萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 月夜
月 夜
重たいおほきな羽をばたばたして
ああ なんといふ弱弱しい心臟の所有者だ。
花瓦斯のやうな明るい月夜に
白くながれてゆく生物の群をみよ
そのしづかな方角をみよ
この生物のもつひとつのせつなる情緖をみよ
あかるい花瓦斯のやうな月夜に
ああ なんといふ悲しげな いぢらしい蝶類の騷擾だ。
[やぶちゃん注:大正六(一九一七)年四月号『詩歌』初出。初出との大きな違いはないものの(最終行の句点を除いて初出は全行末に読点を打つ)、標題は「月夜」ではなく、「深酷なる悲哀」である。特に問題なのは「羽」で、
初出では「羽(つばさ)」のルビ
があり、これは読みに於いてかなり重大な示唆を持つ。本詩篇は朔太郎遺愛のものであったらしく、後の複数の詩集に何度も再録されているのであるが、筑摩版全集校異を見ると、この後の、
大正一二(一九二三)年の詩集「蝶を夢む」(但し、詩篇標題を「騷擾」と変更しているので注意!)し、「翼(つばさ)」
昭和三(一九二八)年第一書房版「萩原朔太郎詩集」では、「翅」(ルビなし)
翌昭和四年新潮社刊「現代詩人全集」第九巻では、「翅(はね)」
昭和一一(一九三六)年三月刊の「定本靑猫」では、「翅」(ルビなし)
同年四月刊の新潮文庫「萩原朔太郎集」では、「翅(はね)」(但し、同書にはこの詩篇は「月夜」と「騷擾」の別題で二篇掲載されており、後者の「騷擾」では「翼(つばさ)」である)
となっている。以上の経緯を見る限りに於いて、本詩集「靑猫」では、朔太郎は、ここは「つばさ」と読ませるつもりであると考えるべきである(因みに、私はずっと「はね」と読んできたが、「つばさ」と読んでいた読者はまずいないと私は思う)。
他に「情緖」が「感情」となっている点で相違が見られる。
「花瓦斯」「はながす(ガス)」と読む(「ガス」は「gas」)。種々な形に綺麗に飾り立てて点火したガス灯のこと。装飾兼用の広告灯として明治前期から用いられた。小学館の「精選版日本国語大辞典」には明治一一(一八七八)年三月二六日附『東京日日新聞』の記事が例文に引かれており、『花瓦斯を設けたる裝飾のさまいと嚴かにして、且つ美麗を極めたり』(漢字を正字化した)とあり、平凡社「世界大百科事典」の「イルミネーション」の項には、この前年の明治十年六月の新富座再建時に点灯された『ガス灯のサインであった花瓦斯なども一種のイルミネーションである』とある。
なお、筑摩版「萩原朔太郞全集」第一巻の『草稿詩篇「靑猫」』には、本篇の草稿として『その手は菓子である(本篇原稿一種一枚)』として以下の無題が載る。表記は総てママである。
*
○
重たい大きな羽をばたばたして
ああなんといふ弱々しい心臟のためいきだ。所有者だ。
神さま
あかるい花のやうな美しい月夜に
遠い村々→家々ランプの燈灯(あかし)に向いて流れ始める
いぢらしい蟲けらの感情→群幸福をどうしたものだ、
いぢらしい
あかるい花のやうな月夜のしづかさに。
ああ神さま、
あかるい花のやうな月夜のしづかさをどうしたものだ、
あなたの貴い福音をどうしたものだ。
*]
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