萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 夢
夢
あかるい屛風のかげにすわつて
あなたのしづかな寢息をきく。
香爐のかなしいけむりのやうに
そこはかとたちまよふ
女性のやさしい匂ひをかんずる。
かみの毛ながきあなたのそばに
睡魔のしぜんな言葉をきく
あなたはふかい眠りにおち
わたしはあなたの夢をかんがふ
このふしぎなる情緖
影なきふかい想ひはどこへ行くのか。
薄暮のほの白いうれひのやうに
はるかに幽かな湖水をながめ
はるばるさみしい麓をたどつて
見しらぬ遠見の山の峠に
あなたはひとり道にまよふ 道にまよふ。
ああ なににあこがれもとめて
あなたはいづこへ行かうとするか
いづこへ いづこへ 行かうとするか
あなたの感傷は夢魔に饐えて
白菊の花のくさつたやうに
ほのかに神祕なにほひをたたふ。
(とりとめもない夢の氣分とその抒情)
[やぶちゃん注:驚くべきことに、本詩篇の筑摩書房版校訂本文は前の「片戀」で犯した過ちと全く同じことをやっているのである! そこでは、第二連が、
*
かみの毛ながきあなたのそばに
睡魔のしぜんな言葉をきく
あなたはふかい眠りにおち
わたしはあなたの夢をかんがふ
このふしぎなる情緖
影なきふかい想ひはどこへ行くのか。
薄暮のほの白いうれひのやうに
はるかに幽かな湖水をながめ
はるばるさみしい麓をたどつて
見しらぬ遠見の山の峠に
あなたはひとり道にまよふ 道にまよふ。
*
と二連に分かれているからである。
確かに初出である大正一一(一九二二)年一月号『日本詩人』では二連になってはいる。
ところが、底本である初版本は、この箇所で改ページとなっているが、二〇三の左ページ通常版組の最終行で「影なきふかい想ひはどこへ行くのか。」となり、次の二〇四の右ページは通常版組の第一行から「薄暮のほの白いうれひのやうに」と印字されているのである。物理的に計測してみたが、疑問の余地は全くない。敢えて言えば、句点があるから改行となるのであろうが、後者にはその空行はないのである。
即ち、「靑猫」の「夢」には、ここに空行はない、のである。
筑摩版全集は、この行空き操作を校異で述べていない。
即ち、筑摩版全集編者は、初版「靑猫」の行空き無しを見落とし、初出に従って行空きを施してしまったのであると考えざるを得ない。
ところが、校異を見ると、朔太郎は後の昭和三(一九二八)年第一書房版「萩原朔太郎詩集」では、ここを行空き無しとしている、のである。これは「片戀」の場合と同じである(但し、この詩篇は他に第一書房版の前の大正一二(一九二三)年刊の詩集「蝶を夢む」と、第一書房版の後の昭和一一(一九三六)年新潮文庫刊「萩原朔太郎集」に再録されているが、校異を見る限りでは、行空けは、ある、ようである)。
ただ、詩篇の流れからは、この詩篇の場合は、前の「片戀」と異なり、ここには空行があってよいとは思う。
しかしながら、詩集「靑猫」としては、前の「片戀」と同じく、向後、全集が改訂される時は、この行空けを除去するべきであり、選集に選ぶ際も、行空き無しで示されねばならないと私は思う。
初出は以下。細部や終りの添え辞に異同が認められる。
*
夢
あかるい屛風のかげにすわつて
あなたのしづかな寢息をきく。
香爐のかなしいけぶりのやうに
そこはかとたちまよふ
女性のやさしい匂ひをかんずる。
かみの毛ながきあなたのそばに
睡魔のしぜんな言葉をきく
あなたはふかい眠りにおち
わたしはあなたの夢をかんがふ
このふしぎなる情緖
影なきふかい想ひはどこへ行くのか。
薄暮のほの白いうれひのやうに
はるかに幽かな湖水をながめ
はるばるさみしい麓をたどつて
みしらぬ遠見の上の峠に
あなたはひとり道にまよふ 道にまよふ。
ああ なにゝあこがれもとめて
あなたはいづこへ行かうとするか
いづこへいづこへ行かうとするか
あなたの感傷は夢魔に酢えて
白菊の花のくさつたやうに
ほのかな神祕なにほひをたたふ。
(とりとめもなき仄かな夢の氣分を、
私はこの詩で漂渺させやうと試みた。)
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「みしらぬ遠見の上の峠に」の「上」及び添え辞の「漂」(正しくは「縹」)や「させやう」はママ。
なお、本篇は「定本靑猫」には再録されていない。本篇を以って最終パート「艶めける靈魂」は終わっている。]