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2019/01/03

大和本草卷之十三 魚之上 鱊魚 (イサザ)

 

鱊魚 本草ニノス小魚ナリ春ハ多ク川ニ上ル細魚也川

 ノ淺キ処ヲノホル故一名サノホリト云近江ノ和尒越前

 敦賀ニ多シ形鯊ニ似タリ或曰イサヽハ鯊ノ子也

○やぶちゃんの書き下し文

鱊魚(イサヾ) 「本草」にのす。小魚なり。春は多く川に上る。細〔き〕魚なり。川の淺き処をのぼる。故、一名「サノボリ」と云ふ。近江の和尒(わに)・越前敦賀に多し。形。鯊(ハゼ)に似たり。或いは曰はく、『「イサヾ」は鯊(ハゼ)の子なり』〔と〕。

[やぶちゃん注:狭義の種としては琵琶湖固有種のハゼである、条鰭綱スズキ目ハゼ亜目ハゼ科ゴビオネルス亜科 Gobionellinaeウキゴリ属イサザ Gymnogobius isaza である。ウィキの「イサザ」によれば、漢字表記は「魦」「鱊」「尓魚」「𩶗」で、『ウキゴリ』(ゴビオネルス亜科ウキゴリ属ウキゴリ Gymnogobius urotaenia:日本周辺に広く分布し、「ゴリ」の代表種の一種)『に似た、昼夜』に亙る『大きな日周運動を行う。食用に漁獲もされている。現地ではイサダとも呼ばれる』。但し、『琵琶湖沿岸以外での「イサザ」「イサダ」は、シロウオ』(スズキ目ハゼ亜目ハゼ科ゴビオネルス亜科シロウオ属シロウオ Leucopsarion petersii『やイサザアミ』(節足動物門甲殻亜門軟甲綱真軟甲亜綱フクロエビ上目アミ目アミ亜目アミ科イサザアミ属イサザアミ Neomysis awatschensis『など本種以外の』全くの別種(特に後者)『動物を指す』ので注意が必要である。特に「いさざ漁」とか「いさざ網」」(幅九十一センチメートル、長さ一メートル強ほどの長方形の網に弓形の棒を十文字に渡して、取っ手とした「四つ手網」)という呼称は琵琶湖以外では前者のシロウオ漁及び捕獲網を指すケースが殆んどである(太字下線やぶちゃん)。『成魚の全長は』五~八センチメートルほどで、『頭が上から押しつぶされたように平たく、口は目の後ろまで裂ける。体は半透明の黄褐色で、体側に不明瞭な黒褐色斑点が並ぶ。第一背鰭後半部に黒点がある。同属種のウキゴリ』『に似るが、小型であること、体側の斑点が不明瞭なこと、尾柄が長いことなどで区別される。田中茂穂によって記載された当初はウキゴリの亜種 Chaenogobius urotaenia isaza とされていた。琵琶湖の固有種で、北湖に産する。琵琶湖にはウキゴリも生息しており、イサザはウキゴリから種分化が進んだものと考えられている。なお』、昭和三九(一九六四)年には『相模湖(相模ダム)と』、『霞ヶ浦で各』一『尾が記録されたが、これはアユの稚魚に混入するなどで放流されたものと考えられ、その後の繁殖も確認されていない』。『成魚は昼間には沖合いの水深』三十メートル『以深に生息するが、夜には表層まで浮上して餌を摂る。琵琶湖の環境に適応し、ハゼにしては遊泳力が発達しているのが特徴である。食性は肉食性で、ユスリカ幼虫などの水生昆虫やプランクトンを捕食する』。『産卵期は』四~五『月で、成魚は』三『月になると沖合いから沿岸に寄せてくる。この季節は』、『まだ水温が低いため』、『他の魚類の活動が鈍く、卵や稚魚が捕食されないうちに繁殖を終わらせる生存戦略と考えられている。オスは岸近くの石の下に産卵室を作り、メスを誘って産卵させる。メスは産卵室の天井に産卵し、産卵・受精後はオスが巣に残って卵を保護する』。『卵は』一『週間で孵化し、仔魚はすぐに沖合いへ出る。しばらくは浮遊生活を送るが』、七『月頃から底生生活に入り、成長に従って深場へ移る。秋までに全長』四・五センチメートル『に達したものは翌年の春に繁殖するが、それに達しなかったものは次の年に繁殖する。寿命は』一『年か』二『年で、繁殖後はオスメスとも死んでしまうが、メスには』一『年目の産卵後に生き残り』、二『年目に再び産卵するものもいる』。『琵琶湖周辺地域では食用になり』、十二から四月にかけて『底引き網や魞(えり : 定置網)で漁獲される』。『佃煮・大豆との煮付け・すき焼きなどで食べられる』。『琵琶湖特産種のうえ、ブルーギルやオオクチバス(ブラックバス)による捕食が影響し』、『個体数は減少して』おり、二〇〇七年には絶滅危惧IA類(CR)となってしまった。『もともとイサザの漁獲量は変動が大き』く、一九五〇『年代に一旦激減した後』、一九六二年から一九八六年にはある程度まで『回復したが』、一九八八年以降、『再び漁獲が激減』、『その後再び漁獲されるようになった』ものの、『以前ほど』には『漁獲されていない。有効な保全策も不明とされている』とある。魚体はぼうずコンニャク氏の「市場魚貝類図鑑」のイサザのページを見られたい。

『「本草」にのす』「本草綱目」巻四十四の「鱗之三」の以下であるが、本邦のイサザは琵琶湖固有種であり、同一種ではないし、近縁種でさえないように思われた。そこで中文サイトを調べると、「鱊魚」を「鮍魚」の属と同一とし、「鮍魚」を調べてみると、「Rhodeus sinensis」という学名の行き当たった。これはコイ目コイ科タナゴ亜科バラタナゴ属ウエキゼニタナゴという中国産のタナゴの一種であることである! 益軒先生、全くの縁遠い別種で、魚体も全くタナゴタナゴちゃんした全然ちゃう魚であらっしゃいます!(グーグル画像検索「Rhodeus sinensis

   *

鱊魚【音「聿」。「綱目」。】

釋名春魚【俗名。】。作「腊」、名「鵝毛」「」。時珍曰、「爾雅」云、『鱊、小魚也。名義未詳。「春」、以時名也。「」以乾腊故名。

集解時珍曰、按、段公路「北錄」云、廣之恩州出鵝毛、用鹽藏之。其細如毛。其味美。郭義恭、所謂「武陽小魚」。大如針一觔千頭。蜀人以爲醬者也。又「一統志」云、廣東陽江縣出之、卽鱊魚兒也。然今興國州諸處亦有之。彼人呼爲「春魚」云、春月自巖穴中隨水流出、狀似初化魚苗。土人取收、曝乾爲「」、以充苞苴、食以薑醋、味同蝦末。或云卽鱧魚苗也。

氣味甘、平。無毒。

主治和中益氣、令人喜悦【時珍】。

   *

而して、この「本草綱目」の記載を眺めていると、益軒が最後に「或いは曰はく、『「イサヾ」は鯊(ハゼ)の子なり』〔と〕」と言っているのは、益軒の知人の誰彼の謂いなのではなく、無批判に上記の「一統志」の「卽ち、鱊魚の兒なり」や「或いは云はく、『卽ち、鱧魚の苗(幼魚)なり』と」を、安易に「ハゼの子」に変えて解釈しただけなのではないか? と疑いたくなってくるのである。益軒はその記載の類似性から強引に「ウエキゼニタナゴ」を「イザ」に化けさせたのではなかったか?

「サノボリ」「狹上り」。

「近江の和尒(わに)」「和邇(わに)」。琵琶湖西岸の旧近江国滋賀郡の古地名。滋賀県志賀町域(現在の大津市)に当たる。大和の豪族「和邇氏」の部民がここにいたとされることに由る。隣接する小野の「和邇大塚山古墳」の被葬者は和邇氏系の有力者と推定されている(平凡社「百科事典マイペディア」に拠る)。]

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