萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 憂鬱な風景
憂 鬱 な 風 景
猫のやうに憂鬱な景色である
さびしい風船はまつすぐに昇つてゆき
りんねるを着た人物がちらちらと居るではないか。
もうとつくにながい間(あひだ)
だれもこんな波止場を思つてみやしない。
さうして荷揚げ機械のばうぜんとしてゐる海角から
いろいろさまざまな生物意識が消えて行つた。
そのうへ帆船には綿が積まれて
それが沖の方でむくむくと考へこんでゐるではないか。
なんと言ひやうもない
身の毛もよだち ぞつとするやうな思ひ出ばかりだ。
ああ神よ もうとりかへすすべもない
さうしてこんなむしばんだ囘想から いつも幼な兒のやうに泣いて居やう。
[やぶちゃん注:「居やう」はママ。大正一一(一九二二)年七月号『日本詩人』初出。初出や「定本靑猫」には有意な異同は認めない。
「りんねる」linen。「リネン」とも呼ぶ。亜麻(あま:キントラノオ目アマ科アマ属アマ
Linum
usitatissimum)の繊維を原料とする織物。強くて水分の吸収発散が早く、涼感があるため、夏物の衣料などに用いられる。
「海角」「かいかく」で、通常は「海に突き出た陸地の先端部である岬とか鼻を言うが、ここは港の荷揚げ機械が配されてあるのであるから、港湾内に突き出た人口の突堤と読むべきである。
「生物意識」朔太郎は明らかに眼に見えない霊的な何ものかを考えている。そこを経て海陸に運ばれて行ったヒトを含む総ての動植物の、そこでの残留思念や感情を、かく言っているものと私は採る。
この詩篇の後の左ページ(右ページには「ああ神よ もうとりかへすすべもない」(改行)「さうしてこんなむしばんだ囘想から いつも幼な兒の」(行末)「やうに泣いて居やう」の三行が配されてある)には、以下の「海岸通之圖」が配されてある。これは筑摩版全集解題によれば、「西洋之圖」と同じくサンフランシスコの絵葉書とある。これはこの詩篇の「波止場」のシークエンスと珍しく親和性が見られる配置となっているので、ここに掲げておくこととした。]


