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2019/01/18

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鵰(わし) (鷲(ワシ)類)

 

Wasi

 

わし     鵰

       【和名於保和之】

       鷲【音就】 𪆃【音團】

       【和名古和之】

【音凋】

       揭羅闍【梵書】

チュウ

 

本綱鵰似鷹而大尾長翅短土黃色鷙悍多力盤旋空中

無細不覩鷹鵰雖鷙畏燕子物無大小也【鵰翮可爲箭羽】

皂鵰 卽鷲也出北地色皂青西域記有皂鵰一産三卵

 者内有一卵化犬短毛灰色與犬無異但尾背有羽毛

 數莖耳隨母影而走所逐無不獲者謂之鷹背狗

羗鷲 出西南夷黄頭赤目五色皆備鵰類能搏鴻鵠獐

 鹿犬豕

虎鷹 翼廣丈餘能摶虎也

鵰骨 主治折傷斷骨【燒灰毎服二錢酒下】。骨卽接如初也鷹鶚鵰

 骨皆能接骨蓋鷙鳥之力在骨故以骨治骨從其類也

                  信實

  新六又はよもはねをならふる鳥もあらし上見ぬわしの雲の通路

△按鵰鷲有大小之異非老少之謂也狀似鷹而大於角

 鷹也腹背皂青色觜蒼黄脛爪黃其尾白黑斑文

大鳥 頸以上黃褐色如黃雄雞之頸其尾十四枚

小鳥 全體皂青色其尾十二枚

 奧州及松前深山中多有之捕之畜於樊中取尾羽造

 箭羽其羽潔白中間黑者號中黑上下有黑斑文而中

 間白者號中白下一寸許黑而上皆白者號薄標上一

 寸許白而下皆黑者號裙黑其餘有數品悉不記之時

 珍謂翅尾土黃色者不當

狗鷲 遍身似鷲而尾本白末黑其力稍劣焉老則頭至

 尾灰白與灰黑駁斑也呼號熊鷲

 

 

わし     鵰〔(テウ)〕

       【和名、「於保和之〔(おほわし)〕」。】

       鷲【音、「就」。】

 𪆃〔(ダン)〕【音、「團」。】

       【和名、「古和之〔(こわし)〕。」】

【音、「凋〔(テウ)〕」。】

       揭羅闍〔(ケイラシヤ)〕【梵書。】

チュウ

 

「本綱」、鵰、鷹に似て、大きく、尾、長く、翅、短く、土黃色。鷙悍〔(しつかん)にして〕多力、空中を盤-旋(めぐ)りて、細かく覩(み)ざるといふこと無し。鷹・鵰、鷙(とりと)ると雖も、燕-子〔(つばめ)〕を畏る。物に大小無きものなり【鵰〔の〕翮〔(つばさ)〕、箭羽〔(やばね)〕と爲すに可なり。】。

皂鵰〔(くろわし)〕 卽ち、鷲なり。北地に出づ。色、皂〔くろ)き〕青なり。「西域記〔(さいいきき)〕」に、『皂鵰、一産に三卵の者有り、内、一卵は犬に化し、短毛、灰色、犬と異なること無し。但し、尾・背、羽毛、數莖、有るのみ。母の影に隨ひて走る。逐ふ所、獲へざるといふこと無き者、之れを「鷹背狗〔(ようはいく)〕」と謂ふ』〔と〕。

羗鷲〔(きやうしう)〕 西南夷に出づ。黄なる頭、赤き目、五色、皆、備〔(そな)〕ふ。鵰の類にして、能く鴻〔(ひしくひ)〕・鵠〔(くぐひ)〕・獐〔(のろ)〕・鹿・犬・豕〔(ゐのこ)〕を搏〔(う)〕つ。

虎鷹〔(とらわし)〕 翼の廣さ丈餘。能く虎を摶つなり。

鵰骨〔(てうこつ)〕 折傷・斷骨を治することを主〔(つかさど)〕る【灰に燒きて毎服二錢、酒にて下〔(くだ)〕す。】。骨、卽ち、接(つ)ぎて、初めのごとくなるなり。鷹・鶚〔(みさご)〕・鵰の骨、皆、能く骨を接ぐ。蓋し、鷙鳥〔(してう)〕[やぶちゃん注:ワシ・タカなどの猛禽類。]の力、骨に在る故、骨を以つて、骨を治す〔なり〕。其の類に從ふなり。

                  信實

  「新六」

    又はよもはねをならぶる鳥もあらじ

       上〔(うへ)〕見ぬわしの雲の通ひ路

△按ずるに、鵰〔と〕鷲〔と〕、大小の異有りて、老少の謂ひに非ざるなり。狀〔(かた)〕ち、鷹に似て、角鷹(くま〔たか〕)より大きく、腹・背は皂青色(くろ〔あをいろ〕)、觜は蒼黄〔(あをき)〕、脛・爪は黃。其の尾は、白黑〔の〕斑文〔(はんもん)〕あり。

大鳥〔(だいてう)〕 頸以上は黃褐色、「黃雄雞(かしはどり)」の頸〔(くび)〕のごとく、其の尾、十四枚。

小鳥〔(せうてう)〕 全體、皂〔(くろ)き〕青色。其の尾、十二枚。

 奧州及び松前の深山の中に、多く之れ有り。之れを捕へて樊〔(かご)〕の中に畜〔(か)〕ふ。尾羽を取りて、箭羽を造る。其の羽、潔白にして中間の黑き者を「中黑〔(なかぐろ)〕」と號す。上下〔に〕黑き斑文有りて中間の白き者、「中白〔(なかじろ)〕」と號す。下、一寸許〔(ばか)〕り黑くして、上、皆、白き者を「薄標(うすびやう[やぶちゃん注:ママ。正しくは「うすべう」。])」と號す。上〔(う)〕へ[やぶちゃん注:ママ。]一寸許り白くして、下、皆、黑き者を「裙黑(つまぐろ)」と號す。其の餘、數品〔(すひん)〕有り、悉くは之れを記さず。時珍が謂ふ、『翅・尾、土黃色』といふは、當らず。

狗鷲〔(いぬわし)〕 遍身、鷲に似て、尾の本〔(もと)〕、白く末、黑くして、其の力、稍〔(やや)〕劣れり。老〔(らう)〕するときは、則ち、頭〔より〕尾に至〔るまで〕灰白と灰黑との駁斑(ぶち〔まだら〕)〔となる〕なり。呼んで、「熊鷲〔(くまたか)〕」と號す。

[やぶちゃん注:「鷲(わし)」はタカ目 Accipitriformes タカ亜目 Accipitres タカ上科 Accipitroidea タカ科 Accipitridae に属する鳥の内で、オオワシ(タカ科オジロワシ属オオワシ Haliaeetus pelagicus)・オジロワシ(タカ科オジロワシ属オジロワシ Haliaeetus albicilla)・イヌワシ(タカ科イヌワシ属イヌワシ Aquila chrysaetos)・ハクトウワシ(タカ科ウミワシ属ハクトウワシ Haliaeetus leucocephalus)等のように、比較的大きめの種群を漠然と指す通俗通称である。一般に分類上のタカ科 Accipitridae の種群の中で比較的大きいものを「ワシ」(鷲)、小さめのものを「タカ」(鷹)と呼ぶ傾向はあるものの、無論、明確な鳥類学上の分類学的区別があるわけではなく、本邦に於いては(恐らく中国でも)古来からの慣習に従って便宜上、呼び分けているに過ぎない(主文はウィキの「ワシ」を用いたが、かなりいじってある)。いい加減な例はタカ科ハゲワシ亜科 Aegypiinae で、同類は同時にハゲタカ類とも呼ばれる(彼らには、かの鳥類では明らかに大型種に属するタカ目コンドル亜目コンドル科 Cathartidae のコンドル類さえ含まれるのである)のを考えて見れば一目瞭然である。既に「山禽類 角鷹(くまたか)(クマタカ)」の項の注で述べたが、これは英語でも(というより、魚の固有名詞も極度に少ない英語は私は博物学的には頗る貧困な言語であると考えている)同じである。本文にも出る「角鷹」(くまたか)=タカ目タカ科クマタカ属クマタカ Nisaetus nipalensis は、英名を「Mountain hawk-eagle」或いは単に「hawk eagle」である。即ち、「hawk」(「鷹」・タカ)であると同時に、「eagle」(鷲・ワシ)であるという奇体な(中間型という謂いではあろう)もので、中央・南アメリカに棲息するタカ目タカ科セグロクマタカ属 Spizaetus の「スピザエトゥス」に至っては、荒俣宏氏の「世界博物大図鑑」の第四巻「鳥類」(一九八七年平凡社刊)の「タカ」の項によれば、『ギリシャ語の〈ハイタカ spizas〉と〈ワシ aetos〉』の合成であるとある。如何に「ホークとイーグル」「鷹と鷲」の民俗的分類が、致命的にいい加減かが露呈するのである。

 

「鵰〔(テウ)〕」現代仮名遣では「チョウ」。

「於保和之〔(おほわし)〕」この場合、種名とは思われない。「大きな鷹(たか)」である。寧ろ、後で良安が「大鳥」(私は「ダイチョウ」と音読みした)として箇条するそれは種としての「オオワシ」である。それはそこで後述する。

「古和之〔(こわし)〕」同前で「小さな鷲(わし)」。同じく後で良安が「小鳥」(私は「コチョウ」と音読みした)として箇条するそれは種としての「オジロワシ」ではないかと思っている。それはそこで後述する。

「梵書」この場合は、広義の漢訳したインドの仏典の意。

「鷙悍〔(しつかん)にして〕」「鷙」は猛禽類を指す語で、「悍」は「精悍」のそれで「気が強く荒い。猛々(たけだけ)しい」の意。東洋文庫訳はこの熟語のまま出して、ルビで『鷙悍(つよくあらあらし)く』としてある。

「細かく覩(み)ざるといふこと無し」地上や飛翔している周辺空間の細部に至るまでの観察を怠らないの意。

「鷙(とりと)ると雖も」東洋文庫は、ここを『鷙(あらとり)』(猛禽)『とはいえ』と訳している。従えない。私の採用している原本にははっきりと『トリトルト』のルビが添えられており、その方が、以下の「燕-子〔(つばめ)〕」(スズメ目ツバメ科ツバメ属ツバメ Hirundo rustica)「を畏る」にすんなりと繋がる。「鷹が燕を食うと死ぬ」「燕は角鷹(くまたか)を制する」「鷲や鷹は燕を畏れる」と、この「本草綱目」を始めとして中国の本草書にはよく語られているようなのであるが、その理由を知りたいと思っていろいろ調べて見ても、今のところ、判らぬ。識者の御教授を乞うものである。

「皂鵰〔(くろわし)〕」不詳。日文研の「近世期絵入百科事典データベース」の「訓蒙圖彙」の「皂鵰(さうしう)」(現代仮名遣「そうしゅう」)には異名キャプションとして「くまたか」とある。タカ科クマタカ属クマタカ Nisaetus nipalensis なのであるが、ここで「北地に出づ」というのが当てはまらない。既に述べた通り、日本は実はクマタカの最北の分布域で、北海道から九州に留鳥として棲息し、森林生態系の頂点に位置して「森の王者」とも呼ばれるが、その分布はユーラシア大陸南東部・インドネシア・スリランカ・台湾で、中国の北方に本種は棲息しないからである。ただ、後の叙述がトンデモ系なので、熱心に同定比定する気が、今一つ、起こらない。但し、後注するように、この犬「鷹背狗」は実在する犬である(後注参照)。後に出すタカ科オジロワシ属オオワシ亜種(基亜種)オオワシ Haliaeetus pelagicus pelagicus は翼が黒や黒褐色を呈するので、名にし負うのだが、如何せん、オオワシは中國北東部にしか分布しないので痛し痒しである。

「西域記」玄奘(げんじょう)の「大唐西域記」六四六年成立。

「母の影に隨ひて走る」飛翔する母鳥の落す影を慕って地上を走り廻る。

「逐ふ所、獲へざるといふこと無き」(普通の犬のようであるが、)獲物を追うと、捕獲に失敗するということがない、というのである。出自である黒鷹の血が脈々と生きているというのである。

「鷹背狗〔(ようはいく)〕」元の陶宗儀の「輟耕録」の中に「鷹背狗」として、

   *

北方凡卑脂作巢所在官司必今人窮巢深卵挾其多寡如川果而三卯老置卒守葭囘況視之反其成穀一乃狗耳取以銅蔡進之於朝其狀與狗無異但耳尼土多毛羽數根而己田獵之際鴟則戾天狗則走陸所涿同至名曰鷹背狗

   *

とあり、中文サイトを調べてゆくと、こちらに、鷹の産んだ卵から生まれた犬という迷信を、その犬が猟犬として描かれた絵図を掲げながら、その考証を紹介した優れもののページを発見した。そこではこの犬を狩猟犬の一犬種である「Salukiと同定している。ウィキの「サルーキ」(英名「Saluki」)を引く。『サルーキは。飼育犬中でおそらく最も古い犬種として知られ』、純血種としての「サルーキ」の歴史は、凡そ七千年も溯る『ことが出来る。イラクの古代遺跡であるテペ・ガウラに残る彫刻のサルーキが最も古い記録とされている』。『サイエンス誌の』二〇〇四年五月二十一日号に、『DNA鑑定の結果』、『サルーキが最も早くオオカミから別れた犬種の一つであると確認されたという論文が掲載された』(太字下線やぶちゃん、以下、同じ)。『容姿の美しさ、スピード、忍耐力において広く賞賛され、サハラ砂漠からカスピ海まで、数千年の間砂漠の遊牧民とともに中東全域を旅した歴史がある。その結果様々な色の被毛を持ったサルーキが中東全域で見られることとなった。外観は、アフリカ原産のアザワクやモロッコ原産のスルーギに似ており、エジプト王家の犬 Royal dog of Egypt)として知られていた。スルーギが独立犬種として公認されるまでは、イギリスやヨーロッパ諸国ではスルーギと交配されることが普通に行われていた』。『サルーキは美しさとスピードを追求して改良繁殖されたサイトハウンド(視覚ハウンド、視覚が優れた狩猟犬)として知られる。全犬種中最速であると一般的に思われているグレイハウンドが時速』七十二キロメートル『であるのに対し、サルーキはさらに速く』、時速七十七キロメートル『の最高速度で走ることが出来ると言われている。グレイハウンドのドッグレースで使用する電動ネズミ(これを追いかけさせることにより、レースを行う)にサルーキが関心を示さないこともあって、実際に競争させるのは困難なため』、『サルーキの方が速いということが証明されているわけではない。しかしながら』、『本犬種がもともと時速』七十キロメートル『以上で走るガゼルを狩る目的に使われたことから、この意見は正しいといえるかも知れない』(以下、「外観」であるが、前半はだらだらした箇条書きなのでカットする。リンク先を見られたい)。『全体的に優美でバランスが取れており、優れた身体能力を感じさせる。サルーキは「サイト(視覚)」ハウンドに分類され、それは獲物を発見、追跡し、捕らえて飼い主のところに運んできたり、見張りを行う能力があることを意味する。非常に狩猟に有能であるという外観をしている。サルーキが狩猟をしているときに見られる強い狩猟欲求、獲物を狩り立てる本能、集中力はとても印象的なものである』。『サルーキは遺伝子にスムース(直毛の短毛)とフェザード(羽根飾りのような長毛)の二種類の被毛タイプを有する。スムースは身体全体を覆い、耳、背中、脚、尾はフェザードである。フェザードの長さや密度には個体差がある』。『優れたサルーキは狩猟犬としての能力を保ってはいるが、その外見上はまったく異なって見えるかも知れない。学習能力は高いが』、『単純な反復訓練には飽きやすいため、トレーニングには』、『短時間に様々なバラエティを取り入れる必要がある。敏感かつ知的であり、力ずくあるいは手荒く訓練してはならない』。『サルーキには定期的な訓練が必要であるが』、『屋内でも静かに訓練することが可能である。普段はおとなしく理由もなく吠えたりすることはないが、不満を感じたとき、長い間飼育者やその家族と離れていたときなどには、震えるような高音で「歌う」。この「歌」は家族(群れ)のきずなを求めるときに使われるものであり、訓練次第で「歌」を教えることができる。サルーキは子供ともよい関係を築き』、『その守護者となることもできるが、飼育者はこの犬種がもの静かな時間を必要とすることを理解しなければならない』。『全米獣医師学会によれば、散歩の際にリード(繋ぎ紐)が必須とされている。サルーキの歴史は』七千『年に渡る古代遺産ともいえるようなサイトハウンドで、強い狩猟本能を持っているためである。しかしながら』、『このことは他の小型犬、猫などの小さなペットとともに過ごせないということを意味しているわけではない。よく訓練され、穏和なサルーキは様々なペットとともに家族として暮らすことができる。また、サルーキは跳躍力に優れているため、アメリカのサルーキのクラブである「The Saluki Club of America」では、少なくとも』一・五メートル『以上のフェンスで庭を囲むことを推奨している』。『サルーキは非常に頑健な犬種である。気をつけなければならないことは、非常に身体が細いため麻酔薬に対して敏感なことくらいである』。『「サルーキ(saluki)」という名前は古代アラビアの都市である「サルク(Saluq)」からきており、群れで狩りをする俊敏な狩猟犬として使役されてきた歴史を持つ。獲物の居場所を突き止める役割のハヤブサとともに狩りを行うこともあった古代に埋葬されたサルーキを紀元前』二一〇〇『年頃のエジプトの墳墓で見ることが出来る。この犬は非常に尊重されていたため、ファラオのようにミイラにされることさえあった。他にも多くのサルーキがナイル川上流域の古代墳墓から発見されている』。『イスラム文化において、犬は不浄な生物であるとされることがあるが、サルーキはアラビアの文化では他の犬種とは異なった地位を占めている。ベドウィンはサルーキを大切に扱い、その美しさと狩猟犬としての能力を落とさないように飼育繁殖をしている。サルーキは不浄な生物とはみなされず、日中の暑さや夜の寒さを避けるために飼い主とともにテントで眠ることさえある』とある(以下、省略)。

「羗鷲〔(きやうしう)〕」まず、中文サイトで「羗鷲」を「sea eagle」とするのを発見したので、ウミワシ類を一種ずづ検討した。名前からはタカ科ウミワシ属キガシラウミワシ Haliaeetus leucoryphus だが、本種は動物食ながら、種に魚類を摂餌するから、ここは分布域と摂餌対象からは、タカ科オジロワシ属オジロワシ Haliaeetus albicilla が相応しい。タカ科オジロワシ属オオワシ Haliaeetus pelagicus もいるが、この種は中国の北東沿岸部にしにしか分布しないので外れる。但し、どれも赤い眼ではない。赤い眼というのは特異点であるが、概ね黄色で、赤目はなかなかいない模様である。

「西南夷」中国西南部の漢民族が殆んど根づかなかった異民族の住む地域。中国古代に於いては現在の四川省南部から雲南・貴州両省を中心に居住していた非漢民族の総称として用いられた。知られるチベット(蔵)族・タイ(傣)族・ミヤオ(苗)等の他、滇(てん)・雟(すい)・哀郎・冉駹(ぜんもう)・邛(きよう)・筰(さく)等の数多く諸民族に属し、それぞれがまた、幾つもの部族や集団に分かれ、習俗・言語を異にした。四川省から西南夷を介しては、ビルマからインド、南越の番禺(現在の広州市)へと古くから交通路が開けており、文物交流に大きな役割を果たした(主文は平凡社「世界大百科事典」に拠ったが、少しいじってある)。西南夷に出づ。

「鴻〔(ひしくひ)〕」カモ科マガン属ヒシクイ Anser fabalis

「鵠〔(くぐひ)〕」広義の白鳥。

「獐〔(のろ)〕」シカ科オジロジカ亜科ノロジカ属ノロジカ Capreolus capreolus。「ノロジカ」は「麕鹿」「麞鹿」麇鹿」「獐鹿」であるが、単に「ノロ」とも呼び、その場合は以上の「鹿」を除去した一字で通用する。ウィキの「ノロジカ」によれば、『ヨーロッパから朝鮮半島にかけてのユーラシア大陸中高緯度に分布する。中国では子』(パァォヅゥ:或いは単に「」)『と呼ばれる』。体長は約一~一・三メートル、尾長約五センチメートルと、『小型のシカ。体毛は、夏毛は赤褐色で、冬毛は淡黄色である。吻に黒い帯状の斑があり、下顎端は白い。喉元には多彩な模様を持つのがこの種の特徴である。臀部に白い模様があるが、雌雄で形は異なる。角はオスのみが持ち、表面はざらついており、先端が三つに分岐している。生え変わる時期は冬』。『夜行性で、夕暮れや夜明けに活発に行動する。食性は植物食で、灌木や草、果実などを食べる』とある。

「豕〔(ゐのこ)〕」猪。

「虎鷹〔(とらわし)〕」不詳。中国のタカ科 Accipitridae の最大種なんだろうが、判らぬ。《委細面談。但「翼の廣さ丈餘」(三メートル越)にして虎と闘える方に限る》

「鵰骨〔(てうこつ)〕」ワシ類の骨。

「折傷」(せっしょう)は「折れて傷つくこと・折って傷つけること・挫(くじ)き痛めること」で、後「斷骨」(だんこつ)が「単純骨折及び開放性複雑骨折」とすれば、この「折傷」は剥離骨折か脱臼及び重度の打撲を指すと考えるのがよかろう。

「二錢」重量単位の一銭(せん)は約三・七五グラムであるから、七・五グラム。

「下〔(くだ)〕す」飲み下す。服用する。

「骨、卽ち、接(つ)ぎて、初めのごとくなるなり。鷹・鶚〔(みさご)〕・鵰の骨、皆、能く骨を接ぐ。蓋し、鷙鳥〔(してう)〕の力、骨に在る故、骨を以つて、骨を治す〔なり〕。其の類に從ふなり」飲んだだけでぴたりと骨が接合するというのを、まんず、類感呪術的にもっともらしく説明したもの。

「信實」「新六」「又はよもはねをならぶる鳥もあらじ上〔(うへ)〕見ぬわしの雲の通ひ路」

藤原信実(安元二(一一七六)年?~文永三(一二六六)年以降)の「新撰六帖題和歌集」(「新撰和歌六帖」とも呼ぶ。六巻。藤原家良(衣笠家良:いえよし。新三十六歌仙の一人)・為家(定家の子)・知家・信実・光俊の五人が、仁治四・寛元元(一二四三)年から翌年頃にかけて詠まれた和歌二千六百三十五首を収めた、類題和歌集。奇矯で特異な歌風を特徴とする。以上は東洋文庫版の書名注を参考にした)の「第二 野」に載る一首。上空空間でも生物ピラミッドの頂点にいるワシを上手くリアルに表現しているではないか。

「鵰〔と〕鷲〔と〕、大小の異有りて、老少の謂ひに非ざるなり」これに拠れば、良安の考える「鵰(たか)」=「鷹」と、「鷲(わし)」の違いは、種としての大小の違いで呼称しているのであって、成鳥・老成鳥と若鳥・壮年期の鳥の年齢別呼称ではないというのである。これは現行のそれと同じである。

「大鳥〔(だいてう)〕」タカ科オジロワシ属オオワシ亜種(基亜種)オオワシ Haliaeetus pelagicus pelagicusウィキの「オオワシ」によれば、朝鮮半島・中国北東部・日本・ロシア東部に分布し、『夏季にロシア東部(カムチャツカ半島、樺太北部など)で繁殖し、冬季になると越冬のため朝鮮半島、沿海州、カムチャツカ半島南部などへ南下する』。『オホーツク海沿岸部では冬季に南下する個体が多いが、一方でカムチャツカ半島では千島列島以南へ南下せずに留まる個体も多い』『日本では基亜種が冬季に越冬のため』、『北海道や本州北部に飛来(冬鳥)する』。日本で一番大きな鷲『ともいわれ、全長』はが八十八センチメートル、が一メートル二センチメートル、全長はで五十六~六十五センチメートル、は六十~六十五センチメートル、翼開長で二メートル二十から二メートル五十センチメートルにも達する。『尾羽は長い楔形』で尾羽の枚数は十四枚。『全身の羽衣は黒や黒褐色で』、『頭頂から頸部を被う羽毛は羽軸に沿って白い斑紋(軸斑)が入る』。『尾羽は白い』。『飛翔時には翼後縁部が膨らんで見える』。『翼は黒や黒褐色』。『虹彩は黄色』。『嘴は大型』。『嘴や後肢は黄色や橙色』。『幼鳥は全身の羽衣が淡褐色で、下面や翼に白い斑紋が入る』。『尾羽の外縁(羽縁)や先端に褐色の斑紋が入る』。基亜種オオワシ Haliaeetus pelagicus pelagicus は『額や腰、脛の羽衣が白』く、『小雨覆や人間でいう手首を被う羽毛(小翼羽)、一部の下雨覆は白い』。亜種オオワシ Haliaeetus pelagicus niger がおり、こちらは『尾羽基部と尾羽を除いて全身の羽衣が黒い』。同亜種は『朝鮮半島や沿海州で採集例があり』、『朝鮮半島で繁殖する亜種とされるが、標本が少なく』、『現在も繁殖しているかは不明』で、しかもこれについては、基亜種の『単なる暗色型として亜種と認めない説もある』とある。オオワシは『海岸や河川、湖沼などに生息する』。『種小名pelagicusは「海の、外洋の」の意。越冬地では水辺の樹上で休む』。『食性は動物食で、主に魚類(カラフトマス、サケ、スケトウダラなど)を食べるが鳥類(カモ類)、小型から中型の哺乳類、動物の死骸(魚類、アザラシ、クジラなど)なども食べる』。『アムール川下流域やカムチャツカ半島では』四『月までに海辺や水辺にある大木の樹上(ダケカンバ、ドロノキなど)や断崖に巣を作る』。『ロシア極東部では』四~五月一~三個(主に二個)の『卵を産む』。『抱卵期間は』一ヶ月から一ヶ月半で、雛は五~六月に孵化し、八月に巣立つ。『尾羽が矢羽として利用されることもあった』。『ロシアでは毛皮用のテンが罠にかかった際に食害することもあり、害鳥とみなされることもある』。『捕殺されたエゾシカ、刺し網や氷下待網漁などの漁業や陸揚げの際に生じるおこぼれに集まって食べる事もあり、水産加工場の廃棄物やゴミ捨て場を漁ることもある』。『開発による生息地の破壊や獲物の減少、羽目的の狩猟、害鳥としての駆除、鉛散弾によって狩猟された動物の死骸を食べたことによる鉛中毒などにより生息数は減少して』おり、『日本では』一九七〇年に『国の天然記念物』に指定され、一九九三年には、「種の保存法」『施行に伴い』、『国内希少野生動植物種に指定されている』。一九八五年現在の『生息数は約』五千二百『羽と推定されて』おり、絶滅危惧類(VU)に指定されてしまった。

「黃雄雞(かしはどり)」古く、羽根の色が茶色いニワトリ(キジ目キジ科キジ亜科ヤケイ属セキショクヤケイ亜種ニワトリ Gallus gallus domesticus )の品種を指す語であった。名古屋コーチンのようなものを想起すればよいか。首の形がということなら、まあ、納得出来る。

「小鳥〔(せうてう)〕」「其の尾、十二枚」という点と、本邦で見かけ、「オオワシ」より「小鳥」であるという意味なら、タカ科オジロワシ属オジロワシ Haliaeetus albicilla となるが、全体の色は「皂〔(くろ)き〕青色」ではなく、褐色であるのが不審。取り敢えずウィキの「オジロワシ」を引いておく。分布はユーラシア大陸・デンマーク(グリーンランド南部)・日本で、『ユーラシア大陸北部で繁殖し、冬季になると中華人民共和国東部、ペルシャ湾周辺に南下し越冬する。東ヨーロッパや西アジア、中華人民共和国北東部などでは周年生息する。日本では主に基亜種』オジロワシHaliaeetus albicilla albicilla(ハリアエエトゥス・アルビキルラ・アルビキラ)『が冬季に北日本に飛来(冬鳥)するが、北海道北部および東部では周年生息する個体もいる(留鳥)』。二〇一〇年一月に『開催された環境省の保護増殖分科会では、北海道内で越冬する個体数は約』千七百『羽(うち、つがい約』百四十『組)という数を示している。また、かつては対馬に定期的に飛来する個体がいた』。全長は七十~九十八センチメートル、翼開長は一メートル八十から二メートル四十センチメートルで、体重は三~七キログラム。『全身は褐色の羽毛で覆われている。頭部は淡褐色や淡黄色の羽毛で被われる』。尾羽は十二枚であるが短く、やや楔形を呈する。『尾羽の色彩は白い。種小名albicillaは「白い尾の」の意で、和名や英名(white-tailed)と同義。翼の後縁は直線的で飛翔時には長方形に見える』。但し、実際には『同属のオオワシの方が白い部分が多い』。『虹彩は淡黄色。嘴や後肢の色彩は淡黄色』。『幼鳥は全身が褐色や黒褐色の羽毛で被われ、上面や下雨覆に白い斑紋、尾羽に褐色の斑紋が入る。また』、『虹彩が褐色で、嘴の色彩が黒い。成長に伴い』、『全身の斑紋は消失し、虹彩や嘴の色彩は黄色みを帯びる』。基亜種オジロワシは、『上記の分布のうち』、『グリーンランドを除く』地域に分布し、『日本では北海道で周年生息する(留鳥)』。『冬季にロシアから主に北海道に飛来し、本州北部から中部に飛来することもあり、まれに九州や南西諸島に飛来することもある(冬鳥)』。『海岸、河川、湖沼などに生息する。単独もしくはペアで生活するが、冬季になると』、『集団で休む事もある』。『食性は動物食で、魚類、鳥類、哺乳類、動物の死骸などを食べる。ヒツジの幼獣、タンチョウの雛を襲い食べることもある。水面付近にいる獲物は急降下して捕らえる』。『高木の樹上や断崖に木の枝を組み合わせた巣を作り』、三~四月に、一回に二個の『卵を産む。主にメスが抱卵し、抱卵期間は約』三十八『日。雛は孵化してから』七十~七十五『日で飛翔できるようになり、さらに』三十五~四十『日後に独立する。生後』五~六『年で性成熟し、生後』六~七『年で成鳥羽に生え換わる。ヨーロッパでの平均寿命は』二十『年以上とされる』。『日本では』一九九〇『年以降は確認数は増加傾向にあるが、一方で近年は繁殖率が低下傾向にある』。『森林伐採・土地造成・道路建設による営巣地の破壊、湖沼・河川・海岸開発による採食場所および獲物の減少、工事やカメラマンによる繁殖の攪乱、狩猟用の銃弾による鉛中毒、電線による感電死、風力発電による衝突事故、人工の繁殖地への依存および過密化などが懸念されている』。『スコットランドでは絶滅したが、再導入された。日本では』一九七〇『年に国の天然記念物に指定され』、一九九三年の「種の保存法」『施行に伴い』、『国内希少野生動植物種に指定されている』。『北海道では』一九五四『年に初めて繁殖が確認され』、一九九八年には五十六ペア、二〇〇八年には約百五十ペアの『繁殖が確認されている』。絶滅危惧類(VU)指定。

「薄標」「標」は「目印(じる)し」の意。薄い紋をかく言ったもの。

「時珍が謂ふ、『翅・尾、土黃色かい』といふは、當らず」良安が「本草綱目」の記載を完全否定するのは珍しい。但し、時珍の指すそれはオオワシやオジロワシでない可能性もあるの俄かには賛同は出来ない。

「狗鷲〔(いぬわし)〕」タカ科イヌワシ属イヌワシ Aquila chrysaetos。本邦のそれは亜種イヌワシ Aquila chrysaetos japonica で、朝鮮半島及び日本(北海道・本州・四国・九州。周年棲息する留鳥)に分布する。ウィキの「イヌワシ」によれば、全長は七十五~九十五センチメートル、翼開張は一メートル六十八から二メートル二十センチメートル『近くになる』。『全身の羽衣は黒褐色や暗褐色』。『後頭の羽衣は光沢のある黄色で』、『英名(golden=金色の)の由来になっている』。『尾羽基部を被う羽毛(上尾筒、下尾筒)は淡褐色。中雨覆や風切羽基部の色彩は淡褐色』。『虹彩は黄褐色や淡橙色』。『嘴基部や嘴基部を覆う肉質』(蠟膜(ろうまく))や『後肢は黄色で、嘴の先端は黒い』。『幼鳥は後頭から後頸にかけて淡褐色の縦縞が入る』。『尾羽の基部や初列風切、外側次列風切基部の色彩が白い』。『虹彩は暗褐色』。『開けた森林や草原などに生息する』。『食性は動物食で、哺乳類、鳥類、爬虫類、動物の死骸などを食べる』。『日本ではノウサギ、ヤマドリ、ヘビ類が主で、とりわけ』、『ノウサギがもっとも重要な餌である』。『上空から獲物を発見すると、翼をすぼめ』、『急降下して捕らえる』。『通常は単独で獲物を捕らえるが』、一『羽が獲物の注意を引きつけ』、『もう』一『羽が獲物の後方から襲い掛かる事もある』。『珍しいケースでは』小鹿を襲うこともあるという。『断崖や大木の樹上に木の枝や枯草などを組み合わせた巣を作る』。『営巣場所が限られるため』、『毎年同じ巣を使うことが多い』。『日本では』二~三月に、一回に一、二個の『卵を産む』。『主にメスが抱卵を行い、抱卵日数は』四十三~四十七日で、『育雛も主にメスが行い、育雛期間は』七十~九十四『日で通常は』一『羽のみ育つ』。『雛は孵化してから』六十五~八十『日で飛翔できるようになり』、三『か月で独立する』。生後』三~四『年で性成熟し』、『生後』五『年で成鳥羽に生え換わる』。『ヒツジの幼獣を捕食する害鳥とみなされることもある』。『和名のイヌは「劣っている、下級の」の意で、クマタカなどにくらべ』、『本種の尾羽が矢羽としての価値が低かった事に由来する』。『漢字表記の狗は本種が天狗を連想させることに由来する』。『開発による生息地の破壊、害鳥としての駆除』、『人間による繁殖の妨害などにより生息数は減少し、農薬汚染も懸念されている』。『日本のイヌワシは』、一九九〇『年代から繁殖成功率が低下している』。『イヌワシの採餌にとっては、視界と飛行に適した開けた草地が適しており、森林で覆われると子育てのための餌の量が不足する。かつて伐採、放牧、そして採草のための火入れで維持されていた開けた場所が、林業・畜産の衰退で森林に変わったことがその原因ではないかと考えられている』。二十一『世紀に入って、日本の各地で間伐などによるイヌワシの餌場作りが試行されている』本邦では一九六五年に『種として国の天然記念物』に指定され、一九七六年には岩手県下閉伊郡の岩泉町と宮城県石巻市『北上町が「イヌワシ繁殖地」として国の天然記念物に指定されている』。一九九三年には「種の保存法」『施行に伴い』、『国内希少野生動植物種に指定』され、また、「動物愛護管理法」の『特定動物に指定されている』とある(太字下線はやぶちゃん)。

『呼んで、「熊鷲〔(くまたか)〕」と號す』これは現行では別種の「角鷹」(くまたか)=タカ目タカ科クマタカ属クマタカ Nisaetus nipalensis と混同するのでよろしくない。但し、当時はクマタカは「角鷹」と書いていたから、混同せずに認識はしていたものと思われる。

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