ぢちやう 附
天狗
天魔雄
治鳥
ツウニヤ◦ウ
本綱越地深山有之大如鳩青色穿樹作窠大如五六升
噐口徑數寸餝以土堊赤白相間狀如射侯伐木者見此
樹卽避之犯之則能役虎害人燒人廬舎白日見之鳥形
也夜聞其鳴鳥聲也或作人形長三尺入澗中取蟹就人
間火炙食山人謂之越祀祖
△按先輩僉云治鳥乃本朝所謂天狗之類矣羅山文集
云日光山有天狗好棲息于長杉猶是愛宕山大杉榮
術太郞之所居之類也歟蓋指鬼魔而言也夫天狗者
星名也我朝浮屠修驗者欲恐怕世俗扇惑庸愚而使
己術售之故唱天狗名以訇之歟但深山幽谷其氣之
所及則山都木客亦有之乎猶如大海有鯨鯢又奚疑
△或書云服狹雄尊猛氣滿胸腹而餘成吐物化成天狗
神姫神而軀者人身頭獸首也鼻高耳長牙長左右不
隨意則太怒甚荒雖大力神乃懸于鼻挑千里雖强堅
刀戈輙咋掛於牙壞以作叚叚毎事不能穩止以在左
者早逆謂爲右又在前者卽謂爲後自推名兮名天逆
毎姫吞天之逆氣獨身而生兒名天魔雄神不順 天
尊命諸事造爲不成順善八百萬神等悉絕方便矣天
祖赦使天魔雄神王九虛而荒神逆神皆屬之託心腑
變意令敏者高之使愚者迷之【此乃俗云天狗及天乃佐古之類乎非爲正說
記之備考】
北國能登海濱有天狗爪往往拾取之大二寸許末尖
微反色潤白如小猪牙而非牙全爪之類也疑此北海
大蟹之爪也歟若夫天狗之爪者可有處處深山中何
有海邊耶
*
ぢちやう 附〔(つけた)〕り
天狗
天魔雄(あまのざこ)
治鳥
ツウニヤ◦ウ
「本綱」、越〔の〕地の深山に、之れ、有り。大いさ、鳩のごとく、青色。樹を穿(うが)ち、窠を作る。大いさ、五、六升の噐、口徑、數寸。餝〔(かざ)〕るに土〔(あかつち)と〕堊〔(しつくい[やぶちゃん注:歴史的仮名遣はこうである。「漆喰」は当て字で「しつくひ」ではない。])〕を以つてす。赤・白、相ひ間(まじ)はる。狀、射-侯(まと)[やぶちゃん注:弓の的。]のごとし。木を伐る者も、此の樹を見れば、卽ち、之を避く。之れを犯すときは、則ち、能く役-虎(たゝ)り[やぶちゃん注:「祟り」。]、人を害す。〔その〕人の廬-舎〔(いへ)〕を燒き、〔→く。〕白日、之れを見れば、鳥の形なり。夜、其の鳴くを聞くも、鳥の聲なり。〔しかれども、〕或いは人の形と作〔(な)〕る。長〔(た)〕け〔は〕三尺〔にして〕、澗(たに)の中に入りて、蟹を取りて、人間の火に就〔(つ)き〕て[やぶちゃん注:人の熾(おこ)している焚火の傍にやってきて。]、炙りて食ふ。山人、之れを「越〔の〕祀〔(かみ)〕の祖」と謂ふ。
△按ずるに、先輩[やぶちゃん注:良安の先輩の学者たち。]、僉(みな)[やぶちゃん注:「皆」。]、云はく、「治鳥、乃〔(すなは)ち〕、本朝の所謂〔(いはゆる)〕、天狗の類か」と。「羅山文集」に云はく、日光山に、天狗、有り。好んで長〔(たか)〕き杉に棲-息(す)む。猶ほ、是れ、愛宕(あたご)山の大杉は榮術太郞〔(えいじゆつたらう)〕の居する所といふの類ひのごとくなるか。蓋し、鬼魔[やぶちゃん注:超自然のやや魔性に傾いた存在、鬼神・魔神・荒ぶる神ほどの意味か。]を指して、言ふなり。夫〔(そ)〕れ、天狗〔(てんこう)〕は星の名なり。我が朝、浮屠〔(ふと)〕[やぶちゃん注:僧侶。]・修驗者、世俗を恐-怕(をど)し、庸愚(ようぐ)[やぶちゃん注:平凡でおろかな一般人。]を扇-惑(まどは)し、己〔(おの)〕が術をして、之れを售(う)らん[やぶちゃん注:「賣らん」に同じ。]と欲するの故、天狗の名を唱へ、以つて之れを訇(のゝし)るか。但し、深山幽谷には、其の氣の及ぶ所、則ち、山都〔(さんと)〕・木客〔(もつかく)〕も亦、之れ、有るか。猶ほ、大海に鯨-鯢(くじら)有るがごときも、又、奚(なん)ぞ疑はん。
△或る書に云はく、服狹雄尊(そさのをのみこと)[やぶちゃん注:「素戔嗚命(すさのをのみこと)」に同じ。]猛〔き〕氣、胸・腹に滿ちて、〔その〕餘り、吐物と成る。〔それ、〕化して天狗神と成る。姫神[やぶちゃん注:女神。]にして、軀は人の身、頭は獸の首なり。鼻、高くして、耳、長く、牙、長し。左-右(ともかく)も、〔他の〕意に隨はず、則ち、太(にへざま)に[やぶちゃん注:不詳。「煮え樣に」で。煮え立つように、激しくの意か。東洋文庫訳は『大へんに』と訳している。]怒り、甚だ荒(すさ)む。大力の神と雖も、乃〔(すなは)〕ち、鼻に懸け、〔即座に〕千里へ挑(はね)る。强堅の刀戈〔(とうくわ)〕[やぶちゃん注:刀や矛。]と雖も、輙〔(すなは)〕ち咋(か)みて牙に掛けて壞して、以つて叚叚(づたづた)と作〔(な)〕す。毎〔(つね)〕に、事、穩止(をんとうにす)ること能はず[やぶちゃん注:穏当にすることが出来ず。]、左に在〔(あ)〕る者を以つて、早〔(はや)〕逆〔(さから)ひ〕て「右爲(た)り」と謂ひ、又、前に在る者は、卽ち、「後(しりへ)爲〔(た)〕り」と謂ふ。自〔(みづか)〕ら推〔(お)〕して名づけて、「天逆毎姫(〔あま〕のさこの〔ひめ〕」と名づく。天〔(てん)〕の逆氣〔(さかき)〕を吞みて、獨り〔にて〕身(はら)みて兒を生む。「天魔雄神(〔あま〕のさかをの〔かみ〕」と名づく。天尊の命に順はず、諸事の造-爲(しわざ)に〔も〕、順-善(よきこと)〔を〕成さず、八百萬神〔(やほよろづのかみ)〕等〔(ら)〕、悉く、絕-方-便(もてあつか)ふ[やぶちゃん注:持て余してしまった。]。天祖、赦〔(ゆる)〕して、天魔雄神(〔あまのさかを〕の〔かみ〕」をして、九虛に王たらしめ、荒(あらぶ)る神、逆(さらふ)る神〔は〕皆、之れに屬す。〔かの神どもは〕心腑〔(しんぷ)〕に託〔(たく)〕し[やぶちゃん注:憑依し。]、意〔(おもひ)〕を變じ、令敏(さと)き者をして之れを高ぶらしめ、愚かなる者をして之れを迷はしむ【此れ、乃〔(すなは)〕ち、俗に云ふ、天狗及び「天(あま)の佐古(ざこ)」の類ひか。正說と爲るに非ざるに、〔→非ざれども、〕之れを記して考ふるに備ふ〔るものなり〕。】。
北國〔の〕能登の海濱〔に〕「天狗の爪」有り、往往〔にして〕之れを拾ひ取る。大いさ、二寸許り、末、尖り、微かに反(そ)り、色、潤白〔にして〕小さき猪(ゐ)の牙(き〔ば〕)のごとくにして、牙に非ず。全く、爪の類いなり。疑ふらくは、此れ、北海〔の〕大蟹〔(おほがに)〕の爪か。若〔(も)〕し、夫〔(そ)〕れ、「天狗の爪」ならば、處處の深山の中に有るべし。何ぞ海邊に有らんや。
[やぶちゃん注:私は実は「和漢三才圖會 卷第四十 寓類 恠類」(サイト一括版)の「野女」で、本項を既に電子化注している。しかし、今回は全くゼロから再度、電子化し、注も新たに施した。しかし、はっきり言って、狭義の妖鳥治鳥については四世紀に東晋の干宝が著した志怪小説集「捜神記」の巻十二の以下以外には、ロクな記載がない。
但し! ここに重大な発見があった!
「搜神記」のそれは
「治鳥」(じちょう)ではなく、「冶鳥」(やちょう)だ
ということである! しかも、そこでは、より豊かにして詳細な、奇体なる習性が語られてあるのだ。
*
越地深山中有鳥、大如鳩、靑色。名曰「冶鳥」。穿大樹、作巢、如五六升器、戶口逕數寸、周飾以土埡、赤白相分、狀如射侯。伐木者見此樹、卽避之去。或夜冥不見鳥、鳥亦知人不見、便鳴喚曰、「咄咄上去」。明日便宜急上。「咄咄下去」、明日便宜急下。若不使去、但言笑而不已者、人可止伐也。若有穢惡及其所止者、則有虎通夕來守、人不去、便傷害人。此鳥、白日見其形、是鳥也。夜聽其鳴、亦鳥也。時有觀樂者、便作人形、長三尺、至澗中取石蟹、就人炙之。人不可犯也。越人謂此鳥「是越祝之祖」也。
*
勝手自然流で私の理解を当て訓しながら訓読すると(但し東洋文庫の竹田晃氏の訳文を参考にした)、
*
越の地の深山の中に、鳥、有り、大いさ、鳩のごとく、靑色。名づけて「冶鳥(やてう)」と曰ふ。
大樹を穿ち、巢を作り、五、六升の器(うつは)のごとく、戶口、逕(さしわたし)數寸、周(まは)り、土(あかつち)と埡(しつくい)を以つて飾り、赤・白、相ひ分け、狀(かたち)、射侯(しやこう)のごとし。
木を伐る者、此の樹を見れば、卽ち、之れを避けて去る。
或いは、夜冥(やめい)、鳥、見えず、鳥も亦、人の見えざるを知れば、便(すなは)ち、鳴き喚(わめ)きて曰はく、
「咄咄上去(とつとつじやうきよ)。」[やぶちゃん注:現代中国語では、「duō duō
shàng qù」(ドゥオ・ドゥオ・シァン・チュィー)。]
とならば、明日(みやうじつ)、便ち、宜しく、急ぎ上(のぼ)るべし。
「咄咄下去(とつとつげきよ)。」[やぶちゃん注:現代中国語では、「duō duō
xià qù」(ドゥオ・ドゥオ・シィア・チュィー)。]
とならば、明日、便ち、宜しく、急ぎ下るべし。若(も)し、去らしめず、但(た)だ、言ふに、笑ひて已(や)まざるのみならば、人、止(とど)まりて伐るべし。若し、其の止まる所に穢惡(あいあく)有るに及びては、則ち、虎、有りて、夕べを通して守りに來たれば、人、去らざれば、便ち、人を傷害す。
此の鳥、白日、其の形を見るに、是れ、鳥なり。夜、其の鳴くを聽くも亦(また)、鳥なり。時に、觀樂せる者、有り、便ち、人の形(なり)を作(な)し、長(たけ)三尺にして、澗(たに)の中に至り、石蟹(いしがに)を取り、人に就(したが)ひて、之れを炙(あぶ)れり。人、犯すべからず。
越人(えつひと)、此の鳥を「是れ、『越祝(えつのはふり)の祖』なり」と謂ふなり。
*
この文章を見ると、「治鳥」ではない、「冶鳥」の意が判然としてくるのだ!
「冶」は「冶金(やきん)」で知れる通り、「ある対象を練り上げ、捏ね上げて作る」の意である。「土」(この場合は「赤土(あかつち)」と採る)と「埡」(「堊」に同じく、「白土(しろつち)・石灰・漆喰」。但し、建築材料としてのそれは、石灰に麻の繊維・草本類・海藻等から得られた糊様の物質と水などを加え、練り上げて作られた白色の人工素材である。ここでの「土堊」はそうした人為的な建築材料ではなく、ほぼ石灰から成る天然の漆喰を指していよう。顔料としてのそれは既に高松塚古墳壁画等にも既に用いられている)の二色の土を捏ね上げて巣を作るから「冶」
なのであり、しかも、
「冶」には別に「艶(なま)めく・艶めかしい・美しく飾る」の意があるのだ! そうだ! 彼は巣を「土(あかつち)と埡(しつくい)を以つて」「赤・白、相ひ分け」て「飾り」、その「狀(かたち)」はあたかも、描かれた、きっちりとデザインされた、「射侯」(しゃこう)弓の的のように素晴らしく、目立つもので、だから、木樵にもよく判る
というのである!(こんなに論理的に明解に腑に落ちる志怪小説は珍しい!) 貧弱なちゃちなミイラみたようになった良安の引く「本草綱目」よりずっといい。但し、「本草綱目」には良安の引用した後に(実は時珍はちゃんと頭で『時珍曰、按干寳「搜神記」云』と添えている)、以下が続いている。
*
又、段成式「酉陽雜俎」云、俗說、昔有人遇洪水、食都樹皮、餓死化爲此物。居樹根者爲猪都、居樹中者爲人都、居樹尾者爲鳥都。都、左脇下有鏡印、闊一寸一分。南人食其窠、味如木芝也。竊謂、獸有山都・山𤢖・木客、而鳥亦有治鳥、山蕭・木客鳥。此皆戾氣所賦、同受而異形者與。今附于左。[やぶちゃん注:として以下に「附錄」として「木客鳥」を載せるが、これは次の次の項に独立項として出るのでそちらで示すこととして略す。]
*
この際、これも力技で訓読しておくと(但し、東洋文庫の今村与志雄氏の「酉陽雜俎」の巻十五の「諾皐記(だくこうき)下」の元の文の訳文を参考にしたが、時珍は原文を有意に省略してしまっている)、
*
又、段成式が「酉陽雜俎」に云はく、俗に說くに、『昔、人の洪水に遇ふ有りて、都樹(とじゆ)の皮を食ひ、餓死し、化(か)して此の物と爲(な)る。樹の根に居る者、「猪都」と爲し、樹の中に居る者を「人都」と爲し、樹の尾[やぶちゃん注:頂きの意か。]に居る者を「鳥都」と爲す。「鳥都」は、左の脇の下に鏡(かがみ)の印(しるし)、有り、闊(ひろ)さ[やぶちゃん注:直径。]一寸一分[やぶちゃん注:段成式は唐代(中晩唐期)で当時のそれは三・四二センチメートル。]。南人、其の窠を食ひ、味、木芝(もくし)[やぶちゃん注:菌界担子菌門真正担子菌綱タマチョレイタケ目マンネンタケ科マンネンタケ属レイシ(霊芝)Ganoderma
lucidum 或いはその仲間。]のごとくなりと』〔と〕。竊(ひそか)に謂はく、『獸に、「山都」・「山𤢖」・「木客」、有り。而して鳥にも亦、「治鳥(ぢてう)」・「山蕭(さんせう)」・「木客鳥」、有り。此れ皆、戾氣(れいき)所賦(しよふ)[やぶちゃん注:極めて悪性の邪気を生まれつき与えられていることの意であろう。]にして、同じく受くも、異形をなせる者か。今、左に附す。
*
実在する鳥より、やっぱ、幻想の鳥はええなあ! 超惹かれるわ!
「五、六升の噐」「捜神記」は四世紀の東晋の干宝の著で、当時の一升はぐっと少なく〇・二リットルであるから、一~一・二リットルにしかならない(因みに、明の時珍の頃は一・七リットルだからエラい読み違いをしていたに違いない)。
「口徑」直径。
「數寸」六掛けで十八センチメートルだが、一・二リットルからはちと大き過ぎる。絵を良く見るに、「きんかくし」型で底が長円形をしているから。これを長径とっておけば、辻褄は合いそうだ。
「〔(あかつち)と〕堊〔(しつくい)〕」東洋文庫訳は「土堊」で『しつくい』のルビを振っている。白い漆喰だけでどうやって「赤・白、相ひ間(まじ)はる」「射-侯(まと)」のようなデザインが作れるんですかっつーうの!!!
「役-虎(たゝ)り」当初、この訓を不審に思っていたのであるが、これは「捜神記」の「則有虎通夕來守、人不去、便傷害人」の部分を圧縮したもので、「能く虎を役(えき)し、人を害す」(よく虎を使役して、人を害する)だがね! 良安先生、こりゃ誤訓読でっせ! でもね、東洋文庫訳は誤魔化して漢字を出さずに『これを犯すとたたり危害を加え』ってなっている。これは掟破りでショウ!!!
「或いは人の形と作〔(な)〕る」ある時は、人の姿に変ずる。
「長〔(た)〕け〔は〕三尺」背丈は(東晋のそれ(一尺は二十四・二四センチメートル)で換算)七十三センチメートルに足りない小人である。
「澗(たに)」渓谷。
「蟹」「捜神記」は「石蟹」であるが、山中の渓谷であり、竹田氏も『沢蟹』と訳す。「石」の下にいる「蟹」ほどの意味で、確かにそれでよいが、ただ、甲殻亜門軟甲(エビ)綱十脚(エビ)目抱卵(エビ)亜目カニ下目サワガニ上科サワガニ科サワガニ属サワガニ Geothelphusa dehaani は日本固有種で、実は中国にはいない。従ってサワガニ科 Potamidae のサワガニの仲間で、調べてみると、中文サイトでは近溪蟹亞科 Potamiscinaeの属群が相当するようである。
『山人、之れを「越〔の〕祀〔(かみ)〕の祖」と謂ふ』昔の越(春秋戦国時代に遡る古代の国の旧名。ここはそれに相当する浙江省杭県以南の東海に至る地方を指す)の内陸の山間部の人々は土地神の化身としていたのである。
「本朝の所謂〔(いはゆる)〕、天狗」ウィキの嫌いのアカデミストのために、ウィキの「天狗」は引かずに(かなりマニアックにいい線いってるんだけどねぇ)小学館「日本大百科全書」の「天狗」を引く(井之口章次氏の解説。読みは一部を省略した)。『山中に住むといわれる妖怪。中国では、流星または彗星が尾を引いて流れるようすを、天のイヌまたはキツネに例え、仏教では夜叉や悪魔のように考えられていた。日本では仏教を、当初は山岳仏教として受け入れ、在来の信仰と結び付いた修験道を発達させたが、日本の天狗には修験道の修行者=山伏の姿が色濃く投影している。一般に考えられている天狗の姿は、赤ら顔で鼻が高く、眼光鋭く、鳥のような嘴をもっているか、あるいは山伏姿で羽根をつけていたり、羽団扇(はうちわ)を持っていて自由に空を飛べるといったりする。手足の爪が長く、金剛杖や太刀を持っていて神通力があるともいう。これらの姿は、深山で修行する山伏に、ワシ、タカ、トビなど猛禽の印象を重ね合わせたものである。また天狗の性格は、感情の起伏が激しく、自信に満ちてときに増上慢であるが、一方では清浄を求めてきわめて潔癖である。天狗に大天狗と、烏天狗や木(こ)っ葉(ぱ)天狗などとよばれる小天狗との別があるというのも、山伏が先達(せんだつ)に導かれながら修行するようすを投影したものであろう』。『人が突然行方不明になることを、神隠しにあったという。中世以前はワシや鬼に連れ去られたといったが、近世以後は天狗にさらわれたという事例が急増する。天狗にさらわれた子供が数日たって家に戻ってきたり、空中を飛んだ経験を話して聞かせたなどの記録が残っている。近代の天狗のイメージには、近世に形成されたものが多いようである。妖怪を御霊(ごりょう)信仰系のものと祖霊信仰系のものとに大別すると、天狗は後者に属する。中国伝来の諸要素を多く残しながら、祖霊信仰に組み入れることによって山の神の性格を吸収したのであろう。そのため群馬県沼田市の迦葉山弥勒寺(かしょうざんみろくじ)、栃木県古峯原(こぶがはら)の古峯(ふるみね)神社、そのほか修験道系統の社寺において、天狗を御神体もしくは使令(つかわしめ)(神様のお使い)として信仰する例が多い』。『天狗がまったく妖怪化した段階では、種々の霊威・怪異の話が伝承されている。子供をさらって行くというのもその一つであるが、各地の深山で天狗倒し・天狗囃子(ばやし)などの話がある。天狗倒しは、夜中に木を伐る音、やがて大木の倒れる音がするが、翌朝行ってみるとどこにも倒れた木がないという怪異現象であり、天狗囃子は、どこからともなく祭囃子の音が聞こえてくるというものである。村祭りの強烈な印象や、祭りの鋪設(ほせつ)のための伐木から祭りへの期待感が、天狗と結び付いて怪異話に転じたものであろう。そのほか、山中で天狗に「おいおい」と呼ばれるとか、どこからともなく石の飛んでくるのを天狗のつぶてということがある。昔話では、かなり笑話化されているが「隠れ蓑笠」というのがある。むかし、ある子供が「めんぱ」[やぶちゃん注:「面桶(めんつう:「ツウ」は「桶」の唐音)一人前ずつの飯を盛った曲げ物の弁当箱。破子(わりこ)に同じい。]に弁当を入れて山へ行く。天狗がいるので「めんぱ」でのぞき、京が見える、五重塔が見えると欺く。天狗が貸せというので隠れ蓑笠と交換する。天狗はのぞいてみたが何も見えないので、だまされたと気づいて子供を探すが、隠れ蓑笠を着ているのでみつからない。子供は隠れ蓑笠を使って盗み食いする。あるとき母親が蓑笠を焼いてしまう。灰を体に塗り付けて酒屋で盗み飲みすると、口の周りの灰がとれて発見され、川へ飛び込んで正体が現れるといった類の話である。伝説には天狗松(天狗の住む木)などがあり、民家建築の棟上げのとき、棟の中ほどに御幣を立ててテンゴウサマ(天狗様)を祭る所もある』とある。う~ん、やっぱ、ウィキの「天狗」の方が、本邦での天狗の進化については、遙かに合点がいきますがねぇ(実は引かないのは、あまりに叙述が長いからである)。
「羅山文集」江戸初期の朱子学派儒学者で、幕府ブレーンとなる林家の祖である林羅山(天正一一(一五八三)年~明暦三(一六五七)年)の死後(寛文二(一六六二)年)に編された著作大成。全七十五巻。約二千篇に及ぶ考証随想。他の資料を参考に原文を国立国会図書館デジタルコレクションの画像から探そうとしたが、上手くいかなかった。そのため、どこまでが羅山の文なのか不明である。
「日光山」現在は栃木県日光市にある輪王寺(日光東照宮の東隣り。この附近一体。グーグル・マップ・データ)の山号。江戸時代には日光寺社群を総称して日光山と呼んだ。『日光山は勝道上人(奈良時代後期から平安時代初期の人物)が開いた現日光の山岳群』、『特にその主峰である男体山を信仰対象とする山岳信仰の御神体』乃至『修験道の霊場であった』。『日光が記録に見えてくる時期は、禅宗が伝来し』、『国内の寺院にも山号が付されるようになり、また関東にも薬師如来像や日光菩薩像が広く建立され真言密教が広がりを見せる平安時代後期』乃至『鎌倉時代以降である。下野薬師寺の修行僧であった勝道一派が日光菩薩に因んで現日光の山々を「日光山」と命名した可能性も含め、遅くても鎌倉時代頃には現日光の御神体が「日光権現」と呼ばれ』、『また「日光山」や「日光」の呼称が一般的に定着していたものと考えられる』(以上はウィキの「日光山」による)。因みに、この天狗は日光山東光坊といい、平田篤胤の「仙境異聞」には、この山には数万の天狗がいたと記している。
「愛宕山」(あたごやま/あたごさん)は現在の京都府京都市右京区の北西部、旧山城国及び丹波国国境にある山。標高九百二十四メートル。ここ(グーグル・マップ・データ)。山頂は京都市にあるが、約一・五キロメートル西には市境があり、山体は亀岡市に跨る。京都盆地の西北に聳え、東北の比叡山と並び、古くから信仰の山とされた。神護寺などの寺社が愛宕山系の高雄山にある。山頂に愛宕神社があり、古来より「火伏せの神」として信仰を集める、全国の愛宕社の総本社である。
「榮術太郞〔(えいじゆつたらう)〕」の読みは「日文研」の「怪異・妖怪画像データベース」の「愛宕栄術太郎;アタゴエイジュツタロウ」に拠った。ウィキの「太郎坊」によれば、彼は京都の愛宕山に祀られる天狗の頭目である「愛宕太郎坊天狗」の別名で、多くの眷族を従える、「日本一の大天狗」の異名を持つ、全国代表四十八天狗及び八天狗の一人である。また、江戸中期に書かれた「天狗経」によれば、本邦には四十八種、十二万五千五百もの天狗が数え挙げられてあるが、その中でも有力な八大天狗の一人で、東の富士山頂に棲む富士太郎に対する、西国を代表する天狗とし、伝承では、この太郎坊は、仏の命によって「大魔王」となったのであり、衆生利益を目的として愛宕山を護持しているとする。国立国会図書館の「レファレンス協同データベース」の京都市図書館の「愛宕山の太郎坊天狗について」の事例回答によれば、『愛宕山の天狗は古くから文献に登場しますが』、『固有名がありませんでした。『源平盛衰記』の巻』八『「法皇三井灌頂の事」における後白河法皇と住吉明神の問答の中で』、『初めて「太郎坊」の名が出てきたようです』が、「源平盛衰記」の『成立年代は不明です。また』久寿二(一一五五)年の『藤原頼長の日記には愛宕山の天狗とあるのみで』、二十『年ほど後の』安元三(一一七七)年の『京都大火は愛宕山の天狗が引き起こしたとして「太郎焼亡」と呼ばれ』、『当時の検非違使の記録にも火事名「太郎」が記されています』とあり、知切光歳著の「天狗の研究」による以下の根拠が挙げられてある(一部に私が追記・表現の変更を施ししているので引用符は振らない)。
・平安末期に成立した「今昔物語集」に於いて、異国の天狗が、まず頼ってきたのが、愛宕の天狗であったこと。
・左大臣藤原頼長(保安元(一一二〇)年~保元元(一一五六)年)が近衛帝調伏の釘を打ち付けたのが、愛宕の天狗像であること。
・王朝期の天狗といえば、事あるごとに、愛宕の天狗が介入していること。
・日本の天狗名第一号が愛宕山の「太郎坊」であること。
・「太郎坊」は古書に最もよく名前の出てくる天狗であること。
そうして、その下方の「回答プロセス」の中に、「山城名勝志」(大島武好(元は山城国の菓子屋で、早くから京に出て、野々宮家に仕えた)が三十余年を費やして宝永二(一七〇五)年刊行した、史料を引用して成しあげた山城国地誌。全二十一巻)に載る「白雲寺縁起」(ここの鎮守神であったと思われるものが阿多古(あたご)神社で、現在の愛宕神社)に始めて(少なくともこの調査者にとっては)「太郎坊一名栄術太郎」と出るとある。
「天狗〔(てんこう)〕は星の名なり」本邦の「天狗」(てんぐ)と差別化するために、東洋文庫訳のルビを採用した。「天狗星」「天狗流星」とも。本来、中国では流星・彗星の内、大気圏内に突入し、火と音を発するものをかく言った。良安が初め、如何にも不信感を以って書いている通り、現在、我々が知る鼻の長い「天狗」なるものは実は純国産の妖怪なのである。「史記」の「天官書 第五」には以下のように記載される(原文はネット上の中文サイトのものを参考にし、書き下し・語注及び訳には明治書院の新釈漢文体系四十一「史記 四 八書」を参考にした)。
*
天狗、狀如大奔星、有聲、其下止地、類狗。所墮及望之如火光炎炎沖天。其下、圜如數頃田處、上兌者則有黃色。千里、千里破軍殺將。
*
天狗は、狀(かたち)、大奔星(だいほんせい)のごとく、聲、有り。其れ、下りて地に止(とど)まらば、狗(いぬ)に類(に)たり。堕(お)つる所、之れを望むに、火光(くわこう)のごとく、炎炎として天に沖(のぼ)る。其の下は圜(まろ)きこと、數項(すうけい)の田處(でんしよ)のごとくにして、上兌(じやうえい)は、則ち、黃色、有り。軍を破り、將を殺す。
*
語注すると、「大奔星」は大きな流星。「狗」は「犬」或いは「小さい犬」の他、「熊や虎の子」の意もある。「沖」諸本の多くは「衝」で「つく」と訓じているが、この字の方が私にはしっくりくる。「項」面積単位。「一項」は「百畝」で約百八十二アール(前漢期の単位換算)で、これは一万八千二百平方メートルであるから、「數」を六掛けとして、一千九十二アール、約十一ヘクタールで、東京ドームの二倍強に当たる。「上兌」「兌」は「尖っている様」であるから、落下した隕石の尖った上部のこと。以下、訳す。
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天狗星は、その形状は、巨大な流星のようで、飛ぶ際には、はっきり聞き取れる音がするほどのものである。
落下して地上に落ちた場合は、小犬に似て見える。
落下する際に観察すると、それは火と光の柱のように見え、その立ち上る火炎は、まさに天を衝(つ)くように高く伸びている。
その落下地点は完全な円形を成しており、凡そのその広さたるや、数項(けい)の田畑に等しく、落下物の上部は鋭く尖っていて、黄色を呈している。
これが天空に出現したり、落下したりした国は、大きな戦争の敗北と、無数の将兵の死が齎される。
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「浮屠」は、本来はサンスクリット語の「ブッダ(仏陀)」のことであるが、そこから広義に僧侶や仏教徒をも指す語となった。ここ以降は、次のように訳せる(私の「和漢三才圖會 卷第四十 寓類 恠類」(サイト一括版)の「野女」で示した旧訳に少し手を加えた)。
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(「天狗(てんぐ)」とは、本来は「天狗(てんこう)」であって、妖怪ではなく、星の名前であるのにも関わらず、)本邦の僧侶や修験者らが、「天狗(てんぐ)」なる妖怪変化をでっち上げたのは、布教教化のためと称して、世俗の者たちを必要以上に怖がらせ、愚鈍なる衆生という蔑視の目線で以って、わざわざ彼らを惑わせるという、巧妙にして卑劣な方便・手段によって、その不完全な教えや妖しげな術を彼らに信じ込ませて、何やかやと売り込もうと欲しているのではないか? それ故にこそ「天狗」なる存在せぬ架空のものの名を唱えては、これを声高(こわだか)に叫ぶのではなかろうか? 但し、深山幽谷といった場所は、そのような人智を越えた妖気の及ぶ所ででもあろうからして、「山都」・「木客」といった妖怪変化や異人のようなものも、また、ない、とは言えぬのかも知れぬ。また、そうした観点から見れば、大洋に信じられないほど巨大なる鯨が、事実、棲息しているといったようなことも、何ら、不思議なことには当るまい。
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「訇」は「のゝしる」と訓じてはいるが、これは古語の「ののしる」であるから、「大声で叫ぶ」の意であり、批難の意はない。東洋文庫はそのまま『ののしる』と訳しており、誤訳である。
「山都〔(さんと)〕」良安は「和漢三才圖會 卷第四十 寓類 恠類」で、この「山都」を独立項で挙げ、本邦の「みこし入道」を一見、強引に当てているように見える(しかし、これは正当。後述する)。図と訓読文を示すと(原文はリンク先を見られたい)、
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みこし入道
山都
【長〔(た)〕け高く、
髮無き者。俗に云ふ、
「見越入道」。『後ろより、
人の顏を見る」と云云。
蓋し、此れ、山都の類か。】
サン トウ
「述異記」に云ふ、『南康に神有り、「山都」と曰ふ。形、人のごとく、長け、二丈餘り。黑色・赤目・黃髪。深山の樹の中に窠を作〔(な)〕す。狀〔(かた)〕ち、鳥の卵のごとく、高〔(た)〕け、三尺餘り。内、甚だ光采〔(くわうさい)〕たり。體質、輕虚〔たり〕。鳥〔の〕毛を以つて褥〔(しとね)〕と爲し、二枚、相ひ連なる。上は雄、下は雌。能く變化して形を隠(〔(か)〕く)し、覩〔(み)〕ること、罕(まれ)なり。』と。
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「述異記」は南斉の祖沖之が撰したとされる志怪小説集。その時代の一丈は二・四四メートルであるから、「二丈」は約五メートル弱、「三尺」(当時の一尺二十四・二四センチメートル)は七十三センチメートル弱。この叙述は、判り難いが、普段、木の巣の中にいる時は巨大な鳥の卵(世界最大の単細胞体であるダチョウの卵の長径が約二十センチメートルだから、その三・六倍以上もある)みたような形をしている生物で、時に五メートルほどの巨人に化けるというのである。「冶鳥(やちょう)」の生態と、大小の違いや鳥・卵の違いはあるものの、妙に類似しており、同類の化鳥であることが判然とするではないか。「酉陽雜俎」の記載を時珍が「本草綱目」に引いた意図もこれで判る。多田克己氏は「渡来妖怪について」の「山都」では(かつてネット上で読めたが、現在は消失)、やはり多田氏も山都を、治鳥の仲間、また、後に良安が掲げるところの木客(もっかく)の仲間とされてきたことを記し、山都を魑魅の一種と規定、漢の楊孚(ようふ)の「異物志」には『江西省の東部に鵲(かささぎ)ほどの大きさの木客鳥という鳥がいて、千、百と群れをなし編隊を組んで飛ぶという。この鳥は治鳥の仲間といわれる。巣をつくるという山都も、あるいは鳥の性質をもつことを暗示しているかもしれない』とされる。『この山都の伝承が日本に伝えられたのは、宋(十一~十二世紀)時代以降であると思われる。中国の浙江省、江蘇省、福建省、江西省などは、ちょうど日中間の交通の要衝にあたっていた。そうした理由から山都の伝承が伝わったらしい。日本では愛知県で山都の妖怪が出ている。日本ではこの類をミコシとよび、見越もしくは御輿と書く。これは背の高いこの妖怪が、物陰(ヤブや竹林もしくは屏風など)から現れて、後ろからのぞきこむからだという』。『入道とは仏道に入った人、頭をそって坊主頭にした人をさした呼称である。おそらく山都の伝承と、華南(中国南部)から訪れた仏教徒(室町時代以降日本に伝来した宗派であろう)とに関係があるのであろう。入道といえば坊主頭の大男を連想することになる。大坊主もまた同じような意味で、見越し入道を大坊主とよぶ地方もある。この妖怪がムクムクと巨大化するという伝承があり、そうしたありさまから入道雲などの名称が生まれている。その巨大化するというイメージから見上げ入道伸上がり高坊主などとよばれるようにな』ったのだと推定されている。また、『長崎県五島列島ではゴンドウクジラを入道海豚とよぶそうであるが、これは身体が巨大で坊主頭、そして体が黒いことによるようである。こうしたことから体が黒くて坊主頭の巨人を海坊主とか海入道などとよぶようになったと思われる。海坊主の類もまた山都の系譜の中にあると思われ』、『海坊主との関係を暗示させるものに愛媛県の伸上がりやカワソがあり、その正体は川獺(かわうそ)であるという。川獺は水辺(海岸や河川)に棲む肉食動物で、河童に仮託された獣であり、河童の性質である相撲(すもう)好きが、この伸び上がりやカワソなどにも語られている。因幡(鳥取県)の相撲の祖神野見宿禰を祀る社がある徳尾の森に、大坊主が出現するのはとくに興味深い』とされ、最後に『岡山県では便所をのぞきこむ見越し入道の話があり、加牟波理入道と同じ雪隠(便所)で唱える「見越し入道ホトトギス」という呪文がある。江戸ではこれを眼張入道(がんばりにゅうどう)もしくは雁婆利入道とよび、見越し入道と加牟波理入道は同じものであったことがわかる』。江戸前期、貞享三(一六八六)年刊になる山岡元隣の怪談集「古今百物語評判」には『見越し入道を高坊主とよぶとある』(「古今百物語評判卷之一 第六 見こし入道幷和泉屋介太郞事」。リンク先はごく最近に私が行った電子化注)。『高坊主は人家を訪れ、見た者は熱病となり死に至る場合もあった。こうしたことから疫病神の一種であろうといわれている。便所神もまた祇園信仰と関係し、疫病除けの民間信仰と関連があった。やはり疫神の一種とされた一つ目小僧と見越し入道は合体し、一つ目入道や三つ目入道などの妖怪が誕生したらしい。もともと山都と一つ目小僧』『は同種の精で、中国では五通七郎諸神とよんで、人家を訪れて疫病をもたらす疫鬼でもあった』という目から鱗の考証をなさっておられる。これで「見越し入道」が綺麗に「山都」にリンクしたと言えると私は判断する。
「木客〔(もつかく)〕」これも「和漢三才圖會 卷第四十 寓類 恠類」に「木客」として独立項で出る。その注で私は、まず、先の多田克己氏の「渡来妖怪について」から引き、この木客は、先に示した山都・治鳥の仲間、魑魅の一種とされ、漢の楊孚(ようふ)の「異物志」には『江西省の東部に鵲(かささぎ)ほどの大きさの木客鳥という鳥がいて、千、百と群れをなし編隊を組んで飛ぶという。この鳥は治鳥の仲間といわれる。巣をつくるという山都も、あるいは鳥の性質をもつことを暗示しているかもしれない』とあるとした。但し、私はその「木客」の図(手足の爪が長いが、全く、人としか思えない絵が附されてある)や叙述を読むに、一種の少数民族若しくは特殊な風俗を有する人々の誤認、或いは強烈な差別意識によってでっち上げられたヘイト系モンスターではないかという確信に近いものを今も持っているのである。但し、これは次の次の独立項「木客鳥」で詳述したいと思っているので、ここはこれまでとしておく。待ちきれない方は、上記のリンク先の私の旧注をどうぞ!
「鯨-鯢(くじら)」音「ゲイゲイ」。「鯨」は♂クジラ、「鯢」は♀クジラ。古くは「ケイゲイ」とも読んだ。脊索動物門脊椎動物亜門顎口上綱哺乳綱獣亜綱真獣下綱ローラシア獣上目 Laurasiatheria 鯨偶蹄目クジラ亜目 Cetacea)。因みに「大魚」の譬えにも用い、有り難くない意味として「大悪人・悪党の首領」の譬えにも用いる。
「奚(なん)ぞ疑はん」前の注で訳した通り、反語。但し、「鯨」がいるから、「山都(鳥)」も「木客鳥」もいる、というのは論理の飛躍ではある。
「或る書」これは今回、ツイッターの天狗関連の記事によって、「先代旧事本紀大成経(せんだいくじほんきたいせいきょう)」であることが判った。聖徳太子によって編纂されたと伝えられる教典であるが、複数の研究者によって偽書とされている、とウィキの「先代旧事本紀大成経」にはあった。「先代旧事本紀」とは別物なので注意されたい。前者を略して「先代旧事本紀」と表記し、それをまた混同・誤認している記載も古くから見られる(なお、後者の「先代旧事本紀」は『蘇我馬子などによる序文を持つものの』、大同年間(八〇六年~八一〇年)『以後、延喜書紀講筵』(九〇四年~九〇六年)『以前の平安時代初期に成立したとされる』が、『江戸時代には』『伊勢貞丈、本居宣長らによって偽書とされた』。しかし、『近年』、『序文のみが後世に付け足された偽作であると反証され』ている、とウィキの「先代旧事本紀」にある)。井上円了の「天狗論」(明治三六(一九〇三)年哲学館刊・『妖怪叢書』第三編の「第一章 天狗の名称」の「三、日本説」(所持する二〇〇〇年柏書房刊「井上円了 妖怪学全集」第四巻に拠る。新字新仮名。〔 〕は編者の補記。下線は私が引いた)に、以下のようにある。
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天狗を解して雷獣となすときは、これを鳥名となす説も同時に解し得べし。『震雷記』には、加州白山に棲(す)める雷鳥なりとて、その図を出だせり。『鋸屑譚』にその鳥の考証あり。また、天狗を石となせるがごときは、天狗を流星と誤解せるより起こる。すなわち、流星の落ちて石となりしものに与えたるなり。その他、草名、仙名、竜名等に用うるは、種々の連想より名づけたるものにして、わが国にて将棋やタバコに用うるに同じく、深き意味あるにあらざるなり。
以上解するがごとくなるときは、シナの天狗とわが国の天狗とは全く異なること、問わずして明らかなり。ゆえに『善庵随筆(ぜんあんずいひつ)』には、「こちらに天狗といえるもの、西土の天狗と同名異物なり。混称すべからず」といい、『居行子(きょこうし)』にも、「もとより漢土、天竺(てんじく)等には、今いう天狗というものはなし」といえり。しからばここに、天狗は日本に特殊なるものにして、その名も日本にて起こりしといえる日本説を考うるに、その主唱者は僧諦忍(たいにん)なり。諦忍の『天狗名義考(てんぐめいぎこう)』には、「天狗は、わが国にて神代より用いきたれる称号なり」となす。すなわち『〔先代(せんだい)〕旧事本紀(くじほんぎ)』を引き、「服狭雄尊(そさのおのみこと)の猛(たけ)き気が胸腹に満ち余りて吐物と化し、天狗神(あまのざこがみ)となる、云云(うんぬん)」とあるをもって証となし、かつ自ら評して曰く、「これ、日本天狗の元祖なり」と。また、『学海余滴』にも同様の説あり。しかるに『桂林漫録(けいりんまんろく)』には、「世に天狗というものの説は古書に見えず」とし、「『旧事紀(くじき)』は偽書なり」と注せり。ただ、「後の書にて『続古事談(ぞくきじだん)』『沙石集(しゃせきしゅう)』『太平記(たいへいき)』などに見えたり」といい、「諦忍の『天狗名義考』は俗にして見るにたえず」と評せり。されば、『旧事紀』に天狗の語あるも、天狗の由来を証するに足らざるなり。つぎに天狗の名称の見えたるは『日本書紀』なり。すなわち、舒明(じょめい)天皇九年に、
[やぶちゃん注:以下、引用は底本では全体が二字下げ。]
大星、東より西に流る。すなわち音ありて雷に似たり。時の人は流星の音といい、また地雷ともいえり。ここにおいて、僧旻(びん)曰く、「流星にあらずして、これ天狗なり。その吠ゆる声、雷に似たるのみなり」(漢文和訳)
とあり。これ、もとより流星なり。僧旻がこれを名づけて天狗となしたるは、『史記』の天狗を流星と誤解せるによる。しかるに『〔日本〕書紀』には、天狗の字に邦訓を施してアマツキツネとなせり。ゆえに『平氏太子伝(へいしたいしでん)』には、舒明天皇の下に天狐(あまつきつね)と出でたり。また『壒囊鈔(あいのうしょう)』には、「天狗とも天狐とも通用す」といえり。余案ずるに、和訓にて狗(く)をキツネと訓ずることありしならんか。決して流星を狐の所為となせるにあらず。しかるに、朝川善庵はこの邦訓を引きて、「天狗は狐なり」との一証となせしは怪しむべし。けだし、『太子伝』の天狐はこの邦訓にもとづきしもののみ。もとより、シナのいわゆる天狐をいうにあらず。シナにては『広異記(こういき)』等に天狐の名目あれども、『〔日本〕書紀』の天狗と大いにその意を異にす。すなわち、『擬山海経(ぎさんがいきょう)』に引用せる天狐の談を見て知るべし。また、『元亨釈書(げんこうしゃくしょ)』にも天狗星の現ぜしことを載せたるも、これみな通俗の天狗にあらざること明らかなり。しかして『保元物語(ほうげんものがたり)』『太平記』等に出ずる天狗は、今日一般に唱うるところの天狗に同じ。余がみるところによるに、わが国の古書には天狗の怪談なしといえども、その名称は、『日本〔書〕紀』もしくはシナの書に出でたる名目を慣用したるならん。そのゆえは、わが国の妖怪の名目は、大抵みなシナの名称を用いおればなり。しかしてその実、わが国の天狗はシナの天狗と同じからず。すなわち同名異体なり。ただ、シナにありて古代、雷獣のなんたるを解せざりしゆえに、これを真に天よりくだれるものと思い、これに与うるに天狗の名をもってしたりしに、その名漸々に相移りて、わが国のいわゆる天狗に慣用しきたれるは、あえて怪しむに足らず。もし人、深山に入りて火光を見、震響を聞くときは、これを一般に天狗の所業となす。されば、『史記』の天狗とわが国の天狗とは、全く関係なきにもあらざるなり。
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「服狹雄尊(そさのをのみこと)」素戔嗚命は「古事記」では「建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)」、「日本書紀」では「素戔男尊」「素戔嗚尊」などと表記する。以下はむちゃくちゃな説としか思えないが、「天狗神」との接点は、正しく祀らなければ災厄を齎す荒ぶる神としての共通性を持っているようには思われる。
「姫神」天狗を女体獣面の女神をルーツとするというのはブッ飛んでいる。なお且つ、既にこの女神、クレオパトラも羨むほどに鼻が高く、寿老人か福禄寿の如く耳が長く、鬼女よろしく牙が長く出ているとある。女神としての映像(イメージ)が一向に浮かんでこないのだが、こんな面体(めんてい)に生まれては、男は誰も近寄らん! さればこそか、以後の叙述を読むと、我儘にしてヒステリーとならざるを得ず、臂力ならず、微力でない鼻力(鼻息ではない。長い鼻で跳ね飛ばすのである)も強烈で、男根どころか、堅い鉄の刀剣・矛であろうと、ズタズタに嚙み千切ってこなごなにしてしまうという。しかも、何に対しても激して、穏当に振る舞うということを全く知らず、左にあるものは「右よ! 右!」と言い放ち、前にあるものでも「後に決まってるわよ! キキイイッツ!」というのだ。いやはや、これは、全く見たくも逢いたくもない女神(めがみ)さまではある。却って可哀想な気がしてくるではないか。
『左に在〔(あ)〕る者を以つて、早〔(はや)〕逆〔(さから)ひ〕て「右爲(た)り」と謂ひ、又、前に在る者は、卽ち、「後(しりへ)爲〔(た)〕り」と謂ふ』この辺り、近世の読本みたような、口語的な説明で、如何にもこの本、偽書臭いわ。
『自〔(みづか)〕ら推〔(お)〕して名づけて、「天逆毎姫(〔あま〕のさこの〔ひめ〕」と名づく』おや? 実は自分の異様な性格が判っている訳だぞ?! こりゃ! 自ら進んで「天逆毎姫」と名乗ったのだもの! 「天逆毎姫」とは「天」の下に於いて「毎」(つね)に「逆」のことをする「姫」だぞ! おいおい! 彼女はここに至って何とまあ、「天邪鬼」(あまんじゃく・あまのじゃく)と完全に通底しているではないか?! 天邪鬼は本来は中国仏教由来で四天王など踏みつけられる悪鬼(煩悩の象徴)であるが、本邦ではそれに記紀に出現するうっかり男天稚彦(あめのわかひこ)及び性悪の天探女(あまのさぐめ)に由来する天邪鬼が習合、そこに更に、ここに示されたような後付けの解釈が加わったもののようにも思われるが、これはもう、やっぱ、この本、後世も後世の落語だべ!!!
「天〔(てん)〕の逆氣〔(さかき)〕を吞みて、獨り〔にて〕身(はら)みて兒を生む」そのお顔とご気性では、単為生殖するしかありません。生物は♀はそれが出来ますし、ヒトもそのうちそうなるやも知れませぬ。何? 良安先生? そんなことはあり得ないって? いえいえ、両生類以下では普通に行われるのですよ。先生も仰っておられしょう、「猶ほ、大海に鯨鯢有るがごときも、又、奚ぞ疑はん」で御座いますよ。
「天魔雄神(〔あま〕のさかをの〔かみ〕」標題の別名より「天魔雄命(あまのざこのみこと)」とも称するわけであろう。
「九虚」「九天」に同じい。本義は、大地を中心に回転する九つの天体で、日天・月天・水星天・金星天・火星天・木星天・土星天・恒星天・宗動天を指すが、広義に神域である「全天上界」の意。
「心腑に託し」人の心(魂)や「心の臓」に憑依するの意と解釈した。
「意を變じ」心を乱れさせ。
「正說と爲るに非ざれども、之れを記して考ふるに備ふるものなり。」まともな説とするに値すると思うわけではないが、ここに記録しおいて、後人の考証のための備えとしておくものである。
「天狗爪」先に引いた井上円了の「天狗論」の「第四章 天狗の形象」の最後に、以下のようにある(記号は前に同じ)。
*
『周遊奇談(しゅうゆうきだん)』には、「北国若狭、越前の海浜にても、天狗魚を捕ることあり」と記せり。されば、天狗の髑髏はこの魚の頭骨なること疑いなし。また、天狗の爪と名づくるものあり。『夜光珠(やこうのたま)』と題する書中に、左のごとく記せり。
[やぶちゃん注:以下の引用は、底本では全体が二字下げ。]
世間にて天狗の爪というものあり。所々の深山幽谷にて、まれに拾い得るという。その状、小さきは一、二寸、大きなるは三、四寸、本(もと)厚く末とがり、両稜(かど)刃のごとく、極めて硬く重し。色白く、末は青黒くして光沢あり。また、鴉(からす)の觜(くちばし)に似てまだらなるもあり。表は甲高く〔裏は平らなり〕。本のとまりはこぐち陶器の薬をかけ残したるようにて、松茸(たけ)[やぶちゃん注:「茸」のみのルビ。]の根の色あいに似たり。これを天狗の爪とのみいい伝えて、なにの成れるものというを知らず。
また『羅山文集』に、「北国能登の海浜に天狗の爪あり、往々これを拾い取る。大きさ二寸ばかり、末とがり、こまかく反れり。色潤白にして小猪(いのしし)[やぶちゃん注:「猪」のみのルビ。]〔の〕牙(きば)のごとし。しかして牙にあらず、全く爪の類なり。疑うらくは、これ北海大蟹(かに)[やぶちゃん注:「蟹」のみのルビ。]の爪ならんか」とあり。この爪のなんたるにつきて、『夜光珠』および『震雷記(しんらいき)』に説明を下せり。この二書の文は、毫(ごう)も異なるところなし。
[やぶちゃん注:以下の引用は、底本では全体が二字下げ。]
ある人のいえるは、「この物、雷の落ちたる辺り、またはそこの地を掘りて得るものなるゆえに、西国にては雷の爪という」と。しからばすなわち、唐〔の〕陳蔵器(ちんぞうき)が『本草拾遺(ほんぞうしゅうい)』に、「霹靂碪(へきれきちん)[やぶちゃん注:江戸時代に発見された古代の石器の一種の名称。現在の台石・石斧・石環・石錐・石鏃などで、当時は落雷の跡から見つかったとされて、雷の物体化したものと誤解された。]の中に剉刀(ざとう)[やぶちゃん注:刻むための小刀か。]に似たるものあり。色青黒く、斑文にていたって硬く玉のごとし[やぶちゃん注:黒曜石の石鏃か。]」といえるもの、雷震の後によって得るとあれば、これなるべし。
また『民生切要録(みんせいせつようろく)』に、「能州石動山の林中に、天狗〔の〕爪という物あり。色青黒にして、長さ五分ばかりにして石のごとく、先とがり後ろ広く、獣の爪に似たり、云云(うんぬん)」とあり。されば、俗間に伝うる天狗の爪は、雷斧(ふ)、雷楔(けつ)、雷碪(ちん)、雷鑚(さん)[やぶちゃん注:「鑚」はタガネ。]の類なること明らかなり。これみな、石器時代の遺物と知るべし。あるいはいう、「民間に伝わるところの天狗の爪は鮫(さめの歯なり」との説あり。その他、天狗火、天狗礫(つぶて)の話あれど、次章の天狗の作用を論ずる下において述ぶべし。
*
とある。頭の「天狗魚」は、軟骨魚綱全頭亜綱ギンザメ目ギンザメ科ギンザメ属ギンザメ Chimaera phantasma か、テングギンザメ科Rhinochimaeridae の一種に同定してよい。私の「博物学古記録翻刻訳注 ■17 「蒹葭堂雑録」に表われたるギンザメの記載」を見られたい。さて、現在、一般に知られている「天の狗の爪」なるものは、サメの歯の化石の俗称である。通常は三角錐様、青灰色の光沢を持つものが多く、新生代第三紀中新世半ばから鮮新世(約千八百万年前から約百五十万年前)にかけての、海が比較的暖かった時代に生息していたサメ類の歯の化石である。代表的なそれは、軟骨魚綱板鰓亜綱ネズミザメ目ネズミザメ科ホホジロザメ属カルカロクレス・メガロドン(ムカシオオホホジロザメ(昔大頬白鮫)Carcharocles
megalodon or Carcharodon megalodon(カルカロドン・メガロドンの方は、本種を現生のホホジロザメ Carchrodon carcharias の同属とする説に基づく学名)のそれが最も巨大で、歯高十五センチメートルにも及ぶ。しかし、私は、これを良安が言う「天狗爪」に同定するのに、躊躇を感ずるものである。以下、良安の記述を検討してみよう。――それは能登地方の海浜で容易にビーチ・コーミング出来るもので、長径約六センチメートル、末端が有意に細くなって尖っていて、微かに反っている。色は純白でやや光沢がある(「潤」は鮮やかな光沢というよりざらついた乳白色ではなく、濡れたやや透明度のある白の謂いであろう)。そして、それは譬えるなら、小さな猪の牙のようなものであるが、決して動物の――ここの記載からは陸上性の動物及び現代の生物学上の魚類も含むものと考えられる――牙ではない。しかし、全くある種の生物の爪の類いとしか思えないものである。そして彼は「思うにこれは北海の大蟹の爪であろうか」と推測し、「第一、もし、これが正真正銘の『天狗の爪』であるならば、天狗が棲息すると言われている各地の深山幽谷から齎されなければならぬはずである。どうして天狗の爪なんどというものが海辺にあろうものか!」――と激して否定しているのである。ここで気付くことは、もし、この「天の狗爪」が「サメの歯の化石」であるとしたら、それこそ「處處の深山の中の有る」のである。そこから実際に出土するのである。私も小さな時に裏山から幾つも掘り出した。さすれば、これは「サメの歯の化石」では、ない。私は一読、これはもう「ツノガイ」しかない、と感じた。軟体動物門掘足綱のツノガイ目 Dentaliida 及びクチキレツノガイ目 Gadilida のツノガイである。以下、ウィキの「掘足綱」から引用する。『掘足綱全体に共通する形状として、殻は角を思わせる緩やかにカーブした筒状で、上端と下端は必ず開いている。この上端側の孔を後口、下端側の孔を殻口と呼ぶことが多い。また、カーブの外側を腹側、内側を背側と呼ぶ。殻表に輪脈と呼ばれる筋がある場合、ない場合』、『まちまちである。また』、『殻色も白色、薄黄色や赤紫色、など様々であるが白っぽい色をした種が多い。殻長は数』ミリメートル『の種から数十』センチメートル『程度で現生種の中では、マダガスカル近海に生息する Dentalium metivieri が最大とされ』、二十センチメートル『を超える。以上の様な細かい特徴は科や属、種などにより様々であるが、掘足綱全体の形状としては腹足綱や二枚貝綱と比べると統一感があるといえる』。その軟体部は『殻の後口側に肛門が、殻口側に頭、足がある。頭部は眼や触角など多くの感覚器官を欠くが平衡胞(statocysts)と呼ばれる感覚器官を持つほか、食物を捕食するための頭糸と呼ばれる触手状の器官がある。これらの器官を使用し、餌を捕らえ、歯舌で擦り取って食べるとされる。鰓は持たないため、外套膜が代わりとなり海水中の酸素を取り込む。また、以上の様な器官や殻などがすべて左右対称になっていることも掘足綱の最大の特徴のひとつである。なお、蓋は持たない』。生態は雌雄異体で、『浮遊性のトロコフォア幼生、ベリジャー幼生を経て着底する。通常、二枚貝綱と同様に足を用いて泥底や砂底などを掘り、埋没して生活する。この際、後口を砂や泥から出し、排泄や海水の交換を行う。上記の様に鰓を持たないため、外套膜で酸素の交換を行うが、この際、足を収縮させ海水を循環させる。また、平衡胞や頭糸を用いて餌を捕食し、歯舌で擦り取って食べる』。すべて海産で、分布域は世界各地の海に広く分布し、『生息深度も幅広く、潮間帯~深海まで広く分布するが、生息環境は比較的軟らかい海底に限られる』とある。種は多数あるものの(該当リンク先にもある)、研究が進められているとは言い難く、極めて流動的である。私自身、実は四十年程前、春の初めに旅した能登の海浜で、多量のツノガイ類の殻を採取した印象的な経験があるからである。それは確かに凄絶なほどに多量であったのを覚えている。ネット上の記載を検索すると、石川県能登九十九湾での採取品として、
シラサヤツノガイ科ロウソクツノガイ亜科ロウソクツノガイEpisiphon subrectum
ゾウゲツノガイ科ゾウゲツノガイ属ヤカドツノガイDentalium(Paradentalium) octangulatum
等が見つかる。
最後に今一つ気になることがある。この怪鳥の正式な元の名が「冶鳥」であることははっきりしたが、「冶」と言えば
――冶金=製錬
が真っ先に思い浮かぶ。この鳥は鉱脈のありそうな、
――「深山」にしかいない
のだ。そうして、この鳥は《地面の中の特に》
――「赤」と「白」の土を捏(こね)ねて=練(ね)って=錬って巣を「造る」≒錬金
――「赤」は朱を連想させ、それは赤色の硫化水銀であり、仙薬であり、錬金術で卑金属を金に変える霊薬「賢者の石」(lapis
philosophorum:ラピス・フィロソフィウム)に近似した不老不死の登仙薬の製造法練丹の際の主成分
ではなかろうか? しかも、その「錬」り上げた巣のデザインは
――弓の的=⦿≒「一つ目」のようなランドマーク
だと言っている。これは容易に
――⦿=妖怪「一つ目小僧」≒山中の妖怪「いっぽんだたら(一本踏鞴)」
を連想させ、後の柳田國男の「一つ目小僧その他」(本ブログ・カテゴリ「柳田國男」で完全電子化注済み)を出すまでもなく、「たたら」は「タタラ師」で「鍛冶師」であり、これは金属精錬をする彼らが、鞴を踏み続け、金属の溶融温度を常に一方の目で視認して確かめなくてはならぬために、片足が不自由となり、片目が悪くなることと連関し、
――⦿=一つ目小僧≒いっぽんだたら=一つ目の鍛冶神「天目一箇神(あめのまひとつのかみ)」の零落したもの
ともされるのだ。一方、「冶鳥」は深山の渓谷に小人の人の姿として変ずるともあった。山中の足の悪い「たたら師」は背ぐくまって身長が低く見えるに違いない。そう考えると、山岳部の「越」の「山人」が、この鳥を「越の祝(ほうり)の祖」とするのは、遠い古代の越で鉱脈を探し、そこで冶金に勤しんだ踏鞴師たちをこそ指しているのではないか?! 語り序でに言い添えれば、偶然だが、素戔嗚命の娘が深山に住む天狗の親玉で、強く硬いの刀や矛であっても、忽ち、噛み砕いてづたづたにしてしまうのさえ、金属精錬の逆回しのように私には思えたのであった。
久し振りに楽しい注となった。有難う! 良安先生!]