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2019/01/08

萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 靑猫

 

  靑  猫

 

この美しい都會を愛するのはよいことだ

この美しい都會の建築を愛するのはよいことだ

すべてのやさしい女性をもとめるために

すべての高貴な生活をもとめるために

この都にきて賑やかな街路を通るのはよいことだ

街路にそうて立つ櫻の並木

そこにも無數の雀がさへづつてゐるではないか。

 

ああ このおほきな都會の夜にねむれるものは

ただ一疋の靑い猫のかげだ

かなしい人類の歷史を語る猫のかげだ

われの求めてやまざる幸福の靑い影だ。

いかならん影をもとめて

みぞれふる日にもわれは東京を戀しと思ひしに

そこの裏町の壁にさむくもたれてゐる

このひとのごとき乞食はなにの夢を夢みて居るのか。

 

[やぶちゃん注:大正六(一九一七)年四月号『詩歌』初出。詩集標題詩篇であるから、殆んど変化はないが、特に初出と「定本靑猫」を以下に示す。まず、初出。

   *

 

  靑  猫

 

この美しい都會を愛するのはよいことだ、

この美しい都會の建築を愛するのはよいことだ、

すべてのやさしい女性を求めるために、

すべての高貴な生活を求めるために、

この都會にきて賑やかな街路を通るのはよいことだ、

街路にそうて立つ櫻の並木、

そこにも無數の雀がさゑづつてゐるではないか。

 

ああ この大きな都會の夜に眠れるものは、

ただ一疋の靑い猫のかげだ、

悲しい人類の歷史を語る猫のかげだ、

わが求めてやまざる幸福の靑い影だ、

いかならん影をもとめて、

みぞれふる日にもわれは東京を戀しと思ひしに、

そこの裏町の壁にさむくもたれて、

このひとのごとき乞食はなにの夢を夢みて居るのか。

 

   *

以下、「定本靑猫」版。但し、底本(筑摩版全集)の「並木」が「竝木」になっているのは編者による正字化処理によるものと断じ、「並木」とした。

   *

 

  靑  猫

 

この美しい都會を愛するのはよいことだ

この美しい都會の建築を愛するのはよいことだ

すべてのやさしい娘等をもとめるために

すべての高貴な生活をもとめるために

この都にきて賑やかな街路を通るはよいことだ

街路にそうて立つ櫻の並木

そこにも無數の雀がさへづつてゐるではないか。

ああ このおほきな都會の夜にねむれるものは

ただ一匹の靑い猫のかげだ

かなしい人類の歷史を語る猫のかげだ

われらの求めてやまざる幸福の靑い影だ。

いかならん影をもとめて

みぞれふる日にもわれは東京を戀しと思ひしに

そこの裏町の壁にさむくもたれてゐる

このひとのごとき乞食はなにの夢を夢みて居るのか。

 

   *

なお、本篇の「定本靑猫」での配置に就いては、前の
群集の中を求めて步く」の私の注を是非、読まれたい。

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