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2019/01/14

萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 閑雅な食慾

 

  閑雅な食慾 

 

松林の中を步いて

あかるい氣分の珈琲店(かふえ)をみた。

遠く市街を離れたところで

だれも訪づれてくるひとさへなく

林間の かくされた 追憶の夢の中の珈琲店(かふえ)である。

をとめは戀戀の羞をふくんで

あけぼののやうに爽快な 別製の皿を運んでくる仕組

私はゆつたりとふほふくを取つて

おむれつ ふらいの類を喰べた。

空には白い雲が浮んで

たいそう閑雅な食慾である。 

 

[やぶちゃん注:大正一〇(一九二一)年十二月号『日本詩人』初出。初出との異同は、

二行目「かふえ」のルビは「カフエ」とカタカナ

四行目「ひと」は「人」と漢字

五行目の方の「珈琲店」のルビは無し

六行目「をとめ」は「少女」に「をとめ」のルビを附したもの

八行目「取つて」は「とつて」と平仮名

十行目「空」は「堂」(これは誤植の可能性が高いと推定

最終行「たいそう」は「たいさう」と正しい歴史的仮名遣表記

である。

 「底本靑猫」は有意な異同を認めない。

「戀戀」(れんれん)は「思い切れずに執着すること」或いは「恋い慕って思い切れないさま」を言う。

「羞」昭和四(一九二九)年新潮社刊「現代詩人全集」第九巻では、「羞(はにかみ)とルビし、昭和一一(一九三六)年四月刊の新潮文庫「萩原朔太郎集」でも同じ仕儀をしているから、「はにかみ」と訓じてよかろうとは思うのだが、実は新潮文庫のそれが出る一ヶ月前の同年三月刊に「定本靑猫」は刊行されており、これを定本と自負して名打ったにも拘らず、この「はにかみ」のルビがないのは頗る不審であり、その点に於いて、この字を「はにかみ」と読むと断定することは私は微妙に留保したい気持ちがある。しかも、痙攣的に面倒臭いことに、最後の自選となった昭和一四(一九三九)年の詩集「宿命」では、「羞」を「羞恥」に変えてしまい、その二字に「はぢ」とルビしているのである。これは即ち、この「羞」で「はぢ」と読んでいた可能性を排除出来ないからでもある。

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