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2019/01/08

萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 月夜

 

  月  夜

 

重たいおほきな羽をばたばたして

ああ なんといふ弱弱しい心臟の所有者だ。

花瓦斯のやうな明るい月夜に

白くながれてゆく生物の群をみよ

そのしづかな方角をみよ

この生物のもつひとつのせつなる情緖をみよ

あかるい花瓦斯のやうな月夜に

ああ なんといふ悲しげな いぢらしい蝶類の騷擾だ。 

 

[やぶちゃん注:大正六(一九一七)年四月号『詩歌』初出。初出との大きな違いはないものの(最終行の句点を除いて初出は全行末に読点を打つ)、標題は「月夜」ではなく、「深酷なる悲哀」である。特に問題なのは「羽」で、

初出では「羽(つばさ)」のルビ

があり、これは読みに於いてかなり重大な示唆を持つ。本詩篇は朔太郎遺愛のものであったらしく、後の複数の詩集に何度も再録されているのであるが、筑摩版全集校異を見ると、この後の、

大正一二(一九二三)年の詩集「蝶を夢む」(但し、詩篇標題を「騷擾」と変更しているので注意!)し、「翼(つばさ)」

昭和三(一九二八)年第一書房版「萩原朔太郎詩集」では、「翅」(ルビなし)

翌昭和四年新潮社刊「現代詩人全集」第九巻では、「翅(はね)」

昭和一一(一九三六)年三月刊の「定本靑猫」では、「翅」(ルビなし)

同年四月刊の新潮文庫「萩原朔太郎集」では、「翅(はね)(但し、同書にはこの詩篇は「月夜」と「騷擾」の別題で二篇掲載されており、後者の「騷擾」では「翼(つばさ)」である)

となっている。以上の経緯を見る限りに於いて、本詩集「靑猫」では、朔太郎は、ここは「つばさ」と読ませるつもりであると考えるべきである(因みに、私はずっと「はね」と読んできたが、「つばさ」と読んでいた読者はまずいないと私は思う)。

 他に「情緖」が「感情」となっている点で相違が見られる。

 「花瓦斯」「はながす(ガス)」と読む(「ガス」は「gas」)。種々な形に綺麗に飾り立てて点火したガス灯のこと。装飾兼用の広告灯として明治前期から用いられた。小学館の「精選版日本国語大辞典」には明治一一(一八七八)年三月二六日附『東京日日新聞』の記事が例文に引かれており、『花瓦斯を設けたる裝飾のさまいと嚴かにして、且つ美麗を極めたり』(漢字を正字化した)とあり、平凡社「世界大百科事典」の「イルミネーション」の項には、この前年の明治十年六月の新富座再建時に点灯された『ガス灯のサインであった花瓦斯なども一種のイルミネーションである』とある。

 なお、筑摩版「萩原朔太郞全集」第一巻の『草稿詩篇「靑猫」』には、本篇の草稿として『その手は菓子である(本篇原稿一種一枚)』として以下の無題が載る。表記は総てママである。

   *

 

  

 

重たい大きな羽をばたばたして

ああなんといふ弱々しい心臟のためいきだ。所有者だ。

神さま

あかるい花のやうな美しい月夜に

遠い村々→家々ランプの燈灯(あかし)に向いて流れ始める

いぢらしい蟲けらの感情→群幸福をどうしたものだ、

いぢらしい

あかるい花のやうな月夜のしづかさに。

ああ神さま、

あかるい花のやうな月夜のしづかさをどうしたものだ、

あなたの貴い福音をどうしたものだ。

 

   *

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