和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 木客鳥(もつかくちやう) (不詳)
もつかくちやう[やぶちゃん注:ママ。]
木客鳥
モツ ケツ ニヤウ
本綱異物志云廬陵郡東有之大如鵲千百爲群飛來有
度俗呼曰木客鳥黃白色有翼有綬飛獨高者爲君長居
前正赤者爲五伯正黑者爲鈴下緗色雜赤者爲功曹左
脇有白帶者爲主簿各有章色
*
もつかくちやう
木客鳥
モツ ケツ ニヤウ
「本綱」、「異物志」に云はく、廬陵郡の東に、之れ、有り。大いさ、鵲〔(かささぎ)〕のごとく、千、百、群れを爲し飛び來たる。度〔(わた〕り、有り。俗に呼びて、「木客鳥」と曰ふ。黃白色にして、翼、有り、綬〔(じゆ)〕、有り。飛ぶに、獨り高き者を「君長〔(くんちやう)〕」と爲し、前に居て、正赤なる者は「五伯〔(ごはく)〕」と爲し、正黑なる者、「鈴下〔(れいか)〕」と爲す。緗(もへぎ)色〔に〕赤を雜(まじ)ふる者を「功曹〔(こうさう)〕」と爲す。左の脇に白〔き〕帶有る者を「主簿〔(しゆぼ)〕」と爲す。各々、章〔(しるし)〕の色、有り。
[やぶちゃん注:この引用記載には、特に妖鳥の雰囲気はないのであるが、日中ともに諸家は中国神話上の妖鳥とし、実在種への同定やモデル比定をした記載は見当たらない。これも先に語注を施す。
「異物志」東洋文庫書名注に、『一巻。漢の楊孚(ようふ)撰。清の伍元薇編輯『嶺南遺書』の中に収められている。嶺南地方の珍奇な生物などについて書いたもの』とある。
「廬陵郡」廬陵郡は後漢末から唐代にかけて、現在の江西省吉安市一帯に設置された郡。ここ(グーグル・マップ・データ)。
「鵲〔(かささぎ)〕」スズメ目カラス科カササギ属カササギ亜種カササギ Pica pica sericea。
「度〔(わた〕り、有り」所謂、渡りをすることを意味しているようである。即ち、「木客鳥」は渡り鳥なのである。
「綬〔(じゆ)〕」古代中国に於いては、官職を表わす印を身に付けるのに用いた組み紐。官位によって色を異にした。ここはまるでそのような特徴の羽の模様を、それぞれの個体が、別々にそれを持っているということを指しているようだ。挿絵をよく見ると、右の前胸部に白い妙なマークのような模様が見てとれる(右翼の根元の羽のそれとは全く反対方向に向いている妙なものでる)、これがここで言う「綬」なのではないかと私は読む。その中でも「君長」「五伯」「鈴下」「功曹」「主簿」は特別扱いで、別にそれぞれの特殊マークを有するというのであろう。
「君長」君主。
『前に居て、正赤なる者は「五伯」と爲し……「主簿」と爲す」東洋文庫はここの訳に、『伯は諸侯。五伯とは春秋時代の斉(さい)の桓公など五人の霸者(諸侯)になぞらえたものであろう。鈴下は随従する護衛の武官。功曹は書史を司る官吏。郡の属吏。主簿とは書記のことである』という注を附している。
「各々、章色、有り」それぞれに地位があって、その印として、色の違いがある。
さて。ところが、この「木客」(「鳥」は附かない)は、別に「和漢三才圖會 卷第四十 寓類 恠類」に載るのである。しかも、中国の本草書も良安もこれを先の「冶鳥」・「山都」・「山蕭鳥(かたあしどり)」と併置して《同じ仲間の妖鳥・妖怪・妖獣》(「冶鳥」が人に化けたりする以上、これは妖怪或いは妖獣である)として記すのである。但し、良安は最終的には「木客」と「木客鳥」を全くの別なものとして取り扱ってはいる。原文はリンク先を見て戴くとして、私の訓読と注を示す(古い仕儀なので、今回、一部に別資料で手を加えてリニューアルした。従ってリンク先のそれとは異なる)。
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もつかく
木客
【別に「木客鳥」有り。
禽(とり)の部に見ゆ。】
モツ ケツ
「本綱」に、『「幽明録」に載せて云はく、『南方の山中に生〔(せい)〕す。頭〔(かしら)〕・面〔(おもて)〕・語言〔(ことば)〕、全く、人に異〔(こと)〕ならず。但〔(ただ)〕、手脚〔(てあし)〕の爪、鈎〔(かぎ)〕のごとく利〔(と)〕し。絶岩の閒〔(あひだ)〕に居〔(を)〕り、死するも亦、殯殮〔(ひんれん)〕す。能く人と交易して〔→するも〕、其の形〔(かた)〕ちを見せず。今、『南方に「鬼市(きいち)」有る』と云ふ〔も〕亦、此れに類す。』〔と〕。』〔と〕。
[やぶちゃん注:「殮」の字を良安は「※」=「歹」+「隻」という字体で書いているのだが、こんな漢字は見当たらず、調べて見たところ、「本草綱目」では「殮」となっており、これだと読みも意味もすんなり通るので、それで示した。
さて、前の「冶鳥」(治鳥)で引用した多田克己氏の「渡来妖怪について」の「山都」にもある通り、この木客は、先に示した山都・治鳥の仲間、魑魅の一種とされ、漢の楊孚(ようふ)の「異物志」には『江西省の東部に鵲(かささぎ)ほどの大きさの木客鳥という鳥がいて、千、百と群れをなし編隊を組んで飛ぶという。この鳥は治鳥の仲間といわれる。巣をつくるという山都も、あるいは鳥の性質をもつことを暗示しているかもしれない』とされているが、ここの叙述を読む限り、これは「木客鳥」とは全く異なったもので、鳥ではなく、「木客」と呼んだ、一種の少数民族、若しくは、特殊な風俗風習を固持している人々の誤認或いは蔑称なのではないかという確信に近いものがあるのである。それは死者を断崖絶壁に埋葬するという習俗が、四川省の崖墓(がいぼ)を容易に連想させるからである。これは懸棺葬・懸崖葬などと呼ばれる葬送民俗で、NHKが「地球に乾杯 中国 天空の棺〜断崖に消えた民族の謎〜」で二〇〇四年に紹介したものを、私も見た。これについては、H.G.Nicol氏のブログ「民族学伝承ひろいあげ辞典」の「懸棺葬・懸崖葬・崖墓」を是非、参照されたい。懸棺葬や地図の写真・リンクも充実した素晴らしい記載である。思うに、彼等は、埋葬の際、また、日常生活にあって、断崖や山上の菌類・山野草を採取する道具として、四肢に鈎状の器具を装着していたのではあるまいか? それがこの長い爪の正体なのではないか? という可能性である。識者の御教授を乞うものである。
・「幽明録」南北朝時代の南朝の一つである宋王朝(劉宋 四二〇年~四七九年)の武帝の甥で、鮑照などの優れた文学者をそのサロンに招いたことで知られ、名著「世説新語」の作者とされる文人劉義慶(四〇三年~四四四年)が撰した志怪小説集。但し、現行の同書には、ここに書かれた内容を現認出来なかった。
・「殯殮」「殯斂」とも書き、死者を納棺し、暫く安置して祀ること。仮殯(かりもがり)。
・「能く人と交易するも、其の形ちを見せず」巷間の人間と物の売買を行うが、容易にはその姿を見せない、という意味で、めったに実体を見せない、ごく稀にしか直接の交易はしない、という意味であろう。東洋文庫版のように『よく人と交易もするが、その姿は見せない』という訳では如何にも不満である。第一、姿を見せずに商売をすることなど不可能である。特殊な仲買人を通してしか接触しないとか、近くの木や崖上にでも隠れて物々交換をするとか、無人販売を装うとでもいうのであれば、そのような推測した補注を施すべきである、というのが、私の判らないことをはっきりさせるのが注の役割と心得るからである。
・「鬼市」私が最初にこの語を見たのは、諸星大二郎の漫画「諸怪志異」の「鬼市」であったが、そこでは異界の化物や霊が立てる市であった。ここで言うのは、公的な行政許可を得た市ではなく、山岳部の少数民族や僻村の者達が、町へ下りてきて非公式に開く市のことを言うか。また、狭義には、諸星の作品でも暗に示されていたかと思われるが、中国で飢饉があった際、食人するにしても自分の子供を食うに忍びず、夜陰に紛れて人身売買の市を開き、子を交換して食ったという食人習俗での人肉市の呼称であったという伝承も耳にしたことがあるので、参考までにここに記しおくこととする。
*
正直、以上の民族「木客」を語ってしまうと妖に、基! 妙に熱くなってしまい、木客鳥の鳥のモデル比定をする意志が減衰してしまった。取り敢えず、木客鳥の属性を掲げておく。
①カササギぐらいの大きさ。→カササギは全長約四十五センチメートル。
②百や千の大群を成して飛ぶことがある。→カササギほど大きさの種で、「千」の数で群れ飛ばれたら、ヒッチコックの「鳥」なみにキョワいし、異様に目立って、実在する鳥なら、誰かが絶対、同定比定しているはずだから、やっぱり実在しないのかなぁ?
③渡り鳥である。
④目立つ印章(バッジ)風(挿絵に拠る。本文は「綬」で組紐模様とする)のものが前胸部にある。
⑤隊列を組んで群飛している際、その群れの位置より有意に高く一羽高く飛んでいる個体がいる。→それを人は「君長」(君主)と呼ぶ。
⑥同じく、そうした群れの前の方を先導するように飛ぶ個体(複数或いは五羽かも知れない)がいる。→それを人は「五伯」(五大諸侯)と呼ぶ。
⑦沢山いる中に、特に真っ黒な個体がいる(複数であろう)。→それを人は「鈴下」(近衛兵)と呼ぶ。
⑧沢山いる中に、左肩の部分に白い帯状の模様が入っている個体がいる(複数であろう)。→それを人は「主簿」(書記)と呼ぶ。
あとは、「日本野鳥の会」の方(妻は嘗て会員で、私はその金魚の糞の家族会員ではありました)にでも比定候補を挙げて貰いましょう! では、これにて。]
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