説もある』。『溶岩流を作った噴出口は、岩手山の東側山腹、標高』八百五十メートルから千二百五十メートル付近まで』、『直線状に複数個所残っており、いずれも高さ』四~五メートル、直径四メートル『ほどのものである』。『焼走り熔岩流の名称の由来は、真っ赤な熔岩流が山の斜面を急速な速さで流下するのを見た当時の人々が焼走りと呼んだことによるものであると言われており、地元では古くから「焼走り」と呼ばれていた』。『熔岩流の表面は波紋状の凸凹があり、これがトラの縞模様のように見えることから「虎形」と呼ばれている。また、しわ状模様の存在は、粘性が小さい熔岩であったことを示している』。『焼走り熔岩流は噴出時期が比較的新しいため』、『風化作用が進んでおらず、その表面には未だに土壌が形成されていないことから』、『植生に乏しく』、『噴出当時の地形を留めている。溶岩流そのものは火山国日本では珍しいものではないが、表土や樹木に覆われず、地形的改変もないのは学術的に貴重であり』、現在、『国の特別天然記念物』及び『十和田八幡平国立公園の特別保護地区にも指定されている』。『今日では熔岩流末端に片道約』一『キロメートルの観察路が設けられており、積雪で閉鎖される冬季以外は自由に見学することができる。また散策路の終点には、当地を訪れた宮沢賢治による詩、「鎔岩流」の碑が建てられている』とある。(グーグル・マップ・データ)。

「喪神のしろいかがみ」賢治の好んだ独特の語であり、私は多様な心象をそこに感じ、今までも、いろいろな解釈の注を附してきたが、実景の形容の場合は、本来の力や勢いを失った対象物の様態を示すので、ここは「かがみ」から太陽のそれを指し、傾いて光輝を失った夕陽か、或いはそれが薄い雲か霧に遮られてぼんやりしているさまを言っているようにも思われる。

「藥師」薬師岳。前篇「一本木野」に既出既注。

「火山礫堆(れきたい)」岩石の破片の中でも大きさが二ミリメートル以上の小石ほどのものを「礫」と呼ぶ(それ以上の直径六十四~六十五ミリメートル以上は「火山弾」或いは「火山岩塊」と別称する)。噴火によって放出された熔岩の岩や破片が「堆」積していることをかく言うが、そのもが火山全体の主要部分は表面の殆どがそれによって覆われており、「の中腹から」と続くように、ここも岩手山全体を指していると読んでよい。

「畏るべくかなしむべき」「瀧澤野」では「焼走り溶岩流」とおぼしきものを賢治は「そらの魚の涎(よだれ)」と表現していた。「荘子」ではないが、想像を絶する巨大な空を飛ぶ魚(賢治に言わせれば、第四次元では人も空を飛ぶし、地下も走るのであってみれば、空を飛ぶ巨大魚もよかろう)の垂らした涎と天衣無縫に語られたものが(多分、そう生徒たちにも名指していたはずの彼が)、ここでは妙に神妙に敬虔な自然災害の厳粛な実様態として形容しているのは、関東大震災を過ぎた後の彼の意識の変化のせいかも知れない。

「碎塊熔岩(ブロツクレーバ)」block lava。「lava」は正確な音写なら「ラーヴァ」。塊状溶岩。粘度が相対的に高いグループの溶岩で、流れにくい。流れが遅くなるので、表面の固化と崩落を繰り返しながら、ゆっくり前進するため、岩塊状の溶岩流が残る(ウィキの「溶岩」に拠る)。グーグル・マップ・データの「焼走り溶岩流」部分を航空写真に変えたこちらを参照されたい。

「柏」「かしは」。カシワ。「一本木野」に既出既注。

「なにかあかるい曠原風の情調を」「曠原」(くわうげん(こうげん))は遮るもののない広々とした野原。「曠」にはもと、「日の光が普く射し渡って輝く」の意があり、ここは前の「一本木野」の印象からも、それも含めて意味しているとみてよい。

 

「わたくしがあぶなくその一一の岩塊(ブロツク)をふみ」「一一」は「いちいち」と読みたい。「ひとつひとつ」では「あぶなく」の感じが慎重になってしまって、よくない。

「貞亨四年のちいさな噴火から」/「およそ二百三十五年のあひだに」前の引用注参照。因みに貞享三年は一六八六年、作品内時制は一九二三年で、その間は二百三十七年。

「これら淸洌な試藥(しやく)によつて」科学者らしい言い方が、却って詩語として光っている。

「すぎごけ」スギゴケの代表種はマゴケ植物門スギゴケ綱スギゴケ目スギゴケ科スギゴケ属スギゴケ Polytrichum juniperinum である。高さは三~十センチメートルで、直立した茎をもち、葉は披針(ひしん)形で長さ四~九ミリメートル、乾くと、緩く茎に接着して、全形が細長くみえる。葉の縁(へり)は内側に折れ畳んだようになり、表面にある薄板を覆うようになる。中肋は葉の先端から少し突出して芒(のぎ)のようになる。若い時は毛の多い帽(ぼう:蘚帽(せんぼう))で包まれている。日本では北海道から九州にかけての高所にみられるが、分布域は世界各地と広い。但し、日本で知られているスギゴケ科 Polytrichaceae には六属約三十種があり、「スギゴケ」と称した場合はスギゴケ科の植物を総称して使われるのが一般的で、孰れも広く開出する葉を持ち、茎にはよく発達した中心束がある。総て雌雄異株で、雄株では茎の先端部の葉が短く、幅広くなり、苞葉(包葉)とよばれるものに変化して、多数の造精器を包む(以上は小学館「日本大百科全書」に拠った)。しかし、どうも、おかしい。賢治は「表面がかさかさに乾いてゐるので」/「わたくしはまた麺麭」(パン)「ともかんがへ」/「ちやうどひるの食事をもたないとこから」/「ひじやうな饗應(きやうおう)ともかんずるのだが」とあるからである。私はスギゴケ類が非常に好きなのであるが、「表面がかさかさに乾いて」いて、それがあたかも一見して「麺麭」(パン)のような感じに見えるということは、スギゴケでは、まず、ないと思うからである。これは推測するに、マゴケ植物門 Bryophyta(蘚苔類)ではないのではないか? 蘚苔類は湿潤で日射量が少ない方が優勢であるが、覆う物のない、少なくとも溶岩流の剥き出しの表面では彼らは繁殖が難しい。乾燥の程度が高く、日射量が多い時期のこの「焼走り溶岩流」ならば、熔岩の表部では地衣類地衣類(菌類(主に子嚢菌類(菌界子嚢菌門 Ascomycota)の中で藻類(シアノバクテリア(藍色細菌門 Cyanobacteria)或いは緑藻(緑色植物亜界緑藻植物門緑藻綱 Chlorophyceae))を共生させることで自活できるようになった種群。一見すると外見は如何にもコケ類に似て見えるが、形態的構造的に全く違う生物種群である)が有利なように思われる。しかも乾燥して「表面がかさかさに乾いて」おり白い「麺麭」(パン)のように見えるのは、通常は緑色を呈するコケ類ではく、圧倒的に地衣類の形態に一致するからである。しかも、如何にも海藻如何にもキノコといったような感じではなく、白くある程度もっこりして干からびたパンみたようなもの……う~ん、図鑑と睨めっこしてみたが、これはと思うものは分布が合わず、これまで。その方面の専門家なら、一発だとおもうのだが。識者の御教授を乞うものである。

「(なぜならたべものといふものは」/「それをみてよろこぶもので」/「それからあとはたべるものだから)」賢治は「ここらでそんなかんがへは」/「あんまり」僭「越かもしれない」がと謂い添えながら、ここにはまた、非常に興味深い賢治の思惟が現われている。賢治は――「食べ物」というものは、基本、その「食べ物」の外形を見て喜ぶということが真の必要条件の属性なのであって、その喜びを味わった後は、ただ腹を満たすために、即ち、喜びとしてではなく、ただ生体が欲する食欲という中枢神経の欲求を満たすためだけに「ただ食べる」だけのものだ――というのである。これは大いに宮澤賢治の病跡学のし甲斐がありそうな気がする(但し、今はそれをする気はない)。因みに、地衣類の中には食用になるものが実際にあるから、この賢治の謂いはゲテモノでは全くない

「うるうるしながら苹果に嚙みつけば」林檎の神聖な潤いを楽しみながら噛みつくと。

「野はらの白樺の葉は紅(べに)や金(キン)やせはしくゆすれ」グーグル画像検索「白樺 紅葉」をリンクさせておく。……ああ! 本当に「紅(べに)や金(キン)や」に!……綺麗だなぁ!……

「北上山地はほのかな幾層の靑い縞をつくる」/「(あれがぼくのしやつだ」/「靑いリンネルの農民シヤツだ)」「リンネル」linen。リネンとも呼ぶ。アマ(亜麻:キントラノオ目アマ科アマ属アマ Linum usitatissimum)織物の総称。帆布・カンバスなどにする厚地のものもあるが、一般には比較的細いアマ糸による薄地の織物を指す。平滑で光沢に富み、堅牢で涼感がある。夏の洋服地・テーブル掛け・ナプキンなどとし、ごく薄地のものはハンカチーフ・シャツ・レース地などに用いる。さても、振り返った遠い北上の連山の泰然悠然とした実景を以って、このちっぽけな自分の肉を覆う唯一の肌着にするに相応しいとする、自然との幸福な一体感のコーダであるが、最後に「農民シヤツ」と敢えて添えて言っていることが着目される。ギトンで、『まず、恩田逸夫氏は』、「焼走りや岩手山方面の『「近づきがたい自然の様相と対比して、人間の営みの行われている北上山地に親しみの情を示している。むしろ後者に強い愛着を感じているのである』。『ここでは、もはや『宗教風の恋』の観念性や高踏性は超越されようとしている』。『現実生活への関心が強まっている』『」『と述べていますし、栗原敦氏は』、『「『ぼくの』と捉える自然との合一感が、『北上山地』の『ほのかな幾層の青い縞』という実存をかける場たる地誌的な郷土の発見と重なる形で示され、しかも『青いリンネルの農民シャツ』という社会階層的位置の選択の暗示までも込めて描き出されたのは』、『初めてであった。」』と引いて、『つまり、北上山地を望んで、「あれがぼくの』『青いリンネルの農民シヤツだ」とつぶやく作者は、自分の生存の基盤として、具体的なあれこれの山野市村を抱く「地誌的な郷土」を発見し選択しているのであって、そこにおける自分の投企すべき「社会階層的位置」として「農民」を目指していると言えるわけです』とされる。その通りと思う。最後に。また別に、ギトンで、かくも言い添えておられる。まず、『初版本の装幀を見ていただきたい』とされ(画像てお)、『いかにも藁ででもこさえたような鄙びた田舎風のボロい本です。作者は、あえてこの感じを出すために、帆布(カンバス地)よりも荒いリンネル布を使っているのですが、当初の計画では、「青いリンネル」にする予定だったらしいのです』。『「表紙地は賢治は青黒いザラザラした手ざわりの布地を欲しがっていたのだったが見当らず、関氏が大阪まで来た時に漸く探し求めたものであるという。『ザラザラした手ざわり』だけは賢治の要望に適っていたが色は麻の原色で全く変っている。図案は広川松五郎氏の筆、せめてこの図案に賢治の希望の青黒い色を出そうとしたが、地があらい為に色がのらず薄色になってしまったという。」』(小倉豊文「『春と修羅』初版について」。天沢退二郎・編『「春と修羅」研究Ⅰ』一九七五年学藝書林刊)『つまり、「青いリンネル」の「青い」とは、《初版本》表紙のアザミ草模様のような紺青色と思われるわけです。そして、「青いリンネルの農民シヤツ」が、作者の頭にあった“詩人のスタイル”だとすれば、それは、この詩集の装幀(当初計画されていた「青黒いザラザラした手ざわりの布地」の表紙)そのものではないでしょうか?』。『というのは、編集・印刷過程の“第』二『段階”では、「鎔岩流」が巻末作品になる予定だった』からなのだとされ、当初、想定した『巻末作品の最後に』、

(あれがぼくのしやつだ

 靑いリンネルの農民シヤツだ)

『とあるのを、読者は読んで』、『あぁなるほど、それで、著者はこの詩集を出すことにしたのだ』……『と思って納得する──そういう筋書きを、賢治は考えていた』らしいと述べておられるのである。これもちょっと唸った。なるほど!]

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