萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) かなしい囚人
かなしい囚人
かれらは靑ざめたしやつぽをかぶり
うすぐらい尻尾(しつぽ)の先を曳きずつて步きまはる
そしてみよ そいつの陰鬱なしやべるが泥土(ねばつち)を掘るではないか。
ああ草の根株は掘つくりかへされ
どこもかしこも曇暗な日ざしがかげつてゐる。
なんといふ退屈な人生だらう
ふしぎな葬式のやうに列をつくつて 大きな建物の影へ出這入りする。
この幽靈のやうにさびしい影だ
硝子のぴかぴかするかなしい野外で
どれも靑ざめた紙のしやつぽをかぶり
ぞろぞろと蛇の卵のやうにつながつてくる さびしい囚人の群ではないか。
[やぶちゃん注:大正一一(一九二二)年六月号『日本詩人』初出。初出は有意な異同を認めない。「定本靑猫」では「どこもかしこも曇暗な日ざしがかげつてゐる。」を「どこもかしこも曇暗が日ざしがかげつてゐる」とする。聞き慣れぬ「曇暗」は「どんあん」で、どんよりと曇った翳りの謂いであろうから、後者が正当かとは思う。しかし、別にここにまた、筑摩版全集の異常な消毒校訂本文を見出すのである。そこでは、「ふしぎな葬式のやうに列をつくつて 大きな建物の影へ出這入りする。」の最後の句点を除去しているのである。しかも後の再録でも総て句点はないのに、だ! こんなことが許されていいものか?!]
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