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2019/01/15

萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 厭やらしい景物

 

  厭やらしい景物

 

雨のふる間

眺めは白ぼけて

建物 建物 びたびたにぬれ

さみしい荒廢した田舍をみる

そこに感情をくさらして

かれらは馬のやうにくらしてゐた。

 

私は家の壁をめぐり

家の壁に生える苔をみた

かれらの食物は非常にわるく

精神さへも梅雨じみて居る。

 

雨のながくふる間

私は退屈な田舍に居て

退屈な自然に漂泊してゐる

薄ちやけた幽靈のやうな影をみた。

 

私は貧乏を見たのです

このびたびたする雨氣の中に

ずつくり濡れたる 孤獨の 非常に厭やらしいものを見たのです。

 

[やぶちゃん注:大正一〇(一九二一)年十二月号『表現』初出。初出には標題の後に全体が三字下げポイント落ちの以下の通りの会話体の長い添え辞が附されてある。改行は筑摩版全集に拠った。二十鍵括弧は初出にある。「てす」「仕末」はママ。太字は傍点「●」(大きな黒丸)である。

   *

『貧乏に對する恐れ。それは生活上に於て、最

も厭はしいものてす。

あなたはそれを感じませんか』

『すべての經濟學の良心が、貧乏の恐怖にある

といふ仕末ですか』

『いいえ、智識の詮索ではなく、むしろ人間本

能の傾向から、純一な趣味の上から、私共詩人

考へて居ることを、あなたも感じてご覽んな

さい。どんな經濟學よりも底深く。』

   *

詩篇本文は「精神さへも梅雨じみて居る。」が「精神さへも梅雨(つゆ)じみてゐる。」、「私は退屈な田舍に居て」が「私は退怠な田舍に居て」(誤植か?)、「私は貧乏を見たのです」が「私は貧乏を見たのです」(太字は傍点「●」(大きな黒丸))、「ずつくり濡れたる 孤獨の 非常に厭やらしいものを見たのです。」の「厭」に「いや」のルビを附している。「定本靑猫」では「精神さへも梅雨じみて居る。」と「雨のながくふる間」の間にある行空けが存在せず、全体が四連ではなく、三連構成となっており、他の再録詩集でもそうなっている他は、有意な異同を認めない。

 萩原朔太郎には病的な自然恐怖と貧乏恐怖がある。彼の都会趣味・ブルジョア感覚は生れ持っての、彼自身のあまり関わらぬ部分が多く、殊に指弾されるべきものではないが、しかし、彼のこの特異なフォビア(phobia:恐怖症。古代ギリシア語の「恐怖」の意「ポボス」(ラテン文字転写:phobos)が語源)は、特定のは病跡学的には掘り下げる価値があるものと思う。私はまた、彼の日常の行動の異常(食事の際に食物をこぼす・壁の特定の一箇所を触れる等の特殊なルーティン)を見るに、所謂、ADHDAttention-deficit hyperactivity disorder:注意欠陥・多動性障害)の注意欠陥型ではないかと疑っている。

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