萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 猫柳
猫 柳
つめたく靑ざめた顏のうへに
け高くにほふ優美の月をうかべてゐます
月のはづかしい面影
やさしい言葉であなたの死骸に話しかける。
ああ 露しげく
しつとりとぬれた猫柳 夜風のなかに動いてゐます。
ここをさまよひきたりて
うれしい情(なさけ)のかずかずを歌ひつくす
そは人の知らないさびしい情慾 さうして情慾です。
ながれるごとき淚にぬれ
私はくちびるに血潮をぬる
ああ なにといふ戀しさなるぞ
この靑ざめた死靈にすがりつきてもてあそぶ
夜風にふかれ
猫柳のかげを暗くさまよふよ そは墓場のやさしい歌ごゑです。
[やぶちゃん注:大正一一(一九二二)年五月号『詩聖』初出。初出は四行目の「死骸」が「死臘」(「屍蠟」の誤記か誤植)であるのが大きな異同で、「定本靑猫」は特に有意な異同はない。個人的には「屍蠟」が断然、いい。既出既注であるが、再掲しておくと、「屍蠟」(しろう)は死体が蠟状に変化したもの。死体が長時間、水中又は湿気の多い土中に置かれ、空気との接触が絶たれると、体内の脂肪が蠟化し、長く原形を保つ。そうした遺体現象を指す。
「猫柳」私の好きなキントラノオ目ヤナギ科ヤナギ属ネコヤナギ Salix
gracilistyla。花期は三~四月。本種は雌雄異株で、雄株と雌株がそれぞれ雄花と雌花を咲かせ、銀白色の毛状の目立つ花穂を猫の尾に見立てたのが和名の由来である。]
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