萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) くづれる肉體
くづれる肉體
蝙蝠のむらがつてゐる野原の中で
わたしはくづれてゆく肉體の柱(はしら)をながめた
それは宵闇にさびしくふるへて
影にそよぐ死(しに)びと草(ぐさ)のやうになまぐさく
ぞろぞろと蛆蟲の這ふ腐肉のやうに醜くかつた。
ああこの影を曳く景色のなかで
わたしの靈魂はむずがゆい恐怖をつかむ
それは港からきた船のやうに 遠く亡靈のゐる島島を渡つてきた
それは風でもない 雨でもない
そのすべては愛欲のなやみにまつはる暗い恐れだ
さうして蛇つかひの吹く鈍い音色に
わたしのくづれてゆく影がさびしく泣いた。
[やぶちゃん注:大正一一(一九二二)年六月号『詩聖』初出。初出や「定本靑猫」に有意な異同を認めない。
「死(しに)びと草(ぐさ)」「風にそよぐ」と近似した異名からは、単子葉植物綱キジカクシ目ヒガンバナ科ヒガンバナ亜科ヒガンバナ連ヒガンバナ属ヒガンバナ
Lycoris radiata が想起はされるが、朔太郎がそれをイメージしたかどうかは判らぬ。ウィキの「ヒガンバナ」によれば、『彼岸花の名は秋の彼岸頃から開花することに由来する。別の説には、これを食べた後は「彼岸(死)」しかない、というものもある』(本種は全草が『有毒で、特に鱗茎にアルカロイド』(alkaloid)『を多く含』み、『経口摂取すると』、『吐き気や下痢を起こし、ひどい場合には中枢神経の麻痺を起こして死に至ることもある』『鱗茎はデンプンに富む』。主な『有毒成分であるリコリン』(lycorine)『は水溶性で、長時間水に曝せば』、『無害化が可能であるため、救飢植物として第二次世界大戦中などの戦時や非常時において食用とされたこともある』。『また、花が終わった秋から春先にかけては葉だけになり、その姿が食用のノビル』(野蒜。ヒガンバナ科ネギ亜科 Allieae 連ネギ属ノビル Allium macrostemon。小さな頃、母と一緒に裏山でよく採って食べた)『やアサツキ』(浅葱。ネギ属エゾネギ変種アサツキ Allium schoenoprasum var. foliosum)『に似ているため、誤食してしまうケースもある』。『鱗茎は石蒜(せきさん)という名の生薬であり、利尿や去痰作用があるが、有毒であるため』、『素人が民間療法として利用するのは危険である』)。『別名の曼珠沙華は、『法華経』などの仏典に由来する。また、「天上の花」という意味も持っており、相反するものがある(仏教の経典より)。ただし、仏教でいう曼珠沙華は「白くやわらかな花」であり、ヒガンバナの外観とは似ても似つかぬものである(近縁種ナツズイセン』(夏水仙。ヒガンバナ属ナツズイセン
Lycoris
squamigera)『の花は白い)。『万葉集』に見える「いちしの花」を彼岸花とする説もある』(巻第十一「路の邊(へ)の壱師(いちし)の花のいちしろく人皆知りぬ我が戀妻を」(二四八〇番))。『また、毒を抜いて非常食とすることもあるので』、「悲願の花」という『解釈もある(ただし、食用は』『危険である)』。『異名が多く、死人花(しびとばな)、地獄花(じごくばな)、幽霊花(ゆうれいばな)、蛇花(へびのはな)、剃刀花(かみそりばな)、狐花(きつねばな)、捨子花(すてごばな)、はっかけばばあと呼んで、日本では不吉であると忌み嫌われることもあるが、反対に「赤い花」「天上の花」の意味で、めでたい兆しとされることもある。日本での別名・地方名・方言は千以上が知られている』とある。私はヒガンバナが好きである。私の家の斜面には亡き母が育てた白いヒガンバナが時々咲く。嘗て私はブログの「曼珠沙華逍遙」で、ヒガンバナの異名を蒐集したことがある(但し、「シニビトグサ」はなかった)。お暇なら、ご覧あれ。]
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