萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 惡い季節
惡 い 季 節
薄暮の疲勞した季節がきた
どこでも室房はうす暗く
慣習のながい疲れをかんずるやうだ
雨は往來にびしよびしよして
貧乏な長屋が並びてゐる。
こんな季節のながいあひだ
ぼくの生活は落魄して
ひどく窮乏になつてしまつた
家具は一隅に投げ倒され
冬の 埃の 薄命の日ざしのなかで
蠅はぶむぶむと窓に飛んでる。
こんな季節のつづく間
ぼくのさびしい訪問者は
老年の よぼよぼした いつも白粉くさい貴婦人です。
ああ彼女こそ僕の昔の戀人
古ぼけた記憶の かあてんの影をさまよひあるく情慾の影の影だ。
こんな白雨のふつてる間
どこにも新しい信仰はありはしない
詩人はありきたりの思想をうたひ
民衆のふるい傳統は疊の上になやんでゐる
ああこの厭やな天氣
日ざしの鈍い季節
ぼくの感情を燃え爛すやうな構想は
ああもう どこにだつてありはしない。
[やぶちゃん注:大正一一(一九二二)年一月号『日本詩人』初出。初出や「定本靑猫」に有意な異同は認めない。
「白雨」は「はくう」で、通常は「明るい空から降る雨・俄か雨・夏の夕立」を指すが、「冬」と「薄命の日ざし」と時制を示しており、冬の夕暮れのざっと降り出したそれである。減衰した夕暮れの日差しはあるが、そこに白っぽく見えるほどに俄かに降り出した雨を指している。
「古ぼけた記憶の かあてんの影をさまよひあるく情慾の影の影だ」「影の影」を中心に美事な一行である。]