萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 野鼠
野 鼠
どこに私らの幸福があるのだらう
坭土(でいど)の砂を掘れば掘るほど
悲しみはいよいよふかく湧いてくるではないか。
春は幔幕のかげにゆらゆらとして
遠く俥にゆすられながら行つてしまつた。
どこに私らの戀人があるのだらう
ばうばうとした野原に立つて口笛を吹いてみても
もう永遠に空想の娘らは來やしない。
なみだによごれためるとんのづぼんをはいて
私は日傭人(ひやうとり)のやうに步いてゐる
ああもう希望もない 名譽もない 未來もない。
さうしてとりかへしのつかない悔恨ばかりが
野鼠のやうに走つて行つた。
[やぶちゃん注:「坭」は「泥」に同じ。ルビ「ひやうとり」はママ(歴史的仮名遣は「ひようとり」でよい)。大正一二(一九二三)年五月発行の『日本詩集』初出。初出や「定本靑猫」には有意な異同は認めない。
「幔幕」「まんまく」昔の軍陣や屋内外での式典会場・遊覧の野天などで、周囲に張り巡らす、遮蔽と装飾を兼ねた横に長い幕。本来は「布を縦に縫い合わせたもの」が「幔」で、「横に縫い合わせたもの」を「幕」と称した。
「俥」「くるま」人力車。
「めるとん」melton。布面が密に毛羽(けば)で覆われた、手触りの暖かい紡毛(ぼうもう)織物。柔軟で保温性に富み,やや厚手である。黒無地或いは縞柄や霜降りに染め、オーバー・マント・婦人子供服・制服などの防寒用服地として用いられる。
「づぼん」ズボン。
「日傭人(ひやうとり)」日雇人夫。「日傭取」が正字。]
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