萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 閑雅な食慾
閑雅な食慾
松林の中を步いて
あかるい氣分の珈琲店(かふえ)をみた。
遠く市街を離れたところで
だれも訪づれてくるひとさへなく
林間の かくされた 追憶の夢の中の珈琲店(かふえ)である。
をとめは戀戀の羞をふくんで
あけぼののやうに爽快な 別製の皿を運んでくる仕組
私はゆつたりとふほふくを取つて
おむれつ ふらいの類を喰べた。
空には白い雲が浮んで
たいそう閑雅な食慾である。
[やぶちゃん注:大正一〇(一九二一)年十二月号『日本詩人』初出。初出との異同は、
二行目「かふえ」のルビは「カフエ」とカタカナ
四行目「ひと」は「人」と漢字
五行目の方の「珈琲店」のルビは無し
六行目「をとめ」は「少女」に「をとめ」のルビを附したもの
八行目「取つて」は「とつて」と平仮名
十行目「空」は「堂」(これは誤植の可能性が高いと推定)
最終行「たいそう」は「たいさう」と正しい歴史的仮名遣表記
である。
「底本靑猫」は有意な異同を認めない。
「戀戀」(れんれん)は「思い切れずに執着すること」或いは「恋い慕って思い切れないさま」を言う。
「羞」昭和四(一九二九)年新潮社刊「現代詩人全集」第九巻では、「羞(はにかみ)とルビし、昭和一一(一九三六)年四月刊の新潮文庫「萩原朔太郎集」でも同じ仕儀をしているから、「はにかみ」と訓じてよかろうとは思うのだが、実は新潮文庫のそれが出る一ヶ月前の同年三月刊に「定本靑猫」は刊行されており、これを定本と自負して名打ったにも拘らず、この「はにかみ」のルビがないのは頗る不審であり、その点に於いて、この字を「はにかみ」と読むと断定することは私は微妙に留保したい気持ちがある。しかも、痙攣的に面倒臭いことに、最後の自選となった昭和一四(一九三九)年の詩集「宿命」では、「羞」を「羞恥」に変えてしまい、その二字に「はぢ」とルビしているのである。これは即ち、この「羞」で「はぢ」と読んでいた可能性を排除出来ないからでもある。]
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