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2019/01/09

萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 蠅の唱歌

 

  

 

春はどこまできたか

春はそこまできて櫻の匂ひをかぐはせた

子供たちのさけびは野に山に

はるやま見れば白い浮雲がながれてゐる。

さうして私の心はなみだをおぼえる

いつもおとなしくひとりで遊んでゐる私のこころだ

この心はさびしい

この心はわかき少年の昔より 私のいのちに日影をおとした

しだいにおほきくなる孤獨の日かげ

おそろしい憂鬱の日かげはひろがる。

いま室内にひとりで坐つて

暮れゆくたましひの日かげをみつめる

そのためいきはさびしくして

とどまる蠅のやうに力がない

しづかに暮れてゆく春の夕日の中を

私のいのちは力なくさまよひあるき

私のいのちは窓の硝子にとどまりて

たよりなき子供等のすすりなく唱歌をきいた。

 

[やぶちゃん注:大正六(一九一七)年五月号『感情』初出。初出標題は「蠅の唄歌」。最終行の「唱歌」も「唄歌」。誤植ではなく、この二字で「うた」と読ませているのかも知れぬとしておこう。まあ、「唱歌」と代えたのだから、そこまで穿って考える必要はなかろうという気もする。「定本靑猫」でも採っているが、有意な異同はない。しかし、思う。萩原朔太郎は飢えて死ぬ蠅を見ようとはない。恐いのだ。朔太郎に梶井基次郎の「冬の蠅」(昭和三(一九二八)年二月稿。雑誌『創作月刊』同年五月号初出。リンク先は私の化石のような電子テクスト)の感想が聴きたいなと、ふと、思った。]

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