萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 天候と思想
天候と思想
書生は陰氣な寢臺から
家畜のやうに這ひあがつた
書生は羽織をひつかけ
かれの見る自然へ出かけ突進した。
自然は明るく小綺麗でせいせいとして
そのうへにも匂ひがあつた
森にも 辻にも 賣店にも
どこにも靑空がひるがへりて美麗であつた
そんな輕快な天氣に
美麗な自働車(かあ)が 娘等がはしり𢌞つた。
わたくし思ふに
思想はなほ天候のやうなものであるか
書生は書物を日向にして
ながく幸福のにほひを嗅いだ。
[やぶちゃん注:「かあ」は「car」で「自働車」三字へのルビ。大正一〇(一九二一)年十二月号『表現』初出。前の「靑空」や「最も原始的な情緖」と同時に書かれたもの(後者は初出誌も同じ)であり、一連の表現主義風の流れを受けているが、寧ろ、ここでは一九〇九年にイタリアの詩人フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティ(Filippo Tommaso
Marinetti 一八七六年~一九四四年)の「未来派宣言」(イタリア語:Manifesto
del futurismo/フランス語:Manifeste
du futurisme:フランスの日刊紙『ル・フィガロ』(Le
Figaro)に発表。「共産主義者宣言」(Manifest
der Kommunistischen Partei:一八四八年)を茶化したものである)に端を発したフューチュアリスモ(未来派)風の詩篇と読める。書生は室内から外界へと躊躇なく「突進し」、そこでは「靑空がひるがへ」って、「美麗な自働車(かあ)」や「娘等がはしり𢌞つ」ているのは、「速さ」に象徴される現代科学技術文明への呆けた手放しの讃美であって、それが美事にフューチュアリスモと一致するし、何より、その代表選手としての「美麗な自働車(かあ)」が、確信犯の「未来派宣言」の剽窃だからである。同宣言の「四」には実際、「自動車」の「速度」の「美」を以下のようにぶち上げているからである(前者は森鷗外の明治四二(一九〇九)年五月発行の『スバル』第五号所収の訳文(恐らくはドイツ語か英語からの重訳であろう。ミクシィのコミュニティ「未来派」にあったものを恣意的に正字化し、別な信頼出来るデータで校合した)「未來主義の宣言十一箇條」のもの。後者はウィキの「未来派宣言」の鈴木重吉訳。一九六五年紀伊國屋書店刊「悪について」より)。
『四 吾等は世界に一の美なるものの加はりたることを主張す。而してその美なるものの速なることを主張す。廣き噴出管の蛇のごとく毒氣を吐き行く競爭自働車、銃口を出でし彈丸の如くはためきつつ飛び行く自働車はsamothrakoの勝利女神より美なり。』
『四 われわれは、世界の栄光は、一つの新しい美、すなわち速度の美によって豊かにされたと宣言する。爆発的な息を吐く蛇にも似た太い管で飾られた自動車……霰弾に乗って駈るかのように咆哮する自動車は《サモトラのニーケ》よりも美しい。』
また、末尾の「思想はなほ天候のやうなものであるか」という呟きは、フューチュアリスモが一九二〇年代に入って、イタリアのファシズムに大いに『受け入れられ、戦争を「世の中を衛生的にする唯一の方法」として賛美』(ウィキの「未来派」に拠る)するに至るのを萩原朔太郎は嗅ぎ取っていたものとも読めないことはない。「書生は書物を日向にして」とは学生が過去の書物(文学)を旧態然とした無価値な智として、日向に投げ捨て、読もうとすることを止めるという〈過去だけでなく、前近代或いは既に古ぼけてしまった近代との鮮やかな絶縁〉を意味していることを示すものと読む。「未来派宣言」(訳は同前)は、
『一 吾等の歌はんと欲する所は危險を愛する情、威力と冒險とを當とする俗に外ならず。
二 吾等の詩の主なる要素は、膽力、無畏、反抗なり。
三 從來詩の尊重する所は思惟に富める不動、感奮及睡眠なりき。吾等は之に反して攻擊、熱ある不眠、奔馳、死を賭する跳躍、掌を以てすると拳を以てするとの歐打を、詩として取り扱はんとす。』
『一 われわれは危険を愛し、エネルギッシュで勇敢であることを歌う。
二 われわれの詩の原理は、勇気、大胆、反逆をモットーとする。
三 在来の文学の栄光は謙虚な不動性、恍惚感と眠りであった。われわれは攻撃的な運動、熱に浮かされた不眠、クイック・ステップ、とんぼ返り、平手打ち、なぐり合いを讃えよう。』
で始まっている。因みに、私は「サモトラケのニケ」(フランス語:Victoire
de Samothrace):リンク先はウィキの「サモトラケのニケ」の画像)を幼い頃から偏愛しており、未来派の絵画や彫刻は凡そ児戯に類したものとしか捉えていないし、そのファッショな「思想」にも相容れず、大々々々大嫌いな芸術思潮であると言い添えておく。
「定本靑猫」では「そんな輕快な天氣に」が「そんな輕快な天氣の日に」となっている以外は有意な異同を私は認めない。]
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