迎春 * 佐々木(鏡石)喜善・述/柳田國男・(編)著「遠野物語」(初版・正字正仮名版) 一一九 獅子踊歌詞集・広告・奥附 /「遠野物語」(初版・正字正仮名版)~完遂
一一九 遠野鄕の獅子踊【○獅子踊はさまで此地方に古きものに非ず中代[やぶちゃん注:中世。]之を輸入せしものなることを人よく知れり】に古くより用ゐたる歌の曲あり。村により人によりて少しづゝの相異あれど、自分の聞きたるは次の如し。百年あまり以前の筆寫なり。
[やぶちゃん注:以下、最後まで、底本では全体は一字下げで、歌詞は二行に渡る場合は二行目が二字下げになっているが、ブラウザの不具合を考えて無視して以下のように全部行頭に引き上げて示した。また、歌詞は方言を多量に含み、私の手に負えないため(柳田國男自身にも不明なものが多いと見た)、今回は注を一部の読み(本条は原典にはルビがないので、「ちくま文庫」版全集のみを参考とし、歴史的仮名遣で附した)及び疑問の例外箇所を除いて注は附さないこととした。]
橋ほめ
一 まゐり來て此橋を見申せや、いかなもをざは蹈みそめたやら、わだるがくかいざるもの
一 此御馬場を見申せや、杉原七里大門まで
門ほめ
[やぶちゃん注:「かどほめ」。]
一 まゐり來て此もんを見申せや、ひの木さわらで門立てゝ、是ぞ目出たい白かねの門
一 門の戶びらおすひらき見申せや、あらの御せだい
○
一 まゐり來てこの御本堂を見申せや、いかな大工は建てたやら
一 建てた御人は御手とから、むかしひたのたくみの立てた寺也
[やぶちゃん注:「御人」は「おひと」。「ひた」はママ。無論、飛騨。]
小島ぶし
一 小島ではひの木さわらで門立てゝ、是ぞ目出たい白金の門
一 白金の門戶びらおすひらき見申せや、あらの御せだい
一 八つ棟ぢくりにひわだぶきの、上(かみ)におひたるから松
一 から松のみぎり左に涌くいぢみ、汲めども吞めどもつきひざるもの
一 あさ日さすよう日かゞやく大寺也、さくら色のちごは百人
一 天からおづるちよ硯水、まつて立たれる
馬屋ほめ
[やぶちゃん注:「まやほめ」。]
一 まゐり來てこの御臺所見申せや、め釜を釜に釜は十六
[やぶちゃん注:「め釜」のみは「めがま」。]
一 十六の釜で御代たく時は、四十八の馬で朝草苅る
[やぶちゃん注:「御代」は「ごよ」。]
一 其馬で朝草にききやう小萱を苅りまぜて、花でかゞやく馬屋なり
[やぶちゃん注:「小萱」は「こがや」。]
一 かゞやく中のかげ駒は、せたいあがれを足がきする
[やぶちゃん注:「かげ駒」は「かげこま」。「足がき」は「あがき」。]
○
一 此庭に歌のぞうじはありと聞く、あしびながらも心はづかし
一 われわれはきによならひしけふあすぶ、そつ事ごめんなり
一 しやうぢ申せや限なし、一禮申して立てや友だつ
桝形ほめ
[やぶちゃん注:「ますがたほめ」。]
一 まゐり來てこの桝を見申せや、四方四角桝形の庭也
[やぶちゃん注:「也」は「なり」。]
一 まゐり來て此宿を見申せや、人のなさげの宿と申
町ほめ
一 參り來て此お町を見申せや、竪町十五里橫七里、△△出羽にまよおな友たつ
[やぶちゃん注:「竪町」は「たてまち」。]
【○出羽の字も實は不明なり[やぶちゃん注:この謂いから「△△」は単に判読不能字を指していることが判る。]】
けんだんほめ
一 まゐり來てこのけんだん樣を見申せや、御町間中にはたを立前
[やぶちゃん注:「御町」は「おんまち」、「立前」は「たてまへ」。]
一 まいは立町油町
一 けんだん殿は二かい座敷に晝寢すて、錢を枕に金の手遊
[やぶちゃん注:「手遊」は「てあそび」。]
一 參り來てこの御札見申せば、おすがいろぢきあるまじき札
[やぶちゃん注:「御札」は「おふだ」。]
一 高き處は城と申し、ひくき處は城下と申す也
橋ほめ
一 まゐり來てこの橋を見申せば、こ金の辻に白金のはし
[やぶちゃん注:「こ金」は「こがね」。]
上ほめ
一 まゐり來てこの御堂見申せや、四方四面くさび一本
[やぶちゃん注:「御堂」は「おだう」。]
一 扇とりすゞ取り、上さ參らばりそうある物
【○すゞは珠數、りそうは利生か】
[やぶちゃん注:「珠數」はママ。「數珠」(じゆず(じゅず))のことであるが、この表記は古典でもしばしば見られる。全集は「数珠(じゅず)」。]
家ほめ
一 こりばすらに小金のたる木に、水のせ懸るぐしになみたち
【○こりばすら文字不分明】
浪合
[やぶちゃん注:「なみあひ」。]
一 此庭に歌の上ずはありと聞く、歌へながらも心はづかし
一 おんげんべりこおらいべり、山と花ござ是の御庭へさららすかれ
【○雲繝緣、高麗緣なり】
一 まぎゑの臺に玉のさかすきよりすゑて、是の御庭へ直し置く
一 十七はちやうすひやけ御手にもぢをすやく廻や御庭かゝやく
一 この御酒一つ引受たもるなら、命長くじめうさかよる
一 さかなには鯛もすゞきもござれ共、おどにきこいしからのかるうめ
一 正ぢ申や限なし、一禮申て立や友たつ、京
柱懸り
一 仲だぢ入れよや仲入れろ、仲たづなけれや庭はすんげない〻
[やぶちゃん注:「〻」という踊り字は正規には漢字の下に用いて、その漢字の訓を二度繰り返すのに用いるが、ここでは前の一文節或いは表紙上で繰り返すに足る詩句を繰り返すものとして読むしかない。則ち、ここは一文節でよく、「すんげないすんげない」となる。ところが厳密な一文節ではリズムが悪い箇所も多く見られ、もっと前の、囃言葉としてのソリッドな最小詞句節分、時には二文節分(それを論理的に規定することは私には出来ないが)、例えば、次の場合は「庭めぐる」を二度「庭めぐる庭めぐる」と詠んでいるようであるし、以下、「若くなるもの若くなるもの」、「ちたのえせものちたのえせもの」と読まないとおかしいだろう。]
一 すかの子は生れておりれや山めぐる、我等も廻る庭めぐる〻
【○すかの子は鹿の子なり遠野の獅子踊の面は鹿のやうなり】
一 これの御庭におい柱の立つときは、ちのみがき若くなるもの〻
【○ちのみがきは鹿の角磨きなるべし】
一 松島の松をそだてゝ見どすれば、松にからするちたのえせもの〻
【○ちたは蔦】
[やぶちゃん注:「蔦」は「つた」。]
一 松島の松にからまるちたの葉も、えんが無れやぶろりふぐれる〻
一 京で九貫のから繪のびよぼ、三よへにさらりたてまはす
【○びよぼは屛風なり三よへは三四重か此歌最もおもしろし】
めず〻ぐり
[やぶちゃん注:ここに限っては「めずめずぐり」ではなく、通常の「ゝ」と同じ(「〻」を「ゝ」と同じ用法をする作家は結構多い)で「めずすぐり」である。「遠野郷しし踊りの由来と紹介」というページに「雌じし狂い(めずすぐり)」とある。後注で柳田國男の注は如何にも「雌鹿(めず=めす)」「擇(す)ぐり」のように読めるが、以上のページの表記はこれは「雌鹿(めずす=めじし)」のために雄がエキサイトして「狂(ぐ)り=狂るひ」となるというのが元なのではないと思わせるし、その方が遙かに腑に落ちる。]
一 仲たぢ入れろや仲入れろ、仲立なけれや庭すんげなえ〻
【○めず〻ぐりは鹿の妻擇びなるべし】
一 鹿の子は生れおりれや山廻る、我らもめぐる庭を廻るな〻
一 女鹿たづねていかんとして白山の御山かすみかゝる〻
[やぶちゃん注:「女鹿」は「めじか」、「白山」は「はくさん」。]
【○して字は〆てとあり不明】
一 うるすやな風はかすみを吹き拂て、今こそ女鹿あけてたちねる〻
【○うるすやなは嬉しやな也】
一 何と女鹿はかくれてもひと村すゝきあけてたつねる〻
一 笹のこのはの女鹿子は、何とかくてもおひき出さる
[やぶちゃん注:上記の一詞は底本の組版の一行文目一杯で終わっており、前後から見ても囃し言葉から考えても、「〻」を討ち損ねたものである可能性が高いように私には思われるが、後の諸本、総て「〻」は、ない。]
一 女鹿大鹿ふりを見ろ、鹿の心みやこなるもの〻
一 奧のみ山の大鹿はことすはじめておどりでき候〻
一 女鹿とらてあうがれて心ぢくすくをろ鹿かな〻
一 松島の松をそだてゝ見とすれば松にからまるちたのえせもの〻
一 松島の松にからまるちたの葉も、えんがなけれやぞろりふぐれる〻
一 沖のと中の濱す鳥、ゆらりこがれるそろりたつ物〻
なげくさ
一 なげくさを如何御人は御出あつた、出た御人は心ありがたい
[やぶちゃん注:「如何」は「いかな」。]
一 この代を如何な大工は御指しあた、四つ角て寶遊ばし〻
一 この御酒を如何な御酒だと思し召す、おどに聞いしが〻菊の酒〻
一 此錢を如何な錢たと思し召す、伊勢お八まち錢熊野參の遣ひあまりか〻
[やぶちゃん注:「錢た」の「た」はママ。現行本も「た」。]
一 此紙を如何な紙と思し召す、はりまだんぜかかしま紙か、おりめにそたひ遊はし
【○播磨壇紙にや】
[やぶちゃん注:「壇」はママ。現行諸本は「檀」。誤字か誤植であろう。「檀紙(だんし)」は奈良時代に出現し、常に儀式や和歌用の懐紙及び贈答の包紙に用いられてきた高級和紙である。播磨は古来からの和紙の名産地。]
一 あふぎのお所いぢくなり、あふぎの御所三内の宮、内てすめるはかなめなり〻、おりめにそたかさなる
【○いぢくなりはいずこなるなり三内の字不明假にかくよめり】
[やぶちゃん注:以下、枠囲みで柳田國男の近作宣伝と奥附(罫入り)。画像を配し、活字部分のみを電子化する(「■」は汚損による判読不能字。他の著作の奥附で確認しようとしたが、複数当たったものの、何故か彼の住所が記載されていない)。ポイントは総て同じとした。]
柳田國男近業
後狩詞記
石神問答 聚精堂發賣
時代と農政 近刊、同上
舊日本に於ける銅の生産及其用途 近刊
[やぶちゃん注:「後狩詞記」「のちのかりのことばき」と読む。副題は「日向國奈須の山村に於て今も行はるゝ猪狩の故實」。「猪狩」は「ししがり」と読んでいるようである。明治四二(一九〇九)年三月自家版。日本の民俗学の草創期に於ける古典的作品とされる。伝統的山村の一つであった当時の宮崎県東臼杵郡椎葉(しいば)村で行われていた狩猟伝承の実態を記録した内容で、狩り言葉やその作法の他に、狩猟儀礼伝書(洪水で消失して原本は現存しない)を活字化した「狩之巻」を付録として収載している。明治中期以後、鉄砲の普及により狩猟の方法が大きく変化したが、本書は鉄砲が用いられなかった時代の山村の生業としての狩猟の古伝を椎葉村区長椎葉徳蔵から口頭と文献によって聴き取りをし、貴重な資料集として纏めたものである。国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの画像で全文が読める。
「石神問答」既出既注。明治四三(一九一〇)年五月刊。日本の民俗学の先駆的著書とされ、本邦に見られる各種の石像神像(道祖神・赤口神・ミサキ・荒神。象頭神等)に就いての考察を、著者と山中笑・伊能嘉矩・白鳥庫吉・喜田貞吉・佐々木繁らとの間に交わした書簡をもとに編集した特殊な構成に成るため、考証過程の変遷が辿れるが、通常の論文とは埒外の書き方となっている。国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの画像で全文が読める。
「時代と農政」同明治四十三年十二月、やはり同じく聚精堂から刊行。正確には公刊標題は「時代ト農政」。これは柳田國男が「全国農事会」(後の「帝国農会」)の幹事として全国各地で講演したものの集成。内容は、「一 農業経済と村是」・「二 田舍對都會の問題」・「三 町の經濟的使命」・「四 日本に於ける産業組合の思想」・「五 報德社と信用組合との比較」・「六 小作料米納の慣行」の六章から成り、農業に対する当時の官憲による強権的政策を批判し農民の自立意識を鼓舞する内容となっている。国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの画像で全文が読める。
「舊日本に於ける銅の生産及其用途」これは予告されながら、遂に刊行を見なかった論文である。石井正己氏の論文「『遠野物語』の成立過程(上)」(一九九四年発行『東京学芸大学紀要』所収・PDF)によれば、これは「日本産銅史略」(『国家学会雑誌』明治三六(一九〇三)年十月号・十一月号及び翌年四月号連載)を『もとにした本作りを構想していたのだろう』とある。]
明治四十三年六月十四日發行 (實價金五拾錢)
不
著者兼 東京市牛込區市ケ谷加賀町二町目■十番地
許 發行者 柳 田 國 男
東京市本鄕區駒込千駄木林町百七十二番地
複 印刷者 今 井 甚太郞
東京市本鄕區駒込千駄木林町百七十二番地
製 印刷所 杏 林 舍
東京市本鄕區龍岡町三十四番地
賣捌所 (振替口座東京三〇五八) 聚 精 堂
(電話下谷 一六七二番)
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